奥秩父脱出記

日本 奥秩父(山梨県) 1998/1/14-17

【1】

雪中キャンプ 大日岩道分岐「将来、ぼくは誰にも従わないつもりだ。自分自身にすら屈服しないだろう。自分の日常生活でも、世間の人々がそうするからといって、同じように行動することはできない。そんなことをすれば、自分を駄目にしてしまうだろう。だからぼくは、自分自身の道を歩くのだ。自分の歩く道と自分自身が一つになっているときにのみ、自分が強いと感じられるのだ」
―――ラインホルト・メスナー「ナンガ・パルバート単独行」(横川文雄訳)より

 前年体調不良で断念していた冬季の奥秩父主脈トレッキングに再び挑んでみようと思った。西端の金峰山(2599m)から稜線を東へ雲取山(2017m)まで2000メートルを前後する雪の山稜を五日間かけて歩くのだ。
 列車で東京を発ちJR小海線信濃川上で下車、入山口の川端下へのバスに乗る。車中、装備を詰めた大きなザックを持っているのを見た地元のバアさんに声をかけられた。

「どこ行くの?」
「山に登りに行くんです」
 そう答えると、

「やめとき、危ないから。雪だし。すぐ降りてきなさい」

 とさんざん諭されてしまった。雪を踏むために山に行くのだが、どう言ってもそういった価値観はバアさんに伝わりそうもなかった。

 歩き始めたのは昼もだいぶ過ぎた頃だった。バスの終点から舗装路に積もった雪の道を一時間も行くと金峰山荘に着いた。夏には小川山フリークライミングのベースやキャンプなどで賑わうところだが、冬季は閉鎖されているようで他に登山者もなくひっそりしている。この先の未舗装の林道からは除雪もなく、ラッセルとなった。
 歩くと膝あたりまで雪に埋まる。林道に沿って微かに前人の踏み跡らしき窪みが続いているが、独りだと充分なラッセルを強いられた。

 早くも「敗退」が頭をよぎる。
 予想以上の時間を要する。
 暗くなりかけた頃、初日の幕営予定地である大日岩道分岐へ到着した。テントを張るために整地しても、雪がふかふかで平にならず、かまわずにテントを張ってしまった。

 翌日、「やけに静かな朝だ」と思ったら、テントが雪で埋もれていた。テント地を押し潰している雪を中から叩き払う。案外重く、かなりの積雪となっているようだ。様子見に外へ出る。
 大雪だった。この天候では身動きできそうもなく、この日は停滞することにした。テント周りでさえすでに雪は膝上にまで積もり、ラジオでは大雪に関する情報が流れ続けている。このまま降り続けるようなら、稜線縦走どころの話ではなくなる。もうやめようと思った。
「雪が止んだら明日降りよう。もう上なんか行かなくていい」
 何日も独りラッセルで歩き続けて行ける距離などたかが知れている。今回は条件が悪すぎた。除雪をしてテントへ入る。

 昼前、再びテント周りの雪かきに出る。前日自分が付けてきた踏み跡の道は既に埋もれかかっている。
「山間部で30cmから50cmの積雪になるでしょう」
 ラジオからは積雪の予想が流れてきた。結局今回は何も成せずに断念することになりそうだ。負け犬である。どうして犬なんだろう。

 雪がどうしようもなく降り続く。テント周りの雪もうずたかく積もり、世の中の見える範囲が狭まってきた。外はそのうち上半分しか見えなくなってしまう。昼にインスタントラーメンを作ったら、外気温差によりテント内もモヤってホワイトアウトになってしまった。

 今この山に入っている人間が他にいるだろうか。いないだろうな。いないに決まってる。このお山をひとり占め。でもひとり占めたくない気分。

 夕食後、再三の除雪に出る。更に多量の雪が積もったのを見て明日の覚悟をする。相当なラッセルになりそうだ。幸い降雪は小康状態。
「夜7時30分、大雪警報を解除した」
 との情報がラジオから流れてきて、どうやら峠は越えたようだ。降雪の峠は歩かずして越えたが、この縦走の山の峠は一つとて越えていない。まあいいや。

 今頃町にいる人たちは何をしているだろう。
「すごい雪だね」
 などと言いながら、コタツとミカンでぬくぬくとテレビでも見ているのだろうか。そんな最中、外のこんな山中に雪に閉じ込められている人間がいるなんて、とんと考え及ばぬことだろう。しかし元気に明るく爽やかな山男として下界に降り立つ日はそう遠くない。
「待っていろ、町のフヌケな者たち」
 と思いつつ、奥秩父主脈縦走冬季単独だなどと言って発っておきながら、第一峰の金峰山の麓に触れることもできずに降りることにした自分もマヌケだ。
「いや、この異常気象では仕方がないんだ…」


