極北の旅
カナダ極北ノースウェスト・テリトリーズ 2004/8 

                             【1】

 それは夏のカナダ極北が舞台のストーリー。

 カナダのエドモントンからイエローナイフを経由し、天然資源で発展した極北の町ノーマン・ウェルズに近付く。
 飛行機の窓からはタイガの大地と、北米の大河マッケンジーが見える。
 半年前、−30℃にもなる極寒の世界を自転車で旅し、終着地がこの小さな町だった。夏、再び極北を訪れる機会を得て戻ってきたのだ。あの時は全面凍結し雪原となっていたマッケンジー川は、ゆったりとした流れとなっていた。
 年の半分は凍結し、半分は流れとなるこの川は、そのどちらも本当の姿だ。

 飛行機は無事着陸し、タラップから降りて極北の地を踏む。

 気温の違いこそあれ、半年前と同じ北の大地の空気が身を包んだ。そのせいで、半年のブランクは吹っ飛び、あの旅がまだ続いている気分になる。

 自転車は無事手元にやってきた。
 観光産業などなく、空港から町までの交通手段もないため、その場で自転車を組み立てる。
 そこへ、

「ハサミをかしてくれないか」

 と言って、背が高く痩せ型のバックパックを持った齢40前後の男が話しかけてきた。こんなところにトレッキングだろうか。
 彼の後ろに目をやると同い年くらいのブロンド髪の女性がバックパックをとこうとしていた。カップルでやってきたようだ。ハサミを手渡すと、バックパックに巻かれていたバンドを不器用に切り離し出した。

 冬季はツンドラの湿地が凍結することで、“ウィンター・ロード”と呼ばれる道ができる。それはしかし春の到来と共に消えてしまう幻の道だ。半年前はそこを自転車で一人で旅していた。
 夏の今、他の町とを結ぶ道路はない。そんな場所へ、また自転車を持ってきた旅人に興味を示したのか、恰幅の良いインディアン(ネイティブ・カナディアン)のオバはんが、次に声をかけてくる。

「どこへ行くんかい?」

「キャノル・トレイルをやるのさ」

 そう応えると、

「環境資源省に知り合いがいるから情報を聞くといい」

唐突にそう言って、こちらの返答も待たずにその場にあった公衆電話に手を伸ばした。
 受話器を持ってきて、
「話せ」
 というので仕方なくそれを受け取る。
 なんともストレートなお世話だ。
 さっそく極北の篤い人情世界に巻き込まれてきたな、と内心苦笑する。

 相手が誰かも分からないまま電話に出る。とにかく環境資源省の者であろう。情報を得られるならそれに越したことはない。受話器の向こうの男に、

「あとで会って話したい」

 と言うと、3時にダウンタウンで、ということになった。

 今回の旅の舞台はカナダのノースウェスト・テリトリーズ。日本の3倍の土地面積がありながら人口は僅か4万人に満たないという。北極圏にかかる極北と呼ばれるこの地域を人力で旅するとは、自然と否応無く対峙することに他ならない。

 半年振りのノーマン・ウェルズのもの静かな町並みは何も変わっていない。
 タウンオフィスへ行ってどこかでキャンプはできないか聞くと、5キロほど南にピクニック公園があり、そこならテントを張ってもいいだろうと言う。しかし自転車でも町の中心から遠く、不便そうで、すぐ近くの河原でキャンプさせてもらうことにした。
 マッケンジー川を旅するカヌーイストたちも川沿いにテントを張るに違いない。仲間がいれば何かと心強い。

 河原へ行くと、すでにひと張り先客がいたが、町へ出ているのか留守だった。
 そのテントよりやや下方の平地に場所を決める。
 自転車を置いて再び歩いて町へ出る。

 昼食を済ませ、3時にダウンタウンへ。ダウンタウンといっても駐車場とその周りに二つのホテル、二軒のスーパーがあるだけの一画のことで、行きかう住人のほとんどは顔見知りだ。自分のような部外者は町の者たちにはすぐわかる。この町の住人は1,000人に満たないのだ。

 3時を回っても環境資源省の男の現れる気配無く、歩いて15分ほどの環境資源省へ直接行ってみることにした。
 茶色の木彫美しい省の建物へ近付いたところへ、曲がり角の向こうからジープに乗った男がやって来て停まった。
 彼が電話で話した男だった。
 どうしてこうも簡単に会えるのか。それだけ小さな町なのだ。

