カナダ極北ウィンターロードを目指して
カナダ・ノースウェスト・テリトリーズ 2004/2-3
【序・イエローナイフの乾いた雪】
二月下旬のイエローナイフ(カナダ、ノースウェスト・テリトリーズ州都)は日中でも氷点下15度以上になることはほとんどない。
厚手の手袋と帽子を付け、自転車の旅の準備のために、いつまでも消えない白い息を吐きながら通りを歩いていた。
「寒いわよ。寒くて凍死するわよ。ほんとうに」
投宿していたB&B(Bed & Breakfast)のお母さんが今しがた言っていた言葉が頭のなかでまた繰り返される。
「あなたはここの厳しさを知らないのよ。町を出ると人もほとんどいない。野牛や狼がいたりする。フォート・シンプソンなんかもこことは比べ物にならないくらい小さな集落だし、そこを離れると人もいない荒野なのよ」
はっきりと言葉に出さなかったにせよ、
「やめなさい」
と言っているのだ。
厳寒のカナダ極北を自転車で旅するなんて頭がどうかしていると思うだろう。
低い雲の垂れ込める空から、砂のように乾いた雪がぱらぱらと落ちてくる。それはジャケットに触れても融けることなく地面へ落ち、通りに積もってゆく。
決して彼女に悪気があるわけじゃない。旅人を迎えるホストとして助言を呈しているにすぎないことは分かっている。
だがその優しさで、荒れ野に立とうとする一人の旅人の芽を摘み取ることはしないで欲しい。自転車と今回のために揃えた装備を持ち込んで、何もせずに帰ってくるなんて、それこそどうかしている。
厳寒の地の自転車ツーリングを実践して、それが決して無謀な旅ではないことを示したかった。
大目的はマッケンジー川に沿って伸びるウィンター・ロードを走ることだが、カナダ極北の自然の中をとにかく旅してみたかった。
ウィンター・ロードとは、夏にはツンドラの湿地が広がる土地に、凍結面上を車が走ることで冬にのみできる道だ。
夏には空路しか輸送手段のない集落にも、気温が下がる冬季は陸路で道が通じる。
冬にしかその景色に触れることはできないのだ。
お母さんの言葉を気にしながらもイエローナイフを発ったのは2月24日だった。
懐にはB&Bのお母さんから渡された紙片を入れていた。
「困ったら訪ねるといい」
といって途中の集落に住むネイティブの知人の連絡先を書いてくれたのだ。
できることならそれに頼りたくはない。でもそれを持っているだけで少し心強かった。
【1・冬の極北を走る】
低温下での走行は確実にエネルギーを消費させられる。
初日から早くも限界を感じた。
呼気から思う以上の水分が失われ、喉の乾き、苦しさ、気分の悪さが増す。
動けなくなる前に少しでも体力の回復をはからなければならない。
この寒さだ。動けなくなったらそれだけで危機に陥る。
その後、眠気が襲ってくる。ペダルを漕いでいても眠くてどうしようもない。
放心状態。
無気力と眠気でふらついたり、スピードが知らぬ間に落ちている。
日が出ていたりすると外見上何ということもないようだが、低温というだけでかなり厳しい環境になっているのだ。
意識を正常に保つため、歌ったり、正確に声を出したりした。
イエローナイフから南へは、荒いがまだ舗装された道が伸び、交通量は少ないもののしっかりと除雪もされている。道中、何度か往来していた除雪作業中のドライバーと言葉を交わした。
「どこへ向かっているんだ」
そう訊かれた。
はやくもこの自転車旅に限界を感じるようになっていた時で、どこと言い切る自信もなく、次の集落の名を口に出した。次の集落といってもまだ150キロほどある。2日はかかるだろう。
ノースウェスト・テリトリーズは日本の四倍ほどの面積に人口は4万1000人余りと極端に人口密度が低い。
大半はタイガやツンドラが広がり、狩猟生活をするネイティブ(インディアン、イヌイット)も住む極北の大地だ。共通語も英語の他に七つもの現地語が話されている。
観光産業はオーロラ鑑賞がよく知られているが、旅行者としてサービスが期待できるのは拠点となる州都イエローナイフだけ。それ以外の集落へは定期の交通手段さえなく、夏のアプローチはチャーター・フライトのみとなる。
