日本アルプス主稜線縦走 北アルプス編

日本 北アルプス 1998/7/24-8/15

【1】

緑深い日本海側のアルプス山稜 山岳地図を広げると、北アルプスの主稜線はほぼ2500m以上を保ち、美しくも連綿と一本の軌跡を描いて日本海へ消え入る。夏季、この日本海からアルプスの稜線を歩いて旅しようと思いついた。
 今季これをものにしなかったら、もう二度と行けなくなるかもしれない。そんな思いで、明け知らぬ梅雨に見切りをつけて出発した。

 海抜0mから始まる北アルプスの主稜線の起点、親不知。日本海を背に立つ。
「これからまた旅がはじまるんだな」
 そう思いながら稜線へ踏み入った。

 背負う荷は30kgを越えているだろうか。18日分の自活用具と重い湿気のせいで、さっそく乾いた部位のないほど全身汗に濡れてしまった。時間の半分はへたり込んだまま動けないでいる。
 さらさらという流水の音が耳に入ってきた。樹林の中を喘ぎ歩くと小沢に出くわした。水だ。ザックを降ろして清水に歩み寄る。
「ああああ、うんめえ。最高だよ」
 ごくごくとたらふく水を飲む。我慢しなくていい。好きなだけ水を飲めるとは何と幸せなことか。

 犬ヶ岳(1593m)山頂直下の栂海山荘へ達する。日本海を目指して下る登山者に多く行き合い、ひとりに話しかけられた。
「どこまで行くの?」
「上高地まで行こうかと思って」
 いくらかためらいがちにそう答えた。
「へえ、上高地まで? 何日くらいで?」
「15日くらいですかね」
「いいな、休みたくさんあるのね」
「無職ですから」
「ええ、もっといい」

 3日目には、早くも足爪がはがれ始めた。荷は肩に重く歩くことが辛い。しかし無職の身。ここでやめたら何者でもなくなってしまう。仕事にある辛苦と同じだけの苦しみをこの山に感じていなければ、自分の存在価値を見失ってしまいそうだ。
「とにかく納得するまで歩き続けよう」

 翌日、白馬岳(2932m)を越えた。ホテルのような白馬山荘には人が多く、人工物が溢れ、自然のなかに忽然と町が現れてしまったようだ。


【2】

雲海が広がる 天狗平にて5日目、夜からの断続的な風雨に停滞を決めた。
 先は長い。梅雨はいまだ明ける気配を見せず、大気の不安定な状態が続き、まだこの先停滞日数が嵩むことだろう。本当に上高地へ達する日が来るのか。終わりの見えないままいつまでこの旅を続けていくのだろう。

 天狗平を出て天狗の頭へ立つ。北側の稜線を振り返ると白馬岳、南へ足下から伸びる稜は唐松、五竜、鹿島槍、濃緑に霞む山稜が続き、遥かに、ひと目でそれと分かる山容の槍ヶ岳(3180m)がある。しかしまだ霞む彼方に黒灰色の岩峰がぽつんと望める程度である。
「あんなところまで歩くのか。なんて長大なんだ」
 眼下に幾重にも波打ち広がっていた雲海は時とともに満ち、不帰キレットを通過する頃には、辺りは雲に飲みこまれてしまった。

 岩稜上のピークを幾つか越える。視界がないため現在地を把握しきれない。目の前のピークを登り切ると、そこがもう唐松岳(2696m)山頂だった。そこに中学生ほどの少年が親と二人で登ってきていた。
 小学生だった時分、父親と八方尾根からこの唐松岳へ登ったことがあった。小さかった身には、2696mの頂に立ったことが冒険だった。五竜から来たという、とてつもなく大きなザックを背負ったお兄さんたちが山頂へやって来た。「ごりゅう」という雄々しい音から、そこをでかく厳しい山だと想像し、自分にはとても踏み入ることのできない遠い世界の山だと思い、大ザックのお兄さんたちを尊敬のまなざしで見上げたことを憶えている。
 今、自分が「お兄さん」となり立っているわけだが、あの時の思いをこの少年は受け継いでくれるだろうか。

