冬の穂高

涸沢岳北西尾根〜奥穂高岳〜西穂 1997/12/30-1998/1/2
同行 大西、馬場、岩瀬

                        【出発前夜】
「旅についてどんなことでも皆さんの想いをファックスしてください」
 J‐Waveでノンフィクション作家沢木耕太郎が言った。部屋にあった紙片に旅への想いを書きつけてはみたものの、それを送るべきファックスは持ち合わせておらず、かといって深夜コンビニエンス・ストアへ外出する気も起きずに、それはそのまま自分の記として留まってしまった。


【1】

涸沢岳北西尾根12月30日 新穂高温泉〜滝谷避難小屋〜北西尾根2250m
 10時30分、滝谷避難小屋、涸沢岳北西尾根取付。樹林潅木、降り積もった雪斜面に人の匂いは皆無であった。北西尾根を知らぬ者には、そこが登山ルートだという証は何ものも見当たらない。

 いきなりの急登であった。サラ雪に足は乗らず、樹根をわし掴み、ヤブをかき分ける。たちまち体力を奪われ、乾きを癒すべく雪を口に入れるが、口の中で儚く一瞬で消えてしまう。

 登りが尽きるが先か、気力が尽きるが先か。

 いつか上へ登ることより、幕営地を求めて進んでいた。手足は疲労し、もう限界だという頃、辛うじて幕営可能と見える空間があった。ハードな初日にすでに筋肉疲労苦。加えて翌日は北西尾根の核心というプレッシャー。

「なんでこんなことしてるのか」
 とまた思う。何を好き好んで…。山を見るなら容易なルートから行っても同じじゃないか。

12月31日 2250m〜ジャンクションP〜涸沢岳〜白出沢コル
 明けの薄闇に黒い雪が横殴りに降る。しばらくすると雲が青みがかり、そして雪山が視界に広がってきた。

 頼りなく朽ちかけた残置の固定ロープを無視して、雪と潅木と岩を登る。尾根の左手は雪庇となり、滝谷へと切れ落ち、右手は雪の斜面となり、トラバース時の緊張を高める。

 ガイドに「森林限界」となっているところより上部にも潅木は多い。雪に足を突っ込むと、下に這松があったりする。傾斜が増すとかなりの労苦を強いられる。雪中を上へ向かって泳ぐ感じのラッセルだ。しかし足下の雪はことごとく崩れ、体力的に厳しい。

 時折吹く風により飛ばされたザラ雪が、全て自分の方に向かっているが如く容赦なく顔面を打ちつけ、凍らせる。ザザーと上部の雪塊が砕けて襲ってきて、押し流されかける。

 北西尾根最後のピークP1に立ち振り返った。そこには青空の下、我々がやって来た道すじを跡切らせている白い尾根すじの向こうへ、美しいラインが続いていた。

 西尾根に合流し涸沢岳(3110m)へ登る。トレースも安心感もある。息を切らせて頂に立つと、穂高山荘がすぐ下に見えた。北西尾根は技術的より体力的に厳しいルートである。

 奥穂から西穂へ、明日もまた厳しい岩稜かと思うと気が抜けない。むしろ今まで以上に緊張は高まった。この先がより困難になろうことはどこかで感じていた。プレッシャーにより胃壁は出血、食欲は沸かない。その漠とした不安は死への恐怖である。


【2】

奥穂〜西穂1月1日 コル〜奥穂高岳〜天狗ノ頭〜間ノ岳
 夏とは様相を一変させていた。奥穂へ向け雪壁となった斜面を登る。右手でアックスを刺し、アイゼンを右、左、右、左と蹴り込む一歩一歩の登高。凄絶なる元日の幕開けである。
 いきなりふくらはぎが疲労で痛くなる。アイス混じりの急斜面の岩稜をアップダウンし、奥穂(3190m)に一昨年に続いて二度目の登頂。強まった風雪とガスの中、道標「西穂」へ方向を定める。

 ジャンダルムへ、夏道とは異なるルートをとる。唖然とした。常識的には移動する場所ではないような急傾斜のトラバースや登下降が繰り返される。明らかに娑婆世界から逸脱している。100mもあろうかという雪壁のクライムダウン。滑落したら、下方に見える滑らかなコルの左右どちらかへと滑らかに滑り落ちてしまうんじゃないかという思いが渦巻き、突き刺すアックス、蹴り込む足、一挙一動に集中せざるを得ない。そんな登りの途中、足を滑らせた。

