手を繋ぐ
ぼんやりとした様子と時折覚束ない足取り。
本人はごく自然に振舞っていて気付く人はそうそういないだろう。
けれど残念ながらシグルドの動きを見慣れているハーヴェイには小さな違和感でも気になって気付いてしまう。
体調が悪いのかと理解するのに時間はあまりかからなかった。
そうと分かってしまえばどうしようかと少し考える。
本人は何でもない様子で貫き通すつもりだろう。
幸いにもあと3日くらいは船旅なので歩きまわる事も戦闘もしないですむ。
だったら放っておこうかな、とも思ったのだが。
「おい、シグルド。」
廊下で少し先を歩くシグルドを呼び止める。
「何だ?」
シグルドが足を止めて振り返った。
それと同時にハーヴェイはシグルドの顔面めがけて殴りかかった。
突然の行動にシグルドはただ驚くばかり。
その反応を見たハーヴェイはぴたりと動きを止めてため息をつく。
「ダメだこれ。」
「な…、んだ、急に…!」
「説教は後。とりあえず行くぞ。」
殴りかかろうとした手でシグルドの手を掴み、戸惑っているシグルドを引っ張ってハーヴェイは歩き出す。
「行くって何処に…!」
「医務室に決まってるだろうが。」
「………、そんな大事じゃない。」
「殴られかけて反応も出来ない奴は黙ってろ。無理するくらいなら医者に見せて薬飲んでさっさと治せ。」
シグルドからの反論はなかった。
ハーヴェイは間違った事は言っていないし、シグルドも言われて気付いたのだろうが、言われなければ気付けないくらい体調は悪いようだ。
掴んでいる手はいつもより熱くて、もう少し早く言い出せば良かったなとハーヴェイは思って自然と歩幅が大きくなる。
早く医者に見せて寝かせて、後はキカとルクスとキリルにだけは一応報告しておこうと考える。
「ハーヴェイ、手を放せ。」
「煩いな、振り払えもしない奴は黙ってついて来い。」
「そうじゃなくて…、放さないんだったら少しゆっくり歩け、速い。」
少し息切れした苦しそうな声に我に返る。
早く医者に見せなければいけないと考えている相手の手を掴んでいる事をようやく思い出した。
これでは人の事は言えないなと思いながら、悪い、とハーヴェイはばつが悪いそうに謝ってゆっくりと医務室を目指した。
頭を撫でる
廊下を歩きながら大きく体を伸ばす。
自然とこみ上げてくる欠伸を隠す事もせずに豪快にすれば、うっすらと膜を張った涙が視界を歪ませた。
ハーヴェイにキリルからの単独依頼が入ったのは3日ほど前の事。
一人でこなせるような内容なので、翌日出発で往復の移動と仕事を合わせても2日あれば事足りた。
しかしいくら簡単な任務でも体はそれなりに疲れるもの。
依頼を終え、報告を終え、とりあえず一眠りと、思う存分落ち着ける我が部屋を目指して何となく重く感じるような気がする足を動かす。
部屋に到着するとシグルドがいた。
相部屋なのだから別に驚く事でもないが、纏う雰囲気に違和感を覚える。
ドアに背を向け机と対峙しているので表情こそ不明だが、どんよりと濁った空気を放っているような気がした。
シグルドの周りだけ照明が落ちているのではないかと錯覚してしまうほどだ。
神経質で周囲の変化に敏感なはずなのに、ハーヴェイの存在に気付く様子もない。
傍目にはただ座って作業に没頭しているように見えるだろう。
しかし付き合いの長いハーヴェイから見れば、こんな些細な違和感を拾うくらいどうって事はない。
これは明らかにおかしい。
「…………」
落ち着ける空間に到着した事で無意識に安心した体と気持ちが一気に眠気を訴える中、ハーヴェイはシグルドの背中を見つめながらぼんやりと考えを巡らせる。
単独任務へと向かった相方の心配。
これは間違いなくない。
心配されるような任務内容でもないし、こんな事でここまで心配されようものならこれまでの自分達について色々と考えてしまうところだ。