クマやカリブーなどの野生動物が線引きされ保護を受けることもなく生活している。冬にテント泊する時、最も注意すべきクマは冬眠中だから問題ないにせよ、まだ野生動物への不安がある。大型のカリブーやバイソン、限られた食料を求めてさまようオオカミもいる。
雪面には動物の足跡がかなり多く見られ、姿は見えないがその存在はすぐそこに感じられる。
特に恐れたのはバイソンで、道標と共に
「バイソン注意」
の看板が掲げられているのは生息数の多さゆえだろう。
車のボディのように身を守る術がなく、自転車とテントの旅は常に身を曝していると言える。対面した時のことを思うと恐ろしいが、以前富士サファリパークで見た、バイソンの案外優しかった目を信じよう。
低温の世界でのキャンプは水分に振り回される。
とにかく結露がひどく、一日走るとジャケットの内側には霜が付き、先ずそれをガソリン・ストーブで乾かすことから始まる。
凍ってしまうため水筒で水を運ぶことはできず、そのつど雪をとかして水を作る。テルモスを満たし、食事に使った余りは、水筒に入れ、夜は凍らないように抱いて寝る。
凍った手袋や目出帽を翌日も使えるようになる程度まで火で乾かし、ダウンジャケットを着て寝袋へ入る。
厳冬期用の寝袋でも−20℃にもなるテント内ではまともに眠ることもできず、寒さに耐え切れずに朝方体を起こす。
寝袋とシュラフカバーは結露で霜付く。
常時氷点下では自然乾燥はしないため、それらを時間をかけて火にかざして乾かす。ダウンは軽いが濡れるとその機能を充分発揮しなくなるという欠点があるのだ。
とにかく効率よく物事をこなさなければならない。
冬は一日の行程が読めず、予定していた距離を移動できないこともよくある。
集落に達せずにキャンプすることに備えている必要がある。
氷点下の中での生活は、体が弛緩するひとときさえなく、筋肉が緊張した状態が続き、知らぬ間にストレスとなっている。
心臓から一番遠い足先の感覚は一度失われるとなかなか戻らず、凍傷に侵されてゆく。
【2・仲間】
北極海へ注ぐカナダ一の大河マッケンジーの川畔にあるネイティブの集落フォート・プロビデンスに着いた日、ツーリング自転車を見た地元の女性が話しかけてきた。
「自転車で旅をしているのね。どこまで行くの?」
とても興味があるというふうに目を輝かせて話してくる。
「寒さも厳しいし、フォート・シンプソンかノーマン・ウェルズか、とにかく行けるところまでかな」
「4年前だったかしら、やっぱりウィンター・ロードを目指して自転車でやってきた人がいたわ。あなたもそうなの?」
それを聞いた時、何か熱いものがざわざわと体中を駆け巡った。
4年前、自分と同じようにここを自転車で旅した者がいた。
チャリ・ツーリングの対象としてこの地に注目した者が他にもいたのだ。
時を隔て、誰かも分からぬそのサイクリストに、仲間意識と同時に勝手にライバル意識を燃やすようになった。
彼はいったいどんな旅をしたのだろうか。
しかし彼女はそれ以上の情報は持っていなかった。
フォート・プロビデンスから凍結した大河マッケンジーを走って渡ると、未舗装のマッケンジー・ハイウェイにぶつかり、そこを西へ、下流側へと進路をとった。未舗装と言っても路面は氷でコンクリートされて凍結面が凹凸を埋め、とてもフラットになっている。目の粗い舗装路よりむしろ走り易い場所さえある。路面はつるつるに凍って、歩くのが困難なほどだが、自転車のスパイクタイヤが威力を発揮する。
マッケンジー・ハイウェイに入って二日目、パーキングに簡単な避難小屋が併設されていて、そこに一晩泊まることにした。
簡素な丸太小屋の中にはストーブと薪、ベンチがある。
猟師が獲物を捌いたのか、白い鳥の羽が散乱している。
よく見ると丸太の内壁の方々に、ここを通過した者たちのメッセージが書き残されていた。
その中に、ベンチの上あたりに日本語を見つけた。
「チャリのパンク8回記念
でも北極海まで行くぞー!
