『楽園』






 ここは綺麗だね、と彼は笑った。

 2年前に別れ、そうして再び出会った彼は、別れた時と同じ場所に立ち、振り返ってそう言った。

 ここは変わらないね。
 2年前と同じ、とても綺麗で、優しい場所。

 彼もまた2年前と変わらない笑みを浮かべて、遠くを見た。
 確かにオベルという国は、とても綺麗で、優しい人達が住む国。
 遠くに続く青い海。
 同じように続く海よりも薄い青色の空。
 風は暖かくて海から離れれば花の香りがした。
 綺麗だと彼は言う。
 ボクはそれに頷いた。
 確かにここは綺麗で優しくて、繰り返される言葉に異論はなかった。
 けれど繰り返す言葉に、少し笑った。
 綺麗だと言う。
 ここはいい場所だねと言う。
 何度も、自分に言い聞かせるみたいに、繰り返す。

「キリル君。」

 赤月帝国からオベルに来た彼は、帰る事は考えていない、と言った。
 もう離れて過ごすのは寂しくて嫌だ。
 だからこれからは一緒にいたい。
 ここでルクスと一緒にいたい。
 真っ直ぐに向けられた言葉は本気だと分かっている。
 けれど本人も気付かないうちに嘘が混じった事も、分かっている。
 だから少し笑って、名を呼んだ。

 自分には肩書きがいくつか存在する。
 群島諸国の英雄。
 オベル王国の王子。
 後者はキリルと別れた後に明確にされた肩書き。
 どちらも響きは重くて、また新たに加わった肩書きは彼をとても驚かせて。
 優しい彼を遠慮させるには十分すぎた。

 ここは綺麗だね、と彼は笑う。
 リノにもフレアにも受け入れられ、この先生きる事になるだろう場所をい愛おしむうように、繰り返す。
 けれどその目は、ふと遠くに向けられる事があって。

 この旅が終わったら、今度は目的もなくただ色々な場所を見る為だけに、旅をしたいな。

 2年前に、そうポツリと呟いて笑った事を思い出す。
 遠慮なんて必要ない。
 確かに肩書きは重い響きを持っているが、彼の邪魔になるというならばそんなものはいらない。
 離れている間に考える時間はたくさんあって、もう結論は出ている。

 これからは一緒にいたいと言った、それは同じ気持ちで。
 だから帰るつもりはないと言った、それならボクも帰れなくても構わない。

 ここは綺麗で優しい場所で。
 記憶にはないが、確かにここは故郷で。
 だから愛おしいという気持ちはあるが。

 キミ以上に大切なものなど、ありはしないのだ。

 だから、名前を呼んで。
 その声に振り返って、嬉しそうにボクの名を呼ぶ彼に。
 笑みを浮かべて手を差し出した。

「一緒に何処かへ旅に行こうか。」

 もう2度とこの綺麗な場所に帰れないとしても。
 ボクにとってはキミと共にいられる場所にこそ意味はあり。
 一緒にさえいられれば何処であろうと、そこが1番綺麗な場所なのだから。





