主要4人突然女性化/キリル編






「…………」

お世辞にも機嫌がいいとは言えないキリルを前にハーヴェイもシグルドも、そしてルクスもただただ佇む事しか出来なかった。

己の身に起こった奇奇怪怪な出来事にキリルが気付いたのは、空が白み始めた頃就寝前に飲んだ水に起こされトイレに向かった時の事である。
そこで見た信じられないような事実に寝惚けていた頭も冷えるように一気に冴え、そしてとりあえず部屋が近いからという理由でハーヴェイとシグルドの部屋に駆け込んだのだ。
自分の身体が変になった。
そう大慌てでしどろもどろに、何とか自分の身に起こった事を説明しようとするキリルに最初はふたり顔を見合わせるばかりだった。
しかしそれも無理はない。
一瞬己がまだ夢の中にいるのではないかという錯覚に陥ってしまうほど、それはとても不思議で奇妙な話。
ないものが気がつけばあって、あるべきものが忽然と姿を消している。
胸が心なしか重くてとても変な感じで、歩く度に心なしか喪失感に襲われると言う。
ハーヴェイもシグルドも身振り手振りで伝えられるキリルの言いたい事はとてもよく分かる。
しかしそれを現実として受け止める事が出来ないのだ。
性転換手術でもしたのならともかく、一日にして突然性が変化するなどとてもじゃないが考えられない。
敵から新しいタイプの毒でも貰ってきたのかと思ったが、相手の性を変化させる事に一体何のメリットがあるのだろうかと考えるとどうにも怪しい話である。
いくら考えても納得出来る答えが見つけ出せなくて、とりあえずはこの可哀想なまでに混乱しきったキリルを落ち着かせようとルクスにもこの場に来てもらう事にした。
ルクスならどんな不可解な問題にも顔色を変える事はないので落ち着かせるには適任だろうと。
シグルドが更にキリルを宥めつつ、ハーヴェイがそっと部屋を出て寝ているルクスをこの場まで引っ張ってきて、そして今に至る。



「……身体同様声も若干変わった、んですかね」

ようやく落ち着いたキリルをベッドに座らせ、その前に圧迫しないような距離感を保ちながら3人が立つ。
ショックに頭が追いついていないのか眉を寄せながら呆然と床を見つめたままのキリルが何とも痛々しい。
珍しく語尾に疑問を含んだシグルドの言葉にハーヴェイは唸り声を上げた。

「んー、元が中性的だったからあんま違和感ないよな。というか、見た目的にも何も変わってないように見えるけど……」
「それは服を着ているからだろう」
「つまりそんな凄い変化って訳でもないんだろう? 胸も膨れてるように見えないし」

無遠慮にマジマジと胸の辺りを覗き込むハーヴェイをシグルドが拳で頭を殴る事で嗜める。
直接身体を見せてもらった訳ではないが、キリルの言う性の変化が真実である事はこの場にいる誰も疑ってはいなかった。
が、疑ってはいないが何せこんな不可思議な話だ。
己の目で見るまではどこか半信半疑であってもそれは仕方がない事。
でもまさか参考の為に見せてくれとも言えないしどうしたものかと頭を捻っていると、それまで無言でいたルクスが静かに動く。
キリルに一言断りを入れると、ベッドが急に沈まないようゆっくりとキリルの隣に腰を下ろして徐に相手の胸元に掌を押し当てた。

「大丈夫、ちゃんとあるよ」

驚きに声も出ない周りなど気にせず淡々とそう言い放つ。
何が大丈夫かはきっとルクス自身も分かってはいないだろう。

「……お前無駄にオトコらしいな」

乾いた笑い声を上げるハーヴェイにルクスは「どうも」と一言だけ口にして、キリルの傍から離れ元いた位置へと身体を戻した。
ルクスの男らしい行動により身体を見せてくれと言う必要はもうなくなったのはいいが、それでも事態の進展を呼ぶにはまだ弱い。
そもそもの原因が不明なのだから今の所手の打ちようがないのだ。

さて、どうしようか。

目の前で顔をつき合わせる3人を前に、キリルはこっそりと自分の胸元に視線を落とした。
確かに服の上からではいつも通りに見える。
しかし先ほどルクスに掌を押し当てられた時、形や大きさが自分自身でもハッキリと分かった。
とてもとても不思議な感覚。
今までとてもじゃないが恐ろしくて触れる事が出来なかった自分の身体に少しだけ、本当に少しだけ興味が湧いてきた。