 8日目に五竜岳(2814m)山頂に立った。下りのクサリ場で先行の中年夫婦の先へ行かせてもらう。追い抜きざま、
「身軽だね」
 と声をかけられた。
「ええ、まあ、ひとりものですから」
 彼等に言わせると、早く歩けること、重い荷を担げること、時間が充分あること、その全ては「若いから」らしい。そう言ってよく羨ましがられることがある。誰も若い頃はあったのだが。

 岩峰をまわり込むと、突然三階建ての巨大建築物が目に飛び込んできた。
「八峰キレット」
 とある。この細い岩峰上に、奇妙なまでに立派だ。トイレへ入ると、目もくらむばかりに便器が白く輝きを放ち、舐められんばかりだ。小便をすることがためらわれる。一瞬山にいることを忘れさせる。

 雲海が上がってきて天候は崩れてゆく。連日の雨だ。8月に入るというのに大気は安定せず、梅雨前線は勢いを増している。

 小雨の中、鹿島槍ヶ岳(2889m)、爺ヶ岳(2670m)と歩き、種池のキャンプ指定地にテントを張った。夕方、天候はほのかに回復し、南東の暮れ行く空に、そこだけが発光する夏雲を目にして、やっと旅気分を微かに満たすことができた。

 種池から針ノ木岳にかけての稜線では、5つものピークを次々越えていく。左に扇沢、右に黒部湖を眼下とし、人里が近い。街が誘惑する。しかしまだ北アルプスの主稜線の半分を歩いたに過ぎない。

 針ノ木峠から南方を見ると、峻険な山稜がうねっている。灰色の雲に垣間見える濃緑の山容は、人を容易に寄せつけない自然の迫力を湛えている。
 峠近くの稜線上にテントを張る。

 夜半より風雨が徐々に強まった。雨、大風、雨、大風と決まったように非自然的サイクルが繰り返され、テントとフライシートはバタリバタリと舞い狂った。眠ることはままならず、時々目を開けると、傾ぐテントがぼうっと浮かびあがる。テントごと吹き飛ばされやしないかという不安、独り、そして闇の不安。
 風の弱まる間に違う世界へと思いを巡らせ、「現実逃避」をする。街のことを、食いたいものを想像する。だが流れ来る風が木々を揺さぶり、その襲来を告げると、次の瞬間烈風がテントをたたき、否応なく現実世界の不安と恐怖と孤独に引き戻される。
 寝袋から腕を出し、何度も時計を見る。しかし時間は経たず、時計が止まっているんじゃないかとさえ思える。

 長い長い夜が明けた。
 強風の中テントを張ったままよりは撤収した方が気が楽で、出発することにした。外はガスが出ているものの幸い雨は小康状態だった。
 蓮華岳(2798m)へ登る。高度を上げるほど風は強まり、西からの烈風に下ろしたザックも手放すと持っていかれそうな状態。高度を下げれば僅かでも風は弱まるかもしれないと、蓮華の大下りを降りる。突然雨よけのザックカバーがバサバサと異常に暴れ、烈風に引き剥がされ、なすすべなく白い空間に消え去ってしまった。

「なんかヤバい感じだな。とにかく降りよう」

 ガスがものすごい勢いで視界を右から左へと横切っていく。いったい自分はこんなところで何やってるんだと思う。
 ザレ、潅木帯、赤の岩の下りが現れる。標高差500m以上を下り、北葛乗越を経て、再び北葛岳への急登にかかった。

 左膝が疲労痛から本痛みになった。

 ガスの中、登っても登っても登りは尽きず、偽ピークばかり。今度こそはと登り切っても山頂標はなく、白濁の空間に山影が微かに浮かび昇っている。
「まいったな、もう……」
 ふと目の前に雷鳥が二羽現れた。そのうちの一羽は北葛岳への道を導くように登山道をかけ上がっていく。それについていった。ついてくることを確かめるかのように、雷鳥は時折振り返りしながらも、しばらく道案内をしてくれる。どのくらいの間だろう、そうして歩き、雷鳥は先の岩陰に姿を消した。その岩場を登ると北葛岳(2551m)山頂だった。風雨の中、雷鳥の導きに心和む思いだった。あんなに小さな動物でも目に映るだけで温もりを感じる。
 船窪のテント場に幕営。幸い樹林中にあり風の影響は受けない。

