リベンジ ウユニ〜ラグナ・ルート

2004/6/15-7/9 南米アンデス・アタカマ高地 ボリビア・チリ

【再訪〜アタカマ】

 2000年5月、南米チリのパン・アメリカン・ハイウェイ(チリ5号線)を自転車で北上していた。
 目指すはアタカマ高地。

「世界最悪の道、世界最高の景色」
 と謳われるウユニ〜ラグーナ・ルートを南から走破しようと考えていた。地形図とコンパスを携え、交錯する轍をたどる、核心部400kmに及ぶ自転車バリエーションの名クラシックルートだ。そこには果たしてどんな世界が展開しているのか。

 しかしその目論見は突然断たれてしまう。

 サンティアゴから900km、青い太平洋を望む海岸でキャンプ中、ちょっとした隙に自転車を盗られてしまった。
 自転車のない南米はもはや旅する魅力が失せ、そのまま帰国することとなった。
 この経験は拙著「人力漂流」に詳しく書き残すことで、記憶にとどめた。

 その撤退以来のリベンジを果たすべく、南米に再び自転車と共に立った。

チリ再奥の秘境プトゥレ3500m ウユニ〜ラグーナ・ルートの前に、ラウカ国立公園、サハマ国立公園など国境周辺に広がる高地火山帯も走ろうと企てた。起点はペルー国境手前の町アリカ。そこから150kmの登坂を経て4678mの国境峠を越え、ボリビア入国、南下してウユニへ入る。ウユニ〜ラグーナ・ルートは南下コースをとる。ゴールはアタカマ高地を抜け、再びチリへ入った太平洋岸の町アントファガスタとした。

 アリカから東へ、ボリビアへとジュタ溪谷に伸びる道を行くと、50kmほどのところからアンデスの登坂が始まる。
 荒涼たるアンデスの懐へと入ってゆく。
 オアシス的緑のある豊饒で満ち足りた世界から、我慢と忍耐の世界へと旅立つのだ。また、やってきてしまった。

 尽きることのない登りに耐えて、一旦標高4000mを越え、下ったところにプトゥレという集落がある。
 白峰の麓、険しい地形の谷あいにひっそりと広がる、標高3500mの美しい町。
 チリ最奥の秘境といった風情だ。
 ここまで何とか二日で登ってきた。まる一日の高度順化兼休養をここで過ごし、更にボリビアへの登坂を続けた。

 高所のため呼吸が苦しく、舗装されていてもペダリングできずに押しになることもしばしば。
 チリ側は幾つもの6000m前後の火山と湖の点在するラウカ国立公園となっており、方々で4000mの高地に住む南米特有のビクーニャが草を食む、閑静な自然がある。
 名峰サハマ火山をバックに高原を行くチュンガラ湖畔4512mでキャンプした夜は、高度障害の頭痛に苦しんだが、翌朝には順応できたようですっかり良くなった。

 4678mの国境峠を越えボリビアへ入る。
 左に6500m峰の名峰サハマ火山を見ながら、高原パンパを快調に走った。
 チリ側の登坂路とは打って変わり直線的で、地平線の先を目指して漕ぐ。
 時折、大地のしわである谷あいを通過すると、日干しレンガの遺跡のような簡素な家があり、リャマなどの家畜を放牧するインディオの素朴な生活が匂ってくる。今もそんな文化が確かにあるのだ。その土地の空気を呼吸しながらの自転車旅だと、その匂いが感じられる。

kola」とラベルされている飲み物があり、これがとても懐かしい味である。駄菓子やで売っている粉コーラを溶かしたヤツといった感じで、親に
「体に毒だからよしなさい」
 と叱られそうな飲み物。体に悪そうでとても味わい深い。

 どんな辺地の集落にも教会が見られる。
 スペイン人の南米侵入以降、西洋人が入植した。そしてキリスト教の布教という名目で宣教師が辺境地へと入っていった。
 彼らは荒涼たる高地を巡り、旅にはとどまらない、布教という大仕事を果たしたのだ。
 宣教師とは偉大な旅人でもあったに違いない。
 現代我々が辺境の地を冒険気分で訪れることなど、彼らの旅とは比ぶべくもない観光に過ぎないのかもしれない。このツーリングも、辛いからといってやめてしまえば、単なる負け犬になってしまう。


