アンナプルナMTBトレッキング

2003/11 ネパール・アンナプルナ山群一周

【1】

 ヒマラヤの美しいネパールには自由に登山やトレッキングのできるルートが多く、とりわけ雪峰を眺めながら生活感ある村々を縫って歩けるアンナプルナ山域は最も魅力的だ。
 この山域を巡る世界有数の名トレイルと名高いアンナプルナ一周ルートをMTBで旅しようと思いついたのは、五年以上前のことだ。企画だけは温めていたが、
「いつか、いつか」
 と思いつつも実現できずに時は過ぎていった。だが今回ようやく実現の機会を得ることができた。

 ここには見所も多い。
 マナスル、アンナプルナ、ダウラギリという3つの8000m峰を目にすることができ、大きな2つの峡谷マルシャンディとカリ・ガンダキを主なルートとして、5416mのトロン・パス(峠)越えのあるチベット文化の混在した山域になっている。
 歩いて旅すると、通常三週間近い日数を要する。
 MTBでトレースするとなると、ダウンヒルがあるにせよかなりの担ぎも予想され、それに近い日数を確保したほうがよさそうな気がした。

 「Biking Around Annapurna」(Himalayan MapHouse刊)というMTBマップがネパールで発行されていて、首都カトマンドゥやトレッキング基地ポカラで手に入る。これには高度順化や休息日なしで9日間のトレース日程が紹介されている。それを元に自らのプランを練り直し、ポカラ発着で反時計回り12日間の予定を立て直した。

 ポカラからトレッキングのスタート・ポイントのベシサハールまでは約110kmの舗装路となる。ポカラとカトマンドゥを結ぶハイウェイでは数組のサイクリストに出会った。ヒマラヤの国だけあって、初日にきついアップダウンと10kgほどのザックを背負っての走行で、腰痛になってしまった。翌日から二日間、特別許可証の問題で先に進めなかった一方で、腰には良い休養となったのは幸いだった。

 ベシサハールの奥で舗装は途切れ、9kmほどの荒れたダートになる。
 ハイシーズンのため、世界各地からのトレッカーも多く歩いていて、MTBで追い抜いてゆくと背後に注目の視線を感じる。
 ボラン川に架かる吊り橋を渡るといよいよ山道となり、乗車率も徐々に落ちてくる。

 ツーリングに対してMTBトレッキングは、専用の地図が出ているとはいえまだまだ稀なスタイルのようで、村の中を押しで歩いていると、

「サイクル、サイクル」

 と子供たちが大騒ぎする。歩きながら、

「ブーーン」 

 と言って回転するブロックパターンのタイヤに触れてついてくる。
 疲れている時には目障りにも感じるが、余所者には彼らの生活を侵害する権利などない。山の中でMTBを目にするだけで、彼らには刺激なはずだ。そこでこれみよがしに行動することは控えなければならない。

 ヒマラヤ山脈に幾すじも流れ落ちる川は大地を削り、地形を一層険しいものにしている。
 南から山脈内へ入って行く時、必ず深い峡谷を通過しなければならない。
 谷を遡るに従って川は急流になり、両岸は高さを増す。
 そのスケールは日本の谷の比ではなく、数百メートルから千メートル以上も切り立ち、方々に岩壁が見上げられ、高差のある滝がかかっている。
 当然道も険しくなり、急坂や石段に断続的に担ぎを強いられる。

最高点トロン・パスまではマルシャンディ谷の旅が中心となり、奥へ行くほどチベット色が強くなってゆく。

 国境に関わりなくヒマラヤ一帯は本来チベット風の世界にMTBと共に立つチベット文化圏と考えて間違いない。
 集落や街道沿いの赤青黄の祈祷旗
仏塔石に刻まれた経文は、チベット民の生活の証だ。進み行くにつれそれらを見ることが多くなってくる
 
 
チベットの大地を自転車で旅することを夢見てきた。
 風になびくタルチョを見た時嬉しくなった。チベット世界とMTB
という画を自分の手で作り出す夢が実現しているのだ。

