質問



 何かに集中している時間はわりと好きだったりする。
 1つの事に集中すると、本当にそれだけしか見えなくなり、他の事が一切疎かになってしまう。
 睡眠も食事も疎かになってしまうので、ジャックに呆れられクロウに怒られるなんて事はよくある。
 それでも1つの事だけを考えるその時間は好きだった。
 D・ホイールの整備でも、デッキの調整でも、プログラムの作成でも、どれでもいい。
 始めてしまえば自然とのめり込み、気付けば時間は過ぎていく。
 それがいつもの事。
 別に、集中しよう、と頑張っているわけではない。
 勝手にそうなるから呆れられたり怒られたりする程に他の事が見えなくなってしまう。
 それなのに今日はどうも調子が悪かった。
 工具を置いて一息つく。
 特に煩いわけでも何が聞こえるわけでもないのに、周りの音が気になり集中出来ない。
 体調でも悪いのだろうかと思ったが自覚症状はこれと言ってない。
 1人首を傾げる遊星に気付いたクロウが、どうした、と声をかける。
「何か面倒な故障でもあったか?」
「いや、そうじゃない。」
 確かに直したい場所は見つけたが面倒という程ではない。
 どうすればいいのかちゃんと分かっているし部品もある。
 ただどうも集中出来ない今の自分の調子が気になって、このまま集中力を欠いた状態で下手に手を出すと本当にクロウが言う面倒な故障にでもなりかねない。
 どうしたんだろう、と1人考え込む。
 黙って考え込まれてもクロウには内容がさっぱり分からないので、とりあえず遊星のD・ホイールを覗き込んだ。
 そんな2人に、ジャックが何となく気になった事を呟いた。
「そう言えば、今日はあいつを見ていないな。」
「あいつ?」
「十代の事だ。」
「ああ、そういえば。」
 不具合の場所を見つけながらクロウが頷く。
 何をするわけでもなく毎日のように来る十代の存在は、ジャックもクロウもすっかり慣れてしまった。
 よく遊びに来るアキや龍亞や龍可よりも訪ねてくる頻度は高いので、慣れるのも仕方がない。
 だから、そういえばそうだな、と思ってジャックは何となく呟いた。
 特にこれと言った意味はない。
 強いて言えば遊星を気遣う声がクロウのものしかなかったなと思ったから言ってみただけだった。
 でも何故か遊星がますます難しい顔をして考え込んでしまった。
 気付いたジャックとクロウがお互いの顔を見合わせる。
 もしかして話題に出してはいけなかったのだろうか。
 遊星が心から十代を慕っているのは見ていれば分かる。
 良くも悪くも相手が誰であろうと態度を変えない遊星が敬称を付けて呼び丁寧に話しているのだから、違いが分かりやす過ぎていっそ微笑ましくさえ思う。
 そんな遊星に十代の話題を出して困る事。
 喧嘩でもしたのだろうか、と一瞬思ったが、そんな光景は想像できなかった。
 考えても分からないなら素直に聞けばいい。
 先に吹っ切れたジャックが遊星に声をかけた。
「何かあったのか?」
 いかにも、悩んでいます、という雰囲気のままずっといられては気になって仕方がない。
 片付けられる事ならさっさと片付けろと思いながら尋ねれば、少し悩んだ後に遊星は首を横に振った。
「いや、そういうわけじゃない。」
 一頻り悩んだ遊星はD・ホイールの整備に戻る。
 訳が分からないが、本人が何でもないと言うならとりあえず放っておこうと、ジャックとクロウもそれぞれやっていた事に戻った。
 けれど暫くして再び遊星が手を止める。
 じっとD・ホイールを見つめているが、考えているのは全く別の事。
「………、なぁ、クロウ。」
「あ?」
 クロウを呼んだのはジャックよりも近くにいたからで、特に意味はない。
 質問するのはどちらでもよかった。
 どちらでもいいので、答えが分かりきっている質問をぶつけてみたかった。
「男が男にキスを迫られたらどう思う?」
「はぁ!?」
 クロウが素っ頓狂な声を上げて、持っていた工具を落としてしまった。
 同時に遊星の声が聞こえたらしいジャックがテーブルに思い切り足をぶつけていた。
 妙に大きな2つの音が変に静まり返った部屋の中に響く。
 実際は特別静かになったわけではなかったが、遊星のあまりにも突拍子のない質問に細かい音なんて頭に入ってこなくなっていた。
「え、ちょ…、えぇ!?何だよその質問は!」
「まさかそんな奴が現われた事にぐたぐたと悩んでいるわけではないだろうな!」
「そうなのか!?てかそんな奴がこの辺にいるのか!?」
「どう思う以前にそんな奴は殴り飛ばしてしまえ!」
「殴るでも蹴るでもどっちでもいいから、そんな奴相手に遠慮する事ねぇって、マジで!」
「いや、別に実際に言われたわけじゃない。」
「………、え?」
「………、じゃあその質問は何の意味があってのものなんだ?」
「………、常識的な意見が聞きたかった?」
 何故か自分から尋ねた事なのに、遊星は不思議そうに首を傾げる。
 そうして再び悩み込んでしまった遊星に、ジャックとクロウは揃って深くため息をついた。
 意味が分からない。
 2人の気持ちはこの一言で一致した。
「まったく…、何を悩んでいるか知らないが、そんなくだらない事を言い出すな!」
「すまない。」
「妙な驚かせ方しないでくれよ…。常識的意見も何も、大半の奴が普通はそうだろう?」