「何だよ、女でもないのに胸の大きさでも気になってるのか?」

若干の様子の変化を敏感に感じ取ったハーヴェイがキリルに声をかける。
驚き顔を上げるその様に自分の発言は相手の図星をついたのだと判断し、唇の端を上げ意地悪な笑みを浮かべた。

「だったら大きくしてもらえよ、オトコなルクスさんに」

それはハーヴェイなりの気遣いで、何とか暗くなりがちな雰囲気を盛り上げようと思っての事だろう。
しかしあまりに不謹慎な物言いに再びシグルドの拳がハーヴェイの脳天へと直撃。
その痛さと衝撃に蹲って唸るハーヴェイを尻目にルクスとキリルが何とも言えない表情で笑い合う。

こうしてとりあえず、場の毒抜きだけは成功させる事が出来たのだった。





主要4人突然女性化/シグルド編






この日ハーヴェイは全てにおいて意識散漫だった。
食事の時でさえも心ここに在らずで機械的に手と口だけを動かし、視線は常にぼーっと宙を舞っている。
ハーヴェイという男を知る周りの人間はそのあまりの変貌ぶりに気味悪がって決して近付こうとはせず、遠目から恐る恐る様子を窺っている。
そんな空気を読んでか読まずか、ルクスと並んで歩いていたキリルがいつものように声をかけてみても、ハーヴェイの口をつくのは上の空の返事のみ。
思わず顔を見合わせるふたりに構う事なくのっそりと席を立つと、厨房に予め頼んでおいたらしい皿に綺麗に盛り付けられたサンドイッチを手にしてさっさと食堂を出て行ってしまう。
勿論意識をあさってに飛ばしながら食していたものを片付ける事も忘れて。

この日のハーヴェイは全てにおいてテンパっていた。
皿を丁寧に両手に持ち、機械的に動かしてきた脚を完全に止め自らの部屋の前で立ち尽くしてしまうほどに。
穴の開くほど見つめてみても何も変わらない事は分かっているが、しかしそうせずにはいられない。
そうやって、どれくらい立ち尽くしていただろうか。
ふと、何故自分の部屋に入るだけなのにこんなにも緊張しなければならないのか、という当然の疑問へと辿り着く。
一度そう思ってしまえばそうとしか考えられなくなり、ハーヴェイはそれまでの躊躇を振り払うかのごとく一気にドアを開け部屋の中に脚を踏み入れた。
するとその音に反応して振り返る者がひとり。
整ったそれを無表情に固め、大きな瞳が無遠慮に視線を投げてくる。
目が合った瞬間再び萎縮してしまったハーヴェイの姿さえも鮮明に捉え、手入れでもしていたのだろう握られたナイフをそっとテーブルに置く。
そしてハーヴェイの両の手に乗せられた皿に視線を向けた。
『早くそれを寄こせ』
そんな声が聞こえたような気がして、ハーヴェイは慌てて手にしていた皿を相手に向かって勢い良く差し出した。

ここはハーヴェイと、そしてシグルドにと与えられた場所。
ハーヴェイの目の前にいる人物は勿論もうひとりの部屋の主であるシグルドなのだが、しかし今はシグルドであってシグルドではない。
シグルドは背も高く確かに線も細いがただヒョロヒョロしている訳ではなく、しっかりと必要な肉はついているし肩幅もそれなりにあり、低く綺麗なテノールを持った男性である。
しかし今目の前にいるシグルドはどうだろう。
線が細いのは相変わらずだが、それはもはや男性の細さではない。
普段好んで着ている服が身体のラインに全く合わず、肩や首や袖口に所々隙間を作っているのも気のせいではない。
しかもそんな隙間だらけの中で不自然にパンパンに腫れ上がっている豊満な胸元。

