俺たちのアルパインは始まったばかり
2005/12/30−2006/1/1 穂高岳屏風岩
同行 遠藤
【越沢バットレス】
同行 石川
通い慣れているはずの越沢からうなだれて帰ってきた。
「どうすんだ」
冬の穂高屏風をやるにはアイゼン手袋での登攀に慣れておく必要があった。そのトレーニングに行ったわけだが、登攀戦略としてユマーリングと荷上げをするため、それをエイドライン青梅ベルグハングで実際やってみた。
アイゼン手袋だと登攀スピードが極端に落ちる上、ユマーリングはハングして足がつかないとプロテクションの回収が非常に難儀だった。
ダブルロープで登った時、荷上げするロープはヌンチャクにかかっていてはならない。
ユマーリングしながら一方の荷上げ用ロープのプロテクションを解除していけば良いはずだった。
だが思ったように事は運ばなかったのだ。
装備的に枷となるものを持っていくことはできない。1グラムでも省きたい。
ユマーリングと荷上げの方法については人にも訊きながら思案したが、結局ダブルロープ2本の方法でやる他に善策は考えられなかった。
勝算はあった。
屏風の目標となる東稜はユマーリングで足がつかなくなるようなパートはないルートだ。それならプロテクションの回収も容易なはずだ。
【三ツ峠】
同行 遠藤、めぐみ
数年に一度とも言われる強烈な寒波が列島を襲った。
まだ12月だ。
なのに冬型は緩む気配を見せるどころか、さらに追い打ちをかけてきやがる。
上等だ。
その寒さの中で登ってこそ良いトレーニングになるというものだ。
初日は直登カンテでエイド・トレーニング。
目論み通り、足がつけばユマーリング、荷上げもいける。
アイゼン手袋で登攀スピードが遅いのは致し方ないだろう。
登攀以外の悩みの種がなくなればそれでいい。
標高的には屏風に近い三ツ峠で一泊し、翌日は中央カンテ、巨人ルート下部を登り、ちょっとばかり自信をつけて下山した。
【再び越沢バットレス】
同行 遠藤
屏風への不安は東稜そのものより、むしろアプローチのT4尾根が大きく占めていた。
夏季はT4尾根の取付に2ピッチの岩場があり、その上部はX級とされている。ここをアイゼン手袋でいかに登るかが核心といってもよい。
誰もが口を揃えて
「T4尾根は厳しい」
という。
しかし誰もがどう厳しいのか、どうやって抜け切れば良いのかはなぜか口にしない。
冬季はもちろんエイドにならざるをえないが、X級というグレードを登るために再び越沢へやって来た。
左のクラックX級をエイド交じりで登り切り、とりあえずはそれを成す。更に第二スラブをリード&フォローで根性で登る。
いったいこんな苦行をどうしてやっているのか。休日なのに誰もいない越沢の岩場で、ふたりで苦しみに唸り声を上げ、攀じりながら自問した。
【入山〜穂高へ】
出発前、担ぎ上げる全装備をザックに詰め、重量を計る。
22kg。
これ以上削れない。
いや、本当はもっと軽くできるはずだ。だが今の自分の実力ではこれが精一杯の軽量化だった。
計画は屏風東稜を登り北尾根から前穂ピークに立つ。
下山は涸沢岳西尾根か北尾根を戻って慶応尾根を下ろうと思っていた。
冬の3000m前穂に立つ。それが大目標だったが、その登高路として屏風から北尾根を辿ろうと考えたのは、ヒマラヤ登山をイメージできるからだった。
本当はもうひとつ、別の理由があった。
写真家岡田昇が撮った登攀シーンに憧れを抱いていた。
その被写体であるクライマーの姿には登攀の厳しさが滲み出ている。
凍てつく岩壁に張り付く人間のなんという小ささ。
そしてそれを自らも登りながら撮った岡田昇という男に、嫉妬にも似た羨望をいつか自身の内に抱え込んでいた。
写真の舞台のひとつが冬の屏風だった。
感性の深いところをぐいぐいと刺激する熱い写真。
山に登る男たちの熱が伝わってくる。
そんな世界を自分も写したい。
動機としては不純かもしれない。だがやってみたいという思いを抑え切れなかった。
12月30日、降雪の中歩き出す。
釜トンネルは急で抜け出るのに時間がかかる。
積雪は多くトレースをはずれると膝くらいまでもぐる。
横尾に近付くほど降雪は激しさを増し、今日中にT4までとも思っていたが、横尾に到着した時にはそんな気もすっかりなくなってしまった。
ドカ雪。
横尾の冬季小屋には奥の間にテントが張り残されているだけで誰もいなかった。入り口正面に我々もテントを張る。
入り口前には水が出ていて燃料の節約になる。
後から次々と登山者が入ってきて、夕方には上の段までいっぱいになった。
ラジオも携帯電話も入らず、翌日の天気情報は入手できなかった。
翌3時30分起床。
星が出ている。晴れているようで風のうなる音もない。