 翌日は雨、停滞。
 次の日も雨。いつ回復するとも知れぬ悪天。いつ明けるとも知れぬ梅雨。ただ、テント内の一畳余りの空間にひとりで、何をするでもなく天候の好くなるのを待っている。この旅の終わりが一向に見えないまま一日、二日とほとんど身動きもせずに過ごすというのは、自由か、不自由か。
 何かしていないと気が変になりそうだった。ノートにペンを走らせる。

(スシ食いてえ、ピザ食いてえ、納豆ごはんが食べたい。
 早く降りたい、街に降りたい。降ろしてくれ、降ろしてくれえ)


【3】

鷲羽岳より槍ヶ岳 雨が降っていたって歩くことはできる。ただガスで白霞む景色の中、荷も体も濡らして歩く山旅に何の楽しさがあるだろう。

 夕刻、にわかに雲が切れ、木々間から槍ヶ岳が姿を見せた。案外近い。知らぬ間にここまで来ていたのだ。近付いた槍の姿が、確かに前進していることを示してくれていた。
 その時気付いたんだ。今回の心の目標の山が槍ヶ岳になっているということに。あの山に達したい。頂になんとか立ちたい。

 船窪のテント場三度目の朝を迎える。雨の予報ははずれて曇り。しかし上空は泣き出さんばかりに暗い。出発か停滞か迷う。地図では次のテント場までは崩壊激しく注意が必要とある。雨だとまたやっかいだ。いつまでも留まっていたのでは食糧が尽きてしまうとも考える。曖昧な気持ちのまま出発することにする。

 停滞中、食糧を食い延ばそうと、ほとんどエネルギーを補給していなかったせいで、体がよく動かない。足もとの滑りやすい急登にたちまち消耗し、立ち止まっている時間の方が長くなってきた。体が重い。目の前の傾斜は絶望的に上へと昇り、ヤブに消えている。
「今日はもうだめだ」
 次の烏帽子小屋のテント場へ達することは諦める。とはいえ船窪のテント場へ引き返すことも難儀だ。
 やがて雨。
 船窪岳山頂の樹林の中のスペースにテントを張って、行動を打ち切る。

 もうやめたい、やっぱり。

 腰は痛み、膝には疲労がたまっている。今日こそもうやめよう、もうよしとしよう、と何度も思う。誰に理解されなくとも、もうこれだけやれば充分だ。結果は歩き切れずに挫折したということになる。残った事実はそこにアルプスの山稜があり、登山者が存在し、そこを歩き抜けた人間もいるということ。そこに今自分が吹かれている風は無く、打たれている雨もなく、変わらず登山者が歩き通っているということ。なぜ自分はそこをやり通すことができなかったかは、この状況を経験し、苦しみを味わった人間だけが知ることだ。
 それでもまだ歩こう。槍ヶ岳にいつ着くとも知れぬ遠い夢を見、果てなき旅の終わりへの永い夢を見ながら。

 翌朝、目の前に見えながら近付いてこなかった不動岳をようやく越えると、視界は広がり、久し振りに太陽も顔を出すようになった。天上世界のような烏帽子周辺を歩き、烏帽子小屋のテント場に幕営。濡れ物を天日にあて、幾日ぶりかで乾かしきることができた。

 夜半より空は一転、明け方には豪雨となり、テント下は小川となった。

 荒れる風の中、翌日は出発。三ツ岳の稜線上でガスに包まれる。サルの群れが風に吹かれてこちらを見つめている。なだらかな山容の野口五郎岳(2924m)を越え下りだすと、急速にガスは切れ、視界に山と谷が広がってきた。ほどなく黒々として尖鋭な岩稜の北鎌尾根から立ち上がった槍ヶ岳の峻容が、色鮮やかに迫ってきた。

 これを歩けば槍である。
 この日はしかし、鈍痛だった左膝が確かな痛みを伴うようになってきた。一歩一歩に負担がかかっているのだろう、歩くほどに痛みは増す。膝を騙し、痛みを騙し歩いていたが、悪化は進むばかりで、鷲羽岳(2924m)への登りでは曲げることさえ困難なほどになってしまった。