そう、シグルドの身体は女性へと変化してしまっていた。

以前キリルにも同じような事が起こったがそれは一日だけの悪夢で終わり、次の日にはびっくりするくらい元通りになっていた。
原因を探ってみようと皆躍起になったがどうしても掴む事が出来なくて「あれは悪い夢だったんだ」と現実逃避な結論に達しようとしていた矢先の出来事。
シグルドの今朝の落胆ぶりといったらなかった。
普段からでは考えられないような慌てた様子で赤く色付くふっくらとした唇から発せられた声は、ハーヴェイにとっての驚愕の朝の目覚ましとなる。
細く切れ長であった瞳は大きく黒目をぐりぐりとさせ、身体はしなやかな筋肉ではなく柔らかなそれへとすっかり変貌を遂げてしまっている。
キリルに対してはあまり感じる事がなかった「女」という一文字。
元が大人の男だとこうも違いが現れるものなのかと、相方の変化にハーヴェイは当事者であるシグルド以上に呆けてしまったのだった。

こんな姿でとてもじゃないが表を歩く事は出来ない。
そんなシグルドの最もな意見を最後に、彼を口を開く事を止めてしまった。
ハーヴェイが何を言おうとも決して言葉を発しようとはしない。
明らかに普段の声とは違うという事をシグルドも自覚しているからだ。
中性的なキリルとは違い、シグルドの声は青年そのもので裏声でも出さない限り高音が口をつく事はまずない。
しかし今のシグルドは口を開けば高い声が必ずと言っていいほど飛び出してくる。
低くしようと意識してみても完全にその高さを抑える事は到底出来なくて。
変わり果てた声など聞きたくない。
しかし抑えられもしないなら口を開く事を止めてしまおうという結論に達したようだ。
なのでハーヴェイはシグルドの瞳だけで彼が何を言いたいのか、何を必要としているかを判断しなければならなかったが、しかしそこは伊達に長い時間を共に過ごしてきた訳ではなく、あまり難しい事ではなかった。

最初は慌てはしたものの、ハーヴェイと違い今では随分と落ち着いているシグルドは部屋の中でナイフの手入れをしたり読書をしたり、ハーヴェイの運んできた食事を口にしたりととても自由にしている。
とても静かで、そしてとても不思議な時間。
それが余計にハーヴェイをテンパらせる。
しかし気持ちは落ち着いても明らかな身体の変化に何となく居心地が悪いのか、シグルドは一ヶ所に留まる事はせずにいる。
ハーヴェイからサンドイッチの乗った皿を受取るとそっとテーブルから離れ、ベッドへと座りなおした。
ベッドの上で食事をするなど礼儀正しいシグルドにとってはとても珍しい行為であるが、身体の違和感にはどうしても耐えられない。
これまで座っていた椅子には座っていたくない。
立って食事というのも考えものだし、場所を床に変えて座るよりベッドの方がいいだろうと判断したのだろう。
細く頼りないものへと変化したしまった指先で膝の上に乗せた皿の受けからサンドイッチを取り、口へと運んだ。
その様子を未だ突っ立ったまま何処か虚ろな眼差しで見下ろしていたハーヴェイだったが、黙って食事を進める姿を見ている途中で飲み物がない事に気付き、予め用意してあった水差しを掴みコップへと透明なそれを注ぐ。
手渡そうとコップを持つ手をシグルドに向けると、眼下に広がる光景に改めて息を呑んだ。
上から見下ろせば嫌でも意識せざるを得ない大きく膨らんだ胸元と、服の隙間から覗く見慣れない細い首筋、伏せられた瞳にくっついた長い睫毛。
居心地の悪さ、最大の原因はこれだ。
女といる事など何でもない。
ハーヴェイの上司であるキカもれっきとした女性である。
しかしこうも「女」を感じさせる存在を、職業柄傍らに置いた事など今まで一度もなかった。
それが今目の前に、こんなにも近くにいる。


その時、ハーヴェイの中で何かが途切れた。


「…………なあ、シグルド」

声をかけてみる。
しかしやはり声を出そうとはせず、視線だけを皿から持ち上げ言葉の先を促がしてくる。

「頼みがあんだけど」

ここで初めてハーヴェイの手にあるコップに気付いたシグルドは、すっかり細くなってしまった腕を持ち上げ受取ろうとする。
コップの中で揺れる水を見つめながら小さな掌に納めてやった後、ハーヴェイは真剣そのものの声でこう呟いた。

