アラスカの旅人たち
アメリカ合衆国 アラスカ、カナダ 1999/6-8
チャリ旅はアラスカのアンカレジに始まり、第一の目的であったデナリでの滞在を果たした。そこから奇跡のような追い風にも助けられながら、フェアバンクスには二日間で達した。閑静な住宅地にあるビリーズ・バックパッカーズ・ホステルに宿をとる。満員なのか部屋は用意できないとのことで、芝庭にテントを張らせてもらう。
ここで二人の日本人の旅人に出会った。
【カヌーイスト】
埼玉県出身のヒロは高校卒業後、親御さんを手伝ってプレス工をしていたが、許可をやっと得て今回3ヶ月間を旅にあてることができた。
「野田知佑が好きでね、ユーコン(川)をカヌーで下りたいと思ったんだ。日本でカヌーは一度しかやったことないし、こっちでカヌーで川旅するなんていうと親が心配するから、ただ旅行してくると言って出てきた」
決して安くはない艇や装備をフェアバンクスで手に入れ準備が整ったら、国境を越えたカナダのホワイトホースから下り始めるのだという。再び国境を越えたサークルというアラスカの町を目指して。
ユーコンを下るというのは日本人の海外川旅ではポピュラーである。しかし幾つも支流を持ち、その川程は長大で、ひと夏で旅し切れるものではない。それでもその一部を垣間見るだけでも、ワイルドな旅ができるに違いない。
【フォトグラファー】
もうひとり、田嶋さんはネジの卸業者だったが、写真家・エッセイスト星野道夫氏に触発され会社を辞めてアラスカへやってきた。
「写真が好きで、とにかく初めての今回はいろいろまわって撮りまくろうと思って、フィルムは300本持ってきた。タバコの箱に隠して持ちこんだ」
5月の中旬に入って、今までは北極圏の島に滞在して一週間エスキモーの人と生活を共にし、狩に同行してきた。
「星野道夫のシロクマの写真が印象的で、シロクマを追いたいと思って。今回は一頭だけ見られた。その島の人たち、皆いい人たちだったよ。その島に何とか滞在したくて日本から手紙書いてコンタクトとったりもした。島に二つある宿のひとつに星野さんの名も残されてて、確かにここに来てたんだなって」
やはり3ヶ月間で8月15日に帰国便の予約を入れているが、
「9月に入ってからあるクジラ漁も見たいんだ。それまでは南東アラスカやキナイ、アリューシャンも行くつもり。カヌーとか自転車も凄いよね」
そして彼は言った。
「やっぱり皆何かに賭けてきているんだよな」
本当にそうだと思う。
アラスカという土地。今まで会った者達も皆はっきりした目的を持ってやってきていた。自然を楽しむ者達に素晴らしい旅を提供してくれる土地柄なのだ。何かを求め、やりたいことを見つけにやって来た者たちばかりだ。田嶋さんも「自分なりのこだわりを見つけたい」と。写真は始めたばかりだが、この先これでやっていきたいから、何かを見つけたいのだと言う。
「今回が終わってもまだ終わりじゃない。また来年来たい。でも英語が中学生レベルで苦労するよ」
エスキモーのひとたちは彼等の言葉を話していた。
「挨拶とか覚えた?」
「日本でも図書館で調べてきてたんだけど忘れちゃった。バカなんだ」
そう言って笑った。
バックパッカーの集う宿の多くにビジターズ・ブックと呼ばれるいわば宿帳があり、この地で幾ばくかの時間を過ごし去っていった旅人達のコメントが残されている。この宿にもそれは何冊にも残されており、極寒の冬にオーロラを見に来た者、夏に同じく自転車で旅をしに来た者たちが書き連ねていた。
「何か見つかったような気がする」
「何も見つからなかった」
「探し求めていきたい」
皆何かを求めてアラスカへやって来るのだ。そこに何かを見出した者もいれば、何か違うものに気付いた者もいるだろう。観光地としてのアラスカはメジャーとは言えないだろうが、自分なりの旅を実践しにやって来る者たちにとってはいくらでも可能性を秘めた地であると思う。
【サイクリスト】
7月初め、カナダのホワイトホースに入った。
ちょうどその日、やはりアンカレジを6月に出たという大阪出身のサイクリストに出会い、宿を共にした。名を我妻といった。彼はアメリカの6ヶ月観光ヴィザを取り、持ち金の続く限り自転車で南下、メキシコまで行けたらいい、と。
