『 1 』 (風望)
海の上にぽかりと浮かぶ小さな島。
コボルトが1人商売の為に住み着いた以外は誰も住人のいない、無人島。
特に何があるわけでもないこの小さな無人島は、けれど群島諸国では随分と有名だった。
群島諸国の英雄が好んでここに滞在している。
その言葉と共にこの島の存在は知れ渡った。
「でも、ルクス島ってのはないよな。」
「本当に。」
簡素な桟橋に立ってポツリと呟いたハーヴェイに、ルクスは深く頷いた。
島を見れば、静まり返った浜辺に人の手が加えられていない自然ばかりが見える。
存在は知れ渡っている。
けれどここは相変わらずコボルト1人を住人としているだけ。
だってここには何もない。
チープーの店は最近繁盛しているので訪れる人は増えたが、でもそれだけだ。
後はこの手付かずの自然と魔物がいるだけ。
魔物を避けて住める場所を探すにはこの島は小さすぎる。
だからここに住み着く物好きなど、ルクスとチープー以外はいない。
「お前、何でこんな所が好きなんだよ。」
「静かでいい。」
「オレには理解できねぇ。」
「期待してない。」
「うるせぇな!」
あっさりと切り捨てたルクスにハーヴェイが食って掛かろうとすれば、ちょうどこの島にある唯一の建物からキリルとハーヴェイが出てくるのが見えて、ルクスの意識はすぐにそちらに向いてしまった。
ここで突っかかっても本当に容赦なく切り捨てられるだけだと理解しているハーヴェイは、とりあえず深くため息をついた。
あてつけのような行動だったが、ルクスは気にも留めない。
それよりも戻ってきたキリルとシグルドの表情が浮かないものだったので、そちらの方がよほど気になった。
「何か?」
問題でもあったのか、と真剣な顔をして聞いてきたルクスに、キリルとシグルドは顔を見合わせて苦笑した。
それからキリルのほうがゆるりと首を横に振る。
「特に何があったって訳じゃないんだけど…。」
「けど?」
「そんな真剣な顔をしなくても大丈夫だよ。ただ、依頼の品が届くのが少し遅れてるみたいで、1日か2日待ってくれって。」
「それならまた後日と言いましたら、2日くらい待ってほしいと…。」
「ごめん…、押し切られちゃった。」
多分チープーはキリルに泣きついただろう。
キリルは頼まれたら断れない、出来るだけ叶えたいと思ってしまう性格だ。
本人に自覚はあるようだが、あったところでどうにかなるものでもない。
ごめん、とキリルは申し訳なさそうに項垂れた。
それにルクスは少し考えた後に、平気だよ、と言った。
「キミが決めた事だ。謝る事はない。」
「でも…。」
「まぁ、たまにはいいんじゃないか?休む時間は必要だしな、特にお前達は。」
くしゃりとルクスの頭をハーヴェイが乱暴に撫でる。
文句はなく、代わりにキリルと共に休むべき人として括られた事にルクスは驚いた様子だった。
不思議そうに瞬きをするルクスに、シグルドがおかしそうに笑った。
「相変わらず自覚のない様子ですね。」
「………、納得いかない。」
「いいからお前もなんだよ!」
「では、船の人達にも伝えてきましょう。休みと言っても、殆ど船の上でしょうが。」
残念ながらこんな簡素な桟橋しかない場所では、それなりの大きさのある船は停泊出来ない。
小船を使って上陸をしてもいいが、ここには宿などないし、魔物が当たり前に存在する。
あまり普段と変わらないかもしれないが、それでも休みという名目があるだけ違うだろう。
「お前にとっちゃ、ここはお気に入りの場所だろ。キリルでも案内してやれば?」
「ただの無人島だよ。」
「でもルクスはここが好きなんだよね?折角だから見て回ってみようかな。」
「そうですね。お2人で見て回ってみれば、また違った見方ができるかもしれませんよ。」
「………、うん。」
「そういえばルクスは何でこの無人島に来たの?」
「流刑で流れ着いた。」
「………、ごめん…。」
なんとも言えない表情で謝ったキリルにルクスは首を傾げた。
何故謝られたのだろうかと思いながら。
そっと見慣れた無人島へと視線を向ける。
手付かずの自然があって魔物がいる、それだけの島。