【ボリビアン・ダート】

 国境から三日で都市とも言えるオルーロに至った。

セントロ(中心街)の一画に、その名も「ジャッキー・チェン」という中華レストランを発見。ジャッキー・チェンのファンとしては逃せない。やや値は張るが、うまい中華を楽しむ。
 オルーロの一等地に立派なレストランを出し、中華の味を布教する中国人は、宣教師をも彷彿させるたくましさがある。

 オルーロからは晩秋の黄金色に光るパンパに一筋伸びる道を漕いで南下した。

 砂色に埋もれそうなさみしい色合いのチャジャパタという、案外人の多い集落に一泊。
 ボリビアの町宿のベッドは、現地民の背丈に合わせているためか、やや短い作りになっていることが多い。足を伸ばすと頭と足が縁に当たり、体を充分に伸ばせず、窮屈で熟睡できない。加えてこの宿では、隣から一晩中四拍子の単調なラテン音楽が鳴り響き、どういうわけか外では花火が鳴らされる。
 ボリビアでは騒音などの迷惑を考えられないようだ。
 外国人といえばグリンゴ(アメリカ人)、アジア系と見ればチノ(中国人)と呼ばれることもしばしばで、ボリビアの行く末が案じられる。 

線路沿いの轍”レイル・ウェイ”を走る 舗装されていたのはワリという町までで、その南には平原にダートロードが伸びるばかりとなった。
 路面状態は非常に悪い。洗濯板状のコルゲーションと深い砂地が多く、とたんにペースダウンした。

 ボリビアのダートは悪名高い。それが早くも現れはじめた。

 デコボコ路面に荒馬に乗るがごとくサドルにまともに跨れない場所や、流れを突っ切るところもある。
 道標などの文字は極端に見なくなり、突然分岐に出くわしたりすると、その場でどちらへ行くか選択を迫られる。
 そこへ車が通れば尋ねることもできるが、通らなければ自分で決めるしかない。

 ウユニまでは線路が並走しており、線路沿いに自転車道ができているところが多い。車を使えないボリビア人で自転車に乗っている者が結構いて、サイクリング・ロードの轍ができているのだ。そこを利用するとボリビアン・ダートの悪路を通らずにペース良く走ることができる。それで思っていたより早くセバルージョという集落に達した。
 線路と車道が交差している広場が中心地だろうか。
 とはいえ、平屋が並び、何軒か店があるくらいで、寒風が吹き抜け砂塵が舞う。
 そのうちの一軒で何か飲み物はあるか聞く。水2リットルボトルがあり、それを買おうとすると、店のインディヘナの婆さんは、

シンプルなボリビアごはん「昼ごはんはいらんかね?」

 と言う。

「あるの?」

 と聞くと、用意できると言って奥へ入っていった。
 出てきたのはのびた麺入りスープ、肉と白飯、僅かな野菜の乗ったプレート。シンプルだが空腹のサイクリストには悪くない。

「どこから走って来たんだい?」

「アリカから。これからウユニまで行って、チリのサン・ペドロ、アントファガスタまで走る」

 そう言うと、顔をくしゃくしゃにして独り言のようにつぶやいた。

「おやまあ、遠いこと」

 婆さんは生まれてからずっとこの集落で過ごしてきたのだろうか。アントファガスタと言ってもどの位離れているのか、感覚として分かっていないのかもしれない。

 インディヘナはカメラを向けられると魂を奪われると思っているのか、カメラを取り出すと婆さんも奥へと姿を隠してしまった。通りすがりにすれ違うインディヘナも、写真を撮られないかと少し警戒しているふしもある。

川では車道に橋はなく渡渉となるが、人と自転車は線路を橋として使っている。
 レール上に前後のタイヤを乗せ、枕木の上を歩いて押して行く。下には枕木の間から流れが見える。
 対向から同じように自転車をレールに乗せて押してくる男。すれ違いざま

