手を繋ぐ
冷たい風が吹き抜けていく。
反射的に肩をすぼめたキリルの横では軽く手を擦り合わせているルクスの姿。
寒いのかと問わずとも判るその仕草に、ルクスよりも体温が高めだと自負しているキリルは少しだけ考える素振りを見せる。
寒い思いをしているのなら自分が少しでも温められればと思うが、しかし肝心の物を持ち合わせていない。
手袋やマフラー、ホッカイロ。
手渡せそうな物は何一つない。
まさか自分の服を脱ぐ訳にもいかないし、さてどうしたものか。
無意識に服の上を手でパタパタと叩いて「何か」を探していると、ふとそれが目に留まる。
そうだ、その手があった。
それを見つけた瞬間、パッとキリルの表情が明るくなる。
これなら手袋やマフラーと違ってすぐに貸す事が出来る。
それは二つあるが、しかし両方貸すとなると互いに背、又は腹を突き合わせるという奇妙なダンスのポーズになってしまうので、貸すのは一つだけ。
一つだけだがないよりはマシだろうし、少しでも寒さを凌ぐ何かになれればキリルとしては本望だ。
貸す前に胸のあたりでゴシゴシと拭ってからそれを差し出す。
未だ擦り合わせているルクスの両の手の片方を何も言わずにそれで軽く握れば、予想通りの冷たさと驚きに息を呑む表情。
繋がれた手と手の間から、微かな熱が生まれたような気がした。
頭を撫でる
「ルクスって凄いね。」
唐突にキリルが自分の気持ちを素直に伝えれば、ルクスはきょとりと不思議そうな表情を浮かべた。
長くて移動範囲が船内だけと限られる船旅の途中、あまりにも暇だったので、ルクスが見ていた海図をキリルも一緒になって眺めた。
そのうちルクスが暇そうなキリルを気遣ってか地図で場所を確認しながら周辺の海の特徴について話だしてくれた。
ルクスが自分から長く話をしてくれる事はキリルにとってとても嬉しかった。
内容が雑談ではなくとても真面目な物だという事もルクスらしくて気持ちが和んだ。
海の事は詳しくなく、特別強い興味もないが、折角ルクスが話をしてくれたのだからとキリルは真面目に聞いた。
それが一段落ついた時に、まるで本でも読み上げているかのように沢山の知識を教えてくれたルクスへ、キリルは純粋に感心して凄いと伝えた。
けれど無表情のように見えて僅かに困惑していたその表情は、やがてゆっくりと困ったような雰囲気を見せた。
黙り込んだまま僅かに視線を逸らしたルクスに、キリルは何かまずかっただろうかと少し慌てた。
「ごめん、話の途中に口を挟んで。」
「え…?ああ…、別にそんな事は気にしないで。」
「じゃあ、ボク変な事言った?」
「そうでもないよ。ただ…。」
中途半端に言葉は途切れてルクスは少しだけ視線を彷徨わせる。
ルクスがどうにか自分の気持ちを分かりやすく伝えようとしているんだという事は分かっているので、キリルはじっと黙ってそれを待つ。
やがてルクスは申し訳なさそうにそっと笑った。
どうやら上手く説明出来る自信はないようだ。
「変な感じがする。」
「変?」
「キリル君が悪いんじゃなくて…、ただボクが変な感じがする。ごめん。」
謝っているルクスが何を言いたいのかは残念ながらよく分からない。
何がどう変なのか全く伝わらないが、怒ってるわけでも嫌がってるわけでもないというのは雰囲気で分かる。
キリルは少し考えた後、徐にルクスの頭の上に手を置いた。
またしても不思議そうにこちらの様子を窺うルクスを無視し、キリルはそのまま少し乱暴にルクスの頭を撫でた。
小さな子供を思いっきり褒めるように綺麗な髪をくやくしゃにした。
鉢巻がずり落ちてとても強い海風に吹かれた後のようになったルクスを見て、ようやくキリルは満足したように手を放した。
「………、キリル君?」
「ルクスは凄いよ。」
「え?」
「色々知っているし、それから強いし優しいしかっこいいし。」
「………。」
「………、って言ったら、ルクスは嫌な気分になる?」
「嫌な気分…、では、ない…。」
「そっか。だったら褒めてもいいよね。だってルクスは本当に凄いから。」
ルクスがまた返事に困っている様子を見せた。
けれど嫌ではないと本人が言った通り表情に不快感は欠片も見えない。
だからきっと大丈夫だろうとキリルは思った。
