目指せデナリ
アメリカ合衆国 アラスカ 1999/6
【1】
アラスカは若葉の季節だった。6月1日、アンカレジから北へグレン・ハイウェイをチャリで走る。
700kmほど先のフェアバンクスに至る途上、北米最高峰マッキンリー(6194m)を盟主とするデナリ国立公園がある。稀代の冒険家植村直己氏や、後年、登山家山田昇氏等が冬季に挑んで還らぬ人となった山だ。この機会に一度触れておきたい風景であった。さしあたり目標地はこのデナリとなった。
初日から雨にやられた。117km走ってナンシー・レイク・キャンプ場にテントを張った頃には本降りで、膝の具合も思わしくなく、弱気になった。頭では何かやめる理由はないかと探したりした。だが気分は天候に左右されやすいことは知っている。明日晴れれば楽しむ余裕も出てくるかもしれない。
しかし翌明けも雨は降り続いていた。出発する気力も食欲も沸かず、ここが海外だということでさえ不安を助長させた。
いったいこんなところで何やっているのだろう。もうやめて日本で働こうか。文句言いながらでもその方がましかとも思う。どうするにせよこの場から行動を起こさない限り現状を抜け出せない。食糧も充分でなく、本降りでなければ出発してみよう。
10時過ぎにテントをたたみ雨具を身につけ出る。
しばらく行くと「ウィロウ」という表示板が路の傍らに立っていた。集落の標だ。やがてガススタンドが左側に現れ、「郵便局」の案内板もあった。路沿いにある集落は大概郵便局が中心地にあることが多い。閑散とした風情だがここが中心地と判断し、すぐ近くの食料品店に立ち寄った。缶詰など幾ばくかの食糧を買い、店員にここが中心地かと尋ねた。彼は郵便局や他の店などを紹介してくれたが、やはりここらしい。地図を見るとウィロウからやや北にキャンプ場の印があり、そこまでの心づもりで走ることにした。
雨の中20km余り走ったところにひとつキャンプ場のサインがあった。地図に載っているのはこれだろうか、迷った。営業している気配がなかったのだ。この先ずっとキャンプ場はないかもしれない。だがもっと便利なキャンプ場が少し先にあるかもしれない。この大雑把な地図に載っているくらいならば、もっと立派な施設のような気がする。しかし無かったら…。
「グランピーじいさんのキャンプ場」そんな田舎くさい名のキャンプ場のレセプションのドアは施錠されており、「テントを張っててください。すぐ戻ります」と張り紙が貼られていた。広くはない樹林の敷地を一周してみたが他に宿泊者も無く、ロケーションは好いとは言えずまた迷った。だがこの雨に、不安のまま更に走る気も起きず、テントを張ることにした。雨天の中の走行は30kmにも満たなかった。
テントの中で暖かい寝袋にくるまっている。雨も止み、夕刻再びレセプションへ出向くと黒い大きな犬が放されており、こちらをじっと見つめていた。すぐに、先ほど施錠されていたドアから案外若い男性が出てきた。
「こいつはいい犬だ、大丈夫だ」
そう言って尻尾を振り出した黒犬と一緒に招き入れてくれた。
「泊まりに来てくれてありがとう。自転車かい」
いささか不愛想な口調だが、黒犬もなついており悪い人ではなさそうだった。
「ずっと雨で大変だったんだ」
一泊分のテント代を支払うと、彼はテント場まで薪を運び、火をつけてくれた。それで雨具を乾かす。火が安定するのを見ながら管理の男性は呟いた。
「明日は天気はよくなるよ。曇りか晴れるところもあるんじゃないかな」
この時期はこの辺りそう天気は好くないのかも知れない。彼の言葉を信じたい。
また雨が降り出し、テントに入った。
植村直己、星野道夫、そして栗秋正寿ら、このアラスカを舞台に活動してきた彼等はこの地でいかなる時間を過ごしてきたのだろう。同じ大地で同じ空気を今呼吸しているのだ。ぼくもここで自分の旅を成り立たせたい。日がたてば何か感じられるようになるだろうが、今はこの現実を乗り切ることの方が、思い出とするより大なることか。
明日天気が良ければマッキンリーも見えるかもしれなない、そんな楽しみが力となる。
【2】
翌朝、久し振りに青空が望める。雨上がりの湿った路を走る。膝は相変わらず痛むが、痛みに慣れてきた感じがする。10kmほど走ると右側に充実した施設のキャンプ場。ここまで来ていれば、と思う。この10kmが後に苦しめられることとなった。
ジョージパークス・ハイウェイ100マイル標があるタルキートナ交差点近くの店でひと休みをしていたところ、車から降りた男性が近付いて来た。
「どのくらい走るんだい?」
よく訊かれる質問だ。