魔物は相当気がたっているかルクスから仕掛けるかさえしなければ、普段は襲ってこない。
力の差が歴然な為か、左手の紋章の為か。
どちらにしても本能に従順な魔物はなにかなければルクスにとって問題にはなりえない。
そうしてここは、明るいうちならばチープーの店を訪れる人で気配は賑やかだが、夜になればそれもなくなる。
だからここは静かだ。
魔物は近寄ってこない、人もいない。
とても静かで過ごしやすい。
だから気に入っている場所。
別に景色が特別に綺麗だからとか、ここにしかないなにかがあるとか、そういう理由ではない。
見せるべき物など何も思い浮かばない。
けれど見て回ると言うなら、何もないよりは何かあった方がいいと思う。
だから何かないかと記憶をひっくり返していれば。
ふわり、と。
そっと触れてきた弱い風の温かさに、ルクスは顔を上げた。
暑い日ばかりが多い群島諸国でも、比較的寒い時季や暖かい時季も短いながら存在する。
今はそんな短い期間しかない、とても過ごしやすい優しい暖かさの季節。
「シグルド。」
小船で船に戻ろうとしていたシグルドをまずルクスは呼び止めた。
「何でしょうか?」
「この後に用事は?」
「いえ…、何も。」
この足止めがなかった場合は、依頼の品を持って船旅に戻るだけだった。
予定も何も船で過ごすしかない。
何故そんな事を確認するのだろうかとシグルドが不思議に思っていれば、ルクスは少し落ち着きなく視線を彷徨わせた。
シグルドを見てハーヴェイを見てキリルを見て、1度下に落として背後の島の様子を窺うようにして。
そうしてようやくもう1度シグルドの方をルクスは見た。
「じゃあ、伝えたら戻ってきて。」
「はい。」
「キリル君。」
「何?」
「………、キミが気に入るかは分からないけど…、見せたい物があった。出来れば…、ハーヴェイとシグルドにも。」
ルクスにしては弱い声。
どこか困惑しているように見えるのは、多分緊張のせいだろう。
人を喜ばせるとか、そういう事を意識してやるのは、ルクスにとっては苦手分野。
けれど苦手ながら一生懸命にやろうとしている姿は微笑ましい。
少なくともハーヴェイとシグルドにはそう見えた。
そうしてキリルにだけではなく自分達にも見せたいというその言葉に、2人は笑みを抑えられなかった。
「分かりました。では、すぐに戻ってきます。」
「ごめん。」
「いえ。」
ルクスは顔を上げて島の方へと目を向けた。
その視線を追うように3人も同じ方を見た。
見えたのはただ木の緑ばかり。
けれど遠くに淡い色が混じって見えたような気がした。
『 2 』 (早瀬)
「おおお、何だコレ!?」
ルクスの言う「見せたかったもの」を前に、思わず声を上げたハーヴェイと皆同じ気持ちで天を仰ぐ。
皆の素直な反応に、この場所を案内したルクスも安心したように視線を木々へと向けた。
それは溜息すら自然と出てしまうほどの景色。
この場所に何本も立ち並ぶ木には、淡いピンクの花びらが所狭しと敷き詰められている。
サクラと呼ばれるこの木達は、春の訪れを待ちわびていたように温かな風に静かに揺られていた。
「海の上ではまずお目にかかれない景色だよなー」
「ああ」
ずっと旅を続けてきたキリルもこれほどの景色を目にするのは初めてなのか、今にもルクスの手を引いて走り出してしまいそうなほどに歓喜の声を上げている。
その微笑ましい光景を前に、ハーヴェイもシグルドも小さく笑みを浮かべながら肩を窄めた。
「足止めしてしまうせめてものお詫びにとチープーが即席で用意してくれた弁当もあるし、しばらくはここでゆっくりして行こう」
ふいに強い風が空高く花びらを攫っていく。
今まで強い風が攫うといったら水飛沫か潮の香りくらいだったのに。
なるべく平らな場所を探して腰を下ろしたシグルドは、潮以外の匂いに囲まれている事を新鮮に感じながら、並々と水分の入ったポットの蓋をそっとゆるめた。
『 3 』 (風望)
1日経った、翌日。
正午になるよりいくらか前の時間に、シグルドはキリルの部屋に向かっていた。