「オラ」

 と軽く挨拶を交わす。通り過ぎて振り返ると、外国人に気をとられた男は、レールを外して川へ自転車を落としそうになっていた。


ウユニへの主幹道のはずが・・・一本の轍のみ 線路沿いの轍の途切れているところもあり、車道を走っていて分岐に惑わされ、一度迷ってしまった。
 とにかく線路に出れば間違いないと適当な轍を線路の方へとたどる。
 しかし線路へ出てもサイクリング・ロードはなく、角ばった浮石でとても走れない。
 地図では車道が線路の向こう側にも通っていることになっており、更にパンパにかすかに伸びる轍をたどった。

 線路と平行する植物のないラインが見え、あれが道かもしれない、とそこへ出る。しかしそれは道ではなく、涸れた川床にすぎず、深い砂の押しさえきつい横断を強いられた。
 丘を越える。
 その先にも道は見えず、どこまで轍を進めば脱出できるのかと不安になってきた。それでも戻るよりは前進したかった。

 やがて轍の先、丘の向こうに小さく白い教会が現れた。
 そこを目指して進んでいくと、教会を中心に人の住む集落が広がっているのが見えてきた。
 集落の手前で轍は途切れ、住人のいるエリアへは砂漠のような涸れ川を100m以上も横断しなければならない。標高4000m近い高所で呼吸を荒げ、深い砂に埋もれるタイヤを見ながら、力を込めて自転車を押していった。

 いったい自分はこんな辺地で何をしているのだろうか。

 その集落で主道と合流し、以降はひたすら線路沿いのサイクリング・ロードをたどった。


【ウユニ塩湖】

 オルーロから三日目、起伏の多い一帯を抜け、広い盆地を横断する。正面の山並みに一本道が登っている。

「まさか、あそこを登るのかな」

 そう思って進んでいると、そこを砂煙を上げて一台の車が下ってくるのが見えた。
 しばらくしてその車とすれ違う。
 やっぱりあの山を登るのだ。覚悟を決めて走り、登りは押しで進んでいった。
 山を越え、下りを少し走ると、行く手の大地の縁に、ひとすじの白く輝く線が見えた。

 ウユニ塩湖に違いなかった。 

 標高3658m。
 直径100km以上にもなる世界最大級の塩湖。
 乾季(5〜12月)は水が涸れ、塩の湖面に道ができる。白い地平線を見ながら自転車で走れるわけだ。それが今回のウユニ〜ラグーナ・ルートの最初のハイライトでもある。

「世界最悪の道、世界最高の景色」
 とはいかなるところか。

 観光拠点の町ウユニにリフレッシュと食料調達のため滞在。
 だが腹痛に悩まされた。これから入り込もうとしているルートに、自分が感じている以上のプレッシャーがかかっているのかもしれない。
 単独(ソロ)というのはそれだけ精神的なタフさが要求されるものだ。
 腹だけじゃない、胸にも何かつかえたような気分の悪さを覚え、宵の口、一人寒いトイレの個室に入った。便座に両手をつき、たまった水面に揺れる自分の顔を見ながら口をあける。吐こうとしても、しかし何も出ない。諦めて部屋のベッドへ戻る。
 翌日から、疲弊したような状態で後戻りのできないルートに入っていくことになった。

 ウユニ塩湖の起点コルチャニの集落に12時。

塩の湖ウユニ塩湖。それはまさに海だった このところウユニ塩湖はメディアに登場する機会も増え、ツーリストに人気が上がってきているのか、この時期は日に十台程度、現地発ツアーのランドクルーザーが往来する。何台かここコルチャニにも停まっている。
 商店で買ったリンゴをひとつ食べただけで、体調がすぐれないせいか、気負うこともなく塩湖へと突入していった。

 5kmほどのダートを経て白い面に出る。
 一面亀の甲羅のような結晶が広がっているが、車も通る道は平らに均されて大変スムースだ。
 西南西の対岸(75km、チヌバ)方向へとひたすらペダルを漕いだ。