ブービー川口」
日本人サイクリストも来るのか。
だがその上の日付を目にした時、数瞬時間が止まり、そしてまた体中に何かが渦巻き出した。
「FEB 14 2000」
「4年前、ウィンター・ロードを目指してやってきた」男。それは日本人だった。しかも名まで残している。
確かにいたのだ。
自転車で冬にこの地を旅しにやってきた者が。
4年前のバレンタインデーに、おそらく一人でこの小屋に泊まったブービー川口氏は、いったい何を思っていたのだろう。
日本語で、誰に読まれるとも知れず書き残されたその文字をしばらく見つめてしまった。
そのメッセージは誰かのためではない、他ならぬ本人に向けて書いたに違いない。しかしそれは4年の歳月を経てもう一人の旅人へ、勇気を与えることになるとは予想していなかったろう。
その小屋を出た日の走行は壮絶だった。向かい風と吹雪に加え、吐息が睫毛に凍りつき視界を閉ざす。
雪が眼球に当たり前方もろくに見ていられない。
路面も見る間に白くカバーされ、道を失うんじゃないかという恐怖にかられる。
ただ眼下の通り過ぎる凍った道を見つめ、我慢してペダルを回し続けた。
白い雪面の下はアイススケートができるほどのバーンでリアがキュッキュッと鳴きながら空転し、ふとした拍子にハンドルをとられてコケそうになり、スパイクを打っていないボブ・トレイラーが暴れる。
ホワイトアウトに近い状況になることもあり、路面の凹凸も分からない。
いったいブービー川口氏はどれほどの状況を経験したのだろうかと思う。
こんなシチュエーションで低視界の中突然出会う車のドライバーは、サイクリストが旅していることを驚異と見るか、夢と思うか。
限られた視界の中、幻聴を聞く。
犬の吠え声、救急車のサイレン、女性の話声・・・。
止まらずに走り続けた。
早くこの辛さから脱したい一心だった。
もう少し走ればサービスステーションに行き着けると思えば、力が沸く。
北極徒歩行で何度も断念しながらも挑戦を続けた男、ヒマラヤで登頂をしながらもぎりぎりの生還を果たしたクライマー、そんな者たちのことが頭を過ぎる。
とても彼らには及ばない。
だが、それらの先人たちが万感の思いで行ってきたと同じように、この旅は納得ゆくまでやってみよう。いったい自分はどれほどの男なのか。
一時的に目標としていたフォート・シンプソンまで60キロ余りの地点に、チェックポイントというモーテル併設のサービスステーションがあり、その日のうちに達することができた。ケチャップをたっぷりとかけたフライドポテトとハンバーガーを食べるなんという幸せ。
「自転車かい?カナダには長くいるのか?冬にこうしてやって来て、どうかね、それでもここが好き?」
主人はそう訊いた。
この厳しい寒さだ。好きとは言い切れない。
でも冬にしかできない旅がある。
冬にしか出会えない風景がある。
「もう三月だ。もうすぐ長い冬は終わり、だんだんと暖かくなるさ」
冬が終わり春が来るということは、この地に生活する者にとっては待ち遠しいことなのだ。
【3・極北の日本人】
翌朝、出発しようと自転車を動かしてもサイクロメーターが作動しない。温度計を見ると、最低表示の−30℃では計りきれず、水銀が下の方でくちゅくちゅと固まっていた。
何もかもが凍りつき、そんな世界を体を曝して自転車で旅するなんて確かにどうかしている。
そんな寒さも一興と思って走り出す。
気温が低いと鼻水がとめどなく出る。それも結露のひとつかもしれない。
マッケンジー・ハイウェイ中の最大の集落、フォート・シンプソンで久々の休養をとった。
その折、地元紙の新聞記者のインタビューを受けた。サイクリストを見たという情報が何回か入ってきていたらしい。その記者は4年前の冬にもやはりサイクリストを取材したと言う。
「それはブービー・カワグチという人じゃないのか?」
そう言うと、彼は頷いた。
「ブービーを知ってるのかい?」