『引き続いて平和です』



*2周年記念の「平和」の続きっぽい感じになってます
  そしてひびきのキリ番リク、高波にさらわれるハーヴェイ、です




 釣竿があったから釣りをしてみよう、何てハーヴェイにしては珍しい事を思ったが。
 使われていたのが随分昔だろうと思われる物置に放っておかれた釣竿だ。
 ぼろぼろだなと思いながら使っていたが。
 まさか魚がかかったと同時にあっさり折れるほどとは思わなかった。
 竿がなくてはつりなんて出来ない。
 別にやろうと思えば方法はいくらでもあるが、でもそこまで頑張りたいわけではない。
「あーあ、折れた。」
「折れるだろう、あれは。」
「だよな。流れ着いた木の枝だったもんな、殆ど。」
 手元に残った釣竿の残骸を放り投げ、背中を合わせているシグルドに体重をかける。
 先程までは逆だったが、急に自分の方へと重みが加わり、おい、とシグルドが少し咎めるような声で言った。
 けれど気にする事なく寄りかかる。
 感じる体温は、陽の光を直接浴びるこの場所では暑いくらいで。
 けれどそれでも構わないかと思い寄りかかったままの体勢でぼんやりと海を眺めていれば。
 突然シグルドが立ち上がり、ハーヴェイはそのまま後ろへと倒れた。
 ハーヴェイは立ち上がったシグルドをじろりと睨む。
 けれどシグルドは、お前が何度言っても聞かないからだ、と返してきた。
 どうやらシグルドの言葉は聞いていなかったらしい。
 ついでにルクスとキリルに呼ばれたからシグルドは立ち上がったようだ。
 浜辺に立っている2人が呼んでいる声が聞こえた。
 寄りかかってきたのはそちらだと言うのに、シグルドはあっさり呼ぶ声に答えて行ってしまった。
 そうはいっても別に引き止める理由はない。
 ただ起き上がるのが何となく億劫で、ハーヴェイは桟橋に倒れたまま空を見上げる。
 このまま寝たら気持ちよさそうだ。
 多少暑いだろうがこのくらいならなんとでもなる。
 そう思えば何度目かの欠伸が出た。
 浜辺の方から3人の声が聞こえて、シグルドは何となく暫く戻ってこない気がした。
 それなら暇だ。
 寝てしまおう。
 鈍くなってくる思考の中でそう思い、ハーヴェイは目を閉じた。
 うとうととしていれば心地よくて。
 本当に眠ってしまっても大丈夫だろうと思えるメンバーなので、意識は勝手に深い眠りの方へと向かっていく。

「あ…!」

 ちょうど本当に眠ってしまうかどうかギリギリのところだったと思う。
 キリルの声が聞こえた気がした。
 慌てた物のような気がした。
 かと思えば、強い波の音。
 驚いたハーヴェイががばりと起き上がれば。
 目の前には大きな波が迫ってきてて、もうどうしようもない状況だった。
「な…っ!!?」
 ざばーん、と。
 大きな波にハーヴェイは飲み込まれ、その光景をキリルは呆然と、ルクスとシグルドは無表情に眺めた。
 本日の天気は快晴。
 波は穏やかで荒れている様子は一切ない。
 ただ、キリルの手には風の紋章が1つ。
 突然の大波の原因だ。
 波に攫われて海へと落ちたハーヴェイは、けれどこの辺りは浅い場所なので、すぐに海藻を頭に乗せて海の中から立ち上がった。
「あ、あの、す、すみません、ハーヴェイさん!」
「………、何やってんだ、お前達は。」
「えーっと、あの、その、ボクが紋章苦手だって話をしていたらルクスが教えてくれるって…!」
「それで今使ってみたところ。」
「最初から暴発してしまいましたね…。でも程度は弱いですから平気ですよ。」
「弱いって、凄い波だったぞ!?」
「お前が落ちただけだ、問題ないだろう。」
「あのなぁ!!」
「す、すみませんでした!!」
 居た堪れなくなってキリルは逃げ出した。
 そうなれば追うしかないと思うだろう。
 ぺたりと張り付いた海藻を海の中に放り投げ、待ちやがれ、と叫びながらキリルを追いかけた。
 ルクスとシグルドは辺りを駆け回る2人をただ眺める。
「………、どうしますか?」
「止める。」
「分かりました。」
 ルクスの言葉に反論する理由はないのでいシグルドは頷き。
 そして2人の視線は、加害者であるキリルではなく、被害者であるハーヴェイの方へと、当然のように向けられていた。





