越境
アメリカ合衆国アラスカ〜カナダ 1999/6/13-22
【1】
五泊したフェアバンクスの街を発つ。
デナリで手に入れたアラスカ中央部の公営キャンプ場の地図で目標を90km余り先のバーチ・レイクに定める。フェアバンクスに入って以来日差しの強い暑い日が続き、この日も30℃は越えている暑さだった。喉の乾きは水分をいくら摂っても抑え切れず、まだ所々にあるサービスで一気に1gを飲んだりできた。
路にも起伏が出てくるようになると店の類いもすっかり見なくなり、後方にハーディング湖を見て先へ進む。ほどなくバーチ・レイクが見えてくるが、目標のキャンプ場はリチャードソン・ハイウェイ303.5マイル地点とのことで、まだ5マイルほど先だった。はっきりした地図があると便利だとこの時は思った。すぐに湖畔は路から離れ、バーチ・レイクのキャンプ場は湖畔にあると思っていたが、そうではないらしかった。残り1.5マイルほどになり、直線道となったが、前方のどこにもキャンプ場の標識は見えなかった。
嫌な予感がする。
少し走ると「Military Recreation Area」と書かれた茶色い看板を見た。普通標識は青であるためここは通過する。
やがて303.5マイル地点に達するが、そこにはただ道と森が続くばかりであった。もう水が少なく、水が手に入らなければキャンプもできない。「Military」とは軍関係の施設ではなかろうかと思いつつ「Recreation」という単語に惹かれて踝を返す。
看板に従ってハイウェイを逸れダートへ入る。バーチ湖畔のボート停泊場が左にあり、そこを更に真っ直ぐ進むと「Recreation
Camp」の看板。キャンプか。しかしその先にはゲートがあり「注意」の看板がある。
「許可無く立ち入ることを禁ず
空軍」
やはりここは軍のレクリエーション施設なのだ。
「いったい俺のキャンプ場はどこにあるのだ」
喉の乾き、疲れ、暑さが一度に寄せてきて、精神を萎えさせる。
「無い。ねえじゃねえか!これだよ、またかよ。何でなんだよ!」
ハイウェイへ戻り、先へと走ってみる。1マイル過ぎ、辛い坂を登る。悟りたくはないが、もうこの辺りにはキャンプ場はないことを悟らざるを得ない。
何も、無い。
やたらに喉が乾くが水は残り少なく、存分には飲めない。喉が痛く、耐えられなくなったところでひと口、なまぬるくなったボトルの水を口に含み、よくよく口の中を湿らせ、まわしてゆっくり喉に通す。しかしぬるくまずい水が喉を通るばかりで、爽快さもなく、すぐにまた喉がカラカラになる。
苦しくて苦しくてもうやめたい。
誰か助けてくれ。車の人止まってくれ。水をくれ。
水が飲みたい。そう思いながら放心してペダルを漕ぐ。
30km近く先にリチャードソンなる地名が地図にある。そこまで行けばガススタンドくらいはあるだろう。
アラスカの自転車旅は辛い。雨、登り、向かい風。そんなことは他でも遭うだろうことだ。アラスカで辛いのは地図の通りにキャンプ場が無いことだ。野宿に撤すればそんな苦労も無かろうが、野宿はリスクを伴い、そんな気をもむなら多少の金銭を払っても安全をとる。水の心配もいらない。そのため毎日地図にあるキャンプ場を目標にするが、それが無いとたちまち辛く苦しくなる。
日の長い夏の陽射しは相変わらず照りつけ、喉はもの凄い乾きに襲われる。
渇死を思う。乾いて死ぬのはどんなにか苦しいことだろう。
冷たい飲み物を夢見てリチャードソンを目指していたが、着いてもいいはずの距離を走っても何も現れない。どうもリチャードソンはこのハイウェイ沿いにはないらしい。
再び裏切られる。
地図には約18km先にクォーツ・レイクというキャンプ場が記されている。地図の具合からここは確実にあると確信した。ハンディキャップのある人も利用できる、とあったからだ。ひたすら距離を縮めることのみを考え、漕いだ。
「あと15キロ、あと15キロ、あと15キロ…」
「あと13キロ、あと13キロ、あと13キロ…」
「あと11キロ、あと11キロ、あと11キロ…」
残り距離もひとけたとなり、ようやく先が見えてきた。やがて右側に「アラスカ州立公園」の看板が見えてくる。
「これだ」
「クォーツ・レイク 左折3マイル」の標識を見て、残しておいた水を全て飲み干した。
やっと水にありつける。今度こそ確実だ。だがダートの具合が良くなく走り辛い。約5kmの距離がまた長く感じる。ひどい日になってしまった。