「揉ませてくんね?」
「……………………は?」

据わり切った目に晒され、シグルドは思わず抑えていた声を洩らす。
何を、という視線を送るまでもない。
ハーヴェイの視線は既にある一点で固定されていた。

「……気は確かか? そんな話俺が許すとでも思ってるのか?」
「思ってねーよ、だからこうして頼んでるんじゃん」

ある所では布が変に余り、ある所では苦しいくらい布が足りていない。
服が合わなければブカブカでも問題ないTシャツでも羽織ればいいものを、シグルドは頑として普段の衣装を譲ろうとはしない。
身体の変化を心の何処かで認めたくないと思っている一種の現実逃避なのかもしれないが、それが余計に女の身体を強調させているという事に何故気付かないのだろうか。

「お前は……人が大変な時に何て事を……ッ!」
「だってキリルの時だって一日放っておいたら元通りだったろ、だからお前も心配ないって。一日放っておいて、それで駄目ならまた考えればいいじゃん」
「ふざけるな」
「ふざけてない。なあ、揉ませろって」
「絶対に嫌だ」
「頼むからさ」
「嫌だ、絶対に嫌だ。そんなに揉みたければ今すぐ船を下りてそういった店に行って揉ませてもらえばいいだろう!?」
「ああ、もう、ホント分かんないヤツだな。俺はただ乳が揉みたいんじゃなくて、お前のが揉みたいんだって!」
「……!」

あまりの言葉にシグルドが言葉を失う。
勿論普段のシグルドに「女」を求めている訳でも、別の誰かに求めている訳でもない。
健全な男としてどうよと自分でも呆れてしまうくらい、シグルドがいればいいやとさえ考えている。
しかしそんな相手だからこそどんな変化にも興味が湧いてくる。
女になったというのなら普段とは違う身体に少しだけ触れてみたいと、どうしてもそう考えてしまう。
今のシグルドになら力押しても簡単に勝てるだろうが、それではまるで意味がない。

「直にじゃなくていいから、服の上からでいいから! マジで揉むだけだから!」
「な……ッ! お、お前はそんなにナイフの的になりたいか!!」

顔を真っ赤にしたシグルドが膝に乗せた皿を乱暴に掴んで立ち上がると、テーブルの上のナイフとそれとを素早く交換し勢い良くハーヴェイに向かって投げつける。
しかしそれはシグルドの思う所には行かずハーヴェイから30センチほどずれた壁へと突き刺さった。
どうやら腕の筋肉が落ちた事でコントロールすらも狂ってしまったらしい。
しばらく壁に突き刺さったナイフを呆然と見ていたシグルドだったが、すぐに気を取り直して新たなナイフを構え、尚も懲りずに「揉ませろ」と連呼する男にどんどんと投げ込んでいく。

それは先の食堂でのハーヴェイのあまりの変わりようを心配したキリルとルクスが部屋に様子を見に来くまで続けられたのだった。





主要4人突然女性化/ハーヴェイ編






「ぎゃああああああああッ!!!」

鼓膜を突き破るような絶叫が就寝中のシグルドを襲う。
何事かと身体を起こしきょろきょろと辺りを見回すと、ある一点で綺麗に顔ごと目線が固定される。
その先はハーヴェイが寝ているはずのベッドの上。
誰かが此方に背を向け胡坐をかき頭を掻き毟りながら蹲っている。
癖のある茶色の髪を自身が座るベッドの上にまで長々と垂らし、それを引き千切らんばかりに両手で四方八方に引っ張ったり掻き混ぜたりしている。
シグルドは目の前で起こっているそれを咄嗟に理解する事が出来なくてしばらく瞬きと共に見つめていると、視線に気付いた相手が勢い良く振り返る。
驚きに見開かれる大きな瞳。
その後しまったと表情が歪む。
ああ、やはり。
相手と目が合った瞬間シグルドはそんな事を思い、思わず小さな溜息が漏れ出す。
シグルドの睡眠を妨げた絶叫も、未だ長い長い髪を掴んだまま間の抜けた顔で此方を見ている向かいのベッドの上の相手も。
紛れもなくハーヴェイ本人であった。

性が一日だけ変化する。
そんな摩訶不思議な現象も3度目ともなれば諦めにも似た免疫が出来るというもの。
シグルドも自身が経験済みなだけに、深夜に騒ぐと周囲の迷惑になると、別の事に目を向ける余裕すら既に持ち合わせている。
しかしハーヴェイは違う。
女性の身体になったキリルやシグルドを目の当たりにはしてきたが、「まさか自分がなるはずが」という考えが心の何処かにあったのだ。
それがどうだろう。
見事に女性の身体へと変化し、ご丁寧に髪まで伸びてしまっている。
座っている状態でも背中に流れる髪がベッドまで到達してしまうのだから、立てば膝裏辺りまでは簡単に届いてしまいそうだ。
予想以上にそれは重く、そして予想通り暑く執拗に纏わりついてくるふわふわとした髪。
これまで髪など伸ばした事もないハーヴェイにとって、それは胸や股間に感じる違和感より大きなものだった。

