一ノ倉へ、ふたたび

谷川岳一ノ倉沢烏帽子沢奥壁 変形チムニー下部〜ダイレクト上部 2000/10/22
同行 村野・武藤

              
紅葉の一ノ倉沢を見下ろす この数日前、紅に染まる谷川岳のカラー写真が読売新聞に掲載された。登山をやってなければさして気にも留めなかっただろう。だが、図らずも同時期に谷川へ行くことになった。
 目的は紅葉見物なんかじゃない。岩壁登攀である。
 山が紅葉しているならついでに見てくるか。

 紅葉見物に集った同流会員は、我ら三人に加え、何だかディレッティシマとかいう重々しい名のルートをねらう菅原、石川、田宮の六名。これが七月の谷川と全く同じメンバーだと気付いたのは出合へ向かう車の中でだった。
 一ノ倉出合へ入ったのは既に陽も落ちた前日の暮れ。紅葉は見れず。翌日は三時半起床と決め、寝袋へ入る。

 しかし秋の谷川は眠らせてはくれなかった。夜中、車や人の音。極めつけは「スズキくん」。どこやらのオバはんが、
「スズキく〜ん、スズキく〜ん」
 と行ったり来たり。どうやらスズキくんと出合で待ち合わせしているらしいが、会えないようだ。しかもスズキくんは我々が寝ているのと同じエスパースのテントを持っているらしく、オバはんは特に我々のテントをあやしんでウロウロ。
「スズキくん?あれえ、これじゃないのかしら」
 と独りごち、また「スズキく〜ん」と言いつつ歩き去る。しばらくするとまた「スズキく〜ん」が迫ってくる。「うるせえんだよ」という言葉が喉元まで出かかった。

 変形チムニー下部からダイレクト・ルート上部は、以前会員だった女性、山崎さん(旧姓)が入会したその年に会のリーダーと登ったことで、名は覚えていた。天才肌の彼女のこと、自分にとっては遠いルートという印象があった。だが最近になってそう違う世界じゃなさそうだと思えるようになった。凡人の曲折した経験から、ようやく力と自信がついてきたといえるかもしれない。
 リードで登る、というのが今回自分に課した参加条件だった。フォローでついていくだけなら行くのはやめよう、とさえ考えていた。
 自分の登攀をしたいと思った。

 未明に一ノ倉の沢をつめる。
 紅葉は見れず。
 七月とは違って雪渓はなくなり、巷に聞くヒョングリの滝というのが現れていた。この辺りが密やかなる悪場で、ひとり密やかにぎりぎりの状態に追い込まれていた。

 中央稜取付で登攀具を付け、バンドを横断し変形チムニー取付に立った。
「くそ、濡れてやがる」
 谷川の乾いた岩を期待してきたのに、乾いたところを探す方が難しいほど一面濡れていた。今年は濡れた岩ばかり登っている。いささかうんざりだ。今回も諦めて登るしかないのか。こうなれば仕方ない、パーティー名「チーム・サワノボラー」として予定のルートを沢登ることにする。
 出だしはリードで行かせてもらう。手も足も濡れた岩には信頼が置けない。むしろ難易度の高いはずの続くピッチの方が、乾いている分容易に感じられた。
 そんな折、南稜テラスから聞き覚えのある声が、

「スズキく〜ん!」

 こんなところまで、あのオバはん。スズキくんはいったいどこにいるんだ。

 3ピッチ目は、合流してきた菅原パーティーが右の濡れたクラックを「悪い悪い」と言いつつ登っていったため、そんなに悪いのならと、左の残置スリングのある凹角ラインを登ってみることにする。残置をつかんでしまうことにそう迷いは感じなかった。なにしろ濡れているのだから。変形チムニーを上に見てピッチを切る。