 山頂から三俣山荘への大下りが長かった。歩み進むどころか、靭帯の痛みに時々立ち止まって耐える。なんと無様な態。山荘は一向に近付かない。
 膝を曲げないうよう、早く行動を打ち切りたい思いを押し殺して、ゆっくり進む。何人にも抜かれる。

 やっと達した三俣山荘からは、ずっと想い続けてきた槍が美しい。しかし思わぬ膝の悪化。今回の山は、今回の旅はこれで終わるのか。
 悪天の中歩き続けて夢見てきたのは、ひとつは山から降りることだった。街に戻ることだった。終わりにすればその夢が明日のものともなるのだ。
 しかしこんな膝痛で山旅が終わってしまうことが心落ちぬ思いだった。とにかく明日一日様子を見るため留まることにする。
 ここまで近付いた槍が再び遠のく。無念である。


【4】

槍の穂先 大勢の登山者 入山以来他人とまともに会話していない。登山者はたくさんいる。登山者同士でも仲良く話しているけれど、自分はなぜかいつもひとりだ。大学のワンダーフォーゲルのパーティー同士が出会うと、すぐに打ち解けて話がはずんでいる。本当は彼等彼女等とだって話たい。だがなぜかしら今の自分は、そうした彼等と違う世界にいる気がしてならない。入山17日目に入っている。頭や顔はあぶらぎって光り、触れれば手にアカあぶらがぬめり、頭を掻けば頭皮カスが爪の間にこびり入る。
 今となっては、目の前の槍だけが現在の自分を受け入れてくれる気がする。とにかく槍なんだ。槍にさえ立てば納得できるんじゃないか。
 一旦下山して休養、態勢を整えて再び槍から穂高の稜線をやり直しにくる、という考えも浮かんだ。しかしそれでは親不知から歩き続けてきた稜線が途切れてしまう。一度降りたらそれで全てが終わってしまいそうで怖い。街から再び上がってくる気が起きるだろうか。

 翌日は左膝を憂い、3時間で行動を切り上げる。
 そしていよいよ双六のテント場から槍ヶ岳を目指して歩き出した。膝の痛みはやや軽減してはいるが、この日もあまり曲げずにスローペースで足を運ぶ。霧に包まれ視界は悪いが、目当ての山へ達するという強い思いが歩行の逡巡を凌駕していた。

 千丈沢乗越より槍ヶ岳最後の急登を見上げる。ガスは徐々に切れ始め、雲間から穂先が見えるようになる。
 日本海から伸びてきたこの北アルプスの稜線は、槍への尾根上で初めて標高3000mを越える。自らの足でこれだけの高さと距離を歩いてきて、この登りで想いを達せられると思うと浮き足立った。

 膝をかばいつつ、一歩一歩足下を見つめ、山道を踏みしめ、歩き登った。

 槍ヶ岳山荘のキャンプ指定地にテントを張り、空身で山頂へ向かう。

 いよいよ槍に立つ。
 逸る気は抑えられない。この瞬間が好きだ。

 気持ちは高揚したまま穂先の登りに取り付いた。早く山頂へ立ちたいという思いは、足の痛みをも忘れさせてくれた。
 しかしクサリ、ハシゴの連続する登りに登山者は渋滞し、待たされることになった。仕方なく待つ。意外にもそんな待ち時間に興奮は徐々に冷めてゆき、気を殺がれてしまった。

 3180メートルの山頂へ立った。
 周囲は一気に切れ落ちて、四方へ岩稜がうねり続いている。
 あたかも北アルプスの盟主の如き位置にある、確かに立派な山だった。視界もさほど悪くない。しかし山頂ではなんら感動も訪れはしなかった。延々歩き続け、槍の頂に立つことを夢見てきた。今、その夢を現実としているというのに。
 感慨に耽ろうとしばらく山頂に佇んでみた。それでも興奮も刺激もなく時間ばかり過ぎていく。