「ああ、もう、鬱陶しい!! こんなの今すぐ切り落としてやる!!」

いくら引っ張っても掻き毟っても消えてなくなる気配はない。
とうとう我慢の限界に達したハーヴェイは、今まで以上にガシガシと頭皮ごと髪を掻き毟ったあとに大声で吠え、ベッドの横に立てかけてあった愛用の剣へと手を伸ばす。
だいぶショックを受けているらしいので一応気を使ってやろうと、水を渡す為備え付けの水差しを手にしていたシグルドは、それを見て慌てて空いている方の手でハーヴェイの腕を掴み制止する。
普段のハーヴェイ相手では悔しくも負けてしまう腕力だが、女性のそれよりはやはりシグルドの方が上で。
難なく制止する事に成功した。

「おい待て、ハーヴェイ」
「止めるな、シグルド! 只でさえイライラすんのにこんな長いのブラブラなんてホント冗談じゃねーぞ!」
「落ち着け。戻った時髪がなくなっていたらどうする」
「ああ?」

制止されても尚剣を掴もうと暴れていた身体がシグルドの一言により、怪訝そうな表情を作りながら動きを止める。

「戻った時に切った長さ分の髪がなくなっていたらどうするのかと聞いているんだ。その長さなら元の髪が綺麗に消えるだけでなく数ヶ月は産毛すら期待出来ないだろうな」
「そんな事……ッ」
「ない、とは言い切れないだろう?」

突然性が変わってしまうというこのメカニズムは未だ謎に包まれたまま。
何が起こっても不思議ではないし、何が大丈夫で何が大丈夫でないかなど誰も分からない。
切った分の髪がそのままなくなってしまう事だって十分に考えられる。
極力弄らない方が身の為なのだ。
ようやく事の重大さを理解したのか、徐々に大人しくなっていくハーヴェイの腕をシグルドはそっと放す。

「坊主頭のお前など見たくもないぞ、俺は」
「…………自分でも見たくない」
「だろ? だからこれで明日まで我慢しろ」

そう言うとハーヴェイは一度ベッドに再び座らせ、手にしていた水差しをテーブルに置き代わりに床に転がる赤いバンダナを拾い上げる。
ハーヴェイがいつも首に巻きつけているバンダナだ。
それを手にハーヴェイの背後まで回ったシグルドは、掻き毟られあちこちに跳ねた髪を軽く梳きながら徐々に片方の掌へと納めていき、襟足の辺りで一纏めにするとそれをバンダナで結った。
もう少し上の方で纏める事も考えたが、それ専用に作られたのではないバンダナは多分髪の重みに負けてしまう。
耳と首筋に風が通れば、ただ髪を後ろに流すより多少は違うだろうと。

結っては解き、結ってはまた解き。
ひとつに纏めるのではなく、ふたつに分けた方がより通気性がいいだろうかとか、出来るだけ良い方法を模索しながら慣れない手付きで髪を弄るシグルドに黙って髪を預けていたハーヴェイは、居心地悪そうに一度身動ぎした後ポツリと呟く。

「……何か俺、しばらくこのまんまでもいいかも……」

胡坐をかく足を左右組み直す。
それに合わせ鳴るベッドに丁度重なった、案の定呆れたような怪訝そうなシグルドの声。
髪を弄る手が止まったのをいい事に素早く顔を後ろに向け、ニッと笑顔を作った。

「だってお前が何か優しいし」

それを聞いたシグルドの眉が途端に寄る。
普段そんな邪険にしてるつもりはないがとブツブツ口内で言葉を転がしながら、ハーヴェイの頭を軽く掴み顔の位置を前へと半ば無理矢理戻させ再び髪との格闘を始めたシグルド。
それに向かいハーヴェイは気付かれないようそっと笑みを浮かべる。

気まぐれでも一応でも、有り得ない変化に自身が見舞われても。
こうしてぎこちなく、でも分かりやすく気を使ってもらえる日が一日くらいあってもいいかもしれないと、そんな事を考えていた。





