上高地・穂高自転車&登山

日本 上高地・西穂高岳 1997/3/14-16
同行 岩瀬

【前夜】

 自転車を持ち運ぶとはこんなにも辛いのか。輪行パッキングでの駅までの歩きは長く、肩は痛み、もうかなり疲労まで感じていた。円形のタイヤによって走ることを本業とする自転車を持ち運ぶのである。理に反している。

【3月14日】
上高地バスターミナルから西穂稜線 4時10分、急行アルプスで松本に降り立つ。小雨の中、夜行客目当てのタクシーがテールランプを赤く光らせている。
「お客さん、上高地まで?」
 ザックなどの装備を持っているのを見つけたドライバーが話しかけてきた。
「ええ、だけどこれ、自転車で行くんで…」
 輪行の袋を指してそう答えた。
「え? 自転車でなんて大変でしょ、雪もあるし。車乗って行かない?」
「いや、自転車を乗りに来たんですから」
 
 チャリを組み立て5時30分、岩瀬さんと二人で走行開始。上高地まで約50kmの登りとなる。
 白み出した空は青空をのぞかせているものの雨は降り止まず、山側は雲の覆われている。先が思いやられる。
 穂高に登山で入る時、車で走っていた道。ここをチャリで走る自分を想像したものだ。まさかそれが現実になるとは。
 ひと汗かくと気分ものってきて、快調に坂を登る。天候も回復の兆しを見せ始める。トンネルを抜けるごとに山の斜面の雪が増えてゆく。坂巻温泉の一般車通行禁止ゲートを、係官の妙な視線を感じながら通過した。

 国道から離れ、青信号のままの釜トンネルへ突入。突如坂が急になり、押しに転じる。あまりに急で、荷物をつけたチャリが思い。その時トンネル内に爆音が轟いた。車である。この暗く狭いトンネルでは異常な圧迫感があり、巨大で得体の知れないものが迫ってくる気がする。そこへ小さなトラックが抜いていき、テールランプがカーブの向こうへ消えていった。爆音だけがグワーンと響き消え入る。音から判断すると、出口もそう遠くない。

 釜トンネルを出る。青空に雪山が眩しかった。
 前方に登山者やネイチャースキーヤー(クロスカントリー)のパーティーが見えてくる。

 ようやくペダルを漕げるような傾斜にはなったが、太ももパンプ寸前である。路面の所々についている雪は氷に近く、走行に神経を使う。

 スキーを持って歩いている一団の中を走り抜ける。
「うわあ、自転車だ。がんばってえぇ」
 などといったオババ達の茶色い声を背に快調に走り、上高地バスターミナルへ到着。この時点でかなり充実していたが、明日の西穂高岳登頂を目指して西穂山荘へ向かうべく、山の準備に入る。チャリ品はその場へデポし、プラスチックの登山靴に履き替えザックの荷を詰めなおす。

 上高地の静寂を破って正午の時報が辺りに鳴り響いた。遠く西穂稜線がくっきり青空に映えている。

 この時期、上高地側からの西穂入山者は稀のようで、ほとんどラッセル状態だった。樹林帯の斜面を直線的に急登する。アプローチの自転車ですでに疲労している上、2時間の急登後、「山荘まで1h30」の標示に絶望する。
 うねうね歩きながら、いつかパフィーの二人が頭の中で歌を繰り返し歌っていた。

 近頃わたしたちはあー
 いいいい感じぃ
 わるいわねえ ありがとねえ
 ムムムムムウ ムムムムムーウー

 奥田民生の策略か。何度も何度も歌い続ける。
「もう消えてくれ」
 そう思っても彼女らは同じフレーズを繰り返し続けた。「ムムム」の部分の歌詞はどうしても出てこない。

 林間に微かにのぞく青空(スカイライン)を目指す。今の希望はまずそこへ達することであった。案の定そこからは更なる登りがうねうねと続くのだが。

 樹林の向こうに見える「白」は空か、雪か。空であってくれ。

 頭上の丘を指して岩瀬さんが言った。
「あそこの上に小屋があったらどんなにいいだろうな」
 その時、心から思った。ほんとにどんなにいいだろうと。そう簡単にはいかないのだ、そう簡単には。