 長い担ぎにもそれほどストイックさを感じないのは、大荷を運ぶポーターたちがいるからだ。彼らの働きには力をもらった。
 
 MTB
を見た地元ネパール人から本当によく同じことを訊かれた。

「重さはどれくらい?」
「どこで手に入れたのか」
「いくらで買ったのか」

 そして最後に言われる。

「ちょっと乗せてくれ」

 ネパール人はルーズなところもあるが愛すべき正直者が多く、基本的に信用できる。だが取り返しのつかないトラブルはどうしても避けたい。トレッキング中、彼らの頼みに応えることはほとんどしなかった。

 ヒマラヤの険しい大峡谷を進むこと三日目、最初の8000m峰マナスルが東の山間の奥に見えた。
 やがて前方山稜の向こうにもヒマラヤの雪峰が見えるようになると、険谷を抜けた感じになってくる。

 ポカラを発って計五日目。
 松の森を押しで登っていくと湿地帯ドゥクレ・ポカリに至った。
 ごうごうと音を立てていたマルシャンディ川の流れはこの辺りでは緩やかとなり、谷の幅も広がり、平坦で走りやすいトレイルが多くなる。

 ほどなくしてピサンの集落に入ってゆく。
 赤茶けた大地の色と同化した石積み家屋のたたずまいは、完全にチベット世界であり、背後に立ち上がる雪峰と相まってどこか神聖だ。
 爽快なダウンヒルや車さえ走れる幅広の平坦トレイルが続き、歩きで二日間の行程を一日で走り抜けた。

 マルシャンディ谷最大の集落マナンで、高度順応と休養のために二泊することにしていた。
 マナンは標高3400mほどで、アンナプルナ山群北面が目の前に広がる。
 高所に体を慣らすため、翌日は北側の急な山腹に見えるチベット
寺院を目指して踏み跡を歩いて登る。標高4000m程の山腹にへばりつくようにあるそのタゲン・ゴンパへは、出発前の富士山での二度の高度順応登山が功を奏したか、一時間余りで楽に達した。
タゲンゴンパの老僧 
土壁の遺跡のようなゴンパであってもそれは今なお生きており、中へ入るとひとりの老僧がいた。挨拶をするとその老僧は隣室の仏間へ案内してくれた。しかし仏間はこれまで訪れた数々のツーリストの顔写真で埋め尽くされ、俗世にまみれた部屋だった。
 老僧は帽子を被りとりあえずの体裁を整えると、前へ座れと身振りで示す。座ると、旅の安全をお祈りしてくれた。口細の壺を取り、身振りで


「掌を出せ」


 
と言うので、右手を差し出す。すると壺から透明の黄色い液体を注ぎ出され、

「それを飲め」


 
と言う。聖水みたいなものだろうが、いったいこれは何なのだ。飲んでしまって問題ないのだろうか。
 
 
掌に注がれた得体の知れない液体を前に迷った。
 今これを飲まずに捨てるのは、仏と老僧への冒涜(ぼうとく)にもなりかねない。しかし飲むのは勇気がいる。未知なるものへ踏み出す勇気を試されている気さえする。

「たったこれだけだ、思い切って飲むしかない・・・」

 ひと飲み。
 体は飲むことを嫌がり、喉を通過させるのにもひと苦労。
 よく分からない味。
 最後は首に願掛けの編み紐を結んでくれ、儀式を終える。

 老僧は齢87。お布施まで定額をしっかり取られた。

 体調が良く、ゴンパから急な山腹を更に上へ登った。
 マナンの集落は眼下に遥か小さくなり、対岸のアイスフォールとエメラルド・グリーンの氷河湖が迫力ある。
 急斜面が尽きた端にタルチョがはためいている。
 南側は対岸に白い峰々がすぐ近く対面し、北側は透き通る青空と雪峰。
 谷を抜け視界が開けると圧倒的なチベットの自然が展開する。
 高度障害に悩まされることもなく、自分の旅をコントロールできているような感覚を得る。