 季節的なものか、奇跡か、無風である。
 コルチャニのある陸地も後方の地平へと消え入る。

 ウユニ塩湖は、海のないボリビアにあってまさに海だった。
 左右とも白い地平。
 塩の海を自転車で渡っている。

 ここを走ることをずっと夢見てきて、今それが実現している。でもこの先のルートへの不安、漕いでも漕いでも近付かない対岸、そうした現実が夢が叶ったという喜びを凌駕していた。
 なぜか父親のことが思い出された。

 対岸が目で確認できるほどになってからも一時間以上走らされ、ようやくボリビア国旗の立っている陸路に入る。この辺りは塩沼になっていて、自転車も足も塩まみれになって押し歩き、陸へと上がった。コルチャニから四時間余りが経過していた。

 陸路はボリビアン・ダートの悪路で、体調不良の内臓にひびく。
 あまり食べていないせいで力が出ない。
 だが明日以降の行程を考えると少しでも先へ進んでおきたかった。ゆっくりだったが5時過ぎまで走ってテントを張った。


【世界最悪の道】

 ウユニ〜ラグーナ・ルートはウユニ塩湖を経て南下し、ラグーナ・コロラダ(赤の湖)、ラグーナ・ベルデ(緑の湖)を通りチリのサン・ペドロ(・デ・アタカマ)へ抜ける、標高4000m前後の高地火山帯にある。
 核心部は400km。自転車だと抜け切るのに7日以上かかると言われる。
 その間、水が補給できるのは、サン・ファンとラグーナ・コロラダの二箇所。

 道は絶悪。

 だがそこを自力で抜け切った誰もが口をそろえて言うのだ。

「あそこは世界最高の景色だ」

 自転車で、自分の力でそこを走り、この言葉の真意を確かめたい。南米に興味を示すようになって以来ずっとそう思っていた。何とかその思いを果たしたかった。

 初日は無事終えた。あと何日で抜けられるだろうか。

 朝方はテント内で−10℃。だが雪もなく乾燥した景色のせいか、寒々しさはない。

 右手の山沿いの道は引き続いて荒く、時折左の湿地に乾期ルートとして固い平坦地ができ、極力そこを利用した。
 右手の山並みが尽きる辺りで一番はっきりとした轍は右折、西進し、そちらがサン・ファンへのルートらしかった。地図とコンパスで方角を見るが、確信が持てない。
 前方から車がやってきて目の前で停まり、ウィンドウが開いた。

「何か助けはいるか?」

 ツアーだろうか、荷と4、5名の男女を乗せたランクルのドライバーは声をかけてくれた。

「いや、大丈夫。サン・ファンへはこの道?」

 そう聞くと、

「そうだ」

 と。これで正しいことが確かめられ、自信を持って進める。

 砂地と凹凸でペースは上がらないが、何とか漕いでいける。
 やがてサン・ファンの集落が見えてきた。

 村には宿と商店が数軒あり、水を補給する。手持ちは9リットル余りにした。
 その先は車道は使わず、サン・ファン南の塩湖へ下って線路沿いの轍を走った。平らでとても走り易い。チグワナまでの30kmは二時間ほどで走れてしまった。
 
チグワナに店でもあれば何か食べようとほのかに期待していたが、軍隊の駐屯地で、ゲートでパスポートのチェックを受けただけ。サービスのある集落ではなかった。

 この先線路に沿って西進すれば簡単にチリへと抜けられる。しかしラグーナ・ルートはここを左へ南下することになる。
 走りよい塩湖の平坦地から離れ、チグワナの左にある丘に沿って南進する轍へ入ってゆく。

 右前方の火山の右裾野に一本道が登っている。ルートはそこを行くことになるようだ。
 登り口まで一時間半かかる。
 そして火山の裾野の登坂が始まったが、砂地、凹凸、ごろた石の悪路にほとんどペダリングできず、押し中心になった。
 キャンプに良い場所を探しながら登るが、轍から外れるとトゲ植物が繁茂しテントを張りづらい。
 一時間半ほど歩いた辺りにちょっとした谷があり、それを登り切ったところに辛うじてスペースを確保できた。吹きさらしだが、夜は通常風はない。
 この日一日の行程で集中できたおかげか、体調が良くなっていた。環境にも慣れ、このままうまい具合にサン・ペドロへ抜けられそうな気もしてくる。