昨日の依頼はどうなったのか確認したかったのが理由の1つ。
もう1つは、いつもなら朝食の時間に見かけるのに今日は見かけなかったのが、不思議だったから。
キリルだけでなくルクスもだ。
2人揃ってなんて珍しい事だから気になった。
付き人の2人が慌てている様子はなかったので、何もないとは分かっているが、それでも一応気になったので確認をしたい。
そう思って、まずキリルの部屋に向かった。
けれど部屋の前にたどりつくより先に、キリルの部屋から出てくるルクスの姿を見つけた。
「ルクス様。」
声をかけられる前からこちらに気付いていただろうが、それでもシグルドの声を聞いてからルクスは顔を上げた。
おはよう、とルクスが淡々とした声で言う。
そうしてぱたりと扉を閉じた。
キリルの姿は、勿論ない。
「おはようございます。あの…、キリル様は?」
「キリル君に、何か?」
「いえ、特に用があるわけではないのですが。昨日の依頼の確認と、後は姿を見なかったものですから気になって。」
「そう。」
返事にならない返事をして、ルクスはふいと歩き出した。
突然の行動に、シグルドはルクスの後姿とキリルの部屋の扉を交互に見た後、ルクスを追いかけた。
ルクスは言葉の少ない人だが、無意味に会話を断ち切る人でもない。
意味があるのだろう、と思い追いかけて。
キリルの部屋からいくらか離れた場所まで来ると、ルクスは足を止めた。
「寝ている。」
そうして振り返って一言。
ルクスが止まると同時に足を止めたシグルドは、一瞬呆けたような顔をしたが、本当に一瞬だった。
キリルはまだ眠っている。
特に用がないのなら寝させておきたい。
部屋の前で話していては煩いだろうから移動した。
歩き出した理由と今までの短い言葉を繋ぎ合わせれば、そういう事なのだろう。
せめて歩き出す前に寝ているといえば分かりやすいのに、と思う。
そしてもっと言葉にしてくれればその優しさはわかりやすいのに、とも思う。
けれど今更ルクスにそれを言っても無駄な事は分かっている。
シグルドはただ苦笑して、そうですか、と言った。
ルクスは無言でこくりと頷いた。
「では依頼は…。」
「今から確認しに行く。でも、多分今日も無理。」
「何か理由でも?」
「いや、勘。」
「そうですか。」
これがルクスでなければ随分と適当な言葉だと思った。
けれどルクスの勘はいっそ怖い程によく当たるので、シグルドは素直にその言葉を信じた。
「キリル君はこのまま寝かせておくよ。」
「ええ、それは構いませんが…。珍しいですね、キリル様がこんな時間まで眠っているなんて。」
何気なくキリルの部屋の方へと目を向ける。
キリルの生活リズムは、とても規則正しい。
大抵同じような時間に眠り同じような時間に起きる。
寝坊や2度寝など、シグルドの片割れが放っておくとうっかりやってしまう行為とは、本当に無縁だ。
特に咎める気はないが珍しさからじっと部屋の扉を見ていれば、ルクスが視線を床に落とした。
それに気付いたシグルドがルクスを見る。
ルクスは1度視線を上げて、また下に。
表情は相変わらずの無表情だが、なんとなく怒られている子供を見ているような気分になった。
「ルクス様?」
「昨夜、少し付き合わせた。だからまだ寝ている。」
「何かあったのですか?」
「昨日見せた、あの木。」
「ええ。」
「夜に見たら、それも綺麗だと話した。そうしたら見てみたいと言ってくれたから、夜にもう1度行った。」
「それで、遅くなったと。」
「………、早めに帰るつもりだったんだけど…。」
きっと、あまりにも喜ぶキリルにルクスも嬉しくなって、2人揃って時間を忘れたのだろう。
簡単にその光景は想像できた。
微笑ましさに笑いそうになるのは、何とか我慢する。
今目の前には夜更かしを白状して怒られるのを待っているように俯いてしまったルクスの姿。
わざとらしく1度ため息をつく。
「どうせでしたら私達にも声をかけてほしかったです。」
「………、あ。」
しまった、と思ったのだろう。
珍しくルクスの表情に困惑した様子がしっかりと見て取れて、耐え切れずにシグルドは吹き出した。
