7月『海開き』






 日差しが強くなっていくのが確かん感じられた。
 じりじりと突き刺すような光にハーヴェイの表情が歪む。
 慣れたといえば慣れたが、でも痛みさえ感じる光の強さは心地良いとは思えない。
「ったく…、何でこんな日に買い物に行くなんて決めたんだが…。」
「お前がずっと後回しにして道具を切らすからだろう。」
「うるせぇ。」
 確かにこれは自業自得だ。
 昨日は今日よりも涼しかったので、その時に行ってしまえばよかったのに、まぁいいやと先延ばしにした。
 その結果今日になって使いたい物がないと気付いて、炎天下の中でかける事になってしまった。
 付き合わされたシグルドが不機嫌そうにハーヴェイの言葉を切り捨てるのも仕方がないだろう。
 だからそれ以上突っかかるのは止めた。
 さっさと帰ってこれからの支度をするのが賢明だろう。
「………、ん?」
 ふとハーヴェイが足を止めた。
 船はまだ先なのに何があったのだろうかと、シグルドも足を止め、ハーヴェイが目を向けた方を見る。
 浜辺に人の姿があった。
 楽しそうに海で遊んでいる、見慣れた2人の青年の姿だった。
「あいつら、子供かよ。」
 泳いでいるわけではなく、ただ浅瀬で遊んでいるようだ。
 最初は足だけ入って涼むつもりだったのだろう、靴は抜いてズボンの裾はまくっている。
 けれど今はすっかり頭から濡れてしまっている。
 そうしてキリルは楽しそうに笑っているのが遠目でも分かった。
 ルクスは分からなかったが、キリルがあの様子だ、きっと楽しんでいるのだろう。
 本当に子供みたいだ。
 でも、とても涼しそうで、そしてとても楽しそうだ。
「あー…、オレもいっそ涼むか。」
「おい、準備の方は…。」
「そんなの後だ、後。こんな暑いんじゃやってらんねーって。」
 浜辺に荷物を置いてハーヴェイは2人の方へ駆け寄った。
 それに気付いたキリルが手を振ってハーヴェイを呼ぶ。
 ルクスも顔を上げた。
 駆け寄ったハーヴェイは、靴も脱がずに海に入って、その勢いのままルクスに飛び付く。
 驚いたルクスと仕掛けたハーヴェイが揃って海の中に倒れた。
 すぐに起き上がってルクスが睨んだが、ハーヴェイは笑うだけ。
 目を丸くしていたキリルも笑いだした。
 その光景を見ていたシグルドはただ苦笑する。
「まったく、どっちが子供だ。」
 呆れたように呟いた。
 けれど楽しそうな笑い声と、そうしてこちらを呼ぶキリルの声を聞いて。
 結局シグルドも荷物を置いて涼しそうな海の方へと向かった。





8月『夏祭り』






自分の名前を呼ぶ声を聞いたのと、肩を叩かれたのは同時だった。
何気なく甲板へと出て海を眺めていた時の事。
そろそろ夕食時だろうかと、食堂に降りるかどうか己の腹と相談していた時の事。
ふいに名前を呼ばれ振りかえると、そこにはキリルが笑顔で立っていた。

「どうしたの?」
「見てこれ」

そう言って手渡されたのは一枚のチラシ。
内容はそのチラシの上の方に載っているデカデカとした文字を一目見ただけですぐに知る事が出来た。

「夏祭りのお知らせ?」
「そう、昼買い出しに出てたハーヴェイさんからさっきもらった。今日から2日間だって」
「そうか、もうそんな時期なんだね」

慌ただしい日々を過ごしていると、どうしても流れゆく季節に疎くなる。
ふとした瞬間に肌で感じる風だったり、こういった目に見える行事だったり。
そういうものがあって初めて実感するのだ。
そういえば、もうだいぶ日も長くなった。

「もし時間あったら、これから一緒に行ってみようよ」

笑顔の誘いを断る理由などルクスにはない。
屋台に盆踊りに花火。
そこには夏を感じる事の出来るものがたくさん詰まっている。
それをキリルと一緒に見て回れるのだ。
きっと楽しい時間になる。

