穂高の岩場

北穂高岳滝谷ドーム北壁・屏風岩東壁雲稜ルート 2000/8/5-9

【滝谷ドーム北壁】 同行 石川、武藤

滝谷ドーム北西カンテ 8月6日、穂高涸沢のベーステントから北穂へと登り、滝谷へ向かう。前穂北尾根を経て遠く、霊峰富士が望まれる。いやプリンか?
 滝谷には幾つもの岩壁登攀ルートがある。山岳小説の大家新田次郎も滝谷の岩場をよく描写している。

 山岳会合宿の初日は三人パーティーでドーム北壁を登ることにした。パートナーはこのところの躍進著しい同流の若女、石川さん、春に入会以来早くも幾多のピッチを経験し、その積極性から行く末を有望視されている武道派、武藤氏。

 「滝谷ドーム」といえば自分にとってはやはり中央稜。入会して初めて連れていかれた「本チャン」。怖さに緊張し、両手はつり、目の前の岩以外何も見えない、何がなんだかわからぬまま楽しまされた思い出がある。あの頃と比べればだいぶ成長した、はず、である。

 まず取り付いたのは「北西カンテ」。自分がリードで行く。人工ピッチをまともにリードするのはほとんど初めてだが、ピンの間隔も広くなく、いけるという確信を持てた。
 出だしはフリーでカンテを右へ回り込み、一段上がったところからアブミを使った人工となる。空へと一直線に伸びる残置されたピンのラインに沿ってじっくりと高度を稼ぐ。アブミ登攀は時間がかかる。技術的には、アブミの最上段に乗る必要もなく次のピンに届くので、難しさはさほど感じられない。ただ慣れないリードで疲れる。

 先日テレビを見る機会があり、ウッチャンナンチャンの番組で「マッターホルン登頂部」なるものの活動を放映していた。町田のREI(現モンベル・グランベリーモール)の人工ピナクルでクライミングを体験するもので、そのなかでウドちゃんことキャイ〜ンのウド鈴木が壁にしがみついたまま、
「ウォ、ウォェェェェェーッ」
 と吐きそうになっていた。その時はお茶の間で笑って見ていたものだ。
 北西カンテの人工1ピッチを終え、確保点に登りついた時だった。

「ウォ、ウォェェェェェーッ」

 吐きそうになった。自身知らぬ間に緊張していたのだろう。ウドちゃんと同じじゃないか。
「うふふ、やばいやばい」

 自己確保を取りザイルを引き上げる。セカンドの武藤氏も慣れぬ人工に息を切らせている。ラストの石川さんは調子良く登ってきて武藤氏をまくる。
 次のピッチはフリー30mで終了点に達する。所々フリクションをきかせての登攀となるが、困難な場所もなくドームの頭に出た。

 縦走路を経て北壁基部へ戻り、ひと息入れた後、「左ルート」へ取り付いた。今度はこのところの躍進著しい同流の若女、石川さんがリード。最初のピッチは所々フリーの混じる人工。見た目傾斜もきつくなく、セカンドならフリーでも行けるかと思ったが、取り付いて見ると案外に難しく、一度アブミを使ってしまうとなし崩し的に使い続けてしまった。
 続くピッチはまた易しいフリーで終了点へ着いた。それにしてもここはどこか見覚えがある、と思ったら、先ほどの北西カンテの終了点と同じだった。どうりで前に一度来たことがあると思った…。

 大西さんパーティーもちょうど登攀を終えたところで、雲行きもあやしくなってきたため、涸沢のベースへ戻ることにした。翌日は今合宿の主目的たる屏風を登ることになるが、ドーム北壁の易しい人工技術で屏風に通用するか、少々不安が残った。


【屏風岩東壁雲稜ルート】 同行 村野

 
穂高屏風岩東壁 このところ天候が安定しない。屏風を登るこの8月7日も早晩天気が崩れる予想がついていた。普段なら岩登りの重圧から、むしろ崩れることに期待してしまう方だが、今回ばかりはどうしても登り切りたかった。たとえ雨が降ってきても屏風ノ頭まで行きたかった。他界した先輩二人に対する想いがあったからだ。自らの力で登って彼等に面目を施したかった。
 未明、灯火に照らし出される屏風への道中、なぜかしら彼等の生前の言動が浮かんでは消え、やがて始まる天涯への路に気持を馳せる。