「すみません、冗談ですよ。」
「………、次は気をつける。」
「そうですね、でも、たまにはいいですよ。キリル様もルクス様も、いい息抜きになったでしょうから。」
夜更かしをした事か、誘い忘れた事が。
どちらへの謝罪かは分からなかったが、どちらもたいした事ではない。
にこりとシグルドが笑えば、少し考えた後にルクスは頷いた。
「呼び止めてすみませんでした。」
依頼は今からルクスが確認しに行く、おそらく今日も動けないだろう。
キリルはまだ眠っている、夜更かしが原因なので寝かせておくのが1番。
確認したい事はしたので、それでは、と軽く頭を下げて立ち去ろうとした。
けれど来た道を数歩戻ったところで、シグルド、とルクスが呼んだので振り返る。
「はい。」
「綺麗だと、キリル君はとても喜んでいた。」
突然の言葉に、昨夜見た桜の話だと、気付くのに数秒かかった。
気付いた瞬間にルクスはもう次の言葉を続けていた。
「だから、多分2人が見ても、綺麗だと感じれると思う。」
ぽかんと。
随分間の抜けた顔をしたのだと思う。
ルクスがほんの少し、けれど変化したと分かったのだから随分と深く、笑みを浮かべた。
とても綺麗な笑顔だ。
そうしてそのまま、ぽかんと呆けているシグルドに、綺麗な声で言った。
「明日、2人が寝坊しても、何も言わない。」
それじゃあ、とルクスは歩いていってしまった。
その後姿をシグルドはただ見送る。
今の言葉と、とても綺麗な笑顔と。
どう考えても、ハーヴェイとシグルドの2人で見ておいで、と言っているようにしか聞こえない。
それは誘わなかった事を悪く思ってか。
もしくは、2人に気を使う、なんてそんな事をルクスがしたのか。
それともただ単純に、見せたい、という気持ちでの言葉だったのか。
残念ながらシグルドには分からなかった。
ただ確実に、これはからかいなどの類ではなく、いつもの言葉が少ない中での優しさである事だけは、理解出来て。
「………、あいつに、何て言えと…。」
ルクスの姿が見えなくなった頃に、漸くシグルドはぽつりと力なくそう呟いた。
『 4 』 (早瀬)
思えば自分が仕事以外の事でハーヴェイを誘うなど滅多にないのだと気が付いた。
今回ルクスの薦めてきたそれは、休憩や食事に誘うといった些細な事とは明らかに異なる。
だからこんなにも途方にくれてしまうのだ。
一直線に部屋に帰る事もせず、当てもなくただゆっくりと歩きながらシグルドは永遠頭を悩ませていた。
昨日見た桜は実に見事だった。
太陽の光を浴びてキラキラと輝く花弁、それが舞う姿などはいくら見ていても飽きる事がない。
それが月の柔らかな光なら、また昼間とは違った綺麗な姿を見せてくれるだろう。
そんな中で飲み交わす酒は不味いはずがない。
ルクスとキリルはいないのだから遠慮なく持ち込めるアイテムだ。
一度争いが始まればもう花を愛でる余裕も時間もなくなってしまうので、折角の機会を無駄にしたくはない。
何よりルクスの好意を無駄にしたくない。
昨日の様子を見る限りハーヴェイも桜を気に入っているようだったし、シグルドが誘えば余程の用事がない限り喜んで同行するだろう。
シグルドにもそれは分かっていた。
しかしどう声をかけたらいいのかがいくら悩んでも浮かんでこない。
普段こういう事はハーヴェイの役目だった。
興味引かれる場所を見つけてはシグルドを誘い、上機嫌で出かけて行く。
ハーヴェイらしく賑やかな場所が多かったが、シグルドも用事がなければ退屈しのぎにと付き合っていた。
ふたりで出かけるなど珍しくも何ともない。
あの桜をもう一度見に行かないか。
それなのに、たった一言に一体何を悩んでいるのだろう。
ここまで考えて、シグルドはあるひとつの考えにまで辿り着きふと歩みを止めた。
そうだ。
誘おうとしている場所が静か過ぎるのだ。
それは部屋で自由にしている時の静けさや、たまに入る落ち着いた雰囲気のバーにいる静けさではない。
いつの間にか賑やかな場所にいる事になれてしまったのか。
あの広く美しい空間に本当にふたりだけしかいない、そう考えると酷く言葉を選んでしまう自分がいる。
