反省



「万丈目って恋をしてるか?」
 突然のヨハンの言葉に、万丈目は思いっきり訝しむような顔を向けた。
 ヨハンは特に気にした様子もなくパラパラと万丈目から受け取った次の大会資料をめくる。
 資料はごく真面目に大会内容や参加者情報が書いてあるだけ。
 どう頑張っても恋だなんだという話題に結びつく物ではない。
 呆れたように息をついて万丈目は目の前の仕事から手を離した。
「突然何の話だ。」
「十代の話。」
 ヨハンが資料から顔を上げて、部屋のソファーにうつ伏せで倒れている十代を見た。
 万丈目も鬱陶しそうに目を向ける。
 それから切り捨てるように言った。
「あのバカの話なら興味がない。」
 万丈目の仕事部屋である万丈目グループ本社の一室に十代とヨハンを呼べば、十代は最初ソファーでぼんやりしていたのに、そのうち落ち着きなく辺りを見回したり頭を抱えたりしはじめ、そうして最後には倒れてしまった。
 人の話も聞かずに訳の分からない事をしている十代に、万丈目は当然怒鳴ったが効果はない。
 万丈目はグループのデュエル事業関係をいくつか受け持ち、その立場と自身が精霊を見る事が出来る力を使って意外と各地で起こる精霊関係の事件を十代やヨハンへと仲介する事もしている。
 十代に仕事を回し、プロ活動をしているヨハンのスポンサーもしているので、2人を呼んだのは当然理由があっての事。
 雑談の為に2人を呼ぶなんてそんな暇はない。
 出来ればさっさと話を終わらせて仕事や勉強に戻りたい。
 けれど十代がこの様子では話が止まってしまい、万丈目は随分と苛立っていた。
「なんだか定期的にこうなるんだよな。」
「だから無駄話には付き合わんと言っているだろう。」
「恋愛ってこんなもんなのか?」
 万丈目の苛立ちは一目瞭然だったが、仕事の手を止めてしまったのでこちらの話を聞く気はあるというのを態度が示している。
 どうせ十代がこれでは話が進まない。
 だからヨハンは気にしないで再度尋ねた。
「万丈目の方もこんなもんか?」
「………、人に聞くな、自分を参考にしろ。」
 ため息交じりに万丈目が答えた。
 どうやら完全に諦めたらしい。
「オレはまだデュエルが楽しいから恋愛とかはいいかなー。」
「そもそも、このバカには普通の意見など参考にならないだろう。」
「そうか?」
「不動遊星、だったか。」
 遊星の名前に十代が反応してそろりと顔を上げた。
 そんな十代の目に万丈目の酷く呆れた顔が映る。
「正直オレは、男を相手に気持ちが悪い、としか言えんな。」
 きっぱりと万丈目が言った。
 それでも十代を見る目には呆れしかなく、拒絶や嫌悪といった感情は見えない。
 十分過ぎると思って十代は力なく笑った。
「まぁ、そりゃそうだよな。」
「笑っている余裕があるならさっさと仕事を選べ。」
「今はどれを選んでも出来る自信がない。」
「甘ったれるな。」
「だってさぁ…。」
「十代の奴、自分でバカみたいな墓穴掘ってバカみたいに落ち込んでんだよ。」
「………、それを聞かないと話は進まないのか?」
「そう言わずに笑い話だと思って聞いとけって。」
「人事だからってひでぇ…。」
「と言うわけで十代、よろしく。」
「しかもオレが自分で喋るのかよ…。」
 本当に酷いと思いながらも、そうしなければヨハンがしつこいだろうし、万丈目も早くしろと目で訴えているので、十代は大人しく一昨日の出来事を話し始めた。

