秀峰甲斐駒岩壁登攀

甲斐駒ヶ岳赤石沢奥壁Aフランケ赤蜘蛛、奥壁左ルンゼ(敗)〜中央稜
2005/8/710 同行 村野、めぐみ、遠藤

【1】

 入山前夜、それまで晴れだった天気情報は一転、大気の状態が不安定で雨の予想になった。
 目標は赤蜘蛛。
 今年は間違いなく登れるだろうと見て楽しみにしていたのに、「雨
90%」である。どかーんと突き落とされた感じだった。今年一番のショック。

「ああ、あああああ・・・・もう・・・・。またダメか」

 ABフランケ赤蜘蛛継続という案が出てから、それを意識して登り込んできた。三日と空けずインドアに通い、フリーのグレードも上げようとした。天気が悪く登れないのならいっそ行かない方がいいとさえ思った。でも晴れたら後悔するだろう。こういう時は、行くと雨で行かないと晴れるものなんだ、などとくよくよとしながら、結局行く。

 入山日は湿気に大汗をかいたが、案外雨にやられることなく八合目の幕営場に着く。
 こんな気候なら登れるかもしれない。
 ただ午後から天候が崩れることも予想され、Bフランケへの継続はこの時点で諦めぎみになっていた。

赤蜘蛛2P目コーナークラックをリード 夜半、稲光とテントを叩く雨音に目が覚める。
「勝手に降れ」
 と思いながら無視して寝る。

 4人で未明にテントを出る。
 夜の降雨で草木は濡れているが星空で、岩は乾きそうな気配だ。
 アプローチは村野トポに頼ったものの、何箇所かで行き迷う。残置ロープを何度も利用し、最後は懸垂でAバンドへ降りた。そこをトラバースしていくと、ようやく赤蜘蛛の取付に至った。

 黒戸尾根八合目からのこの複雑なアプローチ、よくぞ先人達は見つけたものだ。世界の山岳と違い、樹林や草付の多い日本の山。目隠し手探り状態で這い進み、このAフランケ下のバンドを発見したことだろう。
 脱帽である。

 2パーティーで攻める。先行は村野・めぐみで、5時半前にテイクオフ。A1の出だしピッチに時間がかかり、6時半頃ようやく遠藤リードで我々も登り出す。岩に馴染んでいないと時間がかかってしまうが、問題となるポイントはない。

 楽しみにしていたのは2ピッチ目のコーナー・クラック。ビレー点からは見えず、フレークを上がるとやっとその全貌を現した。綺麗なオープンブック状のコーナーに二本のクラックが見事に走っている。残置のリングボルトだけではランナウトするため、数ポイントでカムをかませる。形状がずっと同じため疲労する。
 途中両手を下げて休めるレッジがあり、そこでしばらく呼吸を整える。ここにビレー支点もあるが、続けて登る。

 爽快なピッチだ。

 最後は肩で息をするくらいになり、40mの夢のような名ピッチを終えた。
 フリーのグレードで
5.8くらいだが、長さを考慮すると5.9程度だろうか。

 遠藤リードで遠目のA1の3ピッチ目をV字ハング下まで登る。

 V字ハングは左を巻くとA1(フリー
5.10a)だが、中央をフリーで越えても5.7という情報だった。しかし先行の村野氏はA1で左を巻いていく。
 ハングを目の前にすると確かに怯むが、フリーで挑んでみる。
 中央には絶好のフレークがあり、それを使えば簡単に越えられそうに見えた。しかしハングに行き着く前のコーナーが厳しく、ヌンチャク掴みまくりになり、すでにフリーではなくなってしまった。それでもハングだけはフリーでと、フレークを掴むところまで上がる。
 残置は無し。
「行くか」
 とカウンターで体を上げたが、登られていないせいかフレークの岩は表面がボロボロで安定していない。そこを行く勇気は出ず、戻って素直に左巻きA1に切り替えた。

 ルート中ここだけがなぜかピンの間隔が近く、容易なエイドでハングを越えると大雑把な段状となり、大テラスに行き着いた。

核心クラックを登る先攻村野P

 大テラスから1ピッチフリーで登ると、ルート中の核心と言われるクラックのエイドピッチになる。ありがたいことにここから2ピッチのエイドはリードさせてもらうことになった。
 先行は二人とも結構あっさり登ったように見えた。そして、日本アルパイン界においてあまりにも有名なこのピッチを登り出す。
ナチュラルプロテクションを使ってエイドで登る

