夏剱
剱岳 チンネ左稜線・源次郎T峰下部中央ルンゼ〜上部名古屋大ルート 2001/8/11-15
同行 Bチーム 村野、田宮、武藤
【チンネ左稜線】
一日で黒部ダムから三ノ窓へ達するには、黒部の懐は深すぎた。前日入山の武藤氏と合流した真砂沢で行動を断つと、例年通り入山日は雨となった。下界と違い、雪渓を撫でた風がひんやりと我々を包む。
翌日三ノ窓入りし、チンネを登ろうと話した。考え方はこうだ。チンネには朝早いうちに取り付きたい。三ノ窓まで三時間、未明の三時に出る為には一時に起きなければならない。そのためには夕方五時には寝なければならない。「五時寝」「ごじね」。赤子も眠らぬワークタイム。
翌未明発。
登れど尽きぬ長次郎谷の雪渓。剱の大きさを改めて知らされる。立山連山がたおやかな女性の山とするなら、剱は切り立った男の山の様相がある。乗越を経て三ノ窓に立った時は、真砂を出て五時間が過ぎていた。しかも夏時雨に無為に天幕内での時が嵩む。この日は停滞。
三ノ窓はよく均された天幕場で、禁を破ってかなりの人間が野営をしているようだ。その伝統がこれほどの適地を作り上げたのだろう。以前来たのは四月で、この辺りは全て雪の下であった。現在は夏草と土と岩の彩色の世界、夏の山だ。
一日潰れても尚、「チンネに来たなら左稜線」と、左稜線にこだわり、翌日早出で取り付くことに決まる。
だが次の朝も小雨だった。起きてテントで待機していた矢先、天候回復。他パーティーを出し抜いて取り付きに陣取った。
夜明け。東の雲が光を増す。
壁はまだ充分に湿っていたが、後続も現れ始め、乾きかけの岩を登り出すことにする。
左稜線では武藤氏と組む。チーム名「てぐすね」。先行村野・田宮組は出だし右から行ったが、我々は左から抜けることにする。リードで行かせてもらう。濡れていて難しく感じられる。ヌンチャクが入らない支点もあり、バランスを保った状態でワイヤーを通すことも強いられた。
2ピッチ目は落石を起こさないよう気を使う。急速に乾いてきているものの、濡れている部分は嫌らしい。武藤氏の調子が良くなく、続けてリードをする。後続パーティーはなんと我々のロープと交差しながら登ってきた。一言のことわりもなく失礼極まりない。集中もできなくなる。
村野・田宮組は右奥の陰った凹角に突っ込んだが、本来のルートは左に折れて尖塔からフェース、そしてリッジに出るようで、我々はそちらへまわる。容易な分ピンは非常に少なく、このピッチはほんの数カ所支点を取っただけだった。
リッジに出てからは乾いた岩、北アルプスと富山湾の絶景、そしてブルースカイ。雲上の絶好の登山体験となる。武藤氏と不規則にトップを交代しながらの登攀。なにか非常に自由な雰囲気で気分がいい。
ルートの核心、上部の小ハングを目前に一服。村野・田宮組はフリーであっさり抜けたように見受けられた。X級である。本チャンだとA0ぎりぎりの難易度だが、今回は数手だし、フリーで挑もうと思った。
一旦リッジの右側に出、ハングを右から左に抜ける。垂れ下がった白い残置スリングにもすがる気は起きなかった。抜けた上にある連打されたハーケンはしっかり効いているようには見えなかった。その上で確実に支点を取り、易しくはないリッジの左面を登る。完全フリーで通過できた。それほど厳しいという印象はなかった。後続はハングにてこずったのか、以降姿を見ることはなかった。
傾斜が緩み、チンネの頭に到達。快適な登攀とはこういうことか。今改めて言わせてもらう。
実に快適な岩登りであった。
同じ台詞を、入会年最初の夏合宿報告文(「滝谷ドーム中央稜体験記」)にも書いた。だが含意は異なる。確かに岩登りへの対し方は変わってきたんだ。
【源次郎T峰下部中央ルンゼ〜上部名古屋大ルート】