やっとラグナ・カニャパに到達 三日目、ルート中もうひとつのハイライト、五つの湖を見る行程。

 前日からの登坂を続け峠を越えると、草原の中の気持ちの良い道が見えるが、現実はストレスのたまる絶悪路で、全くペースは上がらない。
 荒れ道の急登もあり、一つ目のラグナ・カニャパまで予想以上の時間を要し、湖畔に立ったのは昼頃。
 半分は塩湖で白くなっているが、フラミンゴが生息する美しい湖。
 右手の丘を登って一時間ほど平原を風に吹かれて漕ぐと、二つ目のラグナ・エディオンダに出る。少しの距離だが湖畔は固くて走り易く、フラミンゴが最も間近で見られる。
 湖の左をまわって坂を登ると、すぐに三つ目のラグナ・チアルコタが右手に見下ろせる。
 その後は轍が方々に散っており、方角に少し迷った。丘を登って右へと下ってゆくと四つ目のラグナ・オンダが見えてくる。正面には火山があり、その右を国境へと続く道が登っているが、ルートは湖左の道を通り、丘を回りこんで南下方向をとる。
 右遠方に五つ目のラグナ・ラマディタスを見て、緩やかな登坂に入る。正面に見えていた火山が右手になり、ゆっくりだが確実にペダルを漕いだ。

 火山をまいて西から強い風が吹き付つけているが、まるで教科書通りの風の流れで、火山が後方になると風も追い風になった。
 しばらく登って、多少でも風の避けられそうな丘の影にテントを張る。

 朝方はテント内でも体から離していた水は少し凍る。

世界最悪の道。砂地、凹凸地獄 前日に引き続いて登りをこぐが、そのうち轍は悪化し、砂地となって押し歩く部分が多くなってくる。
 起伏のある地形となり、幅50mほどの谷状部分いっぱいにいくつもの轍のラインができている。そのどれもが砂地と凹凸がひどく、無念の押しを強いられる。

 朝から遅々とした進度に、狂って思わず絶叫する。

 砂地帯を脱すると急登で、押し上がると平原となった。
 地図を読み違えていたことに今更気付く。この後谷の下りだと見ていたのは逆で、目の前の丘は尾根状の登りになっていた。もう下りか、次のカーブの先は下りか、と思っていたところに、行く手には登りが遥かに続いているのだ。
 絶望的気分になった。

 緩やかだが砂地が続き、たまにペダリングしてもすぐにハンドルがとられ止ってしまう。リヤタイヤは埋もれ、ペダルがとても重い。こいでストレスを溜めるよりは押し歩いた方が確実に距離をかせげると思い直し、ひたすら押した。
 丘を越えてもまだ同じような大地が続いている。
 これほどの悪路をほったらかしにしておくボリビアに何だか腹が立ってくる。

 朝から三時間位登ると、ようやく下りがちになってきた。そのうち急下となり、久しぶりにブレーキングしながら乗ることができた。

 下りきった辺りで突然道は固く締まり、深い凹凸はあるがペースは上がる。このまま今日ラグナ・コロラダまで行けるか、とほのかな期待が生まれ、少し嬉しくなった。だが甘い期待も徐々に失せてゆく。
 砂地帯になり、轍も深く、ペダリングできなくなってきた。
 足をつく回数も増え、とうとう押しになる。
 周辺に火山が立ち上がり、その噴火で堆積した砂地だろうか、平原の見る限りの大地に延々と同色が続いている。

 まさに砂地獄。

 押し歩いても軟らかい砂に足をとられ、手や肩も疲労してくる。

 一時間3〜4km、二時間で7kmか。

 ほとんど平坦だが、ペダリングできない何と言うストレス。やはりボリビアは最低の国だ。
 いや、ボリビアが悪いのだろうか?
 このあまりに荒漠とした自然に打つ手がないのではないか。そんな自然に人間の移動する力はどれだけ通用するだろう。

