オールリード
谷川岳一ノ倉沢衝立岩 中央稜 2000/7/16
同行 村野・石川
【1】
何歳の頃のことだったか、一枚の山の写真を見せられた。見せてくれた男は写真を指して「おばけ」と言った。その暗い山容から醸し出される全体の印象にただならぬ不気味さを感じ取った。それが谷川岳の一ノ倉を撮ったものだと知ったのはずっと後のことである。谷川岳にはその後何度か足をはこんだが、あの写真の一ノ倉を望む機会はなかった。そして今回初めて「おばけ」一ノ倉に触れる機会が訪れてしまった。
もともとの計画は「変形チムニー」と「中央カンテ」だった、らしい。どっちのパーティーに加わるか考えるが双方共気乗りしない。山岳会の合宿を前にリードで登りたいとも思っていた。
何時の日か本チャンをリード(トップでロープを引いて登ること)で登らなければならぬだろう。でもリード、「リード」はプレッシャーである。
自分にリードで登れるルートと考え、「中央稜」で希望を出していたところ、出陣前夜、石川さんから電話があった。
「中央稜、行きましょう」
「え、誰が行くんですか」
突拍子もない。「中央稜」の希望が図らずも受け入れられてしまった。村野さん、石川さんが付いてしかも「神尾オールリード」である。
「お前なんかにリードさせられるか」
とか、
「リードするだとかいきがってんじゃねえ、この青二才めが」
なんて言ってくれた方がいっそ気が楽だったのに。
テールリッジ(一ノ倉の岩場へ向かう誰もが通る岩の稜)を経て初陽間近の中央稜取付に達する。先行者なし。本日の合い言葉は、
「神尾中央稜オールリード」
不動の明王衝立岩の斜交いにその怒顔をかわす形で立つ。
「ああ、やるしかないなあ」
左腕から腕時計をはずす。
五月に南米を敗退帰国して以来二ヶ月、ゲレンデと室内壁でだいぶ勘も戻り、力も出るようになって、ある程度の自信はあった。「M:I‐2」を見てイメージ・トレーニングもした。しかしここは魔の山と呼ばれて久しい谷川岳の懐。油断するべからず。伝説の「三スラ」上部から奈落へと岩塊が崩落音を轟かせる。
「中央稜は大丈夫だ、確実に登っていこう」
一ノ倉初見参にして本チャン初リード。そんな気負いも登り始めれば消え失せ岩に集中していった。
1ピッチ目、逆層とはいえ角度はなく順調にリッジの確保点へ着いた。
2ピッチ目、「リッジの向こう側いくと平らだよ、いや、平らっていうか…」と村野さん。
リッジを回り込むとぐっと角度は落ちた。でも「平ら」、ね。上部は立ってきて今までのトレーニング成果の発揮しどころ。どの辺りからリッジへ戻るのか迷ったが、結局確保点手前まで直上した。
3ピッチ目、一気に核心までザイルを伸ばせるかとも思ったが、チムニーを右上に見てピッチを切ることにする。
さしたる困難も感じず3ピッチを登り、核心の4ピッチ目にはいった。チムニーを目指して登っていくことになるらしいが、下からだとどう見ても左のフェイスの方が登り易そうだった。どうしてわざわざチムニーに入っていく必要があるのかとさえ思われた。フェイスを目指して、登りやすいところを登っていく。すると何かに導かれるようにチムニー側へ引き寄せられてしまった。
「あ」
頭上にはかぶり気味のチムニーが迫っていた。
「なぜだ、左のフェイスを目指していたはずなのに…」
明王衝立の魔の手が及んだのか。ここはフリーでX級となる。できることならフリーで、と思いホールドを探したが思いきりがつかない。すぐ左に垂れ下がっている残置シュリンゲが誘惑してくる。
「私をつかんで、さあ、私をつかむのよ、さあ早く」
そう言って残置シュリンゲは笑顔で近づいてきた。
「う、ううう、もう我慢できない…」
がばっ。
はあはあはあ…。
すぐ上のハーケンにヌンチャクをセットしそれで更に体を引き上げた。やってしまった、A0。そこにあるものをなぜ使わずに登ろうか。リードなのだし確実に登るべきである。これでいいのだ。一方フォローの石川さん、村野さん共々難なくフリーで抜けてきた。そうなるとちょっとばかり悔しい。