主要4人突然女性化/ルクス(4君)編






「おはよう、キリル君」

ふいに後ろから声をかけられた。
それに答えようと振り返ったキリルの唇が、身体が一瞬止まる。

「あ、おは……よ……う……?」

挨拶が疑問系。
何とも不思議な返事を口にしたキリルに、相手も不思議そうに首を少しだけ傾げる。

「どうしたの?」
「どうしたのって、そっちこそどうしたのって言うか……え? え?」

目の前にいつ相手にはとても見覚えがあった。
見覚えがあるのだが、何処かおかしい。
服装にも額に巻かれた赤いそれにも確かに見覚えがある。
しかしその相手と断定するには、やはりどうしても残る違和感。
人をジロジロ見ては失礼だと分かってはいるのに、ウロウロした視線が自然と流れていってしまう。

「………………ルクス?」
「はい」

思い切って名前を呼んでみると、彼は、いや彼女は静かな声でハッキリと返事をした。



キリル、シグルド、そしてハーヴェイ。
まるで魔法のように一日だけ女性の身体になってしまうという謎の現象がここ最近立て続けに起こった。
原因は未だ分からず終いだが目立った後遺症などもなく、元の性別に戻った後もこれといった変わりは見られない。
癖のように頻繁に性が変わったり後々何か残るようなら一大事だが、ただ「性別が一日だけ変わる」だけなら焦って追求する必要もない。
それに少しだけ興味が湧いてくるだろう。
あの人が男になったら、あの人が女になったら。
一日不自由するだけならそんな好奇心も、戦いの中で多少の息抜きになるのではないだろうか。
ルクスはそう淡々とキリルに話して聞かせた。
それにそろそろ自分もなるだろうなという妙な予感もあったらしい。
朝起きて自分の身体に違和感を覚え、試しに胸を掴んで見た所で「ああ、やっぱり」と予感が確信に変わったと言う。
少し高めの聞き慣れない声。
服を少しだけ押し上げ存在を主張する胸元。
スラリと伸びた脚や腕は何処か頼りなく感じる。
身長も低くなってしまっているのか、ルクスが僅かに顔を上げながらキリルと目線を合わせていた。

「平気、なの?」
「別に……あ、周りを混乱させるといけないからあまり出歩かない方がいいね」
「あ、いや、そうじゃなくて。身体が女の人になった時僕はパニックになっちゃったけど、さすがはルクスというか……」
「驚いてるよ、これでも十分」
「そうなんだ」
「うん」

頷いてみせる姿はまるで普段と変わりがない。
ありもしない現象が己の身に起こっているというのに、自分の事は全く気にせず周りの心配をしている。
きっと今敵が現れればこのまま飛び出していって、その細くなってしまった腕で普通に倒してしまうのだろう。
そう思うと何だか少しだけ安心出来た。
身体が変わろうが何だろうがルクスはルクスなんだ、と。

「やっぱりさすがだよ」

そう小さく笑うキリルを、ルクスはいつまでも不思議そうに見つめていた。





中身入れ替え/4主⇔ハーヴェイ編






両手に抱えられた茶色の紙袋。
その中にはふかふかとまだ湯気を立てるカニ饅頭。
先ほどまでキリルはそれをルクスと一緒に食していた。
しかし急な用事と席を立ったルクスは、自分の分にと取り分けておいた饅頭を置いて立ち去ってしまったのだ。
このままここに残していくのは忍びない。
用事の邪魔をするのも申し訳ないので、部屋に運んでおこうとキリルは考えた。
再度温めなおしたそれを持って廊下を歩く。
ルクスにと用意された部屋にはすぐに辿り着いたが、勝手に入ってもいいものかと一瞬脚を止めてしまう。
一応ノックをしてみようか。
そう思い拳を軽く作った所で、後ろから声をかけられた。
それは聞き間違えるまずもない、紛れもないルクスの声。
丁度良かったとすぐに振り返ると、そこには確かにルクスが立っていた。
立っていたのだが。

