ハーヴェイさんちのルクスくん
*タイトルの名前が左側にいるのは飼い主、右側にいるのが普通に喋るけど小さな犬という設定
「おいルクス、いい加減機嫌直せっての!」
「大丈夫だよ、もう気にしてない」
「嘘つけ!」
ハーヴェイに背を向け隅っこで膝を抱える小さな身体。
いつもはピンと立った耳や尻尾も、今日ばかりは元気なく垂れ下っている。
これではいくら「大丈夫だ」と言い張っても嘘である事がすぐにバレてしまう。
それなのにいつまでも頑固に見栄を張り続ける飼い犬を前に、ハーヴェイは腰に両の手を当てて大きくため息をついた。
「ちょっとキリルと遊べないからっていつまでも落ち込み過ぎ。明後日には帰ってくんだからさ、そんくらい我慢しろよ」
キリル。
その名にピクリと反応した耳は、会えない事を思い出したのかまたすぐにペタンと寝てしまう。
これはいよいよ重症だとハーヴェイの眉が八の字を作った。
シグルドと、その飼い犬であり、ルクスの大切な友達であるキリルは物資調達の為に今この船を離れている。
じっくり時間をかけて目新しい物のチェック、よりいい物を探したり値段の交渉をしたり。
帰ってくるのは順調にいって明後日といったところだ。
キリルを見送る時は特別変わった様子もなく普通にしていたルクスだったが、時間が経つにつれ段々と「数日会えない、遊べない」と実感してしまったのだろう。
もうずっとこの調子だ。
このままではキリルが帰ってくる前にジメジメし過ぎて腐ってしまう。
もう一度大きなため息をついたハーヴェイは、丸くなっている背中へと近づき、ルクスと目線を合わせるようにしゃがみ込んだ。
「なあ、キリルはシグルドの護衛っていう立派な仕事しに行ってんだ。お前と同じあの小さな身体でさ。寂しい気持ちも判るけど、ちょっとは応援してやれよ。お前がそんなんじゃキリルも頑張れないだろうが」
自分の事だけ考えて落ち込んでないで、キリルの事考えて応援してやれるよな?
寝てしまっている耳ごと頭をわしゃわしゃ撫でながら問うと、しばしの沈黙の後にしっかり縦に一回振られる頭。
よし、と、今度はご褒美に丸まった身体を抱き上げて再度頭を撫でまわした。
シグルドさんちのハーヴェイくん
ハーヴェイにはお気に入りの場所がある。
よく日の当たる甲板。
美味しい食事が楽しめる食堂。
思いっきり身体を動かす事の出来る訓練場。
そして。
「……おい、ハーヴェイ。いい加減起きてくれないか」
シグルドの困惑した声が室内に響く。
就寝前に読書でもとベッドに座って本を開いたまでは良かった。
しばらくして膝に温かな重みが加わったのにも気づいていた。
しかし今本がいい所だし、温かくて気持ちいからいいかと好きにさせておいたのがまずかった。
膝に加わった重みは飼い犬のハーヴェイ。
シグルドの膝の上にうつ伏せになって気持ち良さそうに大きないびきをかいている。
小さな両手を上に伸ばし、小さな両足も伸ばし。
いわゆる大の字。
伸ばした手首と足首がシグルドの膝から飛び出し重力に従ってでろんと垂れている。
普段は忙しなく動いている尻尾やピンと立っている耳も、今は本人同様静かにお休み中だ。
安心しきった無防備過ぎるその姿と寝顔は絶対の信頼を寄せてもらっている証拠なのだろうが、今回ばかりはそれが悩みの種。
自分だけのお気に入りの場所を守ろうとでもしているのか、膝にピタリと張り付いたまま寝がえりすらうつ気配はない。
動けなくなってしまった。
シグルドは小さくため息をつきながら、とりあえず膝の上に乗る小さな頭をそっと撫でた。
ハーヴェイさんちのキリルくん
ハーヴェイが部屋に戻ると、そこで自分の帰りを待っているはずの小さな飼い犬の姿がどこにもなかった。
