信頼の冬季登攀
八ヶ岳横岳西壁 大同心雲稜ルート 2003/1/19
同行 大西、石川
【1】
アイゼン手袋での岩壁登攀は、フラットソール素手での夏季のクライミングがある程度できるからといって通用するわけではない。雲稜を睨んだ鍛錬を、越沢バットレス(アイゼン忘れたけど…)、三ツ峠として行く中であらためて痛感した。冬手袋だと大ガバ以外は確かな手掛かりとはならず、すぐに腕はパンプする。アイゼンの爪を乗せただけのスタンスに不安を抱いたまま立ち上がるしかない。
「もう、フリーはどうにもならんな」
アブミを使った人工なら夏の技術がかなり応用できる。だがフリーは初級者と変わらない状態で雲稜へ挑む日がきてしまった。
前日昼過ぎに赤岳鉱泉入りし、乾燥無風の快適なテントでゆっくり過ごす。
当日はまじめに日の出前に発ち、ヘッドランプを点けて大同心稜を登った。
樹林を抜ける辺りから風が出始めたが幸い強くもなく、見上げる大同心に大きなプレッシャーは感じなかった。ちょっと嫌なトラバースで取付へ。残置ピンはひとつで、ハーケンを一発打ち足す。
大西さんリードで登攀開始。やや左の浅い凹角から巻くようにハングを目指す。八ヶ岳特有の奇妙に出っ張った岩が手掛かりとなり、スリングを巻くと中間支点となる。安楽器具フイフイのない大西さんはハングの乗越しに苦戦を呈し、素手になり意地になり熱く登る。こちらは寒さでビレーする手指の感覚が曖昧だというのに。
ハング上を左にトラバースしてピッチを切る。
フォロー石川はトレーニングの成果か比較的スムースに抜け、ラストの自分はフイフイと大西さんの残置した二つのアブミを使ってハングを抜けた。
「せっかくだからリードしてみろ」
大西さんにそう言われ、せっかくだからリードしてみる。
「フェースW級A1」とのピッチだが、ルートは定かでなく、角度のない右の凹状部へ行く。赤い残置スリングにアブミを掛けて立つと、それはボルトに引っ掛けただけの危ういものだった。
数mで上部から右の壁に行く手を阻まれ、左にトラバースするしか進路は見出せなかった。しかし手袋では手掛かり乏しく、行き惑い踏み出せず。ハーケンを打ち、それを心の拠り所に踏み込んだ。数歩で直上したが、支点のとれる残置ピンがなくランナウトしている。
この頃から感覚は麻痺して「まあいいや」状態となる。
このピッチは出だし左からが正規だったのか、左下からの別ラインのリング無しボルトに出会った。ここにある腐りかけた2mmの細引きでは支点になり得ず、どうするか迷った。
自分でも何をしているんだと思った。5mmの黄色いスリングを取り出し、リング無しボルトに引っ掛けた。それに支点を取るわけでも、体重をかけるわけでもなく、ただその鉄の出っ張りにひもを引っ掛けた。ただそうすることで気持ちが落着いたのだ。あとはそれに手を掛けることもなく登り続け、ようやく見つけた残置ハーケンに支点を取り、雪の付いた狭いテラスで確保に入った。
アブミを掛け替えで使うほどの「A1」ではなく、部分的に出す程度だった。
このピッチはフォローも動きが慎重で、容易ではないようだ。
【2】
「自信持って行けるか?」
大西さんに問われ、「はい」と答える。続くピッチもリード。「カンテから凹角W級」とあるが、カンテというような地形はない。
出だし正面の立った岩を行こうとしたが、手袋では思い切ることもできず、戻って左から回り込んだ。
易しいが支点が取れず、またランナウトする。足が激しくミシンを踏む。服が一着縫えそうな勢いだ。岩より氷雪にアイゼンを突き立てた方がずっと安心感がある。
これが今の自分の力量なのだろうが、フリーでは抜けられそうになくアブミを出した。冬季登攀は何でもありだ。
最後の立った凹角は、両足を突っ張って立ち右のクラックにアイゼンの前爪を噛ませて上がり、固め打ちされたハーケンの穴にアイゼンを掛けて立った。
天候は崩れ雪が舞い出すが、寒さは感じない。
二人を迎えて上を見ると既にドームが近く、あと1ピッチでバンドへ抜けられそうだった。ルート図ではバンドまで5ピッチとなっており、次はV級のフェイスのはずだが、そんな易しそうな場所は見当たらない。岩瀬さんの残した記録でもバンドまで4ピッチで登っていたことを思い出した。
岩片の突き出た雪まじりの岩場を登り凹角に入る。ここはどう見てもかぶり気味で、バンドへ抜ける最後の難所だと確信する。ここでもアブミを出して右上ぎみに、パンプしてきた腕をだまし勢いをつけて抜け上がる。浮いて屈曲したハーケンに荷重をかける前、
「抜けるかもしれないから(確保を)お願いします」
と大西さんに言って立ち上がった。すぐ上の利いたハーケンで支点を取り一息つく。そこから数手登ると、ようやくバンドの確保点に着いた。
僅か3ピッチのリードで満腹だった。石川さんと大西さんは安定した登りで上がってくる。最後は水平道のような易しいバンドを右へトラバースする。奇妙に横に張り出した岩が邪魔してどうにも抜けられそうになく、一段降りて避けて通る。広く安定した足場の確保点でビレーを取るが、腕はつりそうでロープを手繰ることさえ厳しかった。
ここまでで既に午後二時を過ぎ、ドームを登る時間は残されていないようだった。それより、これ以上登攀を続ける精神力はなかった。
「今度南稜を登ってドームを登りに来よう」
そう言い合って降雪とガスの中、大同心ルンゼを下降、大同心稜へと戻った。
改めてルート図を見直しても、バンドまで5ピッチあるとは思えない。ルート図4ピッチ目の「V級」などというピッチは無く、実際2〜3ピッチ目を伸ばして登っていたのだろうか。全体を通して支点が不安で易しいピッチのない、緊張感と手応えのあるルートだった。
リードさせてもらったこともあり、充実した冬季登攀が味わえた。だがここももう一度来ようとは思わないルートである。信頼に足るパートナーがいてこそ挑めるというものだ。アプローチから見上げた大同心がそれほど威圧的に感じられなかったのは、大西さんと石川さんがいたからだと思う。