「いや、直接は知らないけど、途中で泊まったパーキングの小屋の壁に日本語で書かれた彼のサインを見たんだ。自分と同じように冬にここを自転車で旅した日本人がいたことに驚いた」
「ブービーを取材した時の新聞を持っている。よかったら君にあげるよ」
その晩、中国人の切り盛りするレストランで夕食を共にし、ブービー川口氏が大きく取り扱われている当時の新聞をもらった。
ここで初めてブービー氏の正体を確かめることができた。
自分のペースで旅をする彼の姿が想像できる。
冬に自転車でこの地を訪れた彼の純粋な欲求が羨ましくさえあった。
米、肉類、ビタミン剤といった食生活は自分と同じで、同い年ということも分かり親近感がわく。
「彼はその後北極海まで達したのか知ってる?」
記者のデレクに訊いてみた。
「輸送路としてのウィンター・ロードは北極海まで通じていない。彼も途中で飛行機に乗ったはずだ」
デレクのその言葉に何か救われるような気がした。
イエローナイフを発って以来驚くほど全く景色の変化がなかった。ただ延々とタイガの平地に道が切り開かれているばかり。
しかしフォート・シンプソンから北には山地が広がり、多少の景色の変化をもたらしてくれるだろう。
その朝は−30℃。
12年前にツンドラの地に引かれたばかりの道を北上した。次の集落リグレーまで224キロ。
嬉しいことに追い風に乗ってこの日は何と123qも走れてしまった。
2日目にリグレーまで行けるかもしれないという期待がそうさせたのだ。
これだけ距離を移動するとさすがに疲労も激しい。
翌日は、しかし一転して苦しめられた。
日中でも氷点下25度の低温、向かい風、山がちになったためのきつい起伏。
押し歩く時間が長くなる。
曇天が更に気分を重くする。
対向の車が停まってウィンドウが開けられた。
「マフィンはいるかい?」
旅行者風の30代と見られるカップル。顎鬚のあるドライバーの男性がマフィンを差し出してくれた。
遠慮している余裕もなくそれをもらう。
車に乗せてほしいとさえ思ったが逆方向だ。
少し言葉を交わし、彼らは後方へと走り去っていった。
手に残ったマフィンを見つめ、その場で貪り食った。
悲しいのか嬉しいのか、自分でもよくわからない涙が出た。
それからもペースは上がるどころか、辛さが増し、進度は更に落ちていった。
夕方にはリグレーだという可能性が徐々に失われゆく喪失感。
そしてとても行き着けないと悟らされた時の絶望。
なんという無念。
前進を妨げるような冷たい向かい風に顔面の感覚が失われてゆく。寒さにエネルギーは消耗し、力が出ず、前へ進もうという気力が弱くなる。
「もうヒッチハイクしようか。限界だ・・・」
そう思う。だが車に頼ったら、なし崩し的にこの旅は終わってしまうんじゃないか。
「耐えろ、耐えろ」
自分に言い聞かせる。
でもこんなところでがんばって何になる。何になれる?
結局この日は50q余りで道端にテントを張った。
前日との違いが極端だ。人生で最も苦しい日だったかもしれない。
次の日も寒さ変わらず。何度も手もみをして温めるが、感覚はすぐになくなる。
漕いでいるより押し歩いた方が体が温まるため、寒さに耐えられなくなると平地でも歩いた。
荒れた路面は下りでもまともに走らせてくれず、楽になることがない。
硬く凍りついた食料は食べることさえ苦しい。
並行してある凍結したマッケンジーの景色を楽しむこともできない。
霜付き狭まった視界の限られた世界を見つめて、ただこの苦しみが早く終わることを願って前進した。
午後、ようやく家屋のまばらな集落リグレーへ達するが、唯一の宿は閉まっていた。集落の入り口にあるガソリンスタンドの主人に聞くと、
「うちへ泊まっていけ」
と言う。
「よくあることさ。自分の家だと思って使っていけよ」
そうは言っても他人の家に滞在するとなるとどうしても気を使ってしまう。それともここにきてこごえたまま氷点下のキャンプをするか?