 今回の旅もうまくいきそうな予感がする。


【2】

「自転車の男か?」

 マナンのロッジで食事をしていたところ、西洋人トレッカーが話かけてきた。
 MTBでトロン・パス越えをしようという男の話は、行程を同じくする者たちの間で知れ渡っているようだ。マナン〜トロンフェディ間。標高は4000m以上

「歩くだけでもきついのに自転車担ぎ上げるなんて恐れ入るよ。だけど峠からのダウンヒルは良さそうだなあ」

 そう言って最後に

「がんばれ」

 と励まされた。

 峠越えの基地となるトロン・フェディ(4450m)へは、マルシャンディを離れ乾燥した谷を北上する。
 谷底の流れに沿う山腹につけられた踏み跡をひたすら押しで登ると、標高4000m辺りからはペダリングできるところが多くなってくる。
 谷の下流方向にはアンナプルナ山群が立ちはだかる。上流側は進むほど荒漠とし、地の果てへと向かっているようだ。

 この先に今回のハイライトである5416mのトロン・パスがあるはずだ。この先抜け出せる世界はないんじゃないかと思える地形だが、先人たちはよく越えられる峠を見つけたものだ。その先にある新たな世界への希望を捨てなかったからだろうか。

 トロン・フェディが近くなると山腹のトレイルは起伏がきつく、一人がようやく通れるほどの幅しかなくなる。
 MTBは担ぎ、足下に注意して歩く。

 眼下の細い流れはほとんどが白く凍結している。岩がちの山と氷ばかりの荒涼とした谷の奥に石積みのロッジだけが集まっている、それがトロン・フェディだった。

MTBを担いでトロンパスへ登る 峠越えの日は大半のトレッカーが未明に発っていった。
 しっかり朝食を摂り、MTBを担いで登り出したのは5時40分。空はまだ暗く、九十九折の急斜面の上方では幾つものヘッドランプの明りが揺れている。
 腹式呼吸を意識して自分のペースで登って行こうとするが、他のトレッカーやポーターが多いとどうしても集中力を欠く。

 一時間ほどで急登を終え、石門地形を抜けるとシーズン中だけオープンしているロッジがあった。5000m近いが体調は悪くなく、ヒマラヤの夜明けを楽しむ余裕がある。

 この先は傾斜こそ緩むものの、歩いても歩いても、目の前の丘をいくつ越えても登りの尽きない長い道のりになった。
 いくら進んでも峠の気配なく、丸い堆積丘の先に登りのトレイルが見えている。
 所々に小さなタルチョがあるが、それが本峠のはずはない。
 丘を回り込んでは目線の先に峠を期待するが、裏切られるばかり。

「いったい峠はどこにあるんだ」

高所のため呼吸が苦しい。
 耐えて担ぎ、耐えて歩く。

「歩みを止めるな。歩き続けろ・・・」

 自分にそう言い聞かせる。いつ着くのか、どれほど疲労させられるか、読めなかった。

 夜中に薄っすら降り積もった雪が眩しく、冷気の中朝日に美しいダイヤモンド・ダストが見られる。凛とした空気と人を寄せ付けない雄大なヒマラヤの景色は感動的だ。

 そのうち、微かに傾斜が緩み、その向こうは空間になっているような雰囲気を捉えた。
 それからも数度、丘の先に踏み跡が登っているのを見て気が滅入る。
 それでもようやく大きなタルチョの一部が視界に入ってきた。青い空も開けている。

「あれに違いない」

タルチョの旗の束がカラフルにはっきり見えてくる。充実した笑顔のトレッカーも何人かいる。
 今朝ロッジを出てから四時間が経とうとしていた。

トロン・パス5416m。こんな場所にMTB? 峠へ着いたら雄叫びを上げようなどと思っていたが、そんな気分にはならなかった。苦しかったのは自分だけじゃない。峠にいるトレッカー誰もが同じように耐えて登ってきたはずだ。それでもMTBと共にここまでやって来たことを思うと何だか涙が出てくる。
 泣いてしまってもいいのかもしれない。
 でも笑顔のトレッカーたちに見られるのが気恥ずかしくて我慢した。
 それでもじわりと溢れるものを抑え切れなかった。

