八ヶ岳の冬
八ヶ岳 旭岳東稜 2002/3/23
同行 武藤
八ヶ岳には積雪期にしか入ったことがない。彼の山の夏の姿を知らない。雪山をここでおぼえてきたからか、八ヶ岳は冬こそより楽しめる山だと思っている。
今シーズンもトレーニングを含めて幾度か入ったが、トレーニングと考える以上に山行自体を充実した内容にしてくれることがある。
12月、正月の北鎌を見据え、武藤氏と入山した。週末の二日間を使った山行の初日、荒れ気味の天候を見て比較的容易な阿弥陀北稜へ向かった。北稜に入るまでに腿までのラッセル登高を強いられ、登攀後、山頂からはガスで下山路に迷った。ホワイトアウトだと方向感覚は完全に失われ、コンパスで繁く確認せねばあらぬ方角へ向かいかねない。
翌日は赤岳主稜を目指した。前日までの降雪で岩まで完全な白の世界で、登山が生の自然との戯れである感激を得た。登攀はしかし厳しいもので、岩溝手掛かりはことごとく雪氷に閉ざされ、残置支点探しと手掛かり確保に雪落としの作業が続いた。手掛かりのほとんどは氷に覆われ、以前に登った印象からは想像もつかぬ困難な登攀となった。
この二日間で2ルートを完登でき、北鎌への自信になった以上に、八ヶ岳を満喫できた山行であった。
3月、石川さん、武藤氏と岩ルートである小同心クラックへ。大同心稜の雪は締り順調に取り付きに達した。ルートは3ピッチと短いがアイゼン手袋でW級の登攀である。だがコンディション良好で困難無く横岳山頂へ抜けることができた。
核心が下山にあろうとは予想していなかった。烈風である。硫黄との鞍部を吹き抜ける西風はこれまで経験したことのない重さだった。立って歩くと東へ流され、杭にしがみ付いて耐える。飛ぼうと思えば飛べそうな、恐風。上空にはいくつもレンズ雲ができていた。
小同心の翌週、毎年候補に考えていながら実現できなかった東面ルートが、ザイルを組んできた武藤氏との直前のやりとりで決まった。
旭岳東稜。3月23、24の予定。
前夜、車で地獄谷林道を雪に行く手を阻まれるところまで入る。
行程的には二日間で余裕が感じられ、出発も急ぐ必要はあるまいと、朝歩き出したのは6:35だった。ほんの一時間で出合小屋へ、更に15分程で旭岳東稜の取付。曇り、時々雪がちらちらと舞う。
ラッセルで斜面を上がり、尾根すじへ出る。樹林の登りだが、時折見える権現旭の東面は切り立っている。稜というより脊骨という感の尾根が幾つか連なって見える。主稜線上は少しガス。
突然尾根がやせ、妙に高度感のある数手のクライムダウンがある。両側は極端に切れ落ちている。この先幕営適地が現れるが、泊まるには早過ぎ、そのまま通過。細尾根が続いていたが、樹林がまばらになる頃、尾根は正面の急斜面に紛れて消える。ここからがルートの核心となる。
正面の雪壁をダブルアックスを用いて、左上のスカイラインを目指して登る。脹脛が張る。上に出てからは右の尾根へと更に詰めると再び細尾根になっていた。上部岩稜にぶち当たる。
1ピッチ目は先行させてもらったが、見た目以上に手ごわかった。岩稜沿い、左の草付、両方登られるようだが、先ずは岩から取り付いてみた。小ぶりだが立った岩で、オーバー手袋を取って確かな手掛かりを求めた。右は断崖。二段ばかり稜岩を登ったところで行き詰まり、左面の草付へ回り込む。微妙なバランスのトラバースが要求され、緊張で足が震える。部分的に潅木にぶら下がりながら登り、40m余り伸ばしてピッチを切る。
2ピッチ目は武藤氏。草付を直上したが、リッジへ出たところが雪庇となって切れ落ちており、戻って左上し直した。不安定な草付に悩まされ時間を要したが、上部岩稜のポイントとされる出だし2ピッチを抜けた。振り返ると武藤さんが直上して出たリッジは雪庇でハングしており、踏み抜けば危ういところである。
唯一の後続パーティーが下方に現れる。
この先はナイフリッジの急登。
思わず「かっこいい」ということばがもれた。
細い上に右が雪庇で怖さがあるが、その怖さの分だけアルパインの美が際立つ。両手のアックスで確実に登る。ぎりぎりまで伸ばして潅木で確保に入る。
4ピッチ目、多少傾斜の落ちたリッジを武藤氏も50m近く伸ばして岩場の下に達する。
5ピッチ目は出だしシビアな左上トラバース。岩を抱えるように横向きになるが、足下は氷化した細いバンドで、アイゼンの前爪で立つ。じりじりと移動し、左でアックスを打ち込む。数メートルで左の岩まじりのリッジへ出ると、気分がだいぶ楽になった。急なミックスを登りきると、旭岳のピークが目の前だった。
ピークへのピッチは武藤氏が行き、山頂標の根元で確保を取った。
登り抜けたところがピークとは爽快である。午後2時。先週ほどではないにせよ、主稜線上はまたも強風。氷点下10℃。主稜やや北のツルネの頭へ歩き、風から逃れるべく下降路ツルネ東稜の樹林へ入った。
旭岳東稜は、積雪期バリエーションの適度な要素がまとまった名ルートだと思う。草付や潅木が日本の山の味わいを深く感じさせてくれ、それでいて核心の雪稜は実にエレガントである。
ザイル使用は必至なだけあって、気軽には取り付けないルートだろうが、雪と岩をひととおり経験してくれば、薬味のきいた充実した登攀を味わえる。
困難に直面しても、ぼろぼろになることなく登り切れる、そんな山行を繰り返すことで自らの限界点を上げていけたらと思う。決して岩に抑えつけられることなく、山とうまく戯れていたい。
ツルネ東稜はよくマークされており、困難な個所もなく出合小屋まで降りることができた。まだ午後4時前。
「このまま今日帰れちゃいますね」
「帰りましょう」
テント寝袋食糧燃料、一泊装備をボッカして車に戻ったのは16:55。今日帰るとは思っていなかった。気構えあれば日帰りも可能なルートである。夜には東京の部屋で寛いでいた。
今回一日で終えられたのは、このところコンスタントに山行をしているための好調か。思惑以上の力がついているのか。
あるいは、単なる勘違いか。