【2】

自分のラッセルを振り返る 同じテント場で二泊した後の朝、天候は回復していた。出発のため荷をまとめる。テント地は凍りつき、畳むとバリバリと割れてしまいそうである。袋に入るほど小さく畳むことはできず、丸めてザックの天蓋との間に挟んだ。

 ラッセルは覚悟していたものの、これほどとは思わなかった。100cmは積もっただろうか。金峰山荘へ続く林道には、もはや自分の踏み跡は全く残っていない。そこをなんとしてでも戻らなければ帰れないのだ。足が雪上に出せる股下までの積雪なら何とか歩くこともできる。だが腰までとなると前進するのが難渋で、ちょっとした斜面となるとまさに雪中をかき泳ぐようなラッセルとなる。ふかふかの新雪で足は底無し沼のようにもぐり、はまると抜けなくなる。その度に大きなザックを降ろして、雪の中もがいて脱出を図る。
 このままでは埒が明かず、ザックを置いて空身になり、一歩一歩の足場を崩して固めて崩して固めて崩して固めて崩して固めて、そうっと足を置く。2、3メートル道を作るとザックを取りに戻る。そんなことを繰り返して進んだ。

「クソーッ!」

 僅か数メートル、数十メートル進むのにどれほどの労力と時間を費やせばよいのか。平地でさえ、一歩前進するのに約10秒かかる。だいたい1メートルに20秒。1分で3メートル、10分で30メートル、1時間で180メートル進めば良い方だろうか。

 林道といえども深雪は容赦無かった。やがて足の付け根が痛み出し、内臓にも疲労を感じ、重荷に腰も痛んでくる。度々座り込んで休んだ。目の前にはただなんとなく雪野原が続くばかり。

 ドスッ!
 突然の地響きにギョッとして辺りに目をやった。斜面の一画に微かに亀裂が入っているのに気付いた。しかしこの地形に傾斜は無く、雪崩の起きる心配はないようだった。どうやら新たに積もった雪の重みで、ラッセルして歩く刺激により、数十メートルにわたる一帯が押し凹むようだ。同じような地響きを、多少傾斜のあるところで耳にした次の瞬間、左手の斜面が小さく雪崩たが、大事には至らなかった。

 独りのラッセルを続け、昼になり、早くも体力的限界に近付きつつあることを悟る。そこで地図を見て、絶望した。
「金峰山荘まで半分も来てないやんけ! 今日中に着きそうもないぜよ。キエェェーッ」
 あまりにも長い前途に気がふれそうになる。

「前から誰か来ないかなあ」
 そんなことはないだろうが、ないことを試しに期待してみる。期待はエスカレートして、
「誰か友達が助けに来てくれないかなあ」
 と思ってみるだけ思ってみる。あり得るはずもないけれど。でも誰かが来てくれれば今日中に帰還できるだろうに……。

「もう、ウンコちゃんめ!」

 必死に進んで振り返れど、休んだところから何十メートルと離れていない。どんなに一生懸命になってもいちどきにほんの少ししか前進できない。
「もう駄目、もうやめよう」
 そう思いながらも、残ったエネルギーを無理やり燃やして足を進めた。やめたところでこの苦悩から解放されるとも思えない。

 廃小屋が見えてきた。見えてからも、行き着くまでにはかなりの時間を費やした。地図で確認すると、金峰山荘までようやく林道の七割方来たことになるようだった。

「そんなことしてたら日が暮れちゃうよ」

 とはよく言ったもので、そんなことしてたら日が暮れてしまった。この日はここで幕営とする。帰還ならず。
 無念。

 整地し、テントを張る。
 バリバリバリ。
 凍ったテントを無理やり張るとポールが曲がってしまった。
「明日こそ帰還できるだろう……多分」
 金峰山荘まで、一日かけ約七割の距離を戻ってきたから、残りはあと半日ほどだろうと思う。しかしここは雪のない時期ならたった一時間の平坦な林道なのである。一応明日に備え、15メートルもラッセルしておく。

 明日、やっとの思いで除雪している所へ脱出したら、そこにこれから入山する登山者がいて、
「これから登ります」
 などと言われたら、何でもない顔で言ってやるんだ。
「二日がかりでラッセルしときましたよ@」
 本当はすごく何でもあるのだけど。