 断崖に至る。
 ジャレタという緑のこんもりした植物と、ビスカチャという哲人のように目を閉じてじっと動かない岩ウサギのたくさんいる、ランドマーク的な岩場。
 そこからは地図ではラグナ・コロラダへ向かって確実に下りになっている。ちょっとはペースが作れるんじゃないかと思った。実際ペダリングでき、当初は少し調子良かった。だがそれもほんの僅かで、コルゲーションとどこまで行っても変わることのない平原、砂、石、岩と火山の不毛の荒野。所々地質は変化するが、変わらない景色に途方に暮れながら進んだ。
 やがて地形は下りが増してきた。
 ラグナ・コロラダも近そうだが、この下り、砂が深く、こいでも進み辛い。

「もういい加減にしてくれ!」

 意地になってこぎ、下りきったところが奇岩の名所だった。それらを見ても何ら感動しない。
 丘を少し登りひらけた一帯を続けて下るが、やはり砂地帯と轍の凹凸が激しく、満足に乗ることもできない
 腹が立ってくる。
 この下りを豪快にとばしたいという思いとは逆に、タイヤをとられて止まり、また乗っては砂にはまり、一向に進まない。
 何台かツアーのランクルが抜いていき、砂煙を上げて視界から消えていった。こちらは歩くようなスピードで砂地獄に悩まされている。

 なんて理不尽なんだ。

 まさに世界最悪の道。
 いったい世界最高の景色はどこへいったんだ。

 遠い夢、ラグナ・コロラダを見つつ、とぼとぼといった感じで砂地帯を下り、右手の大岩の転がる一帯へ入る。
 車の轍をショートカットする大岩地帯を突っ切って絶悪路を押し下ると、彼方に白く輝く夢のラグナ・コロラダが視界に入った。一瞬、

「やった!」

 と思った。
 とうとう見えた。
 でも冷静になって見直せば自転車ではまだまだ遠く、その日のうちにはたどり着けそうになかった。
 水も手持ちがあるため風の避けられる近辺の岩帯にテント場を求めた。植物が少し生えているが、テントを張るために蹴り上げると、根無し草のように簡単にとれてしまう。いったいどういうふうに生きているのだろうか。

 曇天が続き、翌朝、山肌は薄っすらと雪化粧。
 この天候は凶か、吉兆か。
 悪くない轍を下り、一時間半でラグナ・コロラダ湖畔へ達した。

 宿泊施設の二軒ある小集落があり、そのうちの一軒に声をかけると、品数は限られているが店をやっており、開けてくれた。ビスケットを買い、食べながら水を補給しているところを、数人の子供たちが遠巻きにみている。

 コロラダ湖の水は確かに赤いが、まわりの赤茶の大地の色が映り込んでいるだけのようにも見える。


【世界最高の景色】

 地図では南方のきれいな三角錐の火山の左をまいて道が伸びているが、そちらへ向かう道は見えず、コロラダ湖の南岸を砂煙を上げて横断してゆく車が見える。その道は三角錐の火山の右手斜面を登って消えている。方角的にラグナ・ベルデへはその坂を登ることになりそうだ。
 平坦だが悪路に悩まされ、最後は押し歩き、横断道へ合流した時には集落から三時間かかっていた。

 坂を下りてきたトラックを止め、この道はラグナ・コロラダへ行くかときくと、

「ああ、この坂を登って分岐を左に行くんだ」

 とのこと。やはりこの登りを行くことになるのだ。
 ウユニとチリを結ぶメイン・ルートになっているのか、突然道が良くなった。登り坂にも関わらず充分ペダリングできる。それをよいことに一気に坂をこぎ上がった。
 標高が高く、呼吸の苦しさに何度も立ち止まったが、押し歩くことはほとんどなく、上部のパンパへ登り抜ける。
 路面の良さは奇跡にも感じられ、ボリビアもやればできるじゃないかと思ったりする。
 つかの間の幸せでなければどんなにいいか。