「よう、キリル。なあ、シグルド知らね?」

そこにいるのはルクスであって、決してルクスではなかった。

「……え? あ、えっと……シグルドさんならさっき甲板の方で……」
「おう、サンキュー」
「あ、はい。どういたしまして……」

豪快な声につられるがまま答えると、すぐに大股でこの場を離れていく。
「リーチが短い」とか「キリルが妙にでかくなったみたいだ」とかブツブツと時折舌打ちも交えながら。
キリルはただそれを口を半開きにしたまま見送る事しか出来なかった。
手の中の饅頭入り紙袋が落下しなかったのが不思議なくらいの脱力感。
一瞬何が起こったのか本当に分からなかった。
探していた人間と会えたはずなのに、部屋の前にいた目的も何も告げる事が出来なかった。
いや、そもそも今のルクスは自分が探していたルクスなのだろうか。
一緒に饅頭を手にしている時はいつも通り、特に変わりないルクスのままだった。
それが今ではこの変わりよう、別れた後に一体何があったというのだろうか。
いやいや、もしかしたら全てはルクス渾身のボケだったのかもしれない。
ここはツッコむべきだったのか。
ポカンとした表情のまま立ち尽くしぐるぐる頭を回転させていると、キリルを呼ぶ声が再び後ろからかけられた。
思わずビクッと反応してしまう。
今にも錆びた音が響いてきそうなくらいぎこちなく、恐る恐る振り返るとそこにはハーヴェイが小さな微笑みを携え立っていた。

「キリル君。ごめん、さっき饅頭持って帰るの忘れてた。わざわざ届けてくれたんだ」

そして先ほどのルクス同様、今目の前に立つハーヴェイもハーヴェイであって決してハーヴェイではなかったのだ。

「え……ッ? あ、ああ……はい……?」

饅頭とは今自分がルクスの為にと持ってきたこの饅頭の事だろうか。
何でハーヴェイがその事を知っているのだろうか。
普段の豪快な彼からは想像も出来ないくらい落ち着いた雰囲気を纏っている。
おかしい。
正直らしくなさ過ぎて気味が悪い、ハーヴェイも、先ほどのルクスも。
これもボケなのだろうか、ふたりで組んで自分のツッコみを待っているのだろうか。
さあ、何てツッコめば満足してもらえるだろう。

ハーヴェイらしき人物から話しかけられたあと一瞬でここまで思考を巡らせ、そしてとうとうオーバーヒートしてしまう。

「キリル君ッ」

ぐらりと後ろに大きく傾く身体。
遠ざかる意識の中で「その声で君付けは止めてくれ」と、そう切に願った。





中身入れ替え/キリル⇔シグルド編






階段端に一際色濃く影を放つふたつの存在があった。
互いに向かい合うようにしながらただひたすらに佇んでいる。
その姿には哀愁すら漂っていた。

「えー、とりあえずまずは状況を整理しましょう。貴方は急いで階段を駆け上がっていた、そして此方は急いで階段を駆け下がっていた。それでお互い勢いよく正面衝突してしまった…………と、ここまではいいですよね。えー、問題はこれからなのですが……」
「…………ど、どうしてこんな事に…………」

色濃い影にも負けないほどよどんだ声音が互いを包み込む。
頭を抱える長身の青年、シグルド。
そして難しい表情を作りながら口元に掌を当てて何事かを考えている細身の少年、キリル。
キリルとシグルドを知る人間が今この光景を見たのなら、重々しくまとう影に驚く前にまず間違いなく互いの表情や仕草に驚く事になるだろう。
眉を八の字にし「どうしよう、どうしよう」と混乱し落ち着かない様子でキリルを見下ろすシグルドからは普段の沈着冷静さは微塵も感じられない。
そんなシグルドを見上げながら「とりあえず落ち着きましょう」と何とか相手を宥めようとするキリルはとにかく落ち着きすぎている。
ふたりにとって重い影を背負うほどの事があったというのに、自分が慌ててこれ以上シグルドが混乱しないよう声を抑えゆっくりと口を開くというまるで大人のような気遣いを見せていた。
ふたりを知る人間が見ればとっさにこう思うだろう、ふたりの性格が入れ替わったみたいだ、と。

「僕がシグルドさんでシグルドさんが僕で、僕は僕でシグルドさんはシグルドさんで、それからそれから…………」

ブツブツと早口で言葉を紡ぎ出すシグルドの肩をキリルがそっと叩く。

「……もう難しく考えるのは止めましょう。混乱の元です」

キリルに向かい「シグルドさん」などと奇妙な事を言うシグルド。
それに普通に答えているキリル。
性格が入れ替わった所の話