【3】

除雪された道に出る 濡れたダウンの寝袋は保温機能が低下するようだ。夜はちょいと寒くて足が冷たくて仕方なかった。今度こそ帰還の朝だ。

 バリバリバリ。
 出発。

 前日の自分のラッセルを辿って進むが15メートルで道は雪に消えた。またラッセルの脱出行が始まった。
 少しは山間から出てきたからか、一晩経って雪が安定したのか、ラッセルは股下ほどになった。
 始めのうちは痛めた足に耐えて進んでいたが、右足の付け根に確かな痛みが感じられるようになると、自力で足を前に出すのがきつくなってきた。なんとかせねばと、手で右足を持ち上げそれを前に出すという、手動前進方を試みた。しかし遅い上に余計疲れる。今度は左足を軸に体を左回りに90度ひねって、雪上に上げた足を遠心力で振って前へ出すという方法で進んだ。
「この作戦はいける!」
 一歩に要す時間は4秒前後。
 だが疲労は色濃く、前進への積極性は薄れ、すぐに止まってしまう。そのうち左足の付け根も痛み出し、両足遠心力作戦を決行した。右……左……右……左……とゆっくりだがリズムを作って進む。ひねる折、ピッケルを雪にぶち込み遠心力の助けとした。そうして金峰山荘目指して、確実に、積み重ねて前進を続ける。自分が歩く場所に道はできるのだ。山荘まで行けば楽になるはずだ。

 ウサギの足跡が度々見られる。この深雪にラッセルしなくてもいいウサギが羨ましい。
「うさぎさんはいいよなあ、うさぎっていいな、ウサギ、ウサギめ、ウサギこのヤロー、出てこい、埋めてやる!」
 自分と同じ苦しみを他の何者かにも味わわせてやりたい。
「か、た、つ、む、り、く、ん、は、は、や、い、なあ」
 そんな遅々とした進度に耐えて、ようやく金峰山荘が視界に入ってきた。

 山荘前の駐車スペースに達したのは昼前だった。やっと脱出できた嬉しさに、ひとり記念写真を撮った。しかし……。
 ラッセル地獄は終わってはいなかった。
 ここからは往時には轍があった。今、新雪には全く車の通った跡も除雪もない。膝、もしくは膝下のラッセルとなっていた。
「クソー、もう嫌だ、やめたいよお、やめたいよおぉぉぉ、キエェェェーッ!」
 一転、終わりの見えぬ雪中行軍に、気がふれそうになる。いったいいつ抜け出せるのか。

 踏み跡がある。それは何らかの小動物のもので全く役に立たない。

 はやく人里に行き着きたい。この地獄から解放されたい。

 山荘から苦渋一時間、ようやく舗装路に達した。しかし……。
 もう何度目の絶望だろう。絶望にはいつも新鮮な味わいがある。いや、言い方が変だ。何度であっても絶望に慣れるということはなく、どん底に突き落とされる。ラッセルはまだ続いたのだ。

 舗装されているはずの場所にも除雪の手が入っておらず、雪を分けて進むしかなかった。それでも積雪は膝下までになった。ここにも小動物の足跡が続いている。
「なんだこいつは、協力しろ、金払え」

 直線的な道は先が見え、ずっと除雪していなくて、ずっとラッセルしなきゃならん。

 町でガキが手付かずの雪面に踏み跡をつけて喜ぶ姿を見かけることがある。
「それをここでやれ、俺の前に踏み跡をつけろ」

 いつまでこの雪地獄を味わわなければならぬのか。いったい今日脱出できるのだろうか。

 そして、
 やっとだった。
 見えたのだ。浄水場の先に除雪の跡。

「やった、やったぞ、ついに生還したんだ!」

 雪野原から抜け出した時、はからずも奥秩父主脈縦走を成し遂げた以上の感激を得てしまったようだ。体力の足りない者ならラッセルの苦しさに動けなくなっていたかもしれない。

 除雪された道のなんと歩き易いことだろう。
 大雪のためにバスと小海線は不通らしかった。とりあえず交通機関の恩恵を受けられるところまで歩く。登山の格好をして歩いている姿を見た除雪作業中のオジさんは、
「どこ行ってきた?」
 と目をまるくして訊いてきた。
「山に登ろうとしたんですが、雪が凄くてやめて帰ってきたんです」
「そうだろう。そりゃあやめた方がいいよ。こんなに雪降ったのは百年振りだよ」
 そのオジさんは百歳にはどうしたって見えなかったが、いずれにしても今回の積雪は彼の生来最も多かったということだろう。この豪雪に誰も心が浮き立っているようだ。

 地元の親切な人々の助けを借りて、なんとか列車の走り始めた小淵沢へ出ることができた。地元のひとびとと語らい、脱出行の話をした。そんな触れ合いに、
「やっぱり旅は人でもあるな」
 と改めて感じる。

「やめとき」
 そう言って往時のバス中で諭したバアさんの叡智を思い知らされたのであった。

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