 いつものように遊星の所に遊びに行った帰り、遊星がD・ホイールで家の前まで送ってくれた。
 赤色のD・ホイールはゆっくりと減速して静かに止まる。
 遊星は乱暴な運転をする人ではないが、十代を乗せていると殊更丁寧になる。
 ライディングデュエルをしている時と比べれば随分な違いだ。
 通常の運転とライディングデュエルを比べるのも、1人の時と2人の時を比べるのも、両方とも違う話で比べるのはおかしいかもしれないが、何となく十代は気付かれないように笑った。
「十代さん、着きました。」
 完全に停止して遊星に声をかけられてから十代はD・ホイールから降りる。
 借りていたヘルメットを返せば、受け取った遊星もD・ホイールから降りてヘルメットを脱ぐ。
 十代の家の前に到着すれば、後は簡単に挨拶をして別れるだけ。
 送ってもらったお礼に家に少し寄って行くか、と十代が言う事はない。
 理由は単純に時間の問題だ。
 ここで時間を取らせては遊星が家に着く頃は随分と遅い時間になってしまう。
 泊まるわけでもなければ、ここですぐにお別れ。
 十代が降りたらすぐに帰ってもいいのに、いつだって遊星は最後まで見送りたがる。
「悪いな、いつも送ってもらって。」
「いいえ。」
 シティからサテライトまでは随分と距離がある。
 往復なんてかなりの手間だ。
 それなのに、送ります、と言ってくれる遊星の言葉に十代は頷いてしまう。
 たまには何とか断るが、大抵は断った時に見せる遊星の酷く残念そうな顔に十代が負けてしまう。
 往復すれば遊星が帰るのはかなりの深夜、というわけではなければ、どうしても押し切られてしまう。
 大変なのは遊星の方なのに。
 いつも十代はそう思う。
 遊星にしてみれば、いつも来てもらっているのだから送るぐらいは、という事らしいのだが、だったら別の方法でその気持ちを返してくれないだろうかとも時折思う。
 そうして今日は何故かその気持ちが強かった。
「送ってもらっといて今更だけど、帰るの大変だろう?大丈夫か?」
「はい。」
「でもさ…。」
「オレがやりたいだけなので、十代さんは気にしないでください。」
 慕われていると思えばいいのか、大切にされていると思えばいいのか。
 真面目な顔をして言われると、酷く気恥ずかしくてくすぐったい。
 咄嗟に返す言葉が出てこなくなる。
 きっと遊星の言葉を嬉しく思っているからだ。
 だから素直に受け取って笑っておくのがお互いの為に1番良いと思う。
 けれどふと湧いて出てきた気持ちを抑えきる自信が十代にはなかった。
「………、遊星。」
「はい。」
 何ですか、と問うような目を向けて遊星は黙って十代の言葉を待つ。
 暫く十代が黙り込んでも、不思議そうに少し首を傾げたが、焦れて急かしたり立ち去ったりするような事はしない。
 本当にいい奴だと本心から思う。
 思うのだけれど。
「オレ、暫くそっちには行かないから。」
 散々遊星を待たせた後に十代はそう言った。
 きょとりと遊星が目を丸くする。
 十代が遊星の所に遊びに行く時には前以って連絡がなく、それと同じようにぷつりと来なくなる時も連絡はない。
 いつだって十代が好きなように遊星を訪ねてくるので、前以って来ないと告げられる事は酷く珍しかったから、遊星は少しだけ驚いた。
「仕事ですか?」
 長く遊びに来ない時は殆ど仕事が理由だ。
 だから遊星が、ほんの少し表情は寂しそうだが、声はいつもと変わらない様子で確認するように尋ねる。
 それに十代は首を横に振った。
「行きたくないから、行かない。」
 そうしてそんな事を何も考えずに行ってしまった。
 遊星が言葉を詰まらせたのが分かった。
 十代も言ってしまった後に、しまった、と血の気が引く。
 行きたくないというのは嘘でも冗談でもなく本心だったが、それにしたって言葉を間違えた。
 これではただ遊星を傷付けるだけの言葉だ。
 案の定、遊星はショックを受けたように呆然としている。
 ここで何か弁解をしておけばよかったのだろうが、ごちゃりとした気持ちと失敗したという焦りとで、何よりも間違った選択肢を選んでしまった。
「………、それじゃあな!」
 弁解も何もしないまま十代は走ってその場から逃げてしまった。
 遊星の事だからしばらくその場に立ちつくしていそうだが、確認するなんてとてもじゃないが出来なかった。