自然と浮かんだ柔らかな表情で小さく頷けば、目の前の笑顔にパッと鮮やかな花が咲いた。





9月『敬老の日』






 突然キリルが思ってもみなかった事を言った。
「ハーヴェイさん、今日は休んでいてください。」
「………、は?」
 朝の挨拶の後に続いた言葉。
 それにハーヴェイはただ目を丸くした。
 隣にいるシグルドを見てみれば、同じく驚いたのか、きょとんとしている。
 でもキリルは相変わらずの笑顔。
 聞き間違えでもなければ冗談でもないようだ。
 昨日港に入り、今日はいつものように外に行くキリルと共に行動すると思っていた。
 でもメンバーはキリルが決めるので、主力しとして扱われている自分が外されるのは意外だったが、疑問に思う程の事ではない。
 ただ1つだけ。
 キリルが呼んだ名前がハーヴェイだけだった事が、不思議だった。
 彼はハーヴェイとシグルドを2人一組で扱っているようで、別行動の指示はとても少ない。
 あった場合はとても申し訳なさそうな顔をする。
 でも今はとても笑顔。
 どうしてだろう、という疑問はどうしても浮かんできた。
「はい。今日はそういう日だってルクスが言ってました。」
「は?」
 今日という日に一体何があっただろうか。
 カレンダーを思い浮かべようとしたが、うろ覚えだ。
「群島諸国の行事に詳しくなくてすみません。今日は特定の人に休んで頂く日で、ハーヴェイさんが該当するって聞きました。」
「特定の奴が休む?」
「詳しくは教えてくれなかったんですけど、でもルクスが笑ってましたし、そういう日も大切ですよね。」
 祝日や休日など縁遠いので興味が薄い。
 それでも悩んでいれば、あ、とシグルドが声を上げた。
 思い出したらしい彼を見れば、その視線はハーヴェイとは逆の方へ向けられた。
 誤魔化すような様子を訝しげに眺め。
 けれどその後すぐにぽんっと頭に浮かんできた文字があった。
「あ…。」
 確かに今日は祝日だ。
 休むというのも間違ってはいないだろうが、でも今日は特定の人を敬う日で。
 その特定の人にハーヴェイは含まれない。
 なにせ敬老の日。
 該当するのは老人だ。
「あの野郎…っ!」
 以前ルクスを子供の日にからかった事がある。
 もしかしてこれはその仕返しだろうか。
「その喧嘩買ってやるよ!!」
 叫んだハーヴェイが走り去って行った。
 向かうのはルクスの部屋。
 その後ろ姿をきょとんと見送ったキリルの隣で、シグルドは今日という日の説明をキリルにちゃんとした方がいいだろうかと悩んでいた。





10月『紅葉狩り』






笑い声が部屋いっぱいにこだまする。
いや、部屋をも突き抜け廊下にまで漏れている。
それは笑い声なんて可愛らしいものでは決してなく、力が思う存分入った爆笑だ。
続いて聞こえてくるのは、それを制止しようと必死に張り上げられた声。

「………………」

そんな騒々しさを己の部屋より問答無用で突き付けられたシグルドは、大きなため息をつき一呼吸置いたあとでドアに手をかけた。
室内は案の定酷い有様。
もはや座ってもいられないのか、身体をくの字に曲げて腹を抱えながら大声で笑うハーヴェイと、その横で顔を真っ赤にさせながら意味のない言葉を叫んでいるキリル。
これがどこか別の場所で繰り広げられているものならばシグルドも容赦なく放っておくところだ。
進んで関わり合いたいと思える状況ではない。
しかしこの場はハーヴェイの部屋であって、シグルドの部屋でもある。
嫌でも聞かなければならないだろう。
一体何をしているんだ、と。

「だってコイツ……! 紅葉狩りってマジで紅葉を狩る行事だと思ってたっつーからさー!」
「だ、だって仕方ないじゃないですか! 紅葉狩りなんて今まで言葉でしか聞いた事なかったんですから!」
「それにしたってさー、紅葉狩るって……葉っぱに向かって剣振り回せってか! んなのただの酔っ払いだろうが!」
「ああもう、無知な僕が悪かったですよ、全面的に僕が悪かったですよー!!」