 どういうことだ。いったい今まで自分は何を求めてここまで来たのだろう。槍にさえ立てれば納得できると思っていた。だが、
「槍までもが俺を見放すのか!」

 いったいこの山旅をどう終わらせればいいのか。迷いを抱いたまま山頂を降りた。

 その夜、天候は荒れ狂った。強風の悪夢がまたも襲い来て、眠れない夜をひたすらに耐えて過ごす。
「もうよそう、こんな恐怖に耐え続ける必要なんてない」
 夜明けとともに山荘へ避難した。長く望んでいた屋根下の安心を得る。豪雨、強風、雷の外界とは別世界である。ところがこの悪天だけでなく群発地震が起きており、山荘内でも時々揺れを感じる。異常なまでの自然の脅威に天変地異の前ぶれをも思い起こさせる。

 再三にわたる荒天の足止めである。ここまで来ていながら、いまだ終わりが見えてこない。ここで旅を終わりにして下山という決心もつかない。下山してしまうことは、自己を否定することになるんじゃないか。この山行がくだらない遊びで、世間的に認められないことだとしても、続け来た山稜を進み続けたい。その意志を貫き通そう。

 槍の山頂に立った時、自分は何を見ていたか。上高地や松本の下界じゃなかった。あの時確かに雲の向こうに続く西穂高岳への稜線を見ていたのだ。山頂を降りた時、それに気付いていた。

「登山の価値は、技術的困難さ、大きさ、高さによるだけではない。何より重要なのは、自分がいかにその行為に情熱を傾け、おこなった登山に納得できたかである」

 誰かがそう言っていた。確かにその通りだと思う。そして旅もそれは同じだ。今回の山行は自分にとって充分価値ある質を伴っていると思う。だからこの山旅を、ひとつの大きなものとして創りあげるために、納得できるまで突き進みたかった。

 荒天は二日三晩続いた。左膝には幸運な停滞だった。一時的に回復したのだ。

 天候はまる一日、24時間だけのチャンスを与えてくれた。西穂を経由して上高地へ下山するには充分の時間だった。

 入山23日目、雨が止んだところで、ガスで視界の利かない中出発。槍から穂高への稜線は高山らしい岩稜で、所々細尾根となり、クサリ、ハシゴも多い。有名なキレットは知らぬ間に通過していた。
 時折雲間から青空がのぞくが、すぐにガスが視界を閉ざす。今回の山行は霧で行く先が見えないことが多い。
 先行者を次々抜いてぶっ飛ばし、白出のコルの穂高岳山荘幕営地にテントを張る。夕方には雲が薄れ去り、前穂高岳北尾根の向こうに松本の街が僅かにのぞいた。

「明日は本当にあの街に降りて行くんだな。やっと北アルプスが終わるんだ」
 その時、初めてこの旅の終わりが明確に見えてきたのだった。


【5】

奥穂から西穂の稜線 天候がもちそうなのは翌日朝のうちまで。早出で西穂までの稜線を通過してしまおうと思った。

 群発地震は苛烈さを増した。落石によると思われる死亡事故も身近に発生した。
 日が暮れて後、終夜揺れが襲い、そのたび岩礫の崩落音が闇の静寂を突き破った。涸沢か、白出沢か、両側か、岩雪崩の轟音は穂高一帯の山壁をこだまし、四方へと響き渡った。行動中に地震に遭遇することを憂慮する。

 朝、視界はいい。しかし上空は来るべき荒天の色合いを早くも帯び始めている。
 奥穂高岳(3190m)山頂より道標「西穂」へ方向を定める。細尾根の先に前衛峰ジャンダルム(3163m)の岩峰が立ちはだかる。ここから西穂までの稜線は、夏でも難所とされているせいか、人は圧倒的に少なくなった。

 高度感ある「馬の背リッジ」を越え、「ロバの耳」を通過すると、一旦急下し、登り返したところがジャンダルムの基部であった。左側から基部を半周以上回り込み、クサリに従って下降する。

 早くも稜線上に白雲が巻き始め、荒天の来襲をほのめかしている。

「天狗のコル」へ下り、切り立つ岩壁に垂れたクサリを登って天狗ノ頭(2909m)に出る。
 とうとうガスが発生し、視界を閉ざし始めた。あまり休まず先へ急ぐ。
 山に集中している。

 逆層スラブに長いクサリが降りている。傾斜はさほどきつくなく、クサリを掴まずとも靴の摩擦で歩き下れる。狭い鞍部に降り、岩ガレの斜面を登る。切り立つ稜線をうまくかわしながらルートはとられている。