ベースキャンプ・スタイルの山行で中三日の最終日、村野、田宮、神尾の三人で源次郎T峰側壁を目指した。
下部中谷ルートのちょうど下、それが中谷ルートからのものかはわからないが、雪渓上になまなましい崩壊岩が散乱、中谷ルートへの執着も崩れ去る。
中央ルンゼ・ルートに転戦するも、シュルント内が非常に悪く、丸山東壁のあの日を匂わせる。買ったばかりのアイス・バイルをシュルントの大穴に奪われてしまった。暗穴に鮮やかな橙の火花を散らせて落ちていった。
中央ルンゼはほとんど登られていないのか、残置があまりなく、落石やぬめった岩肌からアルパイン的な緊張感が嫌が上にも高まった。単に3級というルート・グレード以上の困難を誰もが感じると思う。
村野氏リードで取付く。ハーケンを打ちながらのルンゼ登り。
続くピッチは沢化しており、完全にぬめったチムニーだった。ここも村野氏がリードで確実に抜けてくれた。岩も見た目以上に脆く、快適とは言い難い緊張したピッチが続く。リードを田宮に交代、ルンゼからガラ場に達する。
深く切れこんだ中央ルンゼより平蔵の対岸、剱沢などの山景色を振り返る。平衡感覚が失われるような絶壁の向こうに緑や雪の白が光っている。平らってどこのことなのか、この辺りではつかめない。
広くなったルンゼの上部では、どこにルートを取るべきか迷う。二つの濡れたルンゼの間に立つ乾いた面を、田宮は選んで登っていった。しかし残置支点がない上、ハーケンの打ち込みにも手間取りかなりの時間を要して確保に入った。フォロー二人が登り出したところで、確保用のハーケンが岩塊ごと取れたようで、そこから再びリードのかたちで更に上部に確保点を求める。生きて帰ることって大事だ。
予想以上に時間がかかり、予定の上部成城大ルート取付では11時近かった。すでに先行2パーティーおり、我々は名古屋大ルートに迂回を決定。成城大の2ピッチを登った後、右へとルートは分かれていく。
下部中央ルンゼで活躍した二人に代わって、上部名古屋大はリードを任せてもらう。
成城大と重なる2ピッチは浮石に気を付ければ問題となる個所はない。テラスから右下のバンドをトラバースして名古屋大へと移るが、このバンドがどこまでが岩でどこからが草付きだか判然とせず、難しさはないが緊張する。
4ピッチ目「ハング下を左へ」とあるが、ラインは幾つかとられており、どこから行くか迷う。結局ルート図通りと思われる、ハング下のラインを選んだ。フリーとアブミを織り交ぜての登攀。ハングの左端からカンテに出たが、カンテの向こうにビレー点が見える。しかしどうにもそっちへは移れそうもなく、カンテから右面のハングをアブミを使って抜け上がり、フリーで直上した。が、ロープがやけに重く、その上でピッチを切った。ロープが支点ごとにことごとく交差していたようで、クリップする部分よりもっとハーネスの根元でロープがねじれていたことに後で気付いた。それでも高度感あり硬い岩で、爽快なスカイ・クライムであった。
数メートル登り右の草の多い凹角へ入ると核心部はほぼ終了し、落に気を使いながらの容易な登攀となった。
更にもう半ピッチだけ伸ばしたところで成城大ルートと合流し終了とした。本当はここで終了すべきでない岩場がこの先にも続いていたのだが。
源次郎T峰側壁の登攀は、予定と異なるルートとなったが、充実した気分が味わえた。真砂のベースに戻ったのは五時頃で、中村さんの特製カレーが待っていたのは嬉しかった。
初の夏剱は充分楽しめた。登攀という山岳との関わりにも精神的に余裕が持てるようになった。その分山での自由度が増したようだ。伴って「自分の好きなスタイルで」というそのスタイルの幅と可能性も広がってきたと思う。自然の中で自由に楽しめること、そんな姿勢で関わっていきたいんだ。