静かに達成感を噛みしめようと思った。そうすることでこの地の空気とより深く共鳴できるような気がした。

 ザックとMTBを担いで登ってきた男を見て、ネパール人やトレッカーは先ず目を丸くした。
 次に笑顔になる。
 そんな反応がおもしろい。
 幾つもの驚きの視線を意識しながらも、感情を抑えて峠の最高点へ近づいた。

 峠ではチベットの習慣に従い、ポカラを発つときネパールの友人マヘンドラから旅の安全祈願にもらった白布(タカ)と、タルチョを新たに結びつける。
 
登りはこれで終わりだ。
 峠の向こうには青い空と今まで見えなかった雪峰の景色が広がっている。
 微かな頭痛の中で、新たな世界への希望があるように感じられた。

 そして始まる5416mからのヒマラヤ・ダウンヒル。

 始めこそ緩やかで気分良く疾走できたが、すぐに傾斜はきつくなり、リアがロックする下りになる。
 滑りやすい砂地に浮石が多くなると、サドルに跨って下るのは困難になり、結局下りも一部担ぎとなってしまった。
 漕ぐ必要はほとんどないが、ブレーキ・レバーの握りとスタンディングの姿勢が続き、握力と大腿が疲労する。
 約二時間かけ、ヒンドゥと仏教の聖地ムクティナートへ下った。

広く蒼い空、白いヒマラヤ 峠から下ってくると標高3800mのムクティナートの空気さえもやさしく感じられる。
 トレッキングの人気ルートである峠のこちら側は、ロッジや食事の質も良くなり、シャワーも利用でき、生活が快適になる。翌日は名峰ダウラギリを前方に眺めながらの快適なダウンヒルでカリ・ガンダキの谷へと降り立った。
 そのまま風の吹く石ころだらけの河原を下流側へ走る。

 谷風が砂塵を巻き上げる。
 舞い上がった砂煙が途切れた合間にひとつの人影が見えた。それはこちらへ歩いてくる人影であることがわかる。すれ違いざま、長旅を示す幾重もの砂埃をまとった着衣のチベット人であることが知れる。持ち物は肩から提げた小さな布袋のみ。たったそれだけの旅荷で、石ころだらけの荒れた大地のずっと向こうからやって来て、また何日もかけて歩いて帰るのだろう。いくつもの峠を越え、風に吹かれ、渇きと空腹に耐え、それでも男は歩き続ける。そもそも旅が生活である彼らは、峠越えの苦労に旅情を見出すことはないのだろうか。

 飛行滑走路のあるジョムソンからは幅広の走りやすいトレイルが伸び、一気に距離をかせいだ。
 ポカラからジョムソンまで車道の建設計画が進んでおり、トレイルとしての魅力を残すか、インフラを整備するかという微妙な問題を投げかけているエリアでもある。

 ベシサハールから14日目だというドイツ人トレッカーを追い抜く。

「MTBでトロン峠を越えてきた?クレイジーだな」

 カリ・ガンダキを下ってゆくに従い、緑も多くなり、再び谷が深く険しくなる。
 気温も上がり、雪と氷河の峠から二日後には、花咲くガーサの集落を通過。
 季節は冬から春へと移ったようだ。

 温泉で有名なタトパニでゆっくり湯に浸かった。

ヒマラヤ峡谷帯を今度は南へと抜ける。
 また頻繁な担ぎをこなさなければならない。岩壁を削ったトレイルや凹凸の激しい道、崖崩れの横断などでほとんど乗れるところがなく、疲弊する。だが徐々に乗車可能箇所が増え、道幅も広くなってくる。

 やがて車の入れる町ガレシュワールへ到着した。
 荒れたダートを走り、人の多い大きな町ベニを通過。凸凹の激しい田舎道を更に一時間余り漕ぐと、ポカラへと続く舗装路へ出た。


 MTBトレッキング・データ

移動日数

起点(標高:m)

着点(標高:m)

行動時間(時間)

乗車率(%)