『物語の後に何処かの村で』






 暗い色の雲は、ルクスにとってはどうしても見慣れないものだ。
 故郷である群島諸国でも雨が降る時には暗い色の雲が空を覆ったが、でもこんなに長く青空が見えない日は続かない。
 ずっとずっと何日も空に見えるのは雲ばかりで。
 そこから落ちてくるのはふわふわと舞う白い結晶。
 周りを包むのは静まり返った痛い程に冷たい空気。
 故郷では縁遠いこれらは、何度見ても珍しいもののように思えた。
「今日も冷えるね。雪には不慣れなようだけど、ここでの生活はどうだい?困った事があれば遠慮なく言いな。」
 ぼんやりと窓の外を見ていれば、道具屋の店主が声をかけてきた。
 頼んだ道具を揃えながら明るい笑みを浮かべる。
 ここは優しい村だ。
 他の人達もそう言ってくれる。
 だからルクスは首を横に振った。
「平気です。」
「本当に?」
「………、寒いくらいで。」
「あはは、そりゃどうしようもないな。何せこの時期だ。」
 確かに仕方がない。
 今はちょうど冬で、この地方は寒さが厳しい。
 山を越えるつもりだったルクスは、もうこの時期は無理だから雪が解けるのを待った方が良い、と村人に止められた。
 別に急ぐ旅はしていない。
 ここで季節が変わるのを待つのも悪くないだろう。
 そう思って空き家を雪解けまで借りる事にした。
 日々の生活は、やはり慣れない雪と寒さが強敵で、でも穏やかな毎日だ。
 笑っている主人にルクスもそっと笑みを浮かべた。
「それじゃあこれが頼まれたもので、これはおまけだ。」
 カウンターに置かれた袋の上に小さな箱が置かれた。
「寒いのは仕方がないから、これに砂糖をたっぷり入れて飲みな。体が温まるよ。」
「お金。」
「子供は素直に受け取っておけ。」
 貴方と似たような年齢です、とはとても言えない。
「それに結構あんた達には色々助けてもらっているからね。雪かきとか、今もうちの息子が遊んでもらっているし。」
「………、ああ、そういえば…。」
「本当はこっちが助ける方なんだが。」
「いいえ、良くしてもらってます、本当に。」
「それならいいんだが、とりあえずこれは持って行きな。」
 袋の上の小さな箱を見て。
 この好意は素直に受け取ろうと礼を言った。
 笑みを浮かべる店主に軽く頭を下げて店から出る。
 途端に吹きつける冷たい風に体が震えた。
 コートを羽織ってマフラーをして手袋をして、それでも寒いものは寒い。
 積もった柔らかい雪の上を歩けば、足の先から冷えて行く感じがする。
 それでも借りている家には向かわず、村の真中にある広場の方へ向かった。
 冬でなければ旅商人などが来るらしいが、こんな時期には残念ながら来る事はない。
 大人達も雪かきや必要な事があれば出てくるが、そうでなければ家にいる事の方が多い。
 だがこの寒さも雪も子供達にはあまり関係ないようだ。
 楽しそうに遊んでいる子供達の姿があって。
 その中に1人だけ背の高い人が混じっている。
「あ…、ルクス!」
 子供達と一緒に遊んでいたキリルがルクスに気が付いて手を振った。
 一緒に遊ぼう、と子供達が家を訪ねてきたのは大分前。
 やる事があったルクスは家に残って、キリルは外へと連れていかれた。
 あれからずっと遊んでいたのか。
 そう思えばキリルにも子供達にも感心した。
「買い物に行ってたの?呼んでくれれば一緒に行ったのに。」
「今日は少ないから、平気。」
「そう?」
「何を?」
「ああ、うん。さっきまで雪だるまを作ってたんだけど…。」
 確かに広場には大小様々な雪だるまがある。
 少し前にも同じ事をしていたのによく飽きないなと思っていれば、笑顔のままキリルがルクスから距離を取った。
 気付いたルクスが不思議そうにキリルを見れば、何か白い物が飛んできた。
 相手がキリルと思えば一瞬反応が遅れて、冷たい塊が頭にぶつかった。
「………、冷たい。」
「あはは、今は雪合戦なんだ。」
「あーっ、キリル兄ちゃんやったな!」
 頭の雪を冷たいと思っていれば、ルクスの隣に立った子供が雪玉を持ちながら叫んだ。
 先程買い物に行った道具屋の店主の息子だ。
 他にも数人の子供達が集まってくる。
 そしてキリルも子供達に囲まれている。
 気付けば合図もなしに雪合戦が始まっていた。
「何やってんだよ、ルクス兄ちゃん!ぼさっとしてるとやられちゃうぞ!」
 どうやらすっかりルクスのチームとキリルのチームに分かれているようだ。
 最初はルクスを何処か怖がっていた子供達は、今となってはルクスを囲んでとても一生懸命に雪合戦をしている。
 何だか不思議な気持ちだった。
 それに気付いたのだろう、キリルがルクスを見て笑った。
「ルクス、荷物置いてさ、少し遊ぼうよ。」
「………、そうだね。」
 子供達が雪玉を作りながら、やったー、と嬉しそうな声を上げた。

 寒さも雪も慣れないけれど。
 こうやって子供達と遊ぶのも何だか不思議な気持ちだけれど。
 でもこの後に家に帰って暖炉に火を付けて、貰ったお茶を飲んで温まるのも楽しいだろう。

 今は急がなければいけない旅の途中ではなくて。
 ただ2人で一緒に過ごす為の毎日を過ごしているのだから。





『昼寝』






 ハーヴェイがキリルの部屋を訪ねれば、静かに、とキリルは真っ先に小さな声でそう言った。
 理由は見ればわかる。
 ベッドに倒れたキリルと。
 そのキリルにしがみついて眠っているルクス。
 眠っているルクスを起こすな、という事だ。
 普段眠りの浅いルクスがしっかりと眠っているのなら、それを無理に邪魔するつもりは一切ないけれど。
 この状況については突っ込んでいいのか、ほんの少しだけ悩む。
 でも好奇心の方が勝った。
「お前、何やってんだ?」
 一緒に眠ってるのならまだ分かるのだけれど。
 ベッドの上に横になってはいるが、キリルは全く眠そうではなく。
 熟睡しているルクスの腰には双剣がそのままだ。
「いや…、ボクも何がどうなったのか…。」
「せめて武器ぐらいはおけっての、危ないな。」
「あ、すみません。」
 腰から双剣を外してもルクスは起きない。
 ただ少し身動ぎをして、キリルにしがみついている腕に力がこもったが、それだけ。
「………、よくもまぁ、これだけ熟睡してるよな。」
「相当眠かったんだと思います。なんだかふらりと部屋に来て、ボクの方に倒れてきましたから。」
「それでその勢いで倒れて、そのまま?」
「はい…。」
 どうしましょね、とキリルは苦笑する。
 きっとハーヴェイが来なければルクスが起きるまでキリルは付き合うつもりだっただろ。
 でも用事があるのならそれは望めない。
 しっかりとしがみつかれているので、これはルクスを起こさないといけないだろう。
 でも出来るなら眠らせておてい上げたい。
 そんな気持ちでキリルは困ったようにハーヴェイを見上げた。
「ったく…、まぁいい。後でオレの所に来い。急用でもないからな。」
「すみません。」
「別に。悪いのはそいつだしさ。」
 人の気配が近くで動いていて、そこには音もあって。
 普段のルクスならすぐに起きるだろう。
 でも今はただずっと無防備に眠っている。
「………、本当に、どうしようもない奴だよな。」
 今更になってようやくこんなに無防備でいられる場所を見つけるなんて。
「え?」
「何でもない。急用じゃないけど、出来るだけ早くしろよ。」
「ボクがどうこう出来る事じゃないですけど、頑張ります。」
 そうして居場所になったキリルは全く自覚もなく笑うから。
 何となくハーヴェイはルクスの額を指で弾く。
 それでもルクスはやっぱり起きようとはしなかった。





 






NOVEL