 自転車でキャノル・トレイルをやろうと思う、と言うと、

「どこでキャノル・トレイルを知ったんだ」

 と尋ねられた。

「今年の3月にこの町に来た。その時に知ったんだ」

 そう言うと、男の表情が少し変わった。

「あ、俺はお前さんのことを知ってる

「?」

 どこかで会っているかと記憶の糸をたぐる。しかし何も出てこない。

「お前さんは、あの、ウィンター・ロードを自転車で走って来た男か!」

 半年前、凍りながら冬季道を自転車で旅し、終着地がこの町だった。


(写真)冬季の旅。凍結したマッケンジー川上を行く

 何と彼はそのことを知っていた。ウィンター・ロードを自転車で走って来た男というのは、小さなコミュニティではちょっとした話題だったのかもしれない。この男と直接話したことがあるわけではなかったのだ。

 夏の極北の目的はキャノル・トレイルの踏破だった。


                             【2】

 キャノル・トレイルは第二次世界大戦の遺産だ。対日本への資源と物資をアラスカ沿岸へと輸送する目的で切り拓かれ、当時は車も通されたが、その後は繁茂するツンドラの自然に覆われ、道はほとんど消え失せてしまった。 
 現在は年に僅かのパーティーが微かに残るラインをトレースするだけの極北のハイグレードなトレイルとなっている。
 ノーマン・ウェルズからキャノル・トレイルを行き、次の集落までの距離は約300q。全踏破には3週間近くかかり、その間の食料燃料は自力で担ぐか、飛行機によるデポをするしかない。

 極北の自然を旅するにはこれ以上ないルートだ。

 当時は車も通っていた。担ぎが入るにしても自転車で踏破できるかも知れないと考えてやって来たのだ。しかし、渡れる保証の無い川の渡渉、トレイルを覆う湿地、そして
野生のクマの脅威が、困難を予想させた。

ノーマンウェルズの町並み
ノーマンウェルズの町。右はマッケンジー川

 環境資源省の男の黒いジープでダウンタウン方面へ向かった。キャノル・トレイルに入るには特に許可申請などの手続きは不要で、警察署に登録をするだけでいいらしい。

 
極北の警察はRCMP (Royal Canadian Mounted Police)と呼ばれ、通常の警察業務に加え、極北の自然も相手にしている。川旅や、トレッキングなどでキャンプをする折、届出をしておけば消息の手がかりとなり、行く先のRCMPで報告すれば行方を把握してもらえるというわけだ。旅人には心強い。

 デニーと名乗った環境資源省の男は、ちょっとしたアドバイスもくれたりした。

「一人で行くのか?」

 そう聞かれ頷くと、

「衛星電話か無線機は持っているのか」

 と聞いてきた。
 有事の折に助けを呼ぶ手段はない。自力で脱出するしかなくなる。
 事故や怪我、道迷いなども考えられるが、最も可能性があるのが
クマの被害に遭うことだ。
 極北でも特にクマ密度の高いエリアであるため、その確率はかなり高い。

 しかしトレイルに入ってしまえば、外部と連絡を取る手段は何も持っていなかった。ただ、逃げの手段を持っていると、野生動物や自然への関わり方も知らぬうちに変わってきてしまう恐れもあった。いつでも逃げられるという思いが自然への畏敬を薄れさせ、野生動物に背を向けるという行為にもつながってしまうのではないか、と。

交信手段を持ち合わせていないからといって彼らは止めるようなことはしない。気をつけろといって、挑戦者の背中を押してくれるのが、ここの者たちだ。

 RCMPは閉まっていた。

「対岸までの交通手段は確保したのか?」

 デニーは聞いた。キャノル・トレイルの起点は町からマッケンジー川を渡った対岸になる。そこまでボートかヘリコプターで渡る必要があった。

「今日着いたばかりだ。まだ何もしてないよ。電話で話したのは到着したばかりの空港だったんだ」

 RCMPでデニーと話していると、細身の背の高い男とブロンド髪の女性が来た。空港でハサミを貸したカップルだった。彼らはこの近くの山を数日間トレッキングするつもりらしく、やはりRCMPにその届けを出しに来たところだった。河原に張られたテントは彼らのものだという。そこへ警官が戻ってきて、届け出用紙をくれた。記入してまた7時以降に来るように言われる

「あとはどうするんだ?」

 デニーは車の中から顔だけ出して聞いた。

「対岸までのボートを手配しないと」

 それを聞いたデニーは「乗れ」といって再び助手席を空けてくれた。

 環境資源省の男デニーはダウンタウンの近く、スーパーの向かいの建物の前にジープを停め、中に入っていった。ついて行くと、どこかのオフィスに入り、そこにいたニッキーという若い女性を紹介してくれた。彼女の叔父がマッケンジーの渡しをやっているのだ。
 名を
フランク・ポープという。

 ニッキーが電話でコンタクトを取ってくれるが、川に出ているのか話はできなかった。

「夕方また電話してみてちょうだい」

 そう言って紙片に電話番号を書いて渡してくれた。見るとそこにニッキーの番号も書かれている。

「いなかったら私に連絡してね」

 いても電話していい?・・・とは言えなかった。

 スーパーへ燃料の白ガスを探しに行くと、ちょうど同じように空港と、先ほどRCMPで会ったカップルが白ガスを探しに来ていた。
 しかし1ガロン(約3・89L)缶入りしかなく、彼らとその一缶を分けることにして金を出し合った。
 男の方はやや気難しそうな印象だが、女性の方は物腰がやわらかく、名をマリリンと言った。