行くしかない。
5時05分小屋を出る。
屏風へ先行する三人パーティーがつけたトレースをヘッドランプの灯りで辿り、1ルンゼ押し出しの渡渉点へ着く。
水流はほとんど雪で埋まっていて、石の上を対岸へ渡る。
三人パーティーに追いつき、押し出しからラッセルを代わる。
夏の面影はない。
遠藤氏と二人で代わるがわるラッセルで登って行く。
やがて休んでいた関西の三人パーティーが追いついてきて五人で交代しながら登りつめて行くと、屏風岩が迫ってきた。
雪が付かず、夏と変わらぬ様相の壁に威圧感はなく、どれがT4尾根かとそればかりが気になって視線をさまよわせた。関西三人パーティーは雲稜狙いとのこと。
7時40分、T4尾根取り付き着。
積雪で1ピッチ目はほぼ埋まっており、岩場は1ピッチで抜けられるのではないかと見えた。しかも夏に来て見覚えていたより傾斜もなく感じられ、思うよりあっさり登れるような気もした。
この時は表出していない困難に気付いていなかったのだ。
1ルンゼの雪崩を警戒して岩陰で登攀準備をする。
-15℃で、どんどん体と手足が冷えてくる。
上部で声がしたかと思うと、取り付きのシュルントで雪洞ビバークをしていたパーティーがひょっこり顔を出した。昨日は始終1ルンゼを雪崩が落ちていたなんていう話声が聞こえた。
【T4尾根】
8時40分、三人パーティーに先行して取り付かせてもらう。
12月のひと月、心を揺さぶっていた不安の元凶、T4尾根の核心ピッチが始まろうとしている。
先ずは右上へ、新雪の不安定なラッセルでトラバースし、岩の突起を目指す。
突起の右上に青い残置スリングが見えるが、そこまでさえ微妙なクライミングを強いられ、この壁が内包する困難を今更思い知らされる。
もう始まっちまってる。
雪を落とすと中に堅い雪があり、そのどてっ腹に右のアイゼンを蹴り込む。左足は岩のスタンスに乗せようやく立ち上がる。
突起をホールドし、キャメロット#2をねじ込み、それを掴んでようやく青スリングに届いた。
感覚を失っていた手指に血流が戻り、活き返った痛みが走り抜ける。
その上は2mほどの凹角だが、簡単にはいきそうにない。
突起上の安定したスタンスに立つが、その上、雪の下に出ている残置まではフリーでこなせそうにない。真下以外に引っ張るとするりと抜けそうな岩角にスリングを引っ掛け、そいつに左のアイゼンの爪をかけて立ちこむ。
ラインは左の凹角へと伸び、そのほんの一歩のトラバースが悪い。崩れやすい雪はスタンスとならず、右の堅雪を抱くようにホールドし、左足を止まるかどうか分からない雪へやる。雪の下に堅雪か岩のスタンスがあればもらいだ。左の凹角のビレー点に手が届いた。
凹角の上は緩いスラブになっているが、冬はフリーで容易に登るわけにもいかず、アブミを出す。
しかし二手上から先には残置ハーケンも見当たらない。
どこまでフリーか、ハーケンは雪に埋まっているのか。
辛うじて見つけた右壁のクラックや、スラブの雪を落として見つけたクラックにキャメロット#1や#0.5を使い、エイドで体を上げ、雪の中から見つけた残置支点に体重をあずける。
この上も全くフリーの可能性が見えない。
敗退も頭をかすめる。
「こんなところで終われねえよ」
エイドだって何だっていい、登ってやる。
夏、クライミングシューズと素手なら容易なフリーで登れるだろう。しかしアイゼンでは縦スジは使えないし、雪ののった岩にはホールドも見えない。
雪を落としてホールドできるかとさわさわ撫でているうち、手の温もりで融けた雪が今度は凍って氷化してしまい、つるつるで持てなくなってしまう。
カラビナの入らない半埋まりのハーケンの穴にアブミをつけたフイフイを引っ掛け、右上のクラックにキャメロット#0.5をかまそうとするがうまくサイズが合わない。
何度も伸び上がり、5cmほど右下にようやく体重を乗せられるほどにきかせることに成功。
これにアブミをかけてまた一歩上がる。
気の抜ける部分が全くない。
夏なら充分のはずの残置支点も、冬には所々といったほどにしか感じられず、その全てにプロテクションが取れるわけでもない。
数メートル上に黄色いスリングが見え、その左上は雪のルンゼになっている。
そこまで達せられれば終了点も見えてくるだろうが、黄スリングまでが最大の核心だった。
岩の形状は広目のコーナークラックだが、残置類は見当たらない。
奇跡のように左面に見つけた割れ目にエイリアンを突っ込み、そいつにアブミで立つ。
その上がどうにもならない。
コーナークラックに手元に唯一残ったキャメロット#0.5を入れてみる。
虚しくも全くサイズ違い。
何の役にも立たない。
大き目のカムが使えるだろうが、それ無しでこの場を乗り切らないことには終われない。
