ヒマラヤの虎

1998/10 同行 岩瀬

【1】

 それまですでに何度かトレッキングでネパール・ヒマラヤを訪れたことがあった。迫力ある峰嶺を眺める旅から、いつかあの頂にこの足で立ってみたいと思うようになっていた。トレッキングは谷筋歩きの域を出ず、それは登山とは違う山行スタイルである。トレッキングから踏み出し、新たな世界を見てみたかった。

 海外を志向する山仲間と二人で、6000m峰への小さな遠征を実現する機会を得たのは、憧れを抱いた翌年のことだった。
 日本で入念な計画と準備の末、莫大な資金を投じて行う大遠征隊などではない。旅の目的としてヒマラヤのピークを目指すという、バックパッキングの延長のような自由なスタイルの登山を目論んだ。
 登山許可取得もアレンジも、全てカトマンドゥ入りしてから取りかかった。

 ツーリストエリアのタメルは、遠征登山のアレンジも扱う代理店が多数軒を連ねる。観光立国ネパールであるだけに、富への欲望が渦巻いている。その中から、信頼できて我々の望みを叶えてくれる代理店を見つけねばならない。
 何軒か当たり、以前話を聞いたことのある、確かなビジネスの姿勢を示していた代理店へ、世界最高峰エヴェレストを擁すクーンブ山域にある二つの6000m峰登山のアレンジを依頼した。

「我々の店を通して登山をするなら、クライミング・シェルパに同行してもらうことになる。あなた方の安全を確保するためにね。ちょうどメラピークへ行くアメリカ人パーティーがいるから、それに便乗する形なら料金も安くできる」

ブーワン これで28歳! ブーワンと名乗る丸い口髭をはやした店主は言った。余裕のある口振りが何かを企んでいるようでもある。我々の登りたいのはメラピークではなく、便乗案には賛同できなかった。だが憧れていたピーク登山がもう手の届くところにあるのだ。「安全」という言葉に納得できるような気がして、結局シェルパ同行の条件を呑み、メラ隊とは別の、我々独自のアレンジをしてもらった。登山許可とサービス料を含む二峰の登山アレンジ料金も、二人にとってはそう高くは感じられなかった。

「同行のシェルパを紹介するから、明日また来てください」
 そう言って立ち上がり、握手を交わす。契約成立である。

 翌日、再び代理店を訪れるとブーワン氏は、

「こちらはギルブ、あなた方に同行するシェルパだ」

 と言って屈強そうな高所焼けした顔の男を紹介した。ボスに忠実なヒマラヤの虎といった感じだ。その精悍な顔つきに心強さを感じる一方で、我々にこんなシェルパが付いていいのかと気後れするほどだった。だがこちらが雇う立場だ。気圧されてはならぬと必死で余裕の笑顔を作って握手を交わした。

 荷運びのポーターが運んでくれるとのことで、ある程度の登山装備を代理店へ預けた。
 カトマンドゥから陸路で向かうギルブとは、トレッキングの起点ともなるルクラで落ち合う約束で、我々は数日後にルクラへ向かう小型機に乗った。


【2】

 深い谷の切れ込む山腹にルクラの飛行場は危うく作られている。その上にあるヒマラヤロッジというところでギルブと合流する手筈になっていた。
 我々の泊まっていたのは、集落の中ほどにあるパノラミックというロッジで、約束の日にヒマラヤロッジを訪ねた。そこで、
「ギルブ・シェルパは来ていませんか?」
 と訊いたが、ロッジの者は彼を知らなかった。まだ着いていないのだろう。もう一日待ってみることにする。

 気になることを耳にした。同じくパノラミックに泊まっている二人のアメリカ人が、「ギルブ…」と口にしているのを聞いたのだ。宿の主人との会話に耳をそばだてていると、彼等はメラピークに登るつもりだが、シェルパに会えないというようなことを言っている。どうやらブーワン氏の言っていたアメリカ人パーティーのようだ。彼等が雇ったシェルパもギルブだとしたら、話がおかしくなる。メラピークは我々の目指す峰とは離れていて、同じコースは辿らない。

「いったいどういうことだ……」

 翌日再びヒマラヤロッジを訪ねた。

「カトマンドゥから、二人の日本人が泊まってないか、と何度か電話があった」
 と言われる。おそらくブーワン氏だろう。
「それは我々のことだと思います。ここに来ればギルブと会える手筈になっているのです。こちらから連絡つきませんか?」
 そう言うと、
「昨日ここにいるべきだったのに連絡がつかなかったのだから、今日になってはもうわからないよ」
 と言われてしまった。それ以上、世話にもなっていないロッジを頼ることもできず、出るしかなかった。

 ギルブと落ち合えないと登山が進まない。
 パノラミックに戻って電話を借り、カトマンドゥのブーワン氏と連絡をとってみる。回線状態が悪く、何度目かでようやくつながった。そこで、
「昨日の電話は君達がルクラにいるかどうか確認するためだった。ギルブとは今日の夕方には会えると思う」
 とだけ言われた。その言い方には確信がないようで、本当にギルブに会えるのか不安になった。

 雲行きがやや怪しくなる。

 いったいギルブはどこにいるのか。
 澱のようにたまった不安が徐々に膨れ上がり、最悪の想像が次々浮かぶ。
 アメリカ人パーティーとのダブルブッキングだろうか。
 それだけではない、ギルブに会えずに、預けた登山装備も全て失って、憧れだったヒマラヤ登山も実現できずにこの旅が終わってしまう。
 代理店に払い込んだ金も戻ってこない。
 ここは富への欲望が渦巻くアジアなのだ。考えるほどに疑いが深くなっていく。

 夢に浮かれすぎたゆえの大損か、まだヒマラヤ登頂に挑めるか。

 何もしないうちに瀬戸際に立たされたようだった。
「とにかくギルブを待ってみるしかない」

 時間つぶしに文庫本を持ってロッジのダイニングへ行った。そこへ突然件のギルブ本人が登場したのだ。それだけで心配事が何もかも解決したようだった。
ヒマラヤをバックにギルブ(左)と カトマンドゥで見たボスを前にした忠実で表情のかたいシェルパの男とは違い、スカイブルーのフリースを着たギルブの柔和な笑顔に、この旅もいけそうだという思いを得た。

 装備を担ぐポーターも準備ができており、我々も荷物をまとめ早速アプローチのトレッキングを開始した。
 ヒマラヤの空の下、エヴェレスト街道を歩くギルブは、表情も和らいでとても話しやすく親しみのある男になっていた。山は人を正直にさせるのかもしれない。そんな空気に我々の肩の力も抜けてゆくようだった。

「メラピークへ行くというアメリカ人パーティーもギルブと一緒に行くようなことを聞いたんだけど」

 そう彼に言うと、
「俺は君たちと登る。ギルブというのはシェルパ族に多い名だ。アメリカ人につくのは単に俺と同名の違う男さ」
 と言ってその話を問題にしなかった。

 この男がついてくれるなら、登山にも集中できそうだった。

 トレッキング5日目、最初の目標峰が視界に入ってきた。ギルブは振り向き、白い歯を見せてニカッと笑った。

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