結局、隣の敷地にある、ウォルターと名乗ったその人の家にひと晩滞在することになった。
極北ではよそ者を受け入れ、家に泊めることなどたいした親切とも言えない、普通のことなのだ。後でそんなことを知り、遠慮することもないのだと思った。
「マスズミっていう、サムライの血を引く子孫たちがこの辺にいるんだ。日本の名だろ?」
ウォルターは言った。「マスズミ」確かに日本名だ。
昔、太平洋で遭難した漁船などが海流に乗ってアラスカやカナダ西岸に漂着することがあった。そんな船乗りの一人に増住という日本人がいたことを何かで読んだ記憶がある。
20世紀初頭、それだけで充分冒険であっただろう漂流の果てに北米へ上陸した増住は、救援隊が来ても帰国することなく、カナダ北部に住み着いた。やがて彼はこのマッケンジー流域に移り住み、そのまま生涯を送った。
彼はどうしてたったひとりでこの地に残ったのだろう。何に希望を見出してマッケンジー流域にまで移ってきたのか。
あまりにも異国である極北の空気に触れた同じ日本人として、自然に沸いた疑問だった。
だが今いるのは三世代、四世代目の子孫たちだ。それでも日本人の血を引く彼らに会ってその疑問をぶつけてみたかった。
「どうしてマスズミは故郷に帰ることなく、ここへ移り住んだのか訊いてみたい」
そう言うと、ウォルターはこともなげに応えた。
「現地の女性と恋に落ちたんだよ。ただそれだけだ」
彼の生涯は最後までドラマチックだった。
ある時ボートが転覆し、元来泳ぎを知らないインディアンたちが川へ投げ出された。泳ぎの得意な増住はおぼれた彼らをひとりひとり助けていったが、夏でも冷たい川に力尽きたのだろう、彼もそこで亡くなってしまった。
【4・ウィンターロードに敗れ去る】
ウォルターは翌日車でデラインという集落へ行くことになっていた。「乗っていくか?」と誘われた。
「それもいいんだけど、走らなければ」
誘いに乗りたかったが、言葉を濁した。体力的に限界を感じていたため、このまま自転車の旅は終わりにしていいかもしれないと思いかけた。
「もうすぐ出るんだろ。あとから車で追いつくからその時決めればいい」
むやみに情をかけることなく、実にさっぱりしたオヤジだ。それが極北に住む者の体質でもある。
彼の言葉通り、走れるだけ進んでみることにした。
しかし悪いことに低温の上この日は雪。ツンドラの地に引かれたウィンター・ロードは積雪で砂地を走っているような辛さを伴った。
メーターは動かないが時速8q程度しか出ていないだろう。
雪が積もっているせいでこれほどペダルが重いのだろうか。
寒気に手足は冷えたきり。立ち止まって手もみをしても一向に感覚は戻らない。
体を温めようと押し歩くが、もはやこれだけの低温に対応できる身体機能が発揮できなくなっている。熱を発するエネルギーは体内に充分残っていないのか。
休んでいると寒いだけで、動き続けていないと命の危険さえある。
車は朝方追い抜いていった二台きりだ。
もうだめだと思った。
何か事切れたように旅への情熱を失ってしまった。
立ち止まると、さらさらと乾いた雪がフードに当たる音以外、無音。
自分の心音が体を伝って響いている。
できるだけ止まることなく歩き続けていると、突然後ろに老婆を乗せたウォルターの車が停まった。
「おお、救世主よ・・・もう終わりだ、乗せてくれないか」
ウォルターは多くを言わずに後部の荷台へ自転車を積み、乗せてくれた。距離を聞くと、リグレーから30qくらいだという。
「よくやったよ」
彼は言ってくれた。
しかし自分では敗れたな、と思った。
「サイクリストとしての精神を失ってしまった」
車に乗せてもらった言い訳を、自ら口にした。
敗れはしたが、この時は限界だったのだと思う。
左足先から始まり、顎、左手指と凍傷で感覚を失っていった。
常時氷点下という環境は、少しずつ、そして確実にこの体を蝕んでいったのだ。
このまま自転車の旅を続けていたらもっと大きな痛手を負わされていたろう。
「これでいいんだ、もう充分やったんだ」
自分自身で納得しようとした。
その日の日暮れ頃、リグレーよりやや大きな集落トゥリタに入った。
【終・極北】
トゥリタからも交通機関があるわけでもない。この辺地から抜け出すにはノーマン・ウェルズまで約85qの距離を自転車で走るより仕様がない。
翌日から二日間かけ、また寒冷気に身をさらして旅をする。
やがてここはまたツンドラの大地に戻る。陸路で旅でき、その風景を眺められるのは冬しかないのだ。そう思ってウィンター・ロードの旅を楽しもうとした。
マッケンジーの川面に引かれたアイスロードをしばらく辿り、右岸へ上がる。
正面の山を右から巻くように道は伸びている。
