北岳バットレス小史
北岳バットレス ピラミッドフェース〜第四尾根 2002/7/31〜8/1
同行 石川
四度目の北岳バットレスで、初めて完登を成すことができた。三度は全て敗退の歴史である。
初めて訪れたのは1996年秋だった。「日本最高所の岩場」と聞かされ、揃えたばかりの数少ないギアを全て携え、緊張気味に出向いた。パートナーは曽山氏。リード経験こそ浅いものの天才肌の若手だった。二人で入門者向けとされる第四尾根を登る予定だった。
アタック日はテントに雨つぶの当たる音で目が覚めた。しばらくして雨が止み、遅まきながらとりあえず岩場へと向かったものの、お互い初めての岩場に戸惑い、時間がかかった。緩傾斜帯ですでに昼近く、ガスが巻き岩も乾ききらずに、諦めて下山に入った。
始めは飛行機の爆音だと思った。
それは落石だった。cガリー上部より車ほどもある岩塊が小岩を伴って落下してきた。
「逃げろ」
といってもどこに逃げるべきか。落は岩壁基部に当たり、爆発、爆煙を伴って大樺沢沿いの縦走路まで達した。恐怖などを越えた迫力。更に第二陣、三陣と落が続き、走って逃げ帰った。
落石の恐ろしさを始めて知った。あんなものを食らったらヘルメットなど何の意味もなさない。弾丸のように落下してくる小石片の直撃を受けただけでも、ただでは済まないだろう。
二度目が2000年8月。自分もリードするようになり、自分たちの力で岩ルートを登ろうと田宮と向かった。しかしまたガス、視界悪し。一応第四尾根と思われる岩場を2ピッチ登ったが、濡れているせいか結構厳しく、先行隊がやけに遅いこともあり、そこで敗退とした。
「北岳ガス男」の疑いをかけられる。
三度目は2001年9月、武藤氏と中央稜を目指した。大気の状態が不安定であることは承知済みだったが、午前中は何とか登れるだろうと考えていた。しかし朝から崩れるとは思っていなかった。下部岩壁を登ったところで小雨、そしてまたガスが視界を閉ざす。いよいよ「北岳ガス男」は否定しきれなくなる。
敗退。
もう北岳に来るのはやめようと思った。でも一年経てば思いは変わるものだ。北岳にもう一度という気力が戻った。
四度目、パートナーは気心知れた石川。これまである程度の経験は積んできたため、主目標はやや登攀技量を必要とするピラミッドフェースとした。
通いなれたアプローチを経て晴天の下ピラミッドフェース取付に立つ。
「あれ、これ登ったことある」
確かに登った。二度目に来た時、第四尾根と思って取り付いたのはピラミッドフェースだったのだ。どおりで厳しかったわけだ。X級のピッチから始まるのだ。では有名な第四尾根の取付はどこにあるのだ。どうやって行くのだろう。いまだにわからない。
登り出してもガスの出る気配もなく、「北岳ガス男」の疑いはようやく晴らされた。
リードを交互に交代しながら登る「つるべ」で登攀。
ルート中X級ピッチがふたつ入るが、今回はどちらもうまく切り抜けることができた。さらに初回に気を重くしていた第四尾根の核心部の垂壁も、いまや確実にフリーで登ることができ、以前より確かに登攀力が増している実感を得た。
中央稜への下降点より中央稜を眺める。前回に目指した懸念のこのルート、取り付くか。
「石川さん、行く?」
「う〜ん…」
「う〜ん…」
「…」
「やーめた」
やめた。
高山植物の豊富な天上世界の径を辿り、山頂へと向かう。下山に気を揉む必要のないことがバットレスの良さだ。眼下の広河原へ、トレッカーとなって下った。