 もうそろそろのはずだと思い、前方を見やると、樹林間に小屋が見えた。
「やった、着いた」
 と思い嬉しくなった。しかし近付くほどに気力は失せていった。それは木と雪が作り出した単なる幻影でしかなかったのだ。

 足運びもままならなくなった頃、実在の山荘の屋根が見えてきた。目の前と思ったそれも、この時ばかりは意外と遠かった。

【3月15日】
上高地からの雪道走行 夜中、雪がテント地を滑る音に何度か目を覚まされた。起きると降雪でテントが狭まっている。悪天に様子見と理由付け、再び寝袋へもぐり込む。8時をまわった頃ようやく起き出すも、雪は降り続き、視界も悪い。それでも西穂山頂を目指すことにする。

 我々の発つところへ、小屋泊の五人が降りてきた。独標手前までで引き返してきたとのことで、そこまで2時間かかったらしい。視界の悪い中、彼等の踏み跡をたどり、登高開始。
 途中踏み跡は消えたが、独標まで約一時間。この先は岩稜で、小ピークのアップダウンを繰り返すが、前日に続いてきつい。しかしこれこそ登山だという心の声が、北アルプスの白い空気にこだました。

 先が見えずあと幾つピークを越えるのかわからない。そんな中、目の前に白い雪よりも更に真っ白なライチョウがたたずんでいた。

 足下を見ながら必至で登っていると、突如すぐ上に西穂山頂の標識が立っていた。
「2909m」
 初めて冬季北アの頂上に立った。自転車と全く違う世界。まわりは何も見えない。
 ここまででこの日の行動はいっぱいいっぱいだった。

 岩稜を踏み跡通りに小屋へ戻る。途中二人が登ってくるのに出会ったが、翌日の話では彼等は頂上には達しなかったとのこと。往復4時間半。結局この週西穂山頂に立ったのは我々だけのようだ。




【3月16日】

 相変わらずの雪。二晩で何十センチ積もったのだろう。

 9時半出発。山荘からいきなり下降点で迷う。積雪で辺りの雰囲気は一変していたためだ。南側に踏み跡を見つけ、そこから雪面に微かに凹む踏み跡と、赤布の目印をたどる。膝までのラッセル。場所によっては足がズボリと股までもぐり、いちいち抜くのに苦労させられる。

 少し下るとルートは最悪になってきた。とても歩ける状態ではない。方々で足がズボリズボリと罠にはまるのだ。次の一歩が沈むかどうか、足を置くまでわからない。

 ザッザッザッズボッ、ヒーヒー、
 ザッザッズボッズボリ、
 ザッズボッズボッザッザッザッザッズボッザッズボッズボリ、ヒーヒー
 ザッズボッザッズボッズボッ……ワハハハハハ

 その滑稽に思わず笑いが込み上げてきた。極端な状況は笑いをもたらすようだ。

 2時間10分の労苦の末、帝国ホテルが見えてきた。小雪の舞う上高地バスターミナルで我がチャリが待っていた。その時、二日前とまったく同じ、正午の時報が辺りに高く響いた。

 カッパ橋へ向かうも架け替え工事中で、写真を撮ろうとファインダーをのぞいたが、上高地でもどこでも変わらない感じだ。下界へ下ることにした。
 観衆の熱烈な声援に応えつつペダルを漕ぐ。腐った雪道の下りにスピードを出し過ぎ、タイヤをとられる。
「こける、こける、ウォー」
 と思いながらガガーッとこける。幸い損傷なく、チェーンはずれとハンドルの曲がりを強引に直し、今度は慎重に走り出した。

 坂巻温泉まで歩き下る登山者、スキーヤーらを追い抜く。この風景にチャリはいかにも不似合いである。でもその不似合いが実に爽快なのである。

 街に降りるにつれ、雪から雨へと変わっていった。登りの半分の時間で松本へ入る。空腹を抱えラーメン屋へ入ったが、我々が臭くて汚いからか、注文を取りに来なかった。

1997/3記


 山とチャリを組み合わせたスタイルは、これが最初であった。これをきっかけに、意識的に山とチャリで自由に動きまわろうと、いくつか企画を実践するようになったのだと思う。
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