 そこまで来た時、突然にルートは消え失せた。ペイントマークはおろか踏み跡もない。

「どういうことだ」

 このところの悪天と地震により、ルートは崩壊していたのだ。
 崩れ去った道を前に立ちつくし、ここまでのペースを乱された。目くらましに遭ったように、しばらくは何が何だかわからず、置かれた状況を把握できずにいた。振り返ると確かに今来たルートがある。しかし前方には進むべき道が見当たらない。

「落着け、よく見るんだ」
 そう自分に言い聞かせる。

 左側は草付きの絶壁で手が出ない。目の前は崩壊が激しく、崩折れた岩と岩面には岩角に打ち砕かれた傷跡が残り立ち、その一帯に岩雪崩の痕跡がむせっていた。悪いことにガスで視界もない。

 もはやこれまでか。

 ルートとなりそうな場所を探ってみる。崩れた斜面に踏み入り、数メートル進む。足下はその全てが浮石で、トラバースを容易ならざるものにしていた。足を置くたび、深い谷へ岩砂礫が崩れ落ち、白き底へガラガラガラと雪崩れていった。斜面を回り込んだ先にはルートもマークも見当たらない。迷う。
 ハッとする。ここで地震が起きたら終わりじゃないか。一旦、先の安定した場所へ戻ることにする。再び足場を崩しながら慎重に引き返した。

 地図を出して見るが、判断しようがない。
 このまま引き返すか、強行するか。
 西穂到達は儚き夢に終わるのか。この旅の終わりを今日望んで現実とするか。
「山の神よ、どうかちょっとだけ通らせてください」
 と天を仰いだ。
 一瞬、ガスが切れ、天を仰いだ目線の先に白いペイントマークを見た。
「あった、やった!」
 手を打った。
 15メートルほど上方だろうか。しかしこの崩壊部の登りが嫌らしかった。ザレ、浮石に岩登りとなり、足を乗せるスタンス、手を掛けるホールドが崩れ落ちないよう、自戒を込めて攀じり上がった。

 下で見たペイントマークにたどり着くと、緩やかな岩稜となり、白丸マークが点々と先へ続いていた。ひと息つき再び歩き出す。ややあって小ピーク間ノ岳(2907m)を越えた。

 今季このルートを難所としているのは悪天と地震であった。岩雪崩の巣となるルンゼの下降には気を遣った。高度差はさほどでもないが、緊張するアップダウンを繰り返す。そろそろ西穂山頂となってもいい頃だった。稜線への登り返しを登っていた時、ガスの中、人の声を聞いた気がした。
 登って行くと確かな響きが耳に届くようになった。
 上方、白濁の空間に人影が浮かび、徐々に西穂の山頂標も視界に入ってきた。

 静かに登った。
 神聖な気持ちだった。

 そして、北アルプス主稜線の旅最後のピーク、西穂高岳(2909m)に立った。
 頂標に抱きつくと、ここまでの23日間を振り返る間もなく、幾多もの想いが溢れ出し、頬を伝い流れていった。この山頂へ、今回の山行の全ての想いと、気負い、そして迷いを置き去り、あとは街へと降りさえすればいいのだ。
 明日のことは考えなくてもいい。膝がどうなってもいい。今の自分を賭けたこの山は、もう終わるのだ。
 山頂を出ると雨が降り出した。

 松本の街に数日間宿をとり、暴飲暴食をした。それがしばらく乾きと空腹に耐えた末のこの上ない喜びだった。
 一日、列車で信濃大町にある山岳博物館へ出向いた。車窓には、ずっと歩いてきた山稜が平行して走っている。信州、安曇野の風情が流れて行く。
 軽装の土地の人々が乗り降りする。若者、友人同士、カップル、口をもぐつかせた老人、時刻表を片手に旅する青年、そしてザックを抱えた登山者。それら誰とも自分は違うような気がする。自身旅の途上でありながら、旅人のスタンスというほどこの風景からかけ離れているわけでもなく、地元の人間というほどこの風景は自分のものじゃない。それは、ある期間この地を歩き、見知ったという自負であり、関わりを持ち、やがて去り行く者の遠慮であると思う。

1999/ 記

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