【2】
核心を抜ければあとは楽だと思っていたが、その先も案外立っておりV級というにはやや厳しいピッチも出てきた。でも今回は「神尾中央稜オールリード」にこだわり、最後までザイルを引かせてもらうことにした。
5ピッチ目のルンゼは昨晩までの雨でまだ濡れていた。
6ピッチ目、凹角からフェイスに出るとかなり標高も上がった感があり、深緑と銀壁が人智及ばぬ対比を見せる一ノ倉の切り立つ谷が迫る。ここが案外容易ならざるピッチで、右側のスタンスへ乗り移る一歩に我が魂は興奮に打ち震えた。
もう1ピッチザイルを伸ばし、じめっとした日陰でザイルをといた。ブッシュとちょっと嫌らしい岩場を登り、衝立ノ頭に立った。いや、正直なところどこが衝立ノ頭だったのかよく覚えていない。
緊張感から解き放たれ、喉はひたすら水分を欲しているが、手持ちの水が少なく癒すほどには飲めない。このまま稜線へ抜けることになっており、急な草付やリッジを登っていく。10メートルほどの懸垂下降地点でちょうど中央カンテを登ってきた菅原さんら三人パーティーと図ったように合流した。
国境稜線までがまた長く、噂の「悪い5ルンゼ」ではザイルを出す。低い笹藪をこいで一ノ倉岳頂上に着いたのは11時過ぎ頃だったろうか。
何だろう、この充実感は。六人そろって皆思わず握手を交わしてしまった。
ガスに包まれた山頂を吹き抜ける風も、興奮にほてった体を冷やしてはくれなかった。
あまりの喉の乾きに、おこわのおにぎりは噛んでも噛んでも飲み込めない。僅かに残しておいた水もここで全て飲み干してしまった。下山したら存分に炭酸毒毒飲料を飲もう。
オキの耳を経て西黒尾根を下る。村野さんから車の鍵を受け取り、下りもまたトップで突っ切る。しかしさすがに初リードのプレッシャーの中登攀してきただけにバテバテである。尾根上でぐったりしていると後方の村野さんからコールがあった。
「かみおぉぉぉぉ」
「はあぁい」
「ビール冷やしといてくれえぇぇぇぇ…」
距離があるのにいやにはっきりしたコールは西黒尾根上を駆け抜けた。そうだ、降りたら炭酸毒毒飲料を飲めるのだ。それまで乾きを我慢しよう。
巌剛新道へ入る。しかし下っても下っても下りは尽きず、万里の道のりに気力も萎え気味。時々下方に駐車場が見える。あそこまでだと思って早く終わらせたい一心で下り続ける。残置シュリンゲの誘惑には負けたが、途中出合った何箇所かの水場の誘惑には負けずに我慢して通過し、樹林の先にアスファルトが現れるのを曲がる度に期待する。傾斜もなくなり近いはずだが、なかなか終わりが見えない。だがいつか思いは達せられるものである。ようやく駐車場に着いた。
「やっと終わった」
とぼとぼと車に近づいた。しかしそこに村野車ステップワゴンはどこにも見当たらなかった。
「あ、あれ?」
そこがマチガ沢の出合いであることに気付いたのは道標を目にした時だった。
「一ノ倉沢まで1.9q」
ガーン、まだなの?
着いたと思ったのに着いてない、死んだと思ったのに死んでないターミネーター、おもしろいじゃねえか。
バテバテとうなだれて更に20分歩く。今度こそ本当に帰り着いた。午後1:50過ぎ。さっそくビールとスプライトを一ノ倉沢の雪解け水に浸し置いておく。皆が戻ったら乾杯しようと、口がまずくなるほどの喉の乾きを我慢して待った。もうすぐ冷たあい、冷たあいスプライトが飲めるのだ。しかし後着した村野、石川、田宮三名は三人ともなんと途中の水場で水飲んできちゃったのだ。その後の菅原、武藤両氏もである。マゾヒストは自分だけなのか。結局ひとりでスプライト、コーラなど1.5gを飲んだ。うまいですねえ、やっぱり。
今回はルート登攀後、稜線へ抜け更に長い下山路を辿り、「神尾中央稜オールリード」成功もあり、満足度の高い山行であった。一ノ倉出合の駐車場から見上げる岩壁は、実際以上に険しく巨大に聳えていた。今朝の入山時は未明だったため、この「おばけ」を目の当たりにするのはこの時が初めてであった。