「お…落ちる……」

 辛うじて左足のアイゼンが止まっていてくれ、ピッケルともう片方の足で斜面に何とか思いを留めた。落ちたらガスの中に白く消え入るその底へと吸い込まれていたのだろう。

 怖かった。今までの人生でこれほど山が怖かったことはなかった。

 もうやめたかった。

 しかし今この場所で「やめる」という選択肢は存在しない。このパーティーと共に進むしか道はないのである。

 岩峰を巻く急斜のトラバースでロープを出す。緊張と恐怖で吐きそうだ。信じるものは、確実に確保されているということ、そして他ならぬ自分。クラストした斜面を蟹のように横這い、露岩を乗越す。蟹の惨劇は見たくない。必死である。

 ようやく安定した所へ達した時には、かなりの時間が経過していた。

 その後も危ういルンゼの横断、ナイフリッジが連続する。風雪は強弱をつけ常に右から吹きつけ、顔面右側の感覚が失われて行く。目出帽を鼻まで押し上げると息苦しく、すぐに口元が凍りついてしまうため、ついアゴまで下げて行動してしまう。

「凍傷じゃねえか」
 そう大西さんに言われた時には充分侵されていたのだと思う。右頬、鼻右側下部、下唇右半分に凍傷を負ってしまう。

 そして天狗ノ頭(2909m)を踏みつけた。

 苦しい登降を続けていると、ふと、諦念にも似た境地に至ってしまうことがある。
「もういいや、このまま落ちてもいい、どうなってもいい」
 と。ちょっとばかり限界を越えてしまった一瞬なのかもしれない。しかしそこを留めているのは自分一人じゃないという想いなのだと思う。家族がいて仲間がいて、自分を想ってくれている誰かがいる。その想いが力になっているのだろう。限界を越える瞬間を経験することで、自分の限界ラインは引き上げられていくのだと思う。

 間ノ岳を越えたあと、ガスの中、一時ルートを見失った。しばらく後見つけたルートはルンゼ状部の下降となり、それをロープ無しで乗り切る気力は沸かなかった。

 正直、もう嫌だった。

 体力、精神ともその時が限界であったのだろう。結局間ノ岳直下に幕営することになり、吹雪の中やっと狭き安らぎの場に入り込むことができた。

1月2日 間ノ岳〜西穂高岳〜西穂高口〜新穂高温泉
 朝、目線の高さに西穂山頂が望める。晴れ。しかし西穂までの稜線でも前日に続いて緊張を強いられる。ナイフリッジのアップダウンに雪崩れそうな斜面の横断、ミックス壁。手袋は凍り、補助クサリはうまくつかめない。しかし一晩休んだおかげで、体力は前日よりいくらか回復していた。最後の小さなピークを越え、西穂(2909m)の頂に立った。

 四人の男たちは、そして、手を握り合った。

 ここまで来ると西穂山荘からのピストン登山者も多く、踏み跡もはっきりしていて少しほっとできる。一方で、彼等に対し少なからぬ優越感を得ている自分がいた。奥穂を振り返ると、凄愴なる稜線が足下まで迫り続いていた。

 青空の下西穂を下り出すと、思わず目頭が熱くなった。
 嬉しかったのだ。生きて帰れることが。

 いつかこんな山をやったら凄いだろうなと思っていた。しかし実際の山はそう甘くはなかった。そのぶんこんなにも嬉しかったのは初めてだ。いや、正確に言うなら、この種の喜びを感じたことは今までなかった。

 旅で人に出会った。旅で自然に出会った。そして旅で山に出会った。そこで出会った山は「見る」山で、山を見るために山へ行った。しかし今回の山行が自分にとって明らかに違うのは、厳しかった登攀を成し遂げたこと自体に喜びを感じたことである。見る山でなく、登る山であったのだ。

 今回のような山行ばかりだと精神的に続かない。たまの刺激にはいいかもしれないが。もし再びこのような山に出会ったなら、条件が必要だと思う。それは、絶対に失敗しないこと、加えて運が良いこと。

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