岩角スリングで一手進む。
スカイフック。
そんなもの使ったことないが、ギアラックにぶら下がっていたヤツを手に取った。
クラック右のカンテ、岩角にフッキングしてみる。
下に引くと一度はスカンとはじき出されてしまった。
もう一度、引っ掛かるところを探って下に引く。
動かない。
スカイフックは常に下方向に加重していないと簡単に抜けてしまう。加重したままアブミをかけ、そうっと足を乗せる。そのまま徐々にスカイフックに体重を預けてゆく。
「落ちるな、落ちるな」
緊張にミシンを踏むこともできない。
横にずれても墜落する。
下のエイリアンと残置ハーケンは落を止めるだけ効いているか。そんな不安を感情から切り捨て、そのまま体を右へ伸ばし、左腰のチョンボ棒を取り出す。
棒先のフイフイが黄スリングに掛かり、アブミをかけて乗り移った。
緊張、疲労、乾ききった寒さで喉はひりつき、吐きそうだ。
エイドにしろワンムーブの呼吸をも忘れる時間は何だ。このピッチはそれが連続する。
最後は残置とカムにアブミを残し、左の潅木にスリングを巻いて体重を預け、ようやく雪のルンゼへ這い上がった。
ルンゼの雪はしかし締まっておらず、足下は不安定。傾斜もありまだ気は抜けなかった。
所々にある極細の潅木を掘り出したり、木の根を頼りに10m余り登り、やっと安心できるビレー点へ到達した。
登攀距離は1ピッチ45mだが、実質二時間半もかかっていた。
重荷でのユマーリングと荷上げロープの支点回収に手間取った遠藤氏は疲れ、続くピッチもリードをする。
雪のルンゼで容易だと思い、ザックを背負って登り出した。
登るほど傾斜は増し、しかも雪にまったく締りがない。
そのうちぱったりとロープが伸ばせなくなった。
朽木に立ち上がり、頭上となる雪壁に挑むが、スカ雪に体重を預けるに充分な足場を作れない。
上の雪を払い落として、雪を抱えるように体を上げても、覆いかぶさる雪をまた落とさなければならない。
垂直のバンザイラッセル。
この傾斜になるともはや足場は見えず、足の感覚で立てるかどうか確かめるしかない。
雪の下の細枝にでもアイゼンの爪が引っ掛かればマシだが、両手両足とも確かな何ものもとらえていない。
白い、雪の海を、上へ泳ぎあがる。
「敗退したい、降りたい」
何度もそう思って下を見る。
しかし数十センチずつでも上がってしまった結果、降りることなどできなくなっていた。
降りられないなら上へ行くしかない。
でもこのまま登り続けられるだろうか。
2、3メートルほど垂直のラッセルをして右の木に乗ったきのこ雪の上へ立ち上がった。
少しは堅い足場に一息つくが、その上もまだ垂直のラッセルだった。
雪を崩すほど傾斜は増し、そのぶん頭上にある落とす雪も多くなる。
出てきた堅雪を削ってホールドをこしらえ、体を支えるか分からない不安定な足場にそっと立つ。
少しでも堅い雪があればそれにすがった。
そうしてやっと斜度60度ほどの斜面へ抜け出て、かなり強引なラッセルでビレーのとれる木の根を掴んだ。
すっかり燃え尽きちまった。
傾斜の落ちた雪面をラッセルして右上の潅木までもう1ピッチ伸ばす。
穏やかな晴れ空の下、冬はまったく日の当たらない屏風東壁を、唯一、東稜上部に二人のクライマーが張り付いていた。プレートアブミが岩に触れるカランカランという音、アイゼンが岩を掻くギリギリという音が快適げに耳に入った。しかしもう自分にはあそこまで行く精神力は残っていない。
あんなに降っていた雪も東稜にはほとんどついておらず、T4尾根より容易にこなせることは見えていたが、それをこなす力はもう出そうになかった。
最後、T4へ抜けるチムニーのピッチは遠藤氏がリードで行った。ここもラッセルと冬は手強いチムニーに苦労いている。ビレーする手はどんどん冷え、結露で濡れたインナーグローブはすでに凍ってしまっていた。
左に見える1ルンゼから豪勢に雪崩が落ちている。
ようやくT4へ這い上がった遠藤氏から声が届いた。
「もう降りよう」
そこから懸垂で戻ってきた彼は、
「吐きそうだ」
と言ってザックの上に倒れてしまった。
俺たちはこれで終わってしまった。
雪が多すぎた。
こんなに天候は穏やかなのに、屏風に触れることなく下降を決めた。
この時すでに3時30分。短い冬の日中は暮れ始めていた。
冬季、この壁には陽光がひとときさえ当たらないことを知った。車に置き忘れてきたサングラスなんて結局不要だった。
大量の雪に精力を吸い取られる形で俺たちの挑戦はあっけなく終わった。
だが、これが終わりじゃない。
まだ始まったばかりだ。
下山しても指先に痺れる痛みが残った。
感覚が戻らない。
また凍傷にやられたのか。そんなこと覚悟のうえだ。