「ちょっと難しいけど、マリリン。マリリン・モンローのマリリンよ」

 いつもそう説明しているのか、慣れた口調で言った。

現地で会ったキャンプ仲間のカップル
 
マリリン・カップル (マッケンジー川のほとりにて)

「今晩一緒にバーベキューはどうかい」

 名を聞きそびれたが、男の方が誘ってくれた。

 食料を買出し、マリリンたちとカフェで情報交換をしたあと、テントへ戻ってRCMPへの届出用紙を記入する。
 夕方、再びニッキーのオフィスへ行ってみると、やや年配の女性がいた。

「ニッキーはいる?」

「彼女は昼番だから今日はもう帰ったわ」

 彼女の叔父、フランク・ポープに連絡を取りたいことを言うと、オフィスの電話をかしてくれた。しかしフランクの番号からは留守電のメッセージが流れるだけで、ニッキーの方に電話を入れてみた。

「もうフランクとは話がついてるわ。明日の6時にボートを出すと言ってた」

 話が早い。

「6時って、朝?それとも夕方?」

「夕方の6時」

「川沿いにテントを張ってるんだけど、その頃にテントにいた方がいいのかな」

マッケンジー川沿いのテント場
 
川沿いに張ったテント。ノーマンウェルズの我が家

「その必要はないわね。こっちから探しにいくから」

 実に適当な約束だが、やっぱり小さな町、それで充分なのだ。

 RCMPへキャノル・トレイルの入域届けを出しに行く。

「補給は無しでやるのか?」

 警官に聞かれる。
 この質問の仕方から、途中のランディング・ポイントで小型機によるデポ(後でピックアップすることを前提にある場所に装備などを置いておくこと)を手配するのが常套策らしいことを知る。しかしデポを手配する時間も金銭的余裕もない。またそこまで達せ得る保証もない。
 緊急連絡手段のことも聞かれたが、

「無しでやる」

そう言い切った。
 届け出は受理された。


                                【3】

 テントへ戻るとマリリンたちとバーベキューになった。焚き火でポテトとポークステーキを焼く。
 彼らはバンクーバーに住んでいて、男性の方が以前、この上空を飛行機で飛び、その自然に憧れを抱いて
「歩いてみたい」
 と思い、今回トレッキングに来たそうだ。

 しばらくすると、この町に移ってきて5年になるアートという、彼らの知り合いの男が訪ねてきた。アートはジャスパーで知り合った奥さんと一緒に住んでいる。なんとそれは日本人で、名をヤスヨというのだと言った。

「彼女はホームシックになるから、一緒に日本語で話してくれないか?」

 アートはヤスヨのことだけではなく、旅行者である自分のことも考えてそう言ってくれたのだろう。

 到着そうそう空港の世話焼きオバはんから始まった人づては、この町に住む日本人にまで行き着いた。
 この小さなコミュニティでは町の住人全員と顔見知りになるにはそう長い月日はかからないかもしれない。

 バーベキューの後、まだ明るい極北の夜、ベリーの実を摘みに行っていたヤスヨさんがテントへ訪ねてきてくれた。摘みたてのワイルドベリーをくれ、

「明日ウチにお昼ごはんを食べに来ない?」

 と誘われた。キャノル・トレイル起点へ渡るのは夕方で、日中は時間がある。それにこんな辺境の小さな町に住む日本人女性に話も聞きたかった。


 
極北のワイルド・ベリー。ヨーグルトに混ぜて食べた。

 翌日の昼、川沿いのテント場から歩いても数分のアートとヤスヨさんの借家を訪ねた。用意してくれたのは日本食で、日本米の白飯と生姜焼き、キャベツの千切り、わかめの味噌汁、キムチ。日本製のふりかけも出してくれた。
 タウンオフィスで働いているアートも昼食に戻ってきた。
 日本を出て何日もたっているわけではないが、異郷で口にする日本食はしみじみと味わい深い。

カナデアン・ロッキーでツアーガイドをしていたヤスヨさんは、ジャスパーでアートと知り合い、ヴィクトリア、バンフ、そしてこの町へと移り住んできた。
 今は自宅でマッサージ師をやっている。