そうか、もうそろそろそんな季節かと、尚も騒々しいふたりをどこか遠目に見ながらシグルドは思う。

それは無遠慮な暑い日差しがだいぶ落ち着いた日の事だった。





11月『勤労感謝の日』






 静かな部屋の中に、自分が本をめくる音以外が聞こえなくなったと気付いて、シグルドは顔を上げた。
 シグルドの部屋は、同時にハーヴェイの部屋。
 でもハーヴェイは今不在で、代わりにキリルがハーヴェイのベッドを占領してる。
 先程までは本を読んでいた。
 何を読んでいるんですか、といつも興味深そうに聞いてくるので、1冊薦めてみた。
 その本に夢中になってくれたのが嬉しくて、ずっと2人で黙々と本を読んでいたのだが。
 不自然に静かになったと思って見れば、寝転がりながら本を読んでいると思っていたキリルは、すっかり眠ってしまっていた。
 疲れていたんだろうな、とシグルドは苦笑する。
 半分くらいまで読まれた本に栞を挿んでテーブルに置き、キリルに布団をかける。
 そうしてシグルドも読書に戻った。
 それからどのくらい経ったか。
 小さな音で扉が叩かれた。
 聞き覚えのある音にシグルドは扉を開いて、それから口元に人差し指を当てて、静かに、と仕草で伝える。
 きょとりとしたルクスは部屋の中を見て頷く。
 キリルを探していたのだろう。
 どうしようか、と考える素振りを見えたルクスに、シグルドは扉を大きく開く。
 笑って見せれば、ルクスは少し悩んだ後に部屋に入った。
 キリルが寝ていては何も出来ず。
 シグルドと喋るのも躊躇われる。
 ルクスは床に座ると、ぼんやりとキリルを眺めた。
 多分この後どうしようかと考えているのだろう。
 話しかけない方がいいだろうと思ってシグルドは読書に戻った。
 それからまた暫くして。
 ほんの少し視界に入っていたルクスの体がぐらりと揺れた。
 気付いて顔を上げれば、ベッドの上に突っ伏して眠っているルクスに、シグルドは目を丸くする。
 夜でもないのに、しかもこんな無防備に、眠るルクスは随分珍しくて。
 疲れているのかな、と少し心配になり。
 同時に、ここまで気を抜いている姿に、少し嬉しくもなった。
 寒いだろうな、と自分の布団をそっと掛ける。
「………、なんだこれ。」
 そうしてそんな様子にちょうど戻ってきたハーヴェイが呆れたように言った。
 静かに、とやはり声でなく仕草でシグルドは伝える。
 シグルドがそう言いたくなる気持ちは分かるが、でもハーヴェイは自分のベッドが完全に占領されてしまっている。
 疲れたから少し眠るつもりだったのに、と。
 キリルとルクスを恨めしそうに眺める。
 でも流石に叩き起こして追い出す気にはなれなかった。
 仕方なくシグルドのベッドの方に倒れる。
「おい。」
「奥半分くらい貸せ。」
「………、煩かったら叩き出すからな。」
「はいはい。」
 さっさと眠ってしまったハーヴェイに、起きる様子のないキリルとルクス。
 場所を変えようか、それともいっそ自分も寝てしまおうか。
 少し悩んだシグルドは、まぁいいか、と気配は多いのに静かな部屋の中で再び本を開いた。





12月『クリスマス』






今日は朝から食堂が大いに賑わっている。
大勢の陽気な仲間達のおかげで船内はいつも賑やかだが、それにしたって今日はいつも以上の盛り上がり方だ。
ここまで騒がれれば、普段それにあまり関心のないルクスとて気になる。
どうせ朝食を取りに行くのだからと何気なく食堂に顔を出すと、中で小皿を手にテーブル間を歩くハーヴェイと目が合った。

「何の騒ぎ?」
「何ってクリスマスだよ、クリスマス」

よく知った顔を見つけたので疑問をそのままぶつけてみると、ハーヴェイの目が驚きに見開かれながらも質問の答えをくれる。
そんな事も知らないのかと言いたげな視線を無遠慮に向けられ、ルクスは「知ってる」と短くぶっきら棒に告げて辺りに視線を向けた。
クリスマスを知らないわけではない。
ただそういった行事ごとにあまり関心がないだけだ。
ついこの間まで暑い暑いと周りが騒いでいたと思ったら、もうこんな季節なのかと思う。

「プレゼントなんかは面倒だしキリないから、とりあえず豪快にケーキや肉食い放題ってとこだな」

食堂にある各テーブルにドンと置かれている大きなケーキとチキンがそれを主張している。
朝という時間を配慮してか、様々な肉料理に混じって軽めのパスタやパンも用意されているようだ。
しかし朝というのが信じられないほどの人の出である。
普段は朝見かけないような人間や手伝いなどとは無縁の人間まで楽しそうに準備を進めている。
ハーヴェイもそのひとりだ。
皿を運ぶなど、朝からこんな風に自ら進んで準備を手伝うなど滅多にない。
ルクスはある確信を持ってそれを呟く。

「……ただ単に騒ぎたいだけじゃないの」
「いいだろ、別に。こういうイベントは騒いでなんぼだ。それに酒は夜にならないと出てこない予定だから安心しろ」

この仲間達の手にかかればロマンチックなイベントも簡単にドンチャン騒ぎへと変化してしまう。
しかしそれはこれまでの付き合いで分かり切っていた事で、今更とやかく言うつもりも、せっかくの雰囲気に水を差す気もない。

「ほら、お前も飯の前に軽く手伝えって。キリルも呼んでさ」

こういうの好きそうじゃん。
そう言ってハーヴェイは鼻歌交じりに準備に戻っていった。
ロマンチックな雰囲気もイベントを盛り上げる雪もツリーもプレゼントも何もない、あるのは大量のケーキと肉料理だけの、そんなクリスマス。
しかしそれもこの船らしいのかもしれない。
小さな苦笑いのあと、ルクスはそっと踵(きびす)を返しキリルの部屋へと向かった。





 






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