「今回が荷物積んで走るの初めてなんや。とにかく安く上げようと思って」
ここまでに日本人サイクリストに三人も出会ったそうで、一人は60歳ほどのJACC会員だったが、走るのが速い。
「追いつけへんねや」
我妻君の荷物はかなり多く、衣類をだいぶ持ってきたようで、寝袋も化繊の大きなものを使っている。それでもそれが彼のスタイルであるのだ。
「一日50kmの計算で来たけど、なんやもっと走れるな」
同じ自転車の旅人同士だ。話が合う。クマの恐怖、蚊に悩まされること、キャンプや風の苦労。
この先ぼくはバスを使ってカナディアン・ロッキー入りすることにしていた。カナディアン・ロッキーをベストシーズンに時間をかけて旅したいという思いが強くなってきたのが、その理由のひとつだった。一方で彼はアラスカ・ハイウェイの自転車旅を続ける。先に発つ彼をバスで追い抜くことになる。バスに乗って自転車で行く彼を見るというのは、どこか気が引ける思いがする。
「もしバスに乗ってるところに出会ったら、苦しかろうがなんだろうが、思いきり楽しそうにしてるんだ」
彼は言った。誰も苦しいのだ。それでも皆そうして旅をしてゆくのだ。
ホワイトホースの街中を流れるユーコン川を見に行った。見た目は平凡なただの川だ。だが平凡に見える川に、何人もの旅人がやって来たに違いない。野田知佑氏を始め多くの日本人もやって来たことだろう。このただの流れは川旅のロマンを含んでいる。何かを求めてこの川を流れてゆけば、そのひとにとっては単なる流れではなくなるのだろう。しばらく、透き通ったユーコン川の水を眺めていた。
【再会】
カナディアン・ロッキーの旅を終え、チャリでまた南下を始めた。チャンセラー・ピークというキャンプ場でテントを張っていたところ、三つ先のサイトにサイクリストが入ってきた。よく見ると日本人のようでもある。いずれにしても仲間である。挨拶に行った。
お互い顔を見合わせ、次の瞬間笑顔になった。
「びっくりしたー」
「びっくりしたー」
それはホワイトホースで出会った我妻君だった。
ホワイトホースで別れてからは野宿でクマに悩まされ、雨、向かい風と、アラスカハイウェイの旅は苦労したようだが、カナディアン・ロッキーの自然の雄大さに救われたという。
キッキングホース川でラフティングを楽しみ、お互いその先の行程を思案していたが、結局合衆国ワシントン州のシアトルまで行程を共にすることになった。
自転車の旅をしていると食う量は人並みはずれ、町に中華のビュッフェ(食い放題)があると、大抵入って動けなくなるほど食いまくった。その摂取カロリーは二人でいかほどだったろうか。
北米アルパイン登山(ロープを使ったりして山に登ること自体を目的に行う登山)発祥の地とされるグレイシャー国立公園を抜け、怪獣オゴポゴが潜むとも言われるオカナガン湖をかすめて国境を越える。
我妻君の体力は優れて、峠越えの折など後発の彼に追いつかれたりした。ぼく自身体力は人並み以上だという自信があるだけに、彼の力には驚かされた。体力は鍛錬した結果得られるより、先天的に持ち合わせているということの方が多いと思う。潜在的に体力があるかどうかは、実際体を動かしてみて初めて分かるということもよくある。彼は自分の体力に気が付いていないようにも映った。
滝ファンであるという共通点があり、道中山肌に落ちる滝を発見してチャリを停め、二人でヤブをかき分け滝壷に迫ったりした。また、お互いジャッキー・チェンが好きで、サモ・ハン・キンポー監督の「ファーストミッション」(’85香港)を見て泣いた、なんていう話もした。
町は南下するにつれ大きくなり、交通量も格段に増えてきた。
ぼくの旅はシアトルで一旦区切りとなる。一方我妻君は合衆国の南下を予定通り続けるという。この街で彼との旅は打ち切りとなった。
数ヶ月後、便りに聞いた話では、彼はメキシコまで走り抜けたそうだ。初めてのロングツーリングにして北米縦断を成し遂げてしまった。笑顔の印象的な純粋で優しい男だったが、内に秘めた意志は固いものだったのだろう。
「メキシコの人たちはフレンドリーだし、女の子もかわいいし、もっとスペイン語が話せたらよかった」
これほど長い旅程を併走した相手は他にいない。