地形図にもウィンターロードは実線で示されてはいないため、それが本当にノーマン・ウェルズへ続く道か、本当にゴールへ向かっているのかがはっきりしない。
しばらくすると輸送の大型トラックが数台追い抜いてゆき、それで確かに集落へ向かっていることを知る。
小さな起伏が続き、登りは所々押しが入る。
追い抜いていったトラックが下りカーブでスタックしていた。後続の同じ大きさのトラックとワイヤーを連結して脱出を図っている。失敗すれば乗り捨てる以外に術がない。
スタックは、乗り捨てられた乗用車2台を避けようとしたためらしい。
ツンドラの染み出しが新型の乗用車を飲み込みかけ氷漬けにしている。やがて雪が融け、この場所もツンドラの大地になる。
「こいつを救い出すことはもはやできない」
そう悟ったドライバーは、この乗用車をここに乗り捨てたに違いない。
車の墓場を横目につるつるの蒼氷面をすり抜け、下りがちの道をしばらく走ると、長いストレートに出た。
追い風で走行がいくらか楽になる。
小さな川をいくつか渡ると、右手奥に
「バーミリオン・クリーク」
の道標が掲げられた小屋があった。ここでキャンプをする。
薪ストーブはあるが、薪が充分なく、小屋内はとても寒い。調理もままならず、小屋の中にテントを張ることでようやく落ち着く。
狭いテント内はずっと暖かい。
翌朝からは穴だらけの走りにくい道を、スローペースで進んだ。
今日も寒く、朝方は曇天で軽く降雪もあった。
ノーマン・ウェルズまで40qほどだと思えば、多少の気候の厳しさも耐える気が起きる。午後には町に着くのだ。
10q毎に刻んで確実に距離を縮めていった。
飛行機が近くを飛んでいる。
飛行場が近い、つまりノーマン・ウェルズが近いということだ。
マッケンジー沿いの平地の白い道を進んでいると、左に犬舎が見え、極地犬が自転車に向かって吠えかかった。その先で突然舗装路に出た。
サインは何もない。
ちょうど通りかかった車を止め尋ねた。
「ノーマン・ウェルズの町はどっち?」
車が走って来た方向を振り返り、ドライバーの男性は言った。
「あっちへ1q、右折して2qくらいだ」
教えられた方向へ、軽くなったペダルを回して走ると、白く凍結したマッケンジーと、対岸に白いたおやかな極地の山並みが広がっているのが見えてきた。
ノーマン・ウェルズは天然ガスと石油という地下資源の開発により発展した人工の町であり、住人の多くはそうしたビジネスのためにやってきた白人たちだった。
地理的辺境ともいえるこの場所で、限られていながらも旅行者がサービスを受けられるのは、この上ない幸せだ。
スーパーで買い物をする、暖かいシャワーを浴びるといったことが、とっても贅沢に感じられるのは、それまでの旅とのギャップがあまりに大きいからなのだろう。
余裕があるならイヌービクから北極海へと抜けるアイスロードを走ろうとも考えていたが、感覚の戻らない足の凍傷の疼くような痛みが、それを諦める充分な理由であるような気がした。
思い返せばイエローナイフを発って以来二週間、楽な日は一日もなかった。この旅を楽しむための経験も、装備も充分ではなかったのだろう。
ただ、世界の冒険家たちが行き着く先として見つめ続けた極地、極限の世界の色にほんの一端でも触れてみたいという思いは実現できたと思う。
そして真にワイルドな、自分らしい旅を表現できるフィールドを見つけられたようだ。
フォート・シンプソンで取材をした記者デレクが、帰国後、掲載紙を送ってくれた。Decho
Drumという地方紙だが、扱いが大きいのは、人口の少ない極北には記事になる出来事が少ないからだろうか。
泊まっていた宿に突然電話ががかってきて、取材を申し込まれた。
「どうしてここにいることが分かったんですか」
会った時デレクに訊くと、
「小さな町さ。分かるもんだ」
彼はもともとカナダ東部のノヴァ・スコシア出身だが、記者としてこの地に住むようになった。
「ここは気に入ってる?」
デレクにそう訊いてみた。
「小さな町で、ここじゃ誰もが知り合いだ。自然の厳しさもあるけど素晴らしいところもある。そういうところにある小さなコミュニティーが好きだから、気に入ってるよ」
デレクは外から入ってきた者だが、記者という立場もあり、彼のところには探さずとも様々な情報が集まってくるという。一緒にちょっと通りを歩いたり、レストランにいると、住人が次々声をかけてきて、町でのできごとなどを話していた。完全にネイティブの町の住人として彼はここで生活しているのだと感じた。
「移り住むつもりはないの?」
「ここでずっと暮らしていこうと思っている」
カナダも移住が当たり前の国だ。最も住みよい場所を求めて転々とする者も多い。そして極北にたどり着いてしまう者もいるのだ。
低温下でのキャンプと食事 寒冷地での装備 極北の文化、旅の可能性 |