クラックが始まるまでは残置を辿るが、小ハングから上のクラックに入って2手目にはキャメロットを使わされる。
 その後もカム・エイドが数手出るが、予想していたより残置は多く、埋まりこんだフレンズも3個ある。これらを使えば、ナチュプロ・エイドのプレッシャーはかなり軽減できる。
 ビレー点手前は残置も充分あり、それほど困難なくこのピッチを終えた。完全なぶら下がりビレーとなるため、アブミとスリングで空中ブランコを作り、そこに座ってビレー、遠藤氏を迎える。

 このまま上へ伸びるクラックをつなげ、約65m1ピッチをフリーでやった平山ユージ氏。このクラックを?と信じ難いほどのシチュエーションだが、そのグレーディングは
5.11d。今はとても手を出す気が起きない。

 振り返ってみると、自分にとっての核心は、次の恐竜カンテ越えのピッチだった。
 カンテに穿たれたピンは遠く、伸び上がろうにもカンテのためうまく壁を蹴れずバランスがとれない。行き迷っていても時間ばかりがかかるため、早目にチョンボ棒を使う。
 カンテを回るとなぜかこんなところに枯れ木があった。それを掴んで上がる。更に右上のピンまでが遠く、枯れ木に寄りかかってバックアンドフットで体を上げるが、あまり上がり過ぎると枯れ木が折れてしまいそうだ。下はどーんとAバンド下の磨かれたスラブまで切れ落ちている。
 ものすごい高度感。
 小川山を思わせるダイクが走り、これを使ってピンにアブミをかける。
 その上も遠く、遠い左の縦ホールドで体を支え、上腕つりぎみのまま、必死でアブミをかけた。
 つって曲がらなくなった指を顎に押し当て強引に戻す。

このピッチは一手一手が厳しい。

へろへろになって最後は右からフリーで安定したテラスに達した。

この上もA1の出てくるピッチだが、容易で、ようやく実質の登攀を終え、最後は草付きをほぼ一箇所の中間支点で伸ばして岩小屋下の終了点に着いた。

時間的にもBフランケ継続は無理があり、大目標のAフランケ赤蜘蛛のみで登攀を終えることにした。

登れるかどうかではなく、始めから登れることは分かっていて行ったルートだ。大事なのは登攀のスタイルや質で、余力を残して登れるくらいじゃないと、この赤蜘蛛をリードで登る資格はないと考えていた。それができたことで、それなりの満足感は得られた。しかし名ルートという思いばかりが先走ったせいか、期待以上のルートというわけではなかった。


【2】

威圧的に立ち上がる左ルンゼを見上げる

翌日は遠藤案の通り奥壁左ルンゼへ向かった。

 幕営場から八丈バンドを下りぎみにトラバースする。
 あざみが痛い。
 正面に摩利支天への登りを見て最も下がったところ辺りが取付のようだが、右上にものすごい威圧感でたちあがる巨大な左ルンゼのどこが取付か分からない。
 ルート図通り濡れた部分の右よりを探ると、一段上にRCCの残置を一発発見した。よく見ればその右上にもボルトが続いている。

「ここか・・・」

 明らかに困難を予想させる。
 具体的に何が厳しいかは見えないが、雰囲気が「悪い」のだ。その上ルートのダイナミズムは
Aフランケ赤蜘蛛をも凌ぐものがある。

 今日のパーティー分けは村野・遠藤と神尾・めぐみ。誰もやめるとは言わず、どちらが先行するか神vs遠のジャンケンで決めることになった。

「勝った方が先に登るんですか」

 遠藤氏の素朴な問いかけ。
 Aフランケ赤蜘蛛と違い、先行するのは遠慮したいルートで、トップの魅力より危険への恐怖や未知への不安がやや上回っている感じだ。

「勝った方が順番を選べることにすればいい」

 そう言って互いに納得する。

「ジャンケン、ホイ!」

 チョキを出したが、遠藤氏はグーだった。
 ジャンケンには負けたが、彼はパートナーの村野氏と顔を見合わせ、後発を選んだ。譲り合いの精神か。まあいい、譲り受けよう。
 不安を拭い去り、不確かなものを探り出すトップの栄誉を得られるのだ。

 逡巡の隙は不要だ。

 深く考えずに登り出す。

最初からフリーでの右トラバースで、安定したスタンスに立つまで苦しいムーブを強いられる。垂れている黒く腐ったロープスリングに一本とり、A0ぎみで右上のボルトにもう一本とる。
 少しほっとすると、左腕の時計を外し忘れていたことに気付き、そこで取る。
 続けざまのA0で右上し数手先のカンテを目指す。
 支点4発目の長めを取ったところで、手持ちのヌンチャクがやけに少ないと思った。