「どうして極北のこんな小さな町に住むことにしたんですか」

「ここに住みたいっていう思いがあったわけじゃないんだけど、ロッキーから自然を求めて住む場所を考えたら、北の方にやって来てしまったの」

 自然が溢れるイメージのカナディアン・ロッキーでさえ、そこに住む者には人が多いと感じられるのか。

カナダでは生まれた町で生涯を過ごすことにとらわれている人は多くない。最適な住処を求めて移住を繰り返すカナダ人がかなり多く、極北の町に住む白人のほとんどが移り住んで来た者たちだ。
 住む場所でまた仕事を見つける。始めに仕事があるのではなく、住む場所が優先される。それが彼らの考え方であり価値観だ。

 テントへ戻ろうと通りを歩いていると、ワイン色の車がゆっくりと近付いてきた。
 髭面で、やや無愛想なTシャツのドライバーが話しかけてきた。

「キャノル・トレイルへ行くのか?」
 
 渡しのボートの船頭だ。
 
フランク・ポープだろうか。
 見た目は若い。かもし出す雰囲気は、フランク・ポープとは違って感じられる。

 どうしてここにいることが分かったのだろう。フランク・ポープが差し向けたと思われるこの男はいったい何者か。
 とにかく対岸まで渡してもらえれば誰でも構わない。

「6時という話じゃなかったか?」

「早目に出てもいい」

 そう言うので、一時間後の午後3時に下の艀(はしけ)からボートを出してもらうことにした。


 二週間以上の食料を積み込んだ自転車は重い。
 手漕ぎボートにエンジンをつけた程度の本当に小さなボートでノーマン・ウェルズを離れた。

 10分ほどで対岸へ上陸した。

「カルカホー川の状態は今どうだろう?」

 ルート踏破の鍵となる最大の渡渉川のことを船頭の男に聞いてみた。

「先週の雨で多少増水してると思うが、渡れないことはないさ。キャノルをやるなら今がチャンスだ」

 その言葉にこの時は勇気付けられた。
 男に舟代を渡し握手を交わす。
 岸の浅瀬を離れ、戻ってゆくボートを見送る。


 
去り行く渡しのボート

「・・・・」

 行ってしまった。
 もう、後戻りはできない。
ワイルド・ランドへの旅、その幕はすでに切って落とされた。

「行くしかない。抜け切るしかない」

 そう思うと何だか気が重くなった。


                              【4】

 川岸の水分を含んだ柔らかい砂地を自転車を押して歩く。
 動物の足跡がある。その中にクマ、ブラックベアのまだ新しい足跡もあった。やはりすぐ近くにいるのだ。できることなら見てみたい。でもできることなら会いたくもない。

 川岸から丈の高い草地へ入る。
 トレイルらしき道は見えないが、地形的にここから入る他、ルートは考えられない。構わず草を分けそのまま突き進むと、車の轍幅のトレイルが右奥へと続いていて、それがキャノル・トレイルらしかった。

 潅木、草、若木が鬱蒼とし、多く踏まれている形跡はなく、獣道のように辛うじて道が感じられるといった程度。
 細木が湾曲して通せんぼをしている。それを払い、分け、くぐり、進んだ。出だしからさっそく核心になっている。

キャノル・トレイルを行く
 
トレイルの出だしは鬱蒼とした樹林

 ところどころサドルに跨ってペダルをこげる部分もあるが、停まると蚊の猛攻を受ける。
 まだ新しいクマの糞がけっこう見られ、クマ道らしき獣道もトレイルを交差している。その生息数の多さが知れる。

 二時間余り進むと、蒲鉾型の建物がある場所に出た。
 キャンプ・キャノルだ。
 30年近く前までここには常駐の連絡官がいたが、現在は朽ち果て、廃屋となっている。扉や壁はどれも半壊で、身を守ってくれるような室内はもうなかった。クマの被害に遭わないためにも扉の閉まる部屋はないかと、六棟ほどある建物を見て回ったが、無駄だった。
 仕方なく、少しでも安全そうな蒲鉾の中にテントを張った。

 クマ、クマ、クマ・・・。
 その脅威が始終付きまとい離れない。
 自然写真家の星野道夫氏は野生のクマのいる自然を讃えた。だがその後、皮肉にも彼はカムチャツカのクルリ湖でクマに襲われ亡くなってしまった。
 この地方の自然を旅の舞台に選ぶなら、クマとのやりとりは絶対にクリアしなければならない問題だった。


 キャノル・トレイル最初の夜、キャンプキャノルの廃屋で過ごす。夜と言っても白夜に近く、完全に暗くはならない。 
 寝床に匂いがつかないよう、テントからは離れた棟でメシの準備とりかかる。
 米を水につけている間、地図を眺めていると、後方で

 バキバキッ

 と木を踏む音がした。

「来たか」

すかさずクマスプレー(トウガラシエキス入りの撃退用)を片手に取り振り返る。

「!」

 いた。
 
クマ
 
クマ、だ。

 ホントにいた。いたけど、それがホンモノかと目を疑った。
 夢か、現実か。
 不運か、幸運か。
 いったいこれはどこの世界のできごとだ?