 思い出しても落ち込む事を話し終われば、万丈目だけでなく、これで聞くのが2度目になるヨハンまでも深々とため息をついた。
「バカだろう貴様は。」
「バカだよな、やっぱり。」
「バカって2人で連呼するなよ…。」
「バカなんだから仕方なかろう。自分の不始末にぐたぐたと悩むくらいだったら、さっさと電話をするなり会いに行くなりして誤解を解け。」
 そうして仕事を片付けろ、と机の上にある数枚の資料を叩いた。
 それに目を向ける事もせずに十代が頭を抱える。
「無茶言うなよ!行きたくないって言っちゃったんだぜ、オレが自分で遊星に真正面から!」
「そんなのは知った事か。」
 騒ぐ十代を完全な呆れ顔で万丈目は眺める。
 今の悩み事など学生時代の様々な事件に比べれば悩む必要すらない程に些細な事だと感じる。
 誰よりも事件の中心に立っていたのは十代なのだから、万丈目以上に十代の方がそう感じそうなものなのに、いまだかつて見た事がない程に十代は鬱陶しく悩んでいる。
 ヨハンは困ったように肩を竦めた。
 それはこんな十代を見慣れたと言っているように見えて、万丈目はやっぱり呆れた。
 恋愛がどうのと多少関係があるにしても、もとより十代がバカなんだと再認識して1人頷いた。
「バカな事を騒いでいないで、さっさとその見苦しい姿を躊躇いもなく晒して、行かないから会いに来い、と真正面から言ってこい。」
「何で遊星には通じないのに万丈目には通じるんだよ!」
「貴様らが揃って馬鹿なだけだ!」
「遊星の事を悪く言うなよ!あいつすっげー頭いいんだからな!」
「貴様に振り回されている時点で同レベルだと証明しているようなものだろう!」
 いいからさっさと仕事を選べ、と乱暴に立ち上がった万丈目は十代の顔に資料を思い切り押し付けた。
 痛っ、と悲鳴は上がったが、それでも大人しく資料は受け取る。
「ヨハン、このバカのペースに付き合って次の大会を失敗するなんて事はないようにしろよ。」
「それは分かっているけど…。」
 ヨハンも一応はプロを名乗っている身なので、そんな事を言い訳にする気も、失敗の原因にする気もない。
 ただ十代と一緒に住んでいるので、完全に引き摺られずにいられるか、と聞かれると少し不安が残る。
 遊星の所に行かないと宣言してしまったので、十代が家にいる時間は長くなる。
 十代が仕事に行ってしまえば大丈夫かと思ったが、それはそれで不安になりそうだ。
 歯切れの悪い返事に万丈目も頭を抱えたい気持ちになった。
 何か手立てはないかと考えれば、1人の青年の姿が頭に浮かんだ。
「だったらこういう話は師匠の方にでも持って行け。その方が適任だろう。」
「師匠?」
「吹雪さんに決まっているだろうが。」
 学生時代に本来は先輩だけれど色々あって同学年になった青年。
 十代とヨハンの頭の中で、綺麗な顔に人好きのする笑顔を浮かべた吹雪の姿が、ぽんっと頭に浮かぶ。
 思い浮かべたのは2人ともほぼ同じような笑顔の吹雪だったが、反応はそれぞれ違っていた。
「よし、それじゃあそうするか。」
「ごめん、吹雪さん!オレあの人の言っている事が今でもよく分からないからパスで!!」
「我儘を言うな!だったらさっさと何とかしろ!!」
「出来たらやってるに決まってるだろうが!!」
「だから甘ったれた事を言うな!!」
 怒鳴り合いになってしまった十代と万丈目を見て、ヨハンは肩にいるルビーを指で撫で、大音量から逃げてきたハネクリボーを頭の上に乗せた。
 おジャマ3兄弟は万丈目の周りをうろうろしているが、火に油を注いでいるようにしか見えない。
 堂々巡りになって当分この口論は終わらないだろう。
 ちらりと時計を見て時間を見る。
 どのくらいで終わるかなと思いながらヨハンは携帯電話で吹雪の番号とアドレスを確認する。
 最終手段として使わせてもらおうと頷き、とりあえず暫くは悩む十代と叫ぶ万丈目の様子を呑気に眺める事にした。





□ END □

 2010.07.15
 遊星をしょんぼりさせるのが好きですが、十代はうわーっとなって頭を抱えさせるのが好きらしい





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