 この日は一ノ倉の岩壁に取り付いているパーティーが多い。ルートによっては槍の穂先のように登高者が数珠繋ぎとなり、落石も頻発する。これほど多くの人が周りに見られると、日常から脱して岩の登攀に来ているという感覚が薄れる。山との密なる関わりが薄れてしまう。リードしている間はそれでも集中できるが、フォローとなると集中力もなくなってくる。
 このままリードでと思ったが、メインディッシュは村野さんに持っていかれることとなった。青二才の出る幕ではないようだ。

 変形チムニーも濡れていた。角度もきつく迫力がある。村野さんは結構うまく抜け上がった。セカンドでチムニーに挑む。A0も使って一手一足ずつ上がっていく。足下は完全な空間となる。抜け口が、態勢が苦しくうまく体重移動できず、難しい。自分には際どいバランスと力を使って抜けた上部も結構厳しく、手応えのある登攀を提供してくれた。

 ダイレクト・ルートに入って最初のピッチが核心のようで、人工登攀が入る。セカンドだったせいか人工部分には、一度最上段にこそ乗ったものの、厳しさは感じられなかった。むしろ濡れた岩のフリー登攀が嫌らしい。
 続く小さなチムニーには水が流れ、シャワー・クライムさながらとなった。シャンプーも石鹸も持ってこなかったのが悔やまれるが、サワノボラーの本領を発揮、素水で腕を洗いながら登った。

 次の見た目容易な凹角は武藤さんと二人同時リードをする。ここがしかし侮り難かった。触れる岩のほとんどは浮石で、足下も草付きが多く濡れている。中間支点もあまり取れず、とうとうビレー点テラス手前で行き詰まってしまった。最後に取った支点はだいぶ下方。へたに動いて失墜したら、岩の突起にぶつかりながらかなりの距離を転げ落ち、かなり痛いと想像される。

「嫌だなあ、痛いのは」

 案外驚きだが、何ということなく左方から登ってしまった武藤さんにお助けシュリンゲを頼んで出してもらい、助けられれた。そういえば武藤さんも今年入会したばかりでこのルートに来ている。もしかしたら彼も……。期待大の戦力である。
 知らぬ間にガスが取り巻き、視界が利かなくなっている。最後の容易なピッチを登りきって、この濡れた岩を予定のルートから完登してしまった。濡れてスベスベの南稜を懸垂下降。
 中央稜取付で菅原パーティーと合流した。
 ザイルを出しつつテールリッジを下り、出合に戻って振り返ったが、ガスが谷川岳を覆い隠し紅葉は結局見れず。

 このところ実践する山行と自分のフィーリングにずれがあるような気がする。大なる自然に威圧され、漆黒の夜に畏れを抱き、それでもなお山懐に踏み入ろうとする崇高ともいえる時間を感じたい。素直な気持で山が持つ精粋を享受したい。
 山行の計画段階で自分の意志を明確にして取り入れるべきだと思う。ひとの山じゃない。自分が行く山なのだ。いかに納得できるかであり、そのうえで満足感が得られれば充実するだろう。
 今回、出合を発った頃は調子良く、気分ものっていた。だが、濡れた岩壁と対面した瞬間、気持は離れてしまった。ひとたび離れたら戻すのは難しい。

 ルートを登攀中、右手首に付けていた腕飾りが切れ、とれてしまった。二年ほど前ヒマラヤ・トレッキング・ピーク遠征に行った折、ネパール人の友人からもらったものだった。以来ずっと付けていたが、その間ネパールの地を踏むことなく時は過ぎてしまった。
 アンナプルナ山群を一望する町ポカラが好きだ。あれほど癒される地はない。1995年の初訪以来、毎年ネパールを訪れるつもりだったが、時は無常である。
 ネパールから離れていても、ふと彼の地の空気感が蘇ることがある。山間のロッジ、日が暮れるとドドドドと鳴り出す自家発電機の音と排気の匂いが、愛惜の念と共に思い出される。今の季節もそんな時間が流れているはずである。

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