素直な自分の気持ちはきっとルクスにちゃんと届いてくれるだろうと。
「ルクスって凄いね。」
重ねて自分の気持ちを伝えれば、ルクスはほんの少しだけ照れたような表情を浮かべたような気がした。
手当てする
ハーヴェイは珍しく「この場から逃げ出したい」という気持ちを抱えながらジリジリと後退りをしていた。
それを追うようにジリジリ近づいてくるのは、心なしか普段よりも大きく見えるルクスとキリルの二人。
それはきっと自分が、ここ数日戦闘で負った傷のせいでベッドの上での生活を強いられていたからだけではないだろう。
二人の表情は影のせいでよくは見えない。
しかしそれがより恐ろしさを増してハーヴェイに襲いかかっていた。
引き攣った笑いが浮かぶと同時にツツっと汗が背中を伝う。
「お、おいおい落ち着けって。俺はちょっと訓練場行って身体動かしたいなーって言っただけだろ? 別に戦闘に出る訳じゃないんだから……ッ」
「当たり前です。ハーヴェイさん、貴方自分が数日前まで生死の境目を彷徨っていた事をもう忘れたんですか?」
「俺はもう大丈夫だよ、この通り元気だし! 安静にしてるのも飽きたから、そろそろ身体が鈍らないようにしたいっつうか!」
「そんな事言ってまだ全快はしてませんよね。それなのにもう動き回ろうとするなんて、僕達が、何よりシグルドさんがどれだけ心配したか判ってはもらえないようですね……」
普段温厚な人間が発するとは思えないような低い声音と、無言のままのただひたすらな冷たい視線。
気づけばハーヴェイの背後は壁に阻まれ逃げ道を失っていた。
キリルがチラリと隣にいるルクスに視線を送り、ルクスがそれに応えるように小さく頷く。
そして二人でハーヴェイに向き直り、手にしていたそれを両手に構えた。
「……おい、ちょ、何する気だよお前ら!」
「僕達はただハーヴェイさんに一日でも早く全快してほしいだけです」
「だからって落ち着けって、なあ、おい……ッ!」
「でも判ってもらえないなら仕方ありません。荒療治です」
キリルの声を合図にルクスが素早くハーヴェイの横に回り込む。
何とか逃げようと試みるが、すぐに反対側をキリルに押さえられてしまい二人の見事な連携に不覚を取る。
二人が手にしている新品の包帯を前に、ハーヴェイはなすすべなく捕まるしか道はなかった。
*
「……あの、ルクス様、キリル様。ベッドに転がっているあのミイラ男は一体……」
部屋に戻ってきたシグルドが開口一番発した困惑気味の疑問の声。
それに二人はゆっくりと振り返り、一人は満足げに頷き、一人は清々しい笑顔を浮かべる。
自分達のやるべき事は全てやった、やりきった、という非常に達成感に溢れた表情だ。
ますます疑問符を浮かべるシグルドに対し、二人を代表してキリルが「荒療治です」と、そう答えた。
寝かしつける
寝不足と言うのはあまり褒められた状態ではない。
必要な睡眠は出来るだけ取るべきで、明日に戦いがあると分かっているならば尚更。
こうなると眠るのは義務と言ってもいい。
そんな事は分かっているし、眠れるのなら明日に備えてしっかりと眠りたいのだが。
「眠れないんだ…。」
酷く困り果てた顔でそう言ったキリルに、殆ど無表情だったけれどルクスもそれなりに困った顔をした。
夜遅くに部屋の扉を叩く音が聞こえ、気配にキリルだと分かりながらも開けば、顔を見るなりそんな一言。
一瞬固まったルクスは何とか我に返ってキリルを部屋に入れた。
「もしかして起こしちゃった?」
「平気、起きていたから。」
「………、寝なくて大丈夫なの?」
「ボクはいつもこのくらい。」
遅い時間だがルクスはこの時間で慣れているので明日に支障が出る事はない。
だがキリルは違うので平気と言ったルクスを少し羨ましそうに見た。
それだけ眠れない事に困っているのだろう。
「眠ろうとしたんだけど、眠ろうって思えば思うだけ眠れなくて…。」
「そう…。」
とりあえずキリルをベッドに座らせたルクスは困り顔のまま隣に座る。
眠らないと困るキリルを何とか助けてあげたい。
そう思うもののルクスはあまりそういう事で困った記憶がない。
自分はいつも眠る為にはどうしていたか。
その中で他の人の眠りを助けられそうなものはあるか。