 登坂ではりきりすぎたか、パンパではがっくりと気力が失せ、少しの登りでも力が出なくなってしまった。

 やがて分岐になる。
 右の登りは

「5km ボリビア税関」

 とあり、チリ国境が近い。ひとつ峠を越えたところはチリだ。
 左の道へ入ると白煙の上がる間欠泉群に行き当たった。轍は下って間欠泉群へと伸びているものもあるが、比較的状態の良い道が下らずに左縁を通っており、そちらを走った。
 若干下りになっていて久し振りにとばせる。
 高所疲労で朦朧とする気分の中走っていると、リヤタイヤがパンク。それが潮時と、道を外れた所にテントを張る。
 パンクは出石に乗り上げたための破裂のようだ。

 日が暮れる頃からまた雪となり、テントに当たるぱらぱらという降雪音に眠れぬ夜を過ごす。
 積雪が増すとこのまま雪に閉ざされてしまうのではと不安になる。

 乾季のはずが雪とは。

未明、月、雪景色 何度も寝返りを打ち、幾度となく時計を見る。
 我慢してようやく朝を迎える。
 未明だが晴れ。月が輝いている。

 まわりは雪景色。

 明るくなる頃道に出てみると充分走れそうで、ハンドルをとられないよう慎重に下っていった。
 引き続き路面は良い。

 そのうち眼下に広く景色がひらけてきた。

幻想的な大地を夢見心地で走る「なんて世界だ!」

 アタカマはここへきて最高のご褒美を用意してくれていた。朝の柔らかな光に幻想的なまでに美しい白い大地が輝き、夢を見ているように現実感がなくなった。そんな世界に包まれ自転車で下ってゆくと、実際に自分の肌をさらして旅しているのかわからなくなってくる。

 夢見心地で一時間余り下ると、露天の温泉のあるラグナ・サラダに達した。
 その先の砂地帯は見た目より路面が固く、一時間半ほどで横断できた。
 火山に囲まれた谷を登って峠を越えると、ラグナ・ベルデへ向かって下り坂となった。
 これがラストの大きな峠だと思うと、ウユニ〜ラグーナ・ルート走破が実感されてきた。

ラグナ・ベルデ湖畔でキャンプ ラグナ・ベルデは二つに分かれていて、小さな流れでつながっている。その流れを飛び石伝いに何度か往復して荷物と自転車を渡し、リカンカブール火山の麓にテントを張った。

 その日、テントの外で、

「オラ」

 と人の声がしたので顔を出す。何と日本人サイクリストだった。
 すでに六年間、7万kmを旅しているJACCの中西大輔氏。旅をしながら各地で山にも登っているとのこと。
 翌日、共にリカンカブール火山に登頂を果たした。

 国境を越え、チリ側5kmの登坂を経ると、舗装路へ出る。サンペドロまで42km、標高差2000m余りのダウンヒルが最後のハイライトチリ国境だ。
 タイヤの摩擦音を聞きながら、スピードに慣れてくると、麻薬的ともいえるハイ状態になり、高速に身をさらしている危険が分からなくなってくる。それでも身をまかせるように下り続けた。
 振り返ると、これまで旅してきた高地がどんどんと立ち上がり広がってゆき、大地全体が傾斜していることが知れてくる。前だけを見て走っていると、そうした地形には気付かない。
 向かい風だったが、ブレーキレバーを一度も握ることなく、一時間余りで下りきってしまった。
 残るは太平洋岸の町アントファガスタまで舗装路を300km余り、三日間のアタカマ砂漠の旅。

チリ5号線。アントファガスタへ「世界最悪の道、世界最高の景色」
 それは本当だった。季節はずれの雪により最高の景色に出会えたのかもしれない。

 だが雪はどちらでもよかったのだと思う。
 最悪の道を自転車で経てきたからこそ、あの景色を最高と感じたのだ。

 あの時、まさに「あそこは世界最高の景色」だった。

 チリ縦断の主幹道、5号線へ出る。
 ここは4年前、自転車を盗られて帰国へ向かう時、バスで通った道だ。あの時、この地を旅しに戻ってきた時の新鮮さを失わないよう、車窓に流れる景色を少し見たきり座席で目を閉じたのだ。そこへ自転車で旅しに確かに戻ってきた。そして念願を果たしたのだ。
 こうして今、アタカマ砂漠をオアシス都市アントファガスタへと走っていることを思い、深い感慨に満たされた。