「直進5分でクォーツ・レイク 左2分でロスト・レイク」
そんな標識が立つ分岐に行き当たる。5分とは車向けに書かれた時間で、自転車ではまだかかるということだ。クォーツ・レイクまで行く必要もない。どちらもキャンプはできるのだ。左折する。ほどなくサイトの整ったキャンプ場に着く。料金支払いはボックスへの自己申告制の無人キャンプ場だった。
とにかく喉を潤したかった。水は、と探すと鉄製の古風なポンプが設置されていた。ポンプを上下させてみるが、手応えもはなはだ頼りなく、水は出そうもなかった。
「どうやって出すんだ」
強靭な針を持ったアラスカの蚊が纏わりついてイライラと暑さを増させる。むきになって何度も何度もポンプを上下さていると、徐々に気圧の上がる手応えを感じ始めた。
水、か。
重くなったポンプを動かし続けていると、突然排出口から水がほとばしり出た。
「おおお」
それを水筒に取ってみた。
それはしかしあろうことか赤く濁っていた。
飲めるのか、飲めぬのか。だが沸かして水を作るまで耐えることもできず、目の前にあるこの冷たい水を喉に流し込む刹那の快楽に溺れたかった。
ごくごくと水を飲んだ。思う存分に。
うまいともいえない水だった。だが冷たい。やっと落着いてテントへ入った。赤い水でメシを炊いた。
【2】
200km余り先のトクという町で一日休養を入れ、6月18日、カナダ国境まであと一日のところまでやってきた。ノースウェイ・ジャンクションにあった店で休んでいたところへカナダ方面から来たと思われるポンコツの車に乗った家族に話しかけられた。ホワイトホースを目指していると言うと、
「どのくらい走ってきたの」
と娘さんに訊かれた。
「アンカレジから二週間かかった」
「ええ、二週間!」
と驚いて、
「疲れないの?」
と当たり前のことを訊いてきた。
「もちろん疲れるさ、ドロドロにね」
「寂しくなったりしないの?それとも楽しい?」
「寂しくなんかないよ、ものすっごく楽しい」
そう言って満面の作り笑いを返すと、娘さんはあきれたように首を左右に振って親父さんに言った。
「このひと、ひどく疲れてるみたい・・・」
親父さんにカナダ制の地図を見せてもらった。持参しているものより使いやすそうだと思っていると、
「これはもう必要無いからあげるよ」
と言ってその地図をくれた。嬉しい。良く見ればキャンプのできる場所も別表で示されており、非常に便利でいいものを頂いたものだ。
いよいよカナダだ。国境を越えると思うと気分も高揚し、それだけで楽しくなる。行く手カナダ側の空は透けるように青く信じがたいほど美しかった。針葉樹の緑の平原の中、池や沼や湖が点在、遠く山、雪山。雪山というのは遠く遥かなものと感じられていたが、登山をやるようになり、実際遠く遥かな場所を目指すこともあり、この足でその雪に触れることもある。山に憧れて山に登るようになってからは、旅も山を目指すことが多くなった。今回もカナディアン・ロッキーでいかに時間を過ごすかが主目的になりつつある。
国境まで5km余り、アラスカ最後のガススタンド。
「ラスト・ストップ」
こんなネーミングも国境越えの雰囲気を盛り上げてくれる。
坂を登ってゆくとアメリカ側カスタムの建物が見えてきた。出国側はチェックされることもなく、素通り。国境線というものもなく、路は下り坂になる。だが今確かに国境を越えたのだ。風景も気候も変わらないが、意識の中では国が変わった。
坂を下ってゆくと、右側に「ユーコン」の文字、更に下ると「カナダへ入国」の大きな看板があった。
カナダの出入国事務所の建物は数十キロ先だった。平坦な直線道に突然、高速道路の料金所のようなゲートができており、その窓口で車に乗ったままチェックを受ける。ぼくも自転車に乗ったままチェックを受けた。
「アメリカはどこから入国したのか?」
「ポートランドです」
「どこから出国するのか?」
「ポートランドから、日本へ帰ります」
「カナダにはどのくらい滞在するのか?」
「二ヶ月です」
「申告するもの、または武器類の所持は?」
「ありません」
それでスタンプを押してくれた。あとでスタンプをよく見ると、入国地点「ビーバー・クリーク」の上に「六ヶ月」の滞在許可をくれていたことが分かった。自転車で旅をする者への慈悲だろうか。
【3】
国境を越えた翌日は広大な谷の雄大な風景を走ったが、地獄のような向かい風だった。こういう日もあるさと思えども、ビウビウと吹かれ続けるこの現実は本当辛い。もう苦しみは嫌だ。