 まだ充分に若い感じのブラックベアと、距離10mで突然目が合い、お互い一瞬固まった。

 それほど体格は大きくないとはいえ、百数十kgはありそうだ。
 こっちにはスプレーがある。更に食器を打ち鳴らし、追い払おうとした。

「落ち着いている。自分は落ち着いているんだ。決して目線をそらすな。恐れを見せるな」
 
 そう自分に言い聞かせる。
 しかしクマさんはいつもの散歩道らしく、こちらにはさほど関心を示さず、そっけない。

「なんなんだ、こいつは」

 という戸惑いの目でこちらを見て、どうしたらよいか分からないように体を前後に揺すっている。
 そんなクマさんの態度だから、怖さはあまりない。

 彼はそのうち背中を向け、建物の奥へ入ったあと、また少し戻ってきて、テント棟の方へと消えていった。

 しばらくはクマに遭った興奮で何も手につかなかった。
 檻や柵を隔てることなく、本当の野生に触れたのだ。

 少し後にテントへ行くが、何も荒らされていない。
 クマにも個体によって性格が違うようだが、彼はジェントルだった。初めての野生のクマとの遭遇。彼の名を「ジェントル」としよう。

 しかしどうやら茂みからキャンプ・キャノルの蒲鉾を通り抜けるのは、この辺りのクマ道のようで、そういう目で見れば獣道が薄っすらと見えてくる。とんでもない所にキャンプすることにしてしまったものだ。

 地面に寝るわけにもいかず、これからキャンプ地を別の場所に求めたところで良い所が見つかる確信もなく、苦肉の策として屋根の上にテントを移すことにした。
 若干のクライミング・テクニックを使って腐ってはがれそうな窓枠から登り、平らな屋根の上にテントを張り直す。

キャンプ・キャノル廃屋の上
 
キャンプ・キャノル廃屋の屋根上にテントを張りなおす


 ここならクマも登ってこられないだろう。案外良いかもしれない。
 ここで改めて食事をするが、クマの怖さで食欲が出なかった。

 夜半、と言っても白夜に近く明るいが、テントの外で、

「クファー、クファー」

 という獣の鼻息と、枝草を踏む音がした。

「ああ、また、来たか・・・」

 静かに起き上がり、テントのジッパーを開け外を見る。
 建物の下に、大きな母クマと、その後ろにまだ小さな子グマが二匹くっついて歩いていた。
 屋根の上に人がいることには気付いていないようだ。
 しばらく徘徊していたが、やっぱり屋根の上まで登ってくる気配はない。
 体が大きい母クマ。「ビッグマザー」そう名付け、テントでそのまま寝入った。

 朝は冷え、良く晴れている。軽い朝食を摂り、クライムダウンで地上へ降りる。そこで、木に立てかけてあった自転車は倒れていることに気付いた。

 嫌な予感がした。

 自転車を立て直すと、サドルのシートは半分ほど食いちぎられているのがわかった。クッションの断片が散乱している。ビッグマザー母子だろう。汗などの匂いがついた柔らかいものだったため、食べられるかもしれないと思ったに違いない。


 クマにサドルを食べられる(うまいのか?)

 こうしてクマの脅威に、気力は徐々に蝕まれていったのだ。


                                【5】

 密なツンドラ、野生のクマとの対面、サドルのシートを食われる、想像を超える困難に前進への気力は失われつつあった。

 シートは使えないほどではない。
 少し敗退を考えて見る。
 しかし戻るに充分な理由は見出せなかった。
 悲しいが進んでみるしかない

 ツンドラの深い森に拓かれたラフな道を突き進む。
 視界のない、同じような森が続く。
 ここから抜け出せなければまたクマに怯えてキャンプするのだろう。

 行く手に湿地帯が現れ、ズブズブと沈み、ふかふかの地面をチャリを押し、半担ぎで進める。
 自分が旅をしているのか、自転車に旅をしてもらっているのか。

 
いったい何のための旅なのか

 このまま重いチャリを見捨てて、歩いて行ったらどんなに身軽だろう。
 沼地のような池塘が広がり、そこを突っ切らなければ先に抜けられない。チャリを担いで行こうとしたが、その重みでズブズブと足は沈み、ほとんど進むことができない。

