MTBで雪峰へ

八ヶ岳硫黄岳 1998/3/1-3

【1】

八ヶ岳赤岳鉱泉へ(薄く大同心が見える) MTBで山頂に立ちたい。そう思っていた。
 以前、初冬に雲取山を目指したことがあったが、降雪に気が萎え敗退した。登山道へ入り一時間ほど登ったが、MTBを担ぎ上げることの想像を絶する厳しさとバカバカしさを知り、退散してきたのだ。それでもMTBでピークを踏むことの夢断ち難く、「積雪期」という魅惑の響きにも心踊り、再び挑もうと思った。

「『積雪期MTBピーク登山』これでいこう」

 雪上走行はノーマル・オフロードタイヤでは滑るのは明白。スパイクタイヤなどの滑り止めが必要だ。出発を目前に自転車プロショップへ行くと、スパイクタイヤは品切れだったが、MTB用タイヤチェーンなる代物が偶然倉庫の片隅に眠っているのを見つけてくれ、起こしてくれた。
「あはははは、こりゃいいや」
 なぜか笑えた。悪役プロレスラーが凶器に使うような、銀色のギザギザの鉄が冷たく光る頼もしい形状だ。その場で購入し連れて帰る。そのタイヤチェーンを手にすると、雪上を走るイメージが喚起され気分も昂ぶってくる。

 目標山域として思いついたのが八ヶ岳の硫黄岳。冬山の草分け的山域であるため週末は登山者が多く、MTBでの入山はためらわれるが、休日明けなら人も少なく、道もよく踏まれているだろう。標高も2760メートルと、目標にするには申し分ない。
 アプローチは輪行し列車で小淵沢まで。小淵沢からはMTBで入山し、美濃戸から硫黄岳を往復、帰路東京まで走るという計画を企てる。

 午後3時新宿発あずさにて5時小淵沢着。MTBを組み立て、キャンプ登山装備を積み、目の前の八ヶ岳へ向け走り出す。すぐに日は落ちヘッドランプでの走行となる。
 だらだらとした登り坂を立ち漕ぐ。樹林の香匂が呼吸に合わせて体内に取り込まれる。自転車はこれがいい。外気は冷たいが、エネルギーが熱となって体を燃やす。

 7時30分、美濃戸口に到着。路面に氷雪が出始め、いよいよタイヤチェーンを装着することにする。実際の雪道で使用するのは初めてで本当にきくのかどうか不安はあったが、林道へ入り走ってみると、案外うまく雪を捉えているようで全く滑らない。林道を入って少し下った沢沿いの広場にテントを張る。
 翌日いよいよだと思うと寝つけなかった。

 翌六時起床。晴れ。テントを畳む。一日で山頂を往復してくるためテントやキャンプ道具はその場にデポ。日帰りの冬山装備をザックに詰めて発つ。
 チェーンを着けているとはいえ、雪の林道の登りは漕ぐことも困難で、押し一辺倒。四国からやって来たという単独のオッさんと前後して歩く。彼も同じく硫黄岳往復とのことだ。

「自転車で頂上までいくの?置いてって歩いてけばいいじゃない」
「いえ、自転車で登りに来たんで」
「あはははは」

 堰堤広場から登山道へ入る。思った通りよく踏まれた雪道は歩き易いが、押し歩くには幅が狭い。所々担ぎで進む。ペースは上がらず、四国のオッさんにもついていくことができない。いや、MTBを持っているから分からないだけで、オッさんがものすごく速いのだろう。
 僅かに下りになっている場所で二、三度サドルに跨った他は、押しと担ぎで赤岳鉱泉へ達する。時間的にもそう悪いペースではないが、普通に歩くより消耗させられる。喉の渇きに耐え切れず、小屋で飲み物を買った。ここからの登りが核心だ。

硫黄岳の急な登りでチャリを担ぐ 樹林帯の急な登りが続く。担ぎ、押し、引き上げの連続となる。幅の狭い踏み跡を踏み外すと、足が雪中にはまる。倒木はMTBを寝かせたり持ち上げたりして越える。ザックに付けたピッケルは木枝に引っかかる。数歩進むとすぐに立ち止まってしまい、息を荒げる。

「なんて辛いんだ。なんて苦しいんだ。なんてバカなんだ。なんてたのしいんだああ…」

 行けそうだ。今回は頂上に立てそうだ。
「あはははは」
 あまりにも楽しくて、ひとりで笑ってしまった。


【2】

雪の稜線をMTBで行く 木々も疎らになってきた頃、上空にガスがかかり始めた。風の吹き荒れる音が重く八ヶ岳を通り抜けている。樹林帯を抜け、稜線が間近になったようだ。視界は開けたが、盟主赤岳と稜線続きの横岳はすでにガスの中となっている。
 単独の写真家の男性とすれ違う。

「ええ!自転車。こりゃすごいや。そんな人見たことない。でも上は風強いから自転車置いていった方がいいかもな」
「いや、厳しいですけど、ここまで自転車持ってきたんなら、頂上まで持ち上げなきゃ自転車の意味がないですよ」
「あはははは、じゃ、がんばって」
 あはははは、である。自転車というと皆あはははは、と反応する。きっとたのしいからなのだろう。