「あ、ヌンチャク受け取るの忘れてた」

 自分持ちの僅か6発のヌンチャクで登り出していたのだ。
 二つ目の準備ミスをしていた。

 深く考えずに登り出してしまった。

 すでに呑まれているのかも知れない。
 ダブルロープの一本にヌンを結んでもらい、それを引き上げて受け取る。
 カンテの乗り越しからアブミを使う。残置は見えないが、アブミに乗って上がると次のピンが見えるといった感じで、一応残置に頼って前進することはできる。しかし腐ったスリング、浅打ちで首の曲がったRCCボルト、墜落方向に打たれたハーケンなど、一手一動に緊張が走る。
 腐ったスリングにアブミをかけ体重を乗せると、スリングがギィギィと軋音をたてる。屏風東壁ルンゼで残置スリングに乗って切れた時の感覚が甦る。

左ルンゼ2P目。これ以上進めなかった。 右のカンテを乗り越えるとビレーも可能なフェースになるが、ピッチの距離が短く、あまり気は進まなかったがもう少し伸ばすことにする。

 左へ少し戻り、あまいホールドの奥に打たれたハーケンに、体を目一杯伸ばして辛うじてアブミをかける。その上はフェースのボルトラダーとなり、少しほっとできるA1となるが、間隔は遠く、チョンボ棒を使う。
 ようやくスリングのかかったビレー点が近付いてくるが、最後にボロく、結晶の尖った岩でのバランスを要すフリーとなる。
 支点も取れない。
 ここも結構悪く、小石がじゃりじゃりと落ちてしまう。
 最後の支点は5mほど足の下で、根性で這い上がり、ビレー点の残置スリングに手が届いた。
 ここまで来たはいいが次のピッチは登れるのだろうか。一応登れそうなラインはあるが、残置は見当たらず、しかもトラバースから始まっている。

 フォローのめぐみを迎え、続けてリードで登ってきた村野氏と三人で協議になった。

 2ピッチ目は左上する。例えこのピッチを登れたとしてもその先が登れない場合、懸垂でこの場所へ降りてこれそうにもない。抜け切ることができなければ進退窮ってしまう。

 敗色を滲ませつつ、めぐみリードで2ピッチ目に入る。

 今度は左へのトラバースで、厳しいながらも、やっと見つけた3m先の銀色残置ハーケンに届く。しかしその先には残置もなく、打ち足すべきリスもなく、しかも易しくはないトラバースだった。

 もう終わりだ。

「もうよそう。降りよう」

 ここまでだった。僅かに1ピッチちょっと。奥壁左ルンゼ敗退を決めた。
 趣味にしても命を賭してまで挑む価値は見出せなかった。

 下部でさえ脆く、支点も不安定。この上の核心は残置もないクラックになるというし、そこまでも神経をすり減らす残置頼りのエイドとフリーが続くとなれば、あまりに消耗してしまう。しかも登るほど敗退下降も困難になってゆくのだ。
 これ以上突っ込めない。
 退くなら今のうちだ。

 スリングやカラビナを残置して補強し、懸垂で取り付きより下の安定した場所まで降りた。
 くやしさもない。仕方あるまい。

「中央稜登ってお茶を煮ごそう」

中央稜上部のクラックをフリーで登る 中央稜から甲斐駒山頂に立てれば、それでもいい。いや、山頂に立つならもう選択肢はそれしかなかった。

 八丈バンドを戻って、村野パーティー先行で中央稜に取り付いた。
 ルートは草付きやブッシュがほとんで明瞭とは言えないが、ライン的にはこれしかないか、といった感じだろうか。

 まともな岩登りになるのは1ピッチ目と上部ブッシュの歩きに至る最後のクラックで、どちらもそれなりに手ごたえはあった。
 尾根上の道に出る手前のW級ピッチを抜け、終了。
 握手を交わす。

 カメラだけを持って、観光気分で甲斐駒山頂へ向う。ガスが流れているが、視界はひらけ、結構広い山頂でのんびりと過ごす。登攀を終えた後の山頂は気分も良い。秀峰甲斐駒の岩壁登攀。自分の中で赤石沢奥壁を登る資質が備わったと“合格”し、やっと実現した山行だった。

「まあ、こんなもんでしょう」

 登攀を終えて四人でそう言い合った。

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