「日に70マイルくらいかな」
「ほう、70マイルか。そうだな、この先145マイル点と170マイル点にキャンプ場があるぞ」
いい情報を得た、と思った。先ずは145マイル地点を目指し、余裕があれば170マイル点まで行くことにした。
平行して流れるスシトゥナ川を渡って北上。デナリ国立公園の東隣となるデナリ州立公園に入る。目当ての山側は残念なことに雲が取り巻き所々雨模様。だが看板に「デナリ」の文字を見た時には確かにやって来たんだという感慨が沸いた。
数十キロおきにレストランやガススタンドがあり観光路ともなっているようだが、交通量は日本から考えると少ない。
途中休憩した土産屋の併設されたレストランに地図があり、147マイル地点にキャンプ場のサインがあった。バイヤー・レイクという所。ここがあの男性の言う145マイルのキャンプ場だろう。実際そこまで行ってみると、キャンプ場はハイウェイから横道をしばらく入ったところらしく、入りかけて考え直した。
「まだ行ける、夜も明るい季節だ」
ハイウェイを再び走り出す。
この辺りは緩やかな起伏が連続し、走行にも変化を持たせてくれる。デナリ州立公園域を出、少し先にあるはずの170マイル地点キャンプ場を目指す。
もう少しだ、と思いながらペダルを漕ぐ。朝から150km以上走ってきた長い一日が終わるのだ。
170マイル表示を通過、何も無い。145マイルと言っていたキャンプ場も147マイル地点にあったわけだし、いくらかの誤差はあるだろう。175マイル辺りまでは許そう。
もう着くだろう、あの坂を登ったら、あのカーブを曲がったら、と目線の先にキャンプ場のサインを求める。
だが、無い。どこまで行っても無い。
175を過ぎ、おかしいと思い始める。もう過ぎてしまったのではないか。そんなはずはない。サインを見逃してはいないはずだ。キャンプ場頼みだったため持参の水は充分ではなく、野宿をするにも水場の確保の必要がある。
やがて空腹、枯渇に耐えられなくなる。いくら走ってもキャンプ場らしき何物も現れず、マイル180も通過。登り坂を前にとうとう止まって座りこんでしまった。あてがはずれどこまで走れば終わりになるのか見えないと、精神と肉体のバランスが崩れ気力は極端に減退する。もう過ぎてしまったか、もしくはキャンプ場など無いのだ。しかしこの辺りで野宿して、翌日数キロでキャンプ場があったなどということになったら、とも思う。いずれにせよキャンプするには水は必要だ。幸いまだ明るい。水を求めてもう少し進んでみる。
看板。
「1マイル Caravan Park
3マイル Gas Food」
フード。あと3マイルで食べ物があるのだ。助かった。1マイル先のキャラヴァン・パークは無人のようでひっそりとしていた。だが泊まる場所がなければここに来ようと思った。
やっと、やっとだ。最後のきつい坂を登りきり、3マイル先のサービスへ到着した。かなりの疲労を感じる。売店で飲み物を買い、店員にこの辺りにキャンプ場はないかと尋ねた。
「20マイル先にあるわよ」
20マイルとは、32kmである。ここまですでに184km走ってきたその上、32kmを進む気力も体力も残ってはいなかった。
決まった。2マイル戻って無人のキャラヴァン・パークで泊まろう。
無人のキャラバン・パークにはうまい具合に小川も流れており、予想以上に快適であった。足は伸縮が辛いほど疲労しており、メシを食ってすぐに寝てしまった。長く辛い一日であった。
【3】
走り始めてまだ四日目だ。昨日に続き今日も天候は上々かと思われた。だが風の地獄であった。ひっきりなしに前方から冷風が吹きつけ速度は上がらず距離もかせげない。
どうしてこうも辛いのだ。
車はいい。今風が吹いていることさえ気付かないだろう。自転車の旅などやめにして車の旅をしようか。もしそうして車やバスに乗って、ふと外にサイクリストの姿を見たら羨ましく思うことだろう。自分も自転車の旅人であればよかったと。
現実はサイクリストだ。風に苦しむサイクリストだ。苦しくてもひたすらペダルを漕ぎ続ける。
「やっぱ信用できねえよ、あの店員。キャンプ場なんて現れやしねえ!」
20マイル、32kmを過ぎてもキャンプ場の痕跡すら見当たらない。風に腹をたてていたこともあり、大声で毒ずいた。
その数キロ先に集落キャントウェルがあった。ガススタンドには売店と簡単な食事のできるサービスを提供しているところが多く、ここにも暖かく清潔な店があった。風から逃れるように入ると、そこにはアジア系のフィギュアスケートで活躍したクリスティ・ヤマグチ似の、顔立ちの整った、親近感のわく女の子の店員がいた。風の外界とは別世界のようで、つかの間の休息を楽しんだ。