今更緊張などという初々しい理由ではない。
ただ単に慣れていないだけだ。
しかし悩んでいる理由が分かったところでシグルドにはどうする事も出来ず、結局また考えるしかない。
こんなに悩むくらいならいっそひとりで行くか、行くのを止めてしまうか。
だが不思議とそんな選択だけは浮かんでは来なかった。
「お?」
「……あ」
――――――――――だからもう少しだけ待って欲しかった、というのが本音だ。
誘う事に変わりはない。
いいものをふたりで静かに見るのもたまにはいいと思っていたからこそ、取り止めるという選択肢はなかったのだから。
もっとちゃんと考えが纏まってから話をしてもいいのだが、こういう時のハーヴェイは妙に敏感だ。
いつもとどこか違うシグルドに違和感を覚えるに違いない。
そして無遠慮に尋ねてくるのも間違いない。
何てタイミングで出くわしてしまったのだと、目の前にいるハーヴェイに気付かれないようそっと息をはいた。
『 5 』 (風望)
さてどうしようか。
何よりも最初に考えるべきはそれだった。
「よう。」
のんきにハーヴェイは片手を上げて簡単な挨拶を向けてくる。
けれどそれに反応を返す事もせずに、ただじっとシグルドはハーヴェイを見る。
まるで睨みつけるような勢いだ。
ハーヴェイが訝しげな顔をするのは仕方がない。
けれど、きっと何でもない顔をしながら悩んだところで、ハーヴェイなら必ず何かがおかしいと気付くだろう。
だから最初から隠すなんて選択肢は捨てた。
本人を目の前に遠慮なく悩む事にした。
さてどうしよう。
たった一言。
たった一言だけ、昨日の桜をもう1度見に行かないか、そう言えばいい。
それを言い出せるだけの、時間がほしかった。
「………、お前は本当にこういう時はタイミングが悪いな。」
「は?」
挨拶には無言で返され、そうしてただ黙って睨まれて。
その後の第一声がこれというのも酷いだろう。
「なんだよ、会っていきなりそれは。」
だからハーヴェイの文句は尤もだ。
でも文句の1つも言いたい気分なので、苦情は無視をして、深々とため息。
とりあえず現状に文句を言い続けても仕方がない。
折角会ったのだ。
ハーヴェイとならこの後いくらでも会おうと思えばあるが、けれど折角今会ったのだ。
そうしてきっと、時間があるとすれば今日だけだ。
1日か2日待ってほしい、とここに滞在している。
多分3日も4日も待たせる事はしないだろう。
そうして再びこの無人島に来るのは何時か分からず、その時まであの花が咲いているとは思えない。
うっかりタイミングを逃しては勿体無い。
あの花は、あの光景は、とても綺麗だったのだから。
いくらここで戸惑っていても、それを共に見たいという気持ちはあるのだから。
ため息をついた後に、気持ちを落ち着けるようにゆっくりと息を吸って。
「ハーヴェイ。」
呼べば、思いの他強い声になった。
重々しい話でも始まりそうな声に、ハーヴェイが目を丸くする。
確かに無人島に滞在中に出すような声じゃない。
けれど今更どうにもならないので気にしない事にした。
「少し、話があるんだが…。」
「ああ。ルクスが、シグルドから多分話がある、って言われたから探してたんだよ。なんだ?」
「………。」
何処までも今回の事はルクスの仕業らしい。
別に嫌というわけではない。
あれ程に綺麗な物を見せてくれた事、そうして別の見方を教えてくれた事に、ありがたいと思っている。
けれどなんとなく肩から力が抜けてしまった。
そうして苦笑する。
もう考えていても仕方がない。
だって言葉はいくら考えても、一緒に行こう、とそんな意味のものしかないんだ。
そうしてここまでルクスが用意してくれたのなら、回りくどい方法を取るだけ馬鹿らしく思えた。
好意には素直に甘えよう。
だからもう、素直にそのまま何も考えずに言ってしまおう。
シグルドの様子に、ただ不思議そうにするハーヴェイをもう1度、今度はいつものように呼んだ。
「昨日見た木があるだろう。」
「ああ。」