 稜線へ上がる手前で急傾斜の雪壁状となっていたが、踏み跡があり、MTBをピッケル代わりに雪面に突き刺し這い上がった。
 視界が更に開ける。風が強い。

 風で雪の表面が堅くなったクラスト気味の稜線を押しで進む。横風の影響を受けやすい自転車のため、バランスを失いかける。
 頂上直下の岩場で、登頂して降りてきた四国のオッさんに会った。
「あんた待ってようと思ったけど、風強くて寒くて待てなかったよ。もうすぐだからがんばってね」

硫黄岳山頂にて 最後の岩場も担ぎで登り抜け、とうとう広い山頂へ達した。
 ちょうど正午。
 強風とガスで快適とは言えないが、積雪期にMTBでピークに立てた感慨は深く、爽快な気分だった。
 叫んだ。思いきり。

 山頂には長い時間留まっていることもできず、下山へ移る。ここで初めてアイゼンを付け、押しで下る。すぐに登ってくる単独者に出会った。彼は顔を伏せたまま風と寒さに耐えかねて震え声で言った。

「も、もう諦めて降りようかと思います」

 風の合間からこちらを見上げた。

「あれ!自転車ですか」

 こんな場所で信じられない光景を見たというような呆然とした顔に風雪が吹きつけている。
「頂上はもうすぐですよ」
 そう励ました。寒さと疲労で幻覚でも見たと思ったろうか。

 稜線上で試しにサドルに跨ってみるが、アイゼンの爪がペダルに引っかかってうまく漕げないことに気付いた。考えてみれば雪山でアイゼンとMTBには互換性がない。アイゼンが必要になるような傾斜のある場所ではMTBに乗れるはずもなく、MTBで走れるような地形ではアイゼンは不要だ。雪山装備としてうまく組み合うはずもない。

 稜線からの雪壁状は担ぎで駆け下り、風の避けられる樹林帯へ入ってアイゼンをとった。傾斜の緩いところでMTBに跨ってみる。予想以上にタイヤチェーンのグリップ力は信頼できる。だが誤って踏み跡を外すととんでもないことになる。ブレーキは雪が詰まってくるときかなくなる。力いっぱいブレーキレバーを握り続けているため、握力もなくなってくる。急斜面だと乗ることは不可能で、結局押しの態勢で引きずるように滑り下る。途中で四国のオッさんを追い抜き、山頂から30分で赤岳鉱泉まで駆け下った。ピッケルは一度も使用しなかった。

「あれえ、自転車で来たの。すげえな」
 鉱泉小屋にいた登山者は奇異の目だ。ここに先ほどの単独の写真家が休んでおり、話すと偶然にも東京の同じ町の方だった。
「帰りに車に乗っていくかい?」
 そう誘われたが、東京まで走り帰るつもりであるためお断りした。

 鉱泉からは傾斜が緩く、MTBで走り下った。ガリガリと頼もしい音をたててグリップがきく。一気に林道へ出る。林道もザレ雪の上を飛ばした。雪上を走るぶんには凶器のようなタイヤチェーンで地面を痛めることもない。午後2時半、デポ地着。

 実に豪快かつ爽快な遊びだ。あとは豪快に東京へと突っ走るだけだ。
 舗装路の下り坂を甲州街道へ向け下る。時速60キロで冬枯の風を切る。また叫ぶ。
 甲州街道は追い風に乗って南下。ひたすらペダルを漕ぎ続ける。大型車の通行が多い上、路肩が狭く、自転車で旅するには都合良い道ではない。だが他に東京を結ぶ良い道はない。

 この日はどこまで走るか、どこに泊まるか全く決めていなかった。走れるところまで走るつもりで走り続けることにする。
 二時間走って腹が減り、韮崎手前のラーメン屋珍珍珍(さんちん)に入る。席へ座ると、ぐったりと全身重い疲労感に沈んだ。
「やっぱり列車で帰ろうか……」
 そう思う。食後、一時間近くぼうっと座っている。
 再びサドルに跨ると、なぜか疾走を続けてしまった。ただ無心で走った。漕ぎまくった。今は走ることが生きることだとでもいうように。

 更に一時間半、腹が減り石和の街道沿いのマクドナルドに入った。食後、一時間近くぼうっと座っている。すでに夜八時半。そろそろ近辺で泊まるべき場所を見つけなければならない。
 再びサドルに跨ると、なぜか疾走を続けてしまった。だがもはや追い風の恩恵は受けられず、道も登りになってきた。

 勝沼を過ぎ山間に入ると街の明るさはなくなり、ペースも落ちた。だらだらした長い登りを惰性で漕ぎ続ける。人気のない場所でビバークしようと辺りを探りながら進んだ。しかし適当な場所が見つからない。暗い夜道を大型車が轟音と共に走り抜ける。
 10時半、笹子トンネル手前、道の駅甲斐大和があった。建物の裏手へまわると人気もなく比較的静かである。八ヶ岳から約80km。ここに、テントは張らずアスファルトの上に直にマットを敷いて寝袋へ入る。月を見ながら横になった。疲労で二の足が痺れている。