ここまでの40kmに四時間。デナリ国立公園まで残り40から45km。積み重ね積み重ね、ゆっくりでも前進すればいつか着く。山に向かっているからか、登りが多いように感じる。
やがて「デナリ」のサインが路の傍らに現れ、数キロ走るとデナリ国立公園内へと入っていった。
北米の国立公園にはビジター・インフォメーション・センターがあり、まずここに立ち寄ることから国立公園の旅は始まる。今回デナリ国立公園ではいかにして時間を過ごすか。提供される情報を吟味する。
少し奥のモリノ・キャンプ指定地へ行く。六月初旬ということもあり、時期的に早く、テントはまばら。絶好の幕営場所を求めてまわり、19番のサイトにテントを張った。
デナリ国立公園は野生動物の宝庫であるがゆえ、彼等には注意が必要となる。とりわけクマには充分留意することだ。ヒトの食糧目当てに接近してくる恐れがあり、食糧はフード・ロッカーと呼ばれるコンテナに入れておかねばならない。テント内での調理や食事は絶対しないこと。テントに匂いが着いてクマが寄ってくる原因になるかららしい。大方大丈夫だろうとは思えど、万が一の場合のためにこの方法を守る。テント暮らしもようやく楽しめる余裕が出てきた。
デナリ国立公園へ入った翌日、ツアーバスでマッキンリー峰の展望のきく公園域の奥へと入る。
自然に関わった仕事をしているレンジャーには女性も多く、このツアーバスの運転手も女性だった。運転するだけでなくガイドも受け持ち、訪れた人々をひとりで案内する。
北米ではレンジャーは人気の職業だが仕事に就くのは難関のようだ。その分一線で活躍するレンジャーは洗練されており、プロ意識も高い。
年間を通して天候の安定しない地域だが、この日は晴れていた。森林に囲まれた緩やかな谷をバスは走る。まだ上部に充分残雪のある山並みが両側に続く。ムースやドールシープといった、特有の野生動物たちが姿を見せる。
やがて谷は大きく広がり、木々も低く少なくなってくる。川と池、ひらけた大地。平衡感覚を失わせるような大地全体が傾斜した地形。陸地の行く末か、原初の風景か。
テクラニカ川を渡り急峻な山道を行く。名に知れたストーニーヒルという丘を越えた瞬間だった。
マッキンリー。
現地名デナリ。6194メートル。
大峰である。それには理由があった。このストーニーヒルが標高1400メートルほど。標高差は実に4800メートルにも及ぶ。世界最高峰エベレスト(8848m)のベースキャンプは5350メートル。その標高差は3500メートルとなる。山が立ちあがっている基部自体がすでに標高が高いため、峰そのものの大きさは標高から想像されるほど大きいものではない。
めずらしく晴れ渡った空に憧れのデナリが悠然と立ちあがっている。いつかこの山を登りに再びやって来るだろうか。重量感のあるその姿をじっと見つめる。
山はいい。山を前にするとひとは正直になれるものだ。この旅でもまた山に登ろうと思う。
バスツアーを終え、テントへ戻ってベンチでスプライトを飲んで休んでいたところへ、大ザックの男性が現れた。「ハロー」と言って顔を見合わせた。
「こんにちは」
「ハロー」の発音や雰囲気から日本人であることが分かり、互いに日本語で挨拶し直した。園原さんというフリーのフォトグラファー。今回は雑誌の取材で二週間ばかりアラスカに滞在するとのことだが、もともとアラスカ好きで今回が12回目だという。自然動物を撮ることが多いが、今回は人をテーマに取材に来た。アラスカの自然を目指してやって来た旅人やそこで働く者たちに出会いに来たそうだ。
「君はどこまでいくの」
旅の話をしながら日本語を楽しんだ。
「山が好きなんですよ。今回はとりあえずカナディアン・ロッキーを目指そうかと思って。そこで山にも登れたらいいな、と」
「カナディアン・ロッキーか、あそこもいいよ」
彼は周辺はヒッチハイクなどでだいぶ旅してまわったようだった。昨日までマッキンリーの登山基地となるタルキートナにいたが、シーズン的に少し早いせいか、天候不順で登頂者は多くはなかったそうだ。確かにそうして山で活動している者たちがいると思うと、いてもたってもいられなくなる。
「いつかぼくもマッキンリーに登ってみたいなあ」
思わずそんなことを口に出していた。
苦しくともアラスカの自然に抱かれてゆき、初日の孤独はもはやなくなっていることに気付いた。これからの旅に集中していけそうな気力が戻ってきた。