人生の登攀
谷川岳一ノ倉沢烏帽子沢奥壁 中央カンテ・衝立岩ダイレクトカンテ 2002/10/5-6
同行 足立、松浦
【中央カンテ】
中央カンテは今シーズン7月に登ったばかりだ。核心は旧四畳半テラスに至るピッチで、ルート図では「X+またはA1」というグレーディングがなされている。前回A0のエイドで抜けたそのピッチを、そしてルート全体を通して、今回はフリーで登ることを目的に再び訪れた。
同行は足立さん。全ピッチをリードさせてもらう。
二箇所の核心があるピッチは、フリーで登るつもりで岩を眺めれば見えてくるもので、ホールドはガバが案外多い。下部は左の縦ホールドを支えに微妙なスタンスに立つと右手が上のガバに届いた。むしろその上のテラスに立ち込むところがやや厳しい。上部はハングしたクラックだが、レイバックの態勢で登るとガバホールドとなり、ここもすんなり抜けられた。
その他のピッチは問題となる箇所もなく、オールフリーを成すことができた。
【ダイレクトカンテ】
一ノ倉に来るなら登りたいルートはここしか思い当たらない。
昨シーズン来、残置支点の損壊による墜落が何件かあったという情報を得ていた。また幾多のパーティーにより、支点の老朽化が指摘されている。だがいつか手をかけない限り、登れる機会は訪れないのだ。
ハーケンを多めに用意した。キャメロットもある程度持ってゆく。同行の予定だった武藤氏が前日の失態から自らに謹慎を課し参加を辞退してしまったため、フォローの松浦さんを伴ってオールリードで挑む次第となった。
テールリッジを登るパーティーは数多あれど、衝立正面へ折れる者は我々の他見当たらず。むしろ登攀に集中できるというものだ。中央稜取付よりトラヴァースし、フィクス・ロープを頼りにアンザイレン・テラスへ至る。不自由な斜懸垂の下降で、ペツルの穿たれたダイレクトカンテ取付に達する。
気負いは確かにあった。登攀を望んでいたけれども、容易くことは進まぬ雰囲気も感じていた。それでも自分を信じていた。
「俺ならやれるさ」
1ピッチ目。「右上」というより右トラバースを経て、濡れた嫌らしい草付フェースを登る。細いバンドを左へ戻り、残置スリングのたくさん見えるラインの下で切る。ロープの流れを考慮し、このピッチは途中一度切った。出だしから易しくはない。
2ピッチ目、若干のフリーでハング手前からアブミを出す。だが右のハング上から垂れているスリングにはどうしたって届かない。フリーに賭ける気も起きず、妥協してチョンボ棒を出す。そこからは、その殆どが朽ちかけた残置支点とスリングが続き、他と比べてまだましか、という程度のピンで支点を取ってゆく。下向きのハーケンに乗る時には思わず祈った。
「頼むぜ…」
エイドの動きはそう厳しいものではないが、今乗っているアブミがいつ落ちるかもしれぬという緊張が途切れることがない。微かに揺れるハーケンに体重をかける。細引にアブミをかけると、切れそうにギリギリと軋音を発しながら染出し水が搾られ滴り落ちる。40m、上方ではもう感覚を麻痺させて登る。確保点がしっかり作られているのが救いだ。
3ピッチ目、要所にペツルがあり、精神的な重荷はだいぶ軽減された。
4ピッチ目、アブミで右の小さなカンテをまわりこもうとする。ここでロープとスリング類が絡まって、外すのに苦労する。そんな作業をしているうち、腕がつり出した。フイフイでしばらく休む。回復し一手、二手と進んだところで行き詰まった。
もうピンは届きそうな範囲には無かった。5m以上右上に残置ピンが続いているのは見える。あそこまでどうやって行くのか。W級A1のピッチである。ここからフリーになるのか。だがW級には不釣合な立った壁が覆っている。
ここを直上か、右へトラヴァースして上か。
考える時間が嵩む。周辺の岩をじっと見つめる。
スタンスのある右トラヴァースを試みることにする。ピンがないためアブミはハーネスへ戻す。右足をスタンスにやるが、角度がある分態勢が苦しい。
これでは進めないと思い、ハーケンを打つ。それを頼りに更に右へ。しかし一段と苦しい。
もう一本ハーケンを打つ。
試しにそれを下に引いた途端、周辺10pほどの岩とともにとれてしまった。
やや下の別のリスに打ち直す。焦臭がする。再び下向きに引く。これも抜けてしまった。付いているようでいて、良く見ればどれも剥がれそうな岩ばかりではないか。トラヴァースはやめだ。
再び上を見る。あの残置ピンまでどうやって達せよというのか。
最後の残置に戻る。
直上でハーケンを打ちながら登ろうにも打ち込めるリスは無い。フリーしかないのか。ここが抜けられなければ敗退である。
こんなはずはない。ピンがなくなっているとしか思えない。
進退極まれり。
「どうするんだ、どうするんだ…」
自分自身に問いかける。上を恨めしく眺める。残置ピンが見えなければここから下降しているだろう。だがフリーで耐えれば達せ得る距離に見えるために、可能性を捨てられなかった。
岩窪の手を読む。ムーブをイメージする。
行けるかも知れない。
試しに動いてみる。
汗に滑り、チョークをつけ直した。
もう一度動いてみる。いや、無理か。
そうして三度ほど惑い試動を繰り返した。半端な気持では落ちてしまう。心を決めるしかない。
「よし」
一手、右のあまいホールドを掴む。ヌンチャクにかけていたフイフイを外す。この瞬間、荒れ野に自ら踏み出したような、安住の地への扉を閉ざしてしまったような、不安と、寄る辺なさと、孤独が訪れる。次の安堵を手に入れるまで。
そして人生の登攀が始まった。
見極めておいたホールドを手にした時、イメージしていたムーブとは体が逆を向いてしまった。焦ることはない。この方が自然で安定しているではないか。つりそうな腕をだまし、足を上げ、右手でガバを掴んだ。左のクラックにカムをきめる。その時、目の前に根元から折れた錆びたハーケンの残骸が見えた。やっぱり、折れたのだ。昨年登攀者が残置損壊により墜落したのはここに違いない。そこから数手の登りで抜けそうな3oスリングの巻かれた、リングなしボルトに届いた。これにエイドを用いて立つと、下から恨めしく眺めていたリングボルトに達した。
この厳しさはいったいなんだ。このピッチは「X+、A1」に修正しよう。アブミから突然のX+は生易しくはない。
疲労と緊張から、震えが止まらなかったが、この先はある程度安定した支点が得られ、カムも使用しつつ北稜へと続く、木のある終了点へ到達した。この太い木の何という安心。続く松浦さんが「人生の登攀」部でテンションがかかった時、上のカムははずれてしまった。効いていなかったのだ。気休めにもなればいい。残置の支点類もどこまで信用してよいものか。アルパイン・ルートのリードは、それらに頼ることなく自分の力量を見極めること、自分を信じることが肝要だと思う。
プレッシャーの中、苦労してフォローしてきてくれた松浦さんを迎え、北稜の下降点に出た。乾ききった喉に水分を通す。
松浦さんにとっては「限界の登攀」、自分にとっては今シーズンのベスト・クライミングとなった。
懸念のルートだっただけに完登は嬉しい。だがもう二度と登ることはないだろう。