海外を走る

オーストラリア ケアンズ〜タウンズビル 1997/4/8−17

【1】

海外を走り出す ケアンズ郊外 海外チャリ旅の第一歩に選んだのはオーストラリア大陸だった。初めて異国の地で自分の自転車を漕ぐと思うと、なんとなく落ち着かない。アジアの旅のスタイルをそのまま持ち込んだため、初日の宿さえ決めずにケアンズの空港に降り立った。
 輪行したチャリを抱え、タクシーに乗りこむ。ケアンズの中心地へ向かってもらう。
「どこか安い宿を知りませんか?」
 夜のケアンズを飛ばすドライバーに尋ねた。オーストラリア英語にも地理にも治安にも不安があったが、旅の幕はすでに切って落とされたのだ。後戻りはできない。
「エスプラネードにあるよ」
 そう言ってドライバーは車をやってくれた。空港から15分ほどで、旅行者がたむろす一角に到着した。

「ここだ」
 繁華な通りに車を停め、ドライバーは言った。新参者には気後れするような、ネオンの光る飲食店が並ぶ。ここを輪行の自転車を抱えて降りる勇気が沸かなかった。だが仕方がない。泊まる場所を確保しないことには旅が進まない。
 ドライバーが先に降り、後部のチャリを下ろして目の前の宿の受付まで運んでくれた。それについてザックを背負って歩いた。ケアンズの空気が馴染まない。

 Pocky's Int. Hostel という名の宿のドミトリーに入ると、そこにはオーストラリアに6年住んでいるという日本出身の男と、ワーキングホリデイを終えようとしている若年の者が同室だった。

「これから自転車で旅する」
 というと、

「アウトバックを?やめた方がいい。死んじまうよ」

 なんてことを6年男にまじめに言われてしまった。そうは言っても自転車も持ってきちまったし、今さら止めようなんて思わない。
「いや、なんとかなりますよ」
 そういってやりすごす。

 どうにもケアンズの空気に馴染めぬまま三泊して宿を移った。近郊の古い住宅を日本人同士でシェアしている60'sというところ。ワーキングホリデイのメンツがほとんどで、目当てのチャリダーやライダーの旅人には出会えなかった。今いる者たちとは見ている方向が違うのか、話も合わず相変わらず所在なさを感じた。

 まだ雨季なのか雨がよく降った。じめじめとして60'sの家の中も気分が悪く、朝食用に買い置いていたパンや米を、夜の間にネズミに食われたりもした。

「もう発とう」
 そう思った。いつまでもケアンズにいるわけにもいかない。出発しなければ何も始まりはしない。


【2】

インガムのキャンプ場 出発の朝は雨が降っていたが、隙を見てペダルを漕ぎ出した。しばらくで人家もまばらとなり、熱帯山地を右に見ながら走った。やがて雨。気が滅入る。海外ツーリングを始めたんだという喜びを味わう精神的余裕すらなかった。自分は何をしているんだという疑問を抱きながら走っていた。

 40km余り走って道沿いにあったキャンプ場へ入った。体がまだチャリに慣れておらず、距離はそれほど走っていないが辛く感じた。テントを張っているとまた雨が降ってきた。テントへ入り少し横になる。憂鬱な気分は晴れないままだ。

 夕食時は何か悪い夢でも見ているようだった。海外ツーリングのために購入してきたガソリンコンロに火を点けた時だった。雨が降っていたため、大丈夫だろうと思いテント内で点火した。するとコンロは赤い炎を上げて燃え出したのだ。一瞬テントごと丸焼けになる姿が頭を過る。なんとか炎を抑え、事無きを得たが、それで米に火をかけると、しばらくで吹きこぼれ、そのうち焦げ臭くなり煙が出てきた。テント内は猛暑。ご飯はその程度で火から下ろし、今度はベーコンとアスパラを炒めた。それは途中で火が小さくなり、なぜか消えてしまった。
「このくらいでいいや」
 と思い食べることにする。購入したばかりのガソリンコンロを自分の装備としてまったく使い切れていない。
 メシはこれ以上ないほどまずく、空腹であったにもかかわらず食えずに捨てた。

 情けなくてどうしようもない。何もかもうまくいかない。

 ナベ底にこびりついた焦げをスプーンで掻いて落としながら、自分はこんなことして何の意味があるのかとひたすら自問していた。

「こんなことでこれから世界をまわろうなんて、できるわけない。それどころかオーストラリアさえチャリで旅しきれないかもしれない。なんでチャリ旅をすることにしてしまったのか。あああ…」

 煙の充満したテント内、雨天、憂鬱。そういったことばかりが印象に残った初日だった。これ以降夕食に米を炊くことはせず、火加減の不要なごった煮を食べるようになった。

 翌日も雨が降ったり止んだりの空模様が続き、気分は晴れない。三日目の午後、日本人チャリダーとすれ違った。なんと南西の都市パースを発って10ヶ月もオーストラリアを走ってきたという。サイクルパンツを身に着けた足はたくましく日焼けし、白い肌に蚊に食われた跡のある自分とは比ぶべくもない。それでも確かにオーストラリアをチャリで旅する者がいることに、どんなに力をもらったことだろう。

「俺もやるんだ」

 弱気だった旅も、一気に目的を達成できる力を得た。

 南下するに従い、雨季エリアから抜けたのか、雨は降らなくなった。そんな気候の変化がチャリで移動しているのだという実感を与えてくれた。確かに進んでいるのだ。そして全てが徐々に好転していっているようだった。

 5日目には一日の走行距離も100kmを越え、チャリダーとしてもやっていけそうな体になってきた。旅にも集中できるようになった。自問するような雑念もなくなってきた。そして東海岸最後の町タウンズビルへ入った。
 ここからは内陸へ方向を変え、オーストラリアの荒野アウトバックへ入って行くつもりだ。ようやく夢見たワイルドな旅が始まろうとしているのだ。

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