いつもは「おかえりなさい」と尻尾を振って足元に飛びついてくるのに。
そんな事を考えながら何となく足元に視線を落とすと、その途中であるものを見つけた。
飼い犬の代わりに派手に床に転がっているのは何かの破片。
元はグラスか、それとも花瓶か。
カラスの破片が綺麗に散乱し、そしてその近くに箒が一本倒れている。
どれも部屋を出ていく前はなかったものだ。
この部屋の状況、そして珍しく出迎えに来ない飼い犬。
そのヒントでピンときたハーヴェイは、迷う事なく足を自身のベッドへと向ける。
用があるのはベッドの下。
すぐに膝をつき、上半身をべったりと床につけて隙間を覗きこむ。
それはハーヴェイの予想通り、ベッドの下の奥の方で身体を縮めていた。
「キリル」
丸まった背中に極力脅えさせないよう柔らかく声をかけると、それでもビクリと大きく震える肩。
恐る恐るこちらを振り返る飼い犬のキリルの目には涙が浮かんでいる。
「あの、僕水飲もうとして、そしたらグラス割っちゃって、それで、片付けようと思って、それで……」
なるほど、あれはグラスだったのか。
大方慌てて片付けようと箒を引っ張り出してきた所で主人が帰宅し、怒られると思って咄嗟に隠れてしまった。
そんなところだろう。
事情は大体飲み込めたし、ハーヴェイも何もグラス一個でぎゃーぎゃー騒ぐほど神経質でもなければ、割れたグラスに特別な思い出もないからそれ自体は気にしていない。
キリルも何も割りたくて割った訳ではないのだから仕方がない。
しかし、キリルは大切な事を忘れている。
それが判るまで手を差し伸ばす事は出来ないともう一度名前を呼ぶと、キリルは意を決したようにバタバタとベッドの下からはい出してきた。
「ハーヴェイさん、ごめんなさい……!」
割ってごめんなさい。
隠れてごめんなさい。
そう声を上げると、ベッドの下を覗きこんでいたハーヴェイの顔に体当たりのごとく飛びついてくる。
その衝撃に潰れたような変な声を上げながらハーヴェイが顔を、そして伏せていた身体を起こして胡坐をかくと、重力に従ってキリルの身体はストンとハーヴェイの膝に納まる。
尚も不安そうに「ごめんなさい」を繰り返すキリルに、ハーヴェイはよく言えたなと一つ頭を撫でた。
「最初から素直に謝ればいいんだよ」
キリルさんちのルクスくん
朝起きると頭が非常に重かった。
ただでさえ寝起きでぼんやりしているというのに、妙な圧迫感のプラス。
寝不足、寝過ぎ、風邪、低血圧、その他諸々。
様々な原因が脳裏を駆け巡るが、実際にはそのどれでもない。
それどころかこの圧迫感は毎日毎日やってくる。
キリルはゆっくりと瞼を持ち上げ、見慣れた天井を確認した後に視線だけを上へ向けた。
「………………」
視界の端に自分の前髪が映る。
そこからもう少しだけ頑張って眼球を上に動かすと、前髪の他に映り込んでくるもの。
目的のものが見えたところで、それに向かってのろのろと手を伸ばす。
やがて指先に触れる、赤ちゃんのように小さくて温かくて柔らかな手。
指先だけで軽く摘むようにして持ち上げる。
「重いよ、ルクス……」
寝起きでかすれた声が弱く寝室に響く。
しかしどういう訳か飼い主であるキリルの頭にへばり付くようにして寝るのが好きらしいこの小さな犬は、キリルの声に応える事なく静かに寝息を立て続けている。
夜ベッドに入る時は普通に一緒の布団を被っているというのに、朝になると決まってこうして頭の上に乗られているのだ。
毎日毎日。
これは寝相の問題なのだろうか。
それとも甘やかしすぎた結果なのだろうか。
天然の湯たんぽで程良く温まった箇所がどうにも心地よくて、再び睡魔に襲われそうになるのを何とか阻止しようと、ぼんやりとした頭で、ぼんやりとそんな事を考えた。
NOVEL