 チャリを放り出し、丈高の草地に身を沈めてうなだれる。

「ここまで、かな・・・」


ツンドラの湿地帯に自転車を投げ出す。足下は沼。

 ハードすぎる。
 ルートだけの問題ではない。
 この時すでに負けていた。それを認めていなかっただけだ。

「もうよそう、もう、やめにしよう・・・」

 晴れた日の極北のツンドラ、深い、どこまでも深い本当の自然。それはしかし自転車で踏破するにはあまりに強大過ぎるようだ。

 敗退。

 決めた。

「戻る理由は?」

 そう自問してみる。
 クマが怖いからか。
 トレイルがハードだからか。
 そんなことは行く前から覚悟していた。とにかくこのワイルド・ランドに負けを認めただけだ。

 戻った。

ノーマン・ウェルズまでどうすればマッケンジー川を渡れるか。きっとどうにかなるだろう、自分には幸運の神がついている、そう思ってとにかく川岸まで出てみることにした。

丘から遠方に川を見る辺り、下り坂の途中を誰かが歩いてくる。

「やっぱりついてる」

 今日入ったトレッカーだろうか。

「・・・」

 よく見ると、しかしそれは、またも、

 クマ・・・。

 ブラックベアだ。
 距離200mほどか。向こうはこちらを認めていないようだ。風向き、ベアスプレーを確認する。その場でじっと観察していると、クマは左の茂みへ消えていった。そのすぐ後に、一匹の子グマがぴょんと飛び跳ねて母にくっついていく姿が見えた。

「たくさんいるなあ、クマさん」

 ここは、ベア・ランド。そんな中に一人の人間が紛れ込んでいるのだ。
 クマの消えた茂みの横を走り抜け、倒木や枝をかき分け、川岸へ出た。昨日来たばかりなのにずいぶん時間がたったような気がする。
 冷たい北風が吹き抜けるマッケンジーの川岸で、対岸の町ノーマン・ウェルズを見やる。

 どうすれば渡れるか。何かアクションを起こさなければ。

 川漁のボートを期待するか、他のパーティーがやってくるのを待つか、またはヘリコプターか小型飛行機に助けを求めるか。
 川幅は4、5qある。
 極北の冷たい川。流れもある。泳ぐなど自殺行為だ。

 ノーマン・ウェルズの空港には舗装された滑走路がある。夏の極北の移動手段として空路が車代わりに使われることも多く、ハブの町を発着するヘリも多い。そいつをあてにして、空から見えるよう砂地に一文字4m四方ほどの文字を、流木片で一時間ほどかけて書いた。

PICK / ME / UP 拾ってくれ)」


PICK ME UP(拾ってくれ!)」川岸にSOSサインを書いた

 いったいいつ、対岸の町に戻れるだろうか今日か、明日かRCMPに届けを出した日程の最終日から三日たっても消息不明の場合、捜索が出ることになる。最悪それまで二週間以上待つことになるだろうか

 文字の近く、大きな流木の傍らにテントを張る。ひらけていてクマの気配もなく、しばらく眠った。しかしちょっとした物音に敏感になってしまう。

 渡り鳥か、たくさんの鳥が水辺を下流側へと歩いてエサを探している
 この旅の準備もあり、出発前のしばらくはひと時のヒマもない日々を過ごしてきた。
 しかし今のこのあふれる時間は何だろう。期限の無い、途方も無い時間が目の前にずっとある。
 それが罪深いような、酔狂な遊びに手を出したための罰を受けているような、澱んだ気分になった。


対岸はノーマンウェルズ。いつあそこに戻れるか。


                              【6】

 対岸の町ノーマン・ウェルズを見ながら、待つ以外、何もすることがなかった。

マッケンジー川の川岸で、ひたすら待つ
 
待つ以外、何もない。野生の脅威に孤独さえもない。ただ、待つ。

 飛行機が飛んできた。上空を西方へと飛んでいったが、高度がありすぎて気付かれなかった。

 その後、今度はヘリの飛ぶ音がしてテントから出るが、上流側を飛んでいて、距離が遠く、なすすべなく消え去ってしまった。

「キャノル・トレイルへ入ろうというパーティーでも来ないかなあ」

 可能性は小さいが、ちょっとでも希望を託したい。

 キャノル・トレイルをチャリでやる時、ルートのハードさは体力面で克服できるだろう。問題はクマの対処法だ。人間には知恵がある。無事なキャンプをするにはもっと学ぶ必要がある。

クマに魅せられた二人の日本人写真家のことを、また思い出した。
 星野道夫、
 そして岡田昇。
 両氏ともすでに亡き者となってしまった。

 星野氏は、

「クマがいることで極北の自然に素晴らしい緊張感がある」

 という意味の言葉を書き、クマのいる自然を讃えていた。しかし、ワタリガラスのルーツを探る壮大な旅の途上、カムチャツカのクリル湖畔でクマにやられてしまった。

 同じクリル湖でクマへ独特のアプローチ方法で接近し、迫力の写真と文章を残した岡田昇氏は、自身もクライマーであった。厳冬期登攀やクライミングシーンを撮り、クライマーにしか捉えられない写真を発表している。彼も、厳冬の穂高稜線で姿を消した。

 自然相手に生きる者は、常に命のリスクを背負い込んでいる。あれほど野生や自然と調和しているように見えた二人でさえ、自然の中で命を絶ってしまった。
 人間は、たったひとりで自然に身をさらすには、あまりに非力な生き物なのだろうか。