「夜に見ると、またそれも綺麗だとルクス様が言っていた。だから今夜にでも行かないかと思ってな。」
「それが話か?」
「ああ。」
「じゃあ会った瞬間の、あの睨まれた時間はなんだったんだ?」
「まぁ…、どう言ったものかと思って…。」
「なんだそれ。」
呆れたようにハーヴェイが笑う。
煩い、と言っても笑いを煽るだけ。
今度は本当に睨んでいるシグルドを気にもせずにハーヴェイは一頻り笑って。
「ああ、いいな、それ。じゃあ暗くなったら行こうぜ。」
少しでも悩んだ事が馬鹿らしくなるくらいに、思っていた通りの答えを言った。
『 6 』 (早瀬)
「……一体何なんだ、その大量の荷物は……」
準備に少し手間取りそうだからとりあえず先に行っていて欲しい。
そう言われ一足先に桜のもとにやってきていたシグルドは、程なくして現れたハーヴェイの抱える荷物の量に驚いた。
「何って決まってるだろ、酒とつまみ」
腕の中の麻袋から覗くふたつのビンの頭。
酒は分かる、つまみも分かる。
静かな場所で綺麗なものを眺めながら飲む酒は、普段仲間達と馬鹿騒ぎながら飲む酒とはまた別の美味しさがある。
前者の場合、どちらかというと景色を楽しむ方がメインとなるためそんなに量がいるとは思えない。
しかし目の前のソレは、覗く頭の他に「まだまだ待機しているぞ」と言わんばかりにパンパンにふくれていた。
花より団子。
この男ほどこの諺が似合う人間はいない。
そう考えた途端、この場所に誘うために散々悩んだ事や努力した事が尚更馬鹿らしく思え、思わず小さく笑ってしまった。
幸いハーヴェイには気付かれなかったようで、上機嫌で麻袋をガサガサとあさり酒やつまみの種類を口にしながらふたりの距離を縮めていく。
シグルドが一本の木の幹に寄りかかるようにして座ったのと、ハーヴェイがすぐ傍までやって来たのはほぼ同時だった。
「何か、久しぶりだよな」
ビンを割らないよう気遣いながら麻袋を下ろすと、シグルドの隣に腰掛ける。
両手を天に向かって突き出し、身体を大きく伸ばしながらハーヴェイはまるで独り言のように呟いた。
「何が?」
「こうやってのんびりふたりで過ごすの」
こうして座ってしまえば互いの声以外は風の音しか聞こえてこない。
静か過ぎるこの場所で独り言など無意味だと分かっているはずなのに、それなのにハーヴェイの声音は未だ低く落ち着いたままだ。
不思議に思ったシグルドが顔を覗き込もうとすると、ハーヴェイも同時に「そうだ、そうだ」と麻袋をあさり出す。
「だからあれもこれもって欲張って詰め込んでたら時間はかかるし、量は多くなるしで結構大変だったんだぜ」
一本のビンとプラスチックのカップをふたつ取り出しシグルドに押し付けたあと、鼻歌交じりにつまみを物色し始める。
ブラスチックのカップとは少々情緒に欠けるかもしれないが、ラッパ飲みを嫌うシグルドのために何とか割れない物を、と探し抜いた結果だろう。
その時、シグルドはふとある事に気がついた。
この場所に来てから一度もハーヴェイと目を合わせていない。
今もシグルドが覗き込もうとしたタイミングで麻袋へと視線を落とした。
普段は無遠慮に入り込んでくるくせに、まるでそれが感じられないのだ。
一体どうして、などと考えるまでもない。
その理由に気付いた時、シグルドは浮かぶ笑みを殺す事ができなかった。
「こうやってふたりでのんびりと過ごすのは久しぶりだ」と言っていた。
驚くくらい落ち着いた、まるで噛み締めるような声。
その時点で答えは既に出ていたのだ。
何だ、お前も俺と同じ。
慣れない場所、慣れない雰囲気にガラにもなく変な緊張をしていたわけだ。
ハーヴェイは器用ではない。
目を合わせないのも、シグルドの行動に被せるように自らの行動を取るのも、不必要につめられた荷物も全てが無意識だろう。
しかし指摘はしないでおく。
変に言葉にしてこの雰囲気を壊してしまうのは勿体無さすぎる。
折角の景色も味気なく感じてしまうだろうし、何より酒も不味くなる。
それと、もうひとつ。
相手の緊張が移ったとしか思えない、頬に集まる熱に気付いてしまったから。
NOVEL