 横尾の谷を挟んで巨宮の城砦の如く屹立する屏風は、穂高の岩壁の盟主として近付き難き存在感を誇る。その南端より落ち下る1ルンゼの押し出しへと谷の流れを裸足になって渡渉する。
 すっかり明るくなった空を見て、鬱蒼たる涸れ沢の1ルンゼへ入っていった。大岩が乱雑に転がっている。これらもやがて本流まで達するのだろう。今は角ばった岩角も下るにつれ削り取られ丸みを帯び、氷河が流れ下るような悠久の時間を抱き込んでゆくのだろう。

 樹林が開け、雪渓左岸をつめるとT4尾根の取付となる。切り立った尾根岩壁との間にシュルントが深く大きく切れ込んでいる。雲稜ルートの核心はアプローチとされるこのT4尾根の2ピッチだと会の中で囁かれていた。見上げる印象はそう嫌らしいようには思えない。

 ひと息入れ、登攀具を身に尾根へ取り付く。先行は最強の登攀技術を誇る「中高年パーティー」佐藤・菅原ペアで蒼稜ルートを登る。続いて自分と村野さん、パーティー名「ちーむ がんばんべぇ」。後続は我々と同ルートをトレースする大西・石川パーティー。見た目より手掛かりは細かいが、懸念されたほどもなく、村野さんリードでザイル2ピッチを無事終えることができた。ルートをよく選べばそう嫌らしいところはないようだ。

 幾手かV〜W級の岩場が砦となっていたが、これらを越えれば雲稜ルート取付のT4である。取付とはいえ既に岩壁の只中に置かれている。ここからの屏風岩は、横尾谷左岸の山道から見上げる印象と違って傾斜はやや緩んでいる。後方の連なる山稜の上空に早くも雲が生まれ始めていた。

 この上の安定地となる扇岩テラスまではフリーでX級もしくは人工的手段を用いたピッチとなる。ここは村野さんリードで3ピッチに切って登る。20mほどでピッチを切ったあとの2ピッチ目、凹角を右へ登り抜けるところでは、苦しいながらもアブミは出すことなくA0できり抜けた。

 岩壁の中にあって足元の気を許せる奇跡の台地扇岩テラスに安着。ザックを下ろし水を飲む。
 次のピッチはアブミのかけかえによる完全な人工登攀となる。ここは自分がリード。ピンの間隔は広くなく、最上段に立つことなく次に手が届く。最近また1cm伸びた背もアブミ登攀を一段と有利なものとしてくれる。前日の滝谷ドーム北西カンテの人工ピッチリードはこの登攀に確実に糧となっている。上部のハングまで直上せず、右のフェイスに工作されていた確保点へトラバースしピッチを切る。今回は嘔吐感ももよおさず順調。対岸の登山道を歩く人が下方に小さく見える。
 時にいつか上空を覆っていた雲から、細かい雨がはらはらと音もなく落ちてきた。やはり天候は崩れてきた。

 確保点まで登ってきた村野さんが、つるべうちでそのままリード。ハングまで、切れそうな残置シュリンゲにアブミをかけて登り、バンドを右へきわどいトラバース、張り出した狭いテラスに立つ。ハング下のバンドへと上がる一手の青い残置テープは岩溝にめり込み、アブミをかけて揺らすとごりごりと擦り切れそうだ。
 テラスからは自分のリード。更に数手右へ移っていくが、濡れ始めた岩は手掛かり足掛かりの信頼性をも流し去る。
 上方、ルンゼへと入っていく。目の前の凹角は見掛けは角度もきつくなく容易だが、いざ登ろうとすると、濡れているしどうしたらいいか分からない。

 難しい。むずかしい。

 右の草付に踏跡があり、これを3、4m登って左にトラバースしようと試みたが、足下の草付は崩れそうだし、先立つ手掛かりがない。支点はすでに4m下になっている。ジャッキー・チェンばりにすぐ横の木に飛び移るとかいう、常軌を逸した考えも浮かんだ。リードで左様なまねができるはずもない。草付の踏跡は右上に伸びているが、ルートから離れ、別世界へ続いているようでもあり、一旦凹角下まで戻った。

「…登るしかないかなあ、ここを…、はあああ」
 嘆息し、凹角を見上げる。登り出したら後戻りはできない。

 今回はもうやめたいなどとは思わなかった。雨が降っていようが何としても屏風ノ頭へ抜けたかった。負け犬となっては彼等に対する自分の気持を納得させられない。あの時よりはやれる男になったことを証明したい。