考えても浮かばないので、一般的な睡眠を助ける為の方法は何だっただろうか、と思うがやはりすぐには浮かばない。
「………、とりあえず横になればいいと思う。」
「だよね。」
もうとっくにやっているだろうと思いながらもとりあえずルクスがそう言えば、やはり実行済みだったようでキリルは苦笑いで頷いた。
「ごめん。」
「謝らないでよ、急に来たボクが悪い。」
「うん…。」
何も浮かばないのは分かっているが、全く力になれていない事が悔しく、諦め悪くルクスは考え込む。
ふと目についたのは自分の右手だった。
「………、これでもよければ使うけど…?」
あまり褒められた方法ではないだろう。
それでもこのまま何もしないよりはマシだ。
そう思いながらルクスが右手にある風の紋章を見せた。
「………。」
「………。」
キリルが酷く悩んだ顔でルクスの右手を見る。
ルクスも他に方法があればよかったのにと思いながら答えを待った。
この中には眠りの魔法があり、ルクスの魔力では戦場での成功率はあまり高くないが、眠ろうとしている人間を眠らす事くらいは出来る筈。
本当にあまりいい方法ではないが、今はこれくらいしか出来なかった。
そしてキリルも、眠れないよりはマシ、と判断したようだ。
「お願いします。」
頭を下げたキリルを見て、今度時間が空いたら睡眠に関する本を読んでおこう、とルクスは心に決めた。
甘える
二人並んでベッドに腰をおろし何気ない会話を楽しんでいる最中、急にキリルが身体を横に倒し始める。
結果、隣に座るルクスの肩に頭を預ける形になった。
突然の事に軽く目を見開きながら「どうしたの」と尋ねると、キリルはそのままの体勢でぼんやりと頷く。
「甘えた」
「甘えた?」
「そう。以前ハーヴェイさんに甘えるって何をすればいいのかって聞いたら、ひっつけばいいんじゃね?って教えてもらった」
人前ですると怒られる。
それをこれまでの経験から学んだキリルは、二人きりになるこの時を見計らって実行に移したと言う。
「どう? 上手く甘えられてる?」
「判らない。けど、悪い気はしない」
「じゃあ成功って事でいいかな」
「いいと思う」
肩に温かな重みを感じながら微笑んだルクスは、同じようにキリルにゆっくりと体重を預ける。
キリルの髪に頬を埋めるように。
くすぐったかったが、それを理由に離れようとは思わなかった。
抱き締める
一瞬突き飛ばされたのかと思った。
突然の衝撃にキリルは誰かが背後から自分を突き飛ばしたのかと思ったが、体が前へと倒れる事はなく、むしろしっかりと支えられていた。
背後から腹部の辺りにしっかりと回された誰かの腕。
見覚えのある手袋にキリルはそろりと背後を窺った。
「………、ルクス?」
何とか頑張って後ろを見るがルクスの顔は見えない。
背中に顔を押しつけているようで、見えたのはさらりとした茶色い髪にしっかりと結ばれた赤いハチマキくらい。
一体どうしたのだろうか、これはどういう事なのだろうか。
キリルの頭の中は疑問でいっぱいだが、その答えを持っているルクスはしがみついたままピクリとも動かない。
意味は分からないが振り払うなんてとても出来ない。
ルクスが動かないので、がっちりとしがみつかれたキリルも殆ど動けなくなる。
首や腕を動かすことくらいは出来るが、それ以上の事は何も出来ず、仕方なくキリルはぼんやりとルクスの気が済むのを待った。
ただ困った事にキリルは廊下を歩いている最中だった。
誰もが使う廊下の半分ほどをいつまでも占領しているのは心苦しい。
今は誰もいないが、ずっとこのままでは必ず誰かの邪魔になる。
「あの、ルクス?」
再び声をかければルクスの肩がピクリと揺れた。
背後を窺ったまましばらく待っていれば、ようやくルクスがそろりと顔を上げた。
いつもと違って何処か心許無い印象を受ける表情をしていて、恥ずかしそう、とでも言えばいいのだろうか。
「ごめん…、抱き締めたかった。」
そんな表情をしたままぽつりとそう言ったルクスを見た時に感じた気持ちの正体を、この時のキリルはまだ知らなかった。
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