【3】

八ヶ岳をMTBで下る 翌朝5時半起床、6時出発。
 笹子トンネルを前に愕然とした。トンネル延長3003メートル。しかし路肩は無いに等しく、道幅も狭い。大型ダンプが時速80キロを越えるスピードで、トンネルに次々と弾丸のように突入してゆく。ここを無事に抜けられるだろうか。

「あぶないな…」

 あえてつまらぬ危険を冒す必要はない。ヒッチハイクをしてトンネル出口まで乗せてもらおうと考え、道の駅甲斐大和へ戻った。しばらく待ってみたが車はつかまえ辛く、更に戻ったコンビニエンスストアの前でヒッチハイクを試みる。しかし停まってもらえない。東京に近付き、交通量が多いほどヒッチハイクはしにくくなる。
 一時間ほど試みた時、ワンボックス車がコンビニエンスストアの駐車場に入ってきた。その荷台にMTBを積ませてもらえたらと思い、頼んでみることにした。買い物をして出てきたドライバーと思われるひとに声をかけた。

「あの、お車ですか?」

 その自らの口から発せられた言葉に愕然とした。

「おくるまですか」
「おくるまですか」
「おくるまですか」

 何が「おくるまですか」だ。嫌になった。自分に腹が立った。何が嫌って「くるま」に「お」を付けてしまったことだ。媚びてるじゃないか。他人を当てにして媚び諂っているんだ。
「作業現場行くところだからダメだよ」
 そう言って断られたが、そんなことより何より恥ずかしかった。
「なんて嫌らしい人間なんだ。もうヒッチハイクなどできない。もう車を当てにするのはよそう」

 甲斐大和の駅から列車で笹子トンネルを抜け、次の笹子駅へ行くことにした。
 列車にMTBを乗せるには輪行袋に入れなければだめだと駅員に言われ、分解しパッキング、列車に乗った。このまま乗っていれば東京まで帰ることができてしまう。だが「くるま」に「お」、「お」を付けてしまったことによる自己嫌悪が力となり、笹子駅へ降り立った。
「チクショー、自分の力で走ってやる」
 再びMTBに跨る。疾走。

 相変わらず路肩は狭く走りにくい。常に大型車との接触の危険を孕んでいる。
 大月付近で、前方対向車線路上に何か見えた。近付くほどに、それが動物の死体であるらしいことがわかってきた。
 犬だった。白ブチ茶の中型犬。車にはねられ、更に幾度か轢かれたらしく、臓物の一部が破裂した皮膚から、路上に暗色の血と共に散っている。だが依然その原型は留めており、犬の目は見開かれていた。そして赤い首輪をしていた。

 中央高速相模湖インター入口を過ぎると、大型車は減り、幾分走るのは楽になる。大垂水峠を越えると、ようやくゴールが見えてきたように感じた。

 走り続けているとまた腹が減ってきた。
「ラーメンが食いたい、チャーハンが食いたい、ああコーラが飲みたい」
 疲労している時はコーラが飲みたくなる。八王子のラーメン屋に入った。先ずはコーラだと思い、
「コーラありますか」
 と訊いてみた。だがここでは置いていないという。ショックだった。はやくも渇きと空腹を満たす夢が潰えてしまった。
 理想の昼食を実現するため、他のラーメン屋を探して再びペダルを漕ぎ出した。しかし案外近辺にラーメン屋はない。日野駅近くに大好きなとんこつラーメンの店を発見した。
「うう、早く食いたい、早く……」
 MTBを停め、鍵をかけ、店のドアに手を掛けた。
 だが、開かないのである。ドアが開かないのだ。なぜだと見回すと、「準備中」の札が下がっていた。
「準備中?」
 中を覗いた。電気は消えており暗い。
「なんだよ、誰も準備なんかしてねえじゃねえかよ、なんなんだよ」
 悲しくなった。お腹減ってるのにメシが食えない。放心状態で力なくペダルを漕ぎ始めた。
「もうどこでもいい。次のラーメン屋に入ろう」
 日野橋近くでようやくラーメン屋にありついた。ここにもコーラは置いていなかったが、これ以上探して走る力もなかった。水をコップに何杯も飲み、チャーハンとラーメンを食った。疲労のためレンゲを持つ手が震えた。

 帰路のMTB走行も爽快だった。最後は多摩川サイクリング・ロードを向かい風の中漕ぎ続け、東京の自宅へ帰り着いた。

 旅から帰ったその日や、会心の山行をした日などは、興奮冷めやらず、疲れているのに寝つけず、翌朝もすぐに目が覚めてしまうことがある。今回も、夜目を閉じると、雪上を走った感触や、走りまくった帰路での感覚が体に残り、映像が瞼の裏に浮かび、寝つけずに、翌朝も早くに目が覚めてしまった。
 後日、フィルムを現像した。そこにはMTBを担いで雪斜面を登る自分が映っていた。雪稜をMTBで走っている自分が映っていた。それらを見て笑った。
「あはははは」

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