「ここをいくしかないんだよ、ここをいってやれる男になるんだ」

 勇気、などという忘れかけていたことばが浮かぶ。もう一度凹角に取り付いてみる。

 今回の合宿を終え、阿佐谷の自分の部屋に戻った時、いつもの馴染みある部屋とはどこか違って感じた。部屋が変わったわけじゃない。自分が変わったんだ。振り返ればこの時だったのだと思う。
 獲得の瞬間、濃密なる時間。

 掌の入る程度の岩溝が屈曲しながら上がっている。右上4mに飛び移ろうとした立ち木。左は手掛かりのない岩。岩溝に手を掛け、つま先を縦にねじ込む。
 濡れて滑るかもしれない。
 バランスを保ちながら伸び上がる。
 更に上の、手の最もよく掛かる手掛かりを探る。どれも濡れている。ずり上がるように体を持ち上げる。
 支点は徐々に下方となるが立ち木までは新たにとれない。もう降りることもできない。

「滑るなよ、滑らないでくれ」

 祈るような気持で力を込める。進退極まるかという自分にとっては限界の登攀で立ち木の根元に右手が届いた。その時、「ちーむ がんばんべぇ」村野さんの喝声が届く。
「かみおぉぉ、まだかぁぁぁ!」
「まだだぁぁ!」
 緊張の登攀から、肘を曲げると前腕がつる状態。根幹を掴んでいる右手がしびれてくる。
「落ちてたまるかよ!」
 辛うじて木の根にシュリンゲで支点を取る。木の根にぶら下がるようにして左足を一歩上げ、やっと木の根に右足を乗せることができ、立ち上がった。
 難所は続いた。左上は草木の根にからんで水気を含んだ土塊で、手掛かりにならない。右側の手掛かりと滑りそうな足下をだまし、土塊に左肩を押し付けて伸び上がる。
 土塊から泥水が染み出る。
 ようやくほっとできる場所に立った。

 更にルンゼというより易しくはないスラブの登攀が待ち受けており、アブミを出しつつ登ってハング下でピッチを切った。登攀終了時ルート図を確認すると、このピッチはV級のグレード付けがなされていた。我が魂を懸けたあの登攀がなんとV級? がっかりである。しかし後に新しいルート図を見たところ、X級となっていた。そうでなければ納得できない。
 続くピッチは村野さんが50mぎりぎりまでザイルを伸ばす。ザイルが終わってしまいそうで何度も大声でコールしたが、伝わらないのかじりじりとザイルが伸びた。残り2mもなくなり、弛みを残したところでやっと解除の声。岩肌は濡れ、所では水が流れてさえいるが案外フリクションが利く。フォローの場合A0で早く登った。

「最後のピッチだぞ」
 村野さんはそう言って送り出してくれた。左上の泥のルンゼめがけて行くが、出だしで岩が濡れていて行き悩んだ。支点も見当たらず、行くしかないと諦めて心許ないフリクションとバランスで左上しルンゼへ入る。ここも水気を含んで崩れやすい泥と、沢のようにコケむして滑りやすい岩で気が抜けない。確実に支点をとり、突っ張るような感じで登る。いつ足が滑るかと緊張する。最後は岩の上に露出した大木の根群を掴んで上がり、確保に入った。ザイルを手繰る腕はつりぎみである。
 登攀終了点の安定した場所はこのすぐ上。午後1時30分「ちーむ がんばんべぇ」握手をし、ザイルを解いた。幸い雨は本降りになることはなかった。

 茂みの下から続いて佐藤・菅原パーティーが現れた。屏風ノ頭、横尾の三輪さん、登攀チームとトランシーバーでの交信が行き交う。
「はあ、はあ、」という大西さんの渋い息遣いが泥のルンゼを登ってくる。大西・石川パーティーも終了点に登り着き、やがてメンバーの意識は屏風ノ頭へと集結していった。

 フォローの登攀では知り得ない世界がリードの登攀にはある。だが臆病ゆえにリードの壁は自分には高いものだった。この度のリードという意識の目覚めが馴染みの部屋を違うものに見せてくれたのかもしれない。そして我が裡に宿る他界した両氏の存在が屏風で自分に力を与えてくれた。

 士失えど失志ならず。

 雨露に濡れそぶる枝葉をわけて屏風ノ頭へと向かう。下へ引かれるより上へ引っ張られる感が強い。同流の仲間の待つ場所へ。これが同流山岳会なのだと思う。

 穂高の屏風に新たなる小さな物語を刻む。

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