「ああ…、そうだな。」
 そう言って遊星は頷き、そしてまた考え込んでしまった。
 意味が分からないとはっきり顔に書いてある2人には悪いが、流石にこれ以上は何も言えなかった。
 勝手に質問をしておいて酷いとは思うが、仮定の話をしただけでこれだけ騒がれたのだ。
 キスをしたいと、言われたのではなく自分が言いたい側だなんて告げたら、一体どんな反応をするのか。
 さっきよりもずっと派手な騒ぎになる事は目に見えているので、これ以上は黙っている事にした。
 遊星としてもはっきり言葉に出したくはない。
 自分だってまだ半ば信じられないでいる。
 十代を相手に、そんな事を思った自分がいるだなんて現実は、信じられないし信じたくない。
 でも事実なんだと分かっている自分も確かに存在している。
 色々な感情が入り混じって気持ちが悪いくらいだ。
 でも先程ジャックが、十代が来ていない、と言った時に感じた寂しさやもどかしさは確かで。
 考えてみればきっとそれが集中出来ない原因だ。
 他に思い当たる事は何もない。
 ただ、十代が来ていない、それだけ。
 それだけでいつも出来ていた事が出来ないなんて随分と酷い有様だ。
 ため息をつきかけて、ここで何かしてはジャックとクロウにいらない心配をかけると思って飲み込む。
 十代を尊敬している気持も慕っている気持も間違いなく本物で嘘はない。
 でも何処かで道を外したらしい。
 十代の優しさと信用を裏切ってしまったような気分だ。
 加えて今のジャックとクロウの反応を見れば、自分がいかに愚かな事をしてしまったか嫌でも実感出来る。
 それでも思ってしまった。
 抱きしめてみたいと。
 キスをしてみたいと。
 いつものように他愛無く過ごしていた時に、楽しそうに笑う十代を見ていれば、ふとそんな事を思っている自分に気が付いた。
 しかも無意識に手を伸ばして十代の腕を掴んでいたので、遊星、と不思議そうに十代が自分を呼ぶ声がなかったら実際に抱き締めていたかもしれない。
 有り得たかもしれない可能性に遊星は落ち込んだように俯いた。
「………、おい、遊星。お前本当に大丈夫か?」
 それが挙動不審だったのだろう、不安そうにクロウが声をかける。
 睨むようにD・ホイールを見ていたかと思えば、急に辛そうな顔で俯かれて、そんな状況を見てしまえば心配にもなる。
「ああ。大丈夫…、な筈だ。」
「頼りねぇよ。」
「大丈夫だと言うならそういう態度でいろ。問題があるならさっさと片付けろ。」
 ジャックは簡単に言ってくれるが、そんなのは無理だと遊星は心の中で反論した。
 きっと何でもない顔で通すには少し時間がかかる。
 片付けるなんて時間がかかるどころか出来そうにない。
 この問題を片付けるには、この気持を諦めるか、風化をじっと待つか、結果はどうあれ素直に十代に打ち明けるか、そのどれかだろう。
 最後はとても選べそうにないし、最初が簡単に選べれば苦労しない。
 時間の経過を待つのが無難か、と今度は我慢しきれずにため息をついた。
 そう答えは出ても作業に集中する気になれない。
 それどころか何故かとても十代に会いたくなった。
 何でもない顔で十代と接するのはきっと難しいだろうが、それでも無性に会いたかった。
 ああやっぱり好きなんだ。
 浮かんでくる衝動に対して遊星は静かにそう思った。
 十代が相手だというのは酷く辛いが、でもほんの少しそれが心地よくも感じ、そっと笑った。
「出掛けてくる。」
「何だ急に。」
「少し十代さんに会ってくる。」
 突然立ち上がった遊星にやっぱり2人は不思議そうな顔をしたが、十代に相談でも行くのかな、と納得した。
「D・ホイールは大丈夫なのか?」
「気になるだけで故障じゃない。通常走行なら問題ない程度だ。」
「ならいいけどさ。でもよ…。」
「悪いが後の事は頼む。」
 十代の家はネオ童実野シティにあり、マーカー付きの遊星はあまり積極的に自分から訪ねる事はしなかった。
 自分が不審がられる程度なら構わないが、それが十代やヨハンに向けられるのは申し訳ない。
 でも、いつもで遊びに来いよ、と十代は言ってくれている。
 今はそれに素直に甘える事にした。
 どうせこのままずっと会わないでいるなんて無理だし、そんな事をするつもりもない。
 それなら会いたいと思う気持ちに素直に従ってしまった方がすっきりする。
 遊星はそう結論付け、クロウの言葉も聞かずにさっさとD・ホイールで走り出してしまった。
 悩んで訳の分からない事を言い出したかと思えばさっさと出掛けた遊星を2人はただ見送る。
 止めるつもりは全くない。
 ただ気になる事があったので最後まで人の話を聞いてほしかったとクロウは思った。
「いや…、もしかしたら十代が今こっちに来てるかもしれないから、まず連絡取った方がいいと思うんだけど…。」
「………、本当にどうしたんだ遊星は…。」
 あまりの素早さに呆然として力なく2人は呟くが、その声を聞くべき遊星の姿なんてとっくに見えなくなっていた。





□ END □

 2010.05.27
 これで「相談」の十代と見事に行き違い、しょんぼりした後にようやく携帯電話の存在を思い出せばいい





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