 クマに限らず大型の野生動物と出会うとき、彼らに対して感情を伝えないのが良い、らしい。
 恐れ、攻撃などの感情は、彼らに伝わり、襲撃を受ける要因となる。襲われないためにはそういった感情を持たないことだ。自分は彼らにとって何者でもない存在として自らを置くことで、野生との距離を縮めることができる。
 

 夕刻5時半頃のことだったか、ヘリの音を耳にし、外へ出てみる。
 驚いたことに西方、ツンドラの森の上空から、低空でヘリが飛んでくるではないか。

「来やがった。ついてる。おお幸運の神よ」

大げさかとも思ったが、恥も何もない、このチャンスを逃す手はない。大きく両手を振ると、ヘリは旋回した。
 気がついてくれたのだ。
 そのまま高度を下げ、やや下流側へ着陸した。
 中から白髭の50歳くらいの男が降りて来た。

 事情を簡単に説明し、ノーマン・ウェルズへ渡りたいことを言うと、

「ボートのあてがないから、とりあえず体だけヘリに乗って、一緒にノーマン・ウェルズへ行こう」

 と言ってくれた。自転車のフロントバッグだけを抱えてヘリに乗る。

 あっけなくノーマン・ウェルズの空港へリポートに着いてしまった。

「ヘリ代は?」

 金を払うつもりで聞いた。数百ドルは覚悟していた。

「いや、いいんだよ」

 その男、ジャックは当たり前のように何も受け取ろうとはしなかった。
 思わず、ヘリ・ヒッチをしてしまった。

 キャノル・トレイルではツンドラの湿地、藪に行く手を阻まれ、クマに遭遇し自転車のサドル・シートを食いちぎられ、強大な自然に精神的に追い詰められ、挙句にヘリにピックアップされるという散々な敗退劇となってしまった。

 ヘリコプターの雇用主ジャックはノーマン・ウェルズの空港に着いた時尋ねた。

「ボートの当てはあるのか。残してきた装備を取りに行かないといけないだろう」

「当てはあるけど、電話番号をテントに置いてきてしまった」

 フランク・ポープの連絡先の書かれた紙片が、対岸に残したテントの中にあるはずだった。

「私にもあてがあるわけではないが、紹介してくれそうな人を知っている」

 親切にもそこまで気をかけてくれ、空港に置いてあった車に乗せてくれた。

 ジャックは地理研究者で、地元の人間ではなかった。今日ヘリコプターで調査をした帰りだったようだ。
 車で向かった先はマッケンジー・バレー・ホテルだった。ジャックがあてにしていたのは、そのホテルの中国系の女性ジーンだ。ホテルに入って、ジーンと対面した。

「冬に自転車で来たでしょ」

 ジーンは自分を見ると、驚いたようにそう言った。

 ウィンター・ロードを自転車で北上し、極北の冬の旅のゴールがここノーマン・ウェルズだった。その時泊まったのがこのマッケンジー・バレー・ホテルだったのだ。
 ジーンは覚えていて、ジャックにそのことを手短に話してくれた。

 温もりのかけらもない極北の冬、カナダの辺境の町で同じアジア系の人に出会えて癒されたものだ。快活な若女将のジーンのことは、あの孤独な旅の時間の中で、強く印象に残っていた。こんな形で再会するとは思っていなかったが、それは彼女にとっても同じだったろう。
 
 彼女もボート主のあてを考えあぐね、出てきた名は、

「フランク・ポープ」。

 電話帳で調べ連絡をつけてくれたが、フランク・ポープに話すと、今日は出払っていて明日でないとボートは出せないという。

「明朝もう一度電話してみてくれ」

 フランク・ポープはそう言って電話を切った。

「今日はどうするんだ」

 ジャックは聞いた。

「日本人の知り合いがいるから、そこを訪ねるよ」

「マッサージのヤズヨのことか?」

 そうだと言うと、

「今晩8時に私もマッサージに訪ねるんだよ」

 と言う。極北の小さな町はどこまでもリンクしてゆく。

「艀に行けば誰かいるだろうから、今日ボートを出せる人を教えてもらえるかもしれないわ」

 ジーンがひとつアイディアを出してくれた。するとジャックはすぐに、

「じゃあ行ってみよう」

 と言って、車へと促した。更に世話になってしまう。
 ジーンに礼を言い、ジャックについていこうとすると、後ろからジーンは言った。

「ジャックはいい人よね」

 ジャックだけじゃない、この町で出会う人、極北に住む人、誰もがいい人たちだ。そう思い、微笑んで頷いた。

「うん、ほんとに」

 
自然が厳しいほど、人は優しい
 ここでもそれは当てはまる。


                              【7】

 艀には一人、インディアンのボート乗りがいた。

「酒屋の向かいの赤い壁の家の奴なら、すぐ出してくれんじゃないか」

 そう教えてくれた。ジャックと車でその家を訪ねると、インディアンの女性が出てきて、

「主人がボートを出すけど、今いないから、戻ったら迎えに行く」

 と言って居場所を聞かれた。

「マッサージのヤスヨの家だ」

 そう言うと、その女性はもちろん知っていて、

「じゃあ、あとで」

 ということで話が決まった。
 世話になったジャックと別れ、同じ通りにあるヤスヨさんの家へ行く。ドアをノックするとアートが出てきて、驚き顔で迎えられた。それも当然だろう。