ポカラ780

ベシサハール760

100

ベシサハール760

バウンダラ1310

60

バウンダラ1310

タル1700

タル1700

チャーメ2670

35

チャーメ2670

マナン3400

6.5

75

マナン3400

トロン・フェディ4450

5.5

50

トロン・フェディ4450

トロン・パス5416

トロン・パス5416

ムクティナート3800

70

ムクティナート3800

カロパニ2500

80

カロパニ2500

タトパニ1190

40

10

タトパニ1190

ベニ830

50

ベニ830

クスマ1020

100

11

クスマ1020

ポカラ780

100

*アンナプルナ一周のMTBルート図(反時計回り)を自作した。コピー(A4版3枚)希望者はメールで連絡いただきたい。


ヒマラヤMTBの装備と乗車率

ツーリングをする上で欠かせないのが地図。海外の場合スタートする町などで入手している。今回は普通のトレッキング地図に加え、「Biking Around Annapurna」(Himalayan MapHouse刊)というMTBトレッキング専用の地図を首都カトマンドゥで見つけて購入した。

多くの担ぎが予想される旅だったため、軽量化を優先し、何を持っていくかではなく何を持っていかないかを考えた。MTBには泥除けをつけたのみ。修理道具もタイヤ回りやチェーンなど即刻走行不可となるトラブル対策だけに留めた。衣類は着替えを一セットと防寒具だけを持ち、宿泊食事は道中の集落にあるロッジを利用するため寝袋以外のキャンプ道具は一切持たなかった。

移動についてだが、飛行機では衣類や新聞紙をクッションにし、輪行パッキングして預けても問題はなかった。自転車が有料かどうかは航空会社によるが、国際線は無料の場合が多い。ネパールのバスは自転車をそのまま屋根に乗せられる。輪行より組み立てた状態の方が壊れる心配が少ない。

アンナプルナ一周トレイルは、歩くと通常三週間近くを要するが、自転車だと10日から2週間。今回はマナンでの高度順化日を含めて12日間でトレースした。MTBトレッキングはこのトレイルを期間短縮してトレースできるため、日程の厳しい者にとって良い手段だ。

乗車率は急流沿いの峡谷部とトロンパスへの登りでは極端に落ちるが、それ以外では半分以上は乗車できる場所がある。ただ同エリアの他のルートは勾配がきつく、快適な乗車は望めそうもない。集落を結ぶ街道のトレイルは地元民と動物が優先されるため、そこを我が物顔で走ることは控えた。どこの国に行っても旅人は常に訪問者(ビジター)としての謙虚さを失わないようにしたい。


MTBトレッキングの実際

ムクティナートからの下り アンナプルナ山域では、ACAPというこの地域の自然環境と文化を守ろうとするプロジェクトが推し進められている。MTBを指定された保護地域内に持ち込む時、カトマンドゥかポカラのACAPヘッドクォーター・オフィスにて書面で特別許可証の申請をする必要がある。持ち込み料(一日につきUS10−)を支払うと許可証が発行される。そこに「トレッキング中は現地民やトレッカー、動物を優先させ、彼らを驚かせないようにする」「生態系にできるだけダメージを与えない」などの制約が記されているが、そのほとんどはトレッカーのモラルにまかせられていると言っても良い。

 世界のトレッカーに人気のエリアであるため、ルート中にはロッジも多く、宿泊や食事の心配がいらない。今回はシュラフ以外のキャンプ装備は一切持たず、身の回り品と簡単な修理キット、カメラなどを40?のザックに詰め、背負って行った。服装から足回りまで基本はトレッキングスタイルのままMTBに跨るといった感じだ。

 このところマオイストと呼ばれる共産主義者のゲリラ活動で治安が悪化している印象があり、ここ数年ツーリストは減少している。ツーリスト・エリアは問題ないとされていたが、一部でツーリストが巻き込まれた事件も伝えられた。ネパール滞在中に不安を感じることはなく平和な印象だったが、現情勢には気を使う必要があるかもしれない。いずれにしても再び安心して旅のできる平和なネパールになることを願う。

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