気候・地形・地図
ウユニ塩湖上 チリ・ボリビアは南半球にあるため季節は日本と逆になる。この遠征は6〜7月に行ったため晩秋から冬となるが、緯度が低いため夏冬の気候差は大きくない。乾季は5〜12月頃とされるが、それほどはっきり分かれるわけではない。標高が高く乾燥しているため、朝は−10℃前後まで冷え、日中は寒くはないが日射が強く、主に西風が吹く。
 南米大陸の西側を縦断しているアンデス山脈は、ボリビア周辺で東西に広がる。東西の山稜に挟まれた一帯が広い高原となり、アルティプラーノと呼ばれている。北側は平らなパンパで、高所であることを感じさせない風景だが、チリ・ボリビア・アルゼンチンの三国が国境を接する付近は無数の火山と塩湖があり、どこか惑星的な大地が広がる。アルティプラーノの標高は4000m前後。どこから入るにしても4000m以上の峠を越えなければならない。入ろうとする時高山病の症状が続くようなら、取り返しのつくところで標高を下げたい。
 一帯のボリビア側をカバーする正確な地図は現在手に入らない。概要を把握するだけならチリのJLMというところで赤い「Altiplano」という地図を出しているが、道、町とも不正確。地形を見るならTPC(米国運輸省発行航空地形図1/50万)が頼れるが、道はあてにならない。やたらにデカいため、必要な部分だけを切って使っている。もうひとつボリビア軍用だといって他のサイクリストから譲り受けたコピーを持っていた。町の場所、ルートなど比較的正確だが、非常に見にくい。舗装路以外は轍程度で、車が何台か通ることで“道”ができる場所もある。地図上に正確には表せないのだろう。最新の道はサイクリストの感性で見つけるか、車が通ればドライバー聞こう。

言葉、キャンプと宿泊
アルファー化米と山岳用インスタント食品 チリ、ボリビアをはじめ、南米の国々ではまず英語は通じない。スペイン語が主言語だ。ただスペイン語は日本人にとって発音が容易で、英語より通じやすい。覚えるほど旅の幅が広がるだろう。
 都市部などでは中国系の顔立ちの者に「チーノ」といって蔑む態度を取る場面にも出くわす。しかしそれは一部の若い世代だけで、触れ合う大半は人が好い。

 キャンプで使う燃料はここでもホワイト・ガソリンが入手しやすく、フェレテリア(金物屋)で売られている。
 チリは水道の水がそのまま飲める場合が多い。ただボリビアでもミネラルウォーターはどんな小さな商店でも売っている。
 この地域の食事は、食堂へ入ると特に注文しなければ、昼食、夕食同様で、スープと、続いてご飯とおかずの乗ったプレートのセットが出てくる。キャンプ中の自炊だが、高所では米やパスタは芯が残り調理が難しい。パスタ類を使うなら細く茹で易いものが良い。今回は日本からある程度アルファー化米(湯を注ぐだけでご飯ができる軽量の加工米)を持ち込んだ。

 町にはたいてい宿があり、食堂兼飲み屋と併設されている場合も多い。ボリビアは湯どころか水シャワーさえないこともあるが、その点チリは質が高く、湯のシャワーが存分に浴びられる幸せを享受できる。
 通行の多い主幹沿いでの野宿は治安への不安がある。ドライブインで頼めばテントを張らせてくれる場合が多い。だが無人の辺境ではどこでもキャンプ可能で、今晩泊まれる場所があるか心配するよりむしろ自由で気楽とも言える。
 ウユニ〜ラグーナ・ルートはウユニ塩湖走行を初日とすれば最短6日間で抜け切ることが可能だが、もう1、2日かければ余裕を持った行程になるだろう。

*「ウユニ〜ラグーナ・ルート」の自転車ルート図(A4版3枚)を自作。コピー希望者は実費のみで送付するので連絡いただきたい。

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