「どうした?まあ、入れ」

 彼に経緯を話すと、頼む前に、

「よかったらここに泊まってもいい」

 と言ってくれた。通り過ぎるだけの旅人を当たり前のように泊める深さが、極北の風土だ。遠慮という礼はここでは無用だ。

 少し待つと、ボートの奥さんが呼びにきてくれた。
 赤い壁の家へ行くと主人のブルースが家の前でボートの準備をしていた。オーストラリアの街と同じ名の一人娘シドニーがそのまわりで戯れている。それを見てクマの親子の姿を思い浮かべた。

 夜とはいえ、極北の夏。まだ充分明るい。
 ブルースのボートは水しぶきを上げ対岸へ一気に迫った。

 ただ、これだけの距離、数qの幅の川を隔てただけで、人の世界から野生の世界へ変わる。

 自転車を始め残置していた全ての装備を回収し、すぐに人里のノーマン・ウェルズへ戻った。
 ブルースはそのままムースの狩りに行くようで、もう一人を乗せて再び川へ出て行った。

 迎えに来ていた奥さんに、
 

「舟代は?」 

 と聞くと、

「聞いてみないとわからないけど」

 と言うので、帰りがけ、赤い壁の彼らの家へ立ち寄った。奥さんは電話でどこかへ連絡をして、キャノル・トレイルヘ入る時払ったと同じ金額を言われ、それを渡した。それは川を往復するだけのボート代としては決して安くはない。
 

 ヤスヨさんのところには、救いの手をさしのべてくれたジャックの車が停まっていた。主人のアートに簡単な夕食をごちそうになる。ジャックはマッサージを受けているところらしかった。 

 室内の安心感は素晴らしく、その夜はとても良く眠れた。

 朝食後、フランク・ポープヘ、

「もうボートは必要なくなった」

 と連絡し、謝ると、彼はそのことをすでに承知していて、
 

「まあ、忙しいことだし別によいのだよ」 

 と言う。赤い壁の家、ブルースの奥さんはフランク・ポープの娘か姪らしい。彼女が昨日舟代のことを電話で尋ねた相手はフランク・ポープだったのだ。

 その時、気付いた。
 それはこちらの思い過ごしか。
 今回のキャノル・トレイル敗退の旅の断片が頭をよぎった。
 環境資源省のデニー。彼が、会ったこともない自分のことを知っていたなら、フランク・ポープも知っていて不思議はない。デニーから紹介されたニッキーは確かフランク・ポープの姪ではなかったか。野生のクマ、ビッグマザー母子とフランク・ポープの血縁の子シドニーが親と戯れる姿が重なったのはどういうわけか。それにしてもあれほどクマと遭遇するものだろうか。ジーンが、
「あてがある」
 と言って出てきた名は、フランク・ポープだった。こちらの動きは、常にフランク・ポープに把握されるようになっていたのかもしれない。対岸へ渡る時、約束の時間より早くなったのはどうしてか。フランクはキャノル・トレイルを敗退することも予想していたのか。
 いや、そうなるよう、しむけられた・・・。

 なぜ、か?
 

 結局一度も会うことはなかったが、どこか黒幕のような存在感を示した男、フランク・ポープ。いったいどのような人物なのだろう。
 この町にいて、すべてを承知しているカリスマか。
 単なるボート乗りの姿をかりたコミュニティの叡智。それがフランク・ポープの正体か。

 深追いの必要はない。

 ただ極北の自然と人と野生と戯れて旅ができたことだけで、今回は充分だ。
 
 ノーマン・ウェルズに来た時と同じように、また一人になって飛行機へ乗り、更に北へ向った。
 もういっちょ、新たな旅をするのだ。


極北の夏が終わる前に



サドルのシートにタオルを巻いた
食いちぎられたシートにタオルを巻いて、テーピングテープで固定してその後の旅をした。

野生のクマさん
その後、「新たな旅」で出遭った野生のクマ。中に誰か入っている?いや・・・ 

新たな旅の行き先は、カナダ北極圏を縦断するデムスターハイウェイ。
クマの写真はその一日目のこと。               


*好日山荘スタッフブログ(2006)より転載

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