「もうチャリの旅はやめだ!」
と叫ぶ。いつか終わるだろう。だが自分の力で進まなければ終わらない。自分で終わらせなければ。
「コイダン・リヴァー・フィッシング・ロッジ」。街道沿いにぽつんと建つサービスだった。中に入ると、ここの家族か、中高年四人が何かを静かに食べていた。
「トイレはあるか」
と訊くと、
「壊れてるんだ」
そして
「Are you a パーマー?」
と訊かれる。パーマーとは何だ。
「直してくれるんだったら使ってもいいけど」
田舎の、世間から遠ざけられた者たちの住処といった感じだった。飲み物はあるか訊くと、冷蔵庫から缶のスプライトを取り出してくれたが、電源が入っていないのか冷えていない。何か食べようにも作ってくれそうな気配もなく、カウンターにあったシナモンロールらしきものをもらう。床には大きな黒犬が寝そべっている。
一種異様な空間である。
今度は「緊急用だ」と言っていきなり奥へ案内された。廊下の両側はいくつか扉が続いており、モーテルとして営業もしているのかもしれないが、客は誰も入っていないようだ。そのひとつの扉が開いており、
「ここよ」
と。トイレだった。部屋のひとつのトイレを貸してくれたのだ。
店へ戻ると、キャンピング車で来た地元の者と思われる客が、何やら会話して出ていった。車の窓が外れそうになっており、脚立で直している。それを眺めてここの四人はあれやこれやとどうでもいい会話をしている。彼らは毎日こうして時間を過ごしているのだろうか。隔絶され土地でいったい何を思って生活しているのだろう。
外は雨が迫っており、出発することにする。上に防寒用の雨具を着て出た。
この日はパイン・バレー・モーテルにテントを張った。レストラン付きでここで夕飯にした。隣席の二組の老夫婦が話しかけてきて、一番よく訊かれる質問を受ける。
「一日どのくらい走るのだね」
それに答えると、
「私にゃできんな、フォッフォッフォ」
と笑った。
「クマを見たか?」
すると店員が、
「この辺でも時々出るわ。この間は子供がやられたの。クマの大好きなディナーね」
「フォッフォッフォ」
ジョークがきつい。
翌日、アンカレジ以来初めて仲間に出会った。オーストラリアのサイクリストだ。自分の父親とほぼ同齢の55歳。
「去年はケープ・ヨークからタスマニアまで歩いて旅した。七ヶ月半かかったよ。今回はホワイトホースから今日が7日目で、これから北上してドーソンシティへまわりホワイトホースへ戻る。自転車は歩きと比べて速くていいね」
彼は余裕の笑みである。なんて勇気付けられるのだろう。同種の旅人に力をもらう。
「私も二年前オーストラリアを走った」
「おおそうか」
「とにかく旅を楽しむことだね」
そう言い合って行き別れた。
アメリカ大陸縦断や世界一周など長く果てしない旅をしているサイクリストたちがいる。彼等も同じ仲間がいるからそんな旅を続ける力を持てるのだと思う。こうして仲間に出会ったり、どこかで同じような旅を、同じような苦労を、そして同じような喜びを味わっている奴らがいることを知っているから、持続の力を得ているのだ。
クルアネ国立公園に隣接するクルアネ湖は青く大きい。向かい風でも風景の美しさに走る力をもらう。路肩の端に紫の花が咲き、それらも風に揺れている。木葉や木々もさわさわと騒いでいる。サイクリストは耐え、漕ぎ続ける。
湖畔のベイショア・モーテル。ここは宮崎駿の映画のような夢の風情である。トルコブルーの湖と曲がりくねる湖畔道、そこに突き出した岬状の台地にベイショア・モーテルが建つ。遠く対岸は山、上部は雪に覆われている。何というところだ。モーテルにレストランが併設されており、すばらしく綺麗で、突然現れた天国のような場所。
寒風吹く外界から暖かなレストランへ入るとコックが出てきた。
「腹減ってるなら朝食の今日のスペシャルがお勧めだね。マッシュルームとトマトをタマゴ三個で焼いたものとハッシュ・ポテトのスパニッシュ風」
「それを」
ガラスのテーブルにガラスの皿、温かいティー。冷えた体が温まっていく。前面のガラスの外には青く広い湖の風景。最高の休息である。
「どうかね」
「うん、いいね」
ここを出て振り返るとそこにはもう何もなくなっているのではないか。そう思わせるほど風の現実からはかけ離れた、儚き夢の世界のような空間。
突然の天国。
チェックを済ませ外に出る。再び地獄の向かい風の中ペダルを漕ぎ出す。決して振り返ることなく。