では他に考えられそうな原因は何だろう。
もうそろそろ睡魔に負けてしまいそうな思考回路をほとんど無意識に回転させていたハーヴェイは、もう後でいいかと投げ出してしまいそうになったところで一筋の光を見る。
ハーヴェイが出発する前、シグルドは近々受ける予定になっている任務の作戦をたてていた。
それが少々大掛かりなもので、にも関わらず人手が足りず、誰をどうつかっていくかと頭を悩ませていたのだ。
まさかとは思うが―――――。
そっとシグルドの背後へと近づき手元を覗き込む。
机の上に散乱したメモの山を見て、憶測は確信へと変わった。
「……寝とけ」
そろそろ限界だと欠伸の回数が目に見えて増え始める。
珍しく眼下にあるその頭にポンと手のひらを乗せ、眠気に浸食された声で呟く。
ゆっくりと振り返った2日ぶりに見る顔は、クマの目立つ完全なる寝不足顔だった。
手当てする
シグルドは酷く呆れた顔で自分の相棒を見た。
ハーヴェイが先程の戦闘で怪我を負った、それは別に普通の事。
戦闘の中で怪我を負うなんてそう珍しい事でもない。
ただその治療があまりにも適当だった
大きな怪我ではないのでそう神経質になる必要もないのだが、それにしたって傷口を押さえておけばいいとばかりに適当に巻かれた包帯が気になって仕方がない。
そのうちほどけてしまいそうだし、他に薬を塗るなどの処置をしていないのでじわりと赤く染まっていく。
紋章を、と言いださないのは、まだもう少しあるこの先の事を考えてなのだろう。
町や船に戻ったら言ってくるとは思う。
本人がそれでいいのなら口出しするような事でもないのだろうが。
「………、ハーヴェイ。」
「あ?」
いつもと全く変わらない様子で振り返るハーヴェイに注意する気も失せた。
「腕を貸せ。」
「腕?」
「そんな巻き方だったら邪魔だろう。利き腕でなくてもまとわりついて支障が出る。」
「そうか?」
首を傾げて自分の腕を見るハーヴェイに、そうだ、と素っ気なくシグルドは言って腕を引っ張った。
小さく痛みを訴える声が聞こえてきたが無視をして怪我の様子を見る。
無理をすれば痛いようだが、そうでなければ問題はなさそうなので薬と簡単な応急処置で終わらせる。
綺麗に包帯を巻けば随分とマシになった。
「おー、サンキュー。」
動きやすくなった、とハーヴェイは笑うので、やっぱり動きづらかったんじゃないか、と小さな文句が漏れた。
片腕では手当がやりづらいというのは分かるが、ハーヴェイは怪我が多いの慣れている筈だ。
それなのに酷い有様だなんて、本人があまりにも面倒がっているのか、もしくは自分が手を出してしまうのが悪いのか、とシグルドは今までの行動を振り返ると自然とため息をついていた。
「今度みっともない事をしていたら酒の1本でもおごらせるからな。」
「何で急に有料なんだよ。」
「今回まではまけてやる。」
これでこれからはもう少しくらいマシになるだろう。
無視すりゃいいじゃんか、とハーヴェイが不満を漏らしたが、それは聞こえないふりをした。
ハーヴェイの言う事は尤もだなんて言われなくても分かっている事なのだから。
寝かしつける
大きな戦闘の後は誰しも気持ちが高ぶり、ある種の興奮状態に陥る。
それは戦闘経験が未熟な頃は勿論、ある程度の修羅場を駆け抜け経験を積み上げた後でも変わらない。
火照った身体と高揚する心、まるで獲物を探すかのようなギラギラした瞳。
戦闘の最中はそれもいいだろう。
しかし全てが終わった後では持て余す他ない。
1回や2回の深呼吸で消えてくれるならそれに越した事はないが、直前の戦闘が大きければ大きいほど高まった熱もより長くくすぶり続ける。
ここで求められるのが上手なクールダウンだ。
その方法は人それぞれで、時間をかけて己に合ったものを見つけ出していくのだ。
それはキリルとルクスがこれから通る道であり、ハーヴェイとシグルドが通ってきた道でもある。
「……しかし何時からかこうして適度な酒って方法見つけたけどさ、若い頃は俺達も色々試してみたりしたよなー」
「訓練場に行ったり、必要以上に長風呂したり」
「そうそう、風呂場なのをいい事に無駄に冷えた水かぶったりもしたなー、あれはさすがに心臓飛び出るかと思った」
「それはお前だけだ。人が止めるのも聞かずに……」
「チャレンジだよチャレンジ。何事も試してみるのが大事なんだよ」
「まあそれはいいとして……俺が忘れられないのは、とりあえずベッドに入って無理矢理寝ようとした時だな。お前の強烈な子守唄は思い出しただけでも頭が痛くなる」
「お、未だ記憶に残してくれてるなんて光栄だね。ご要望とあらばまた歌ってやるぞ」
「……冗談でも言うな。そんな恐ろしい事」
夜風と月明かりの下。
飲み過ぎないようにと予め決めた量だけ持参して嗜み、そして何となく話題に上ったものを何となく会話として成立させながら、何気ない静かな時間に身を置く。
本日のクールダウンは毎度お馴染みの酒と、そして懐かしの思い出話だった。
甘える
調子が悪い、と剣を握った手を見てハーヴェイは思った。
つい先程終えた戦闘を見てそうと気付く人は殆どいないだろう。
実際に戦闘は無事に終わり負傷者は出ず、ハーヴェイもかすり傷1つ負わずにすんだ。
けれど、調子が悪いな、とハーヴェイは自分の剣と剣を握った手を眺める。
試しに小さく一振り。
そして勢いよく振り上げる。
ハッキリと理由が言葉に出せるような不調ではないが、何かがおかしいと感じる。
動きは問題ない筈だ。
けれど何処か鈍いようなタイミングがおかしいような、とにかくどうしても微かに違和感が残った。
振った剣をもう1度眺めてハーヴェイはため息をつく。
そして自分の不調を確認して剣を戻した。
常に最善の状態でいるのは戦う上で大切な事と分かっているが、それでも時折こんな時はどうしてもある。
昨日の酒の席で無茶をしたわけでも、今日の事を顧みない行動をしたわけでもない。
それなりに気を使ってのこの結果。
理由も特に思い浮かばないので、これはこれで仕方ないと受け入れるしかないだろう。
「ハーヴェイ。」
シグルドの声が聞こえてハーヴェイは振り返る。
「どうした?」
「どうする?」
質問に質問で返されて一瞬ハーヴェイは不思議そうに目を丸くする。
それから、仕方ない、とでも言いたそうなシグルドの表情に、ハーヴェイはばつが悪そうに苦笑いを浮かべた。
「まぁ…、適当に頼むわ。」
何となく調子が悪い今に出来る事は、自分の調子を自覚して戦いに臨む事。
そうしてほんの僅かな不調に気付いた自分の相棒をいつもよりほんの少しだけ多く当てにする事くらいだろう。
抱き締める
「シグルド、抱き締めさせろ」
「却下」
突然身を乗り出したかと思えばそんな事を口走るハーヴェイに、シグルドは間髪入れず意思表示をする。
それは言葉だけでなく表情にも出ていたようで、それを見たハーヴェイの唇をまるで拗ねた子供のように突き出させた。
「何だよ、減るもんでもねぇのに」
「一体何なんだ、いきなり」
「いや、最近してないなーと思って」
「何だ、それは……」
ケロッと白状された理由にとうとうため息が零れる。
真面目な顔をして一体何を言い出すのかと思ったら、抱き締めさせろ。
理由を問えば、最近していなかったから。
軽い頭痛を覚え、シグルドはこめかみに親指の腹をぐいっと押し当てる。
今更そんな許可を取らなければならない間柄ではないのに。
ふとそんな思いが頭をよぎったところで、己の思考回路までもが頭痛の原因となるのは御免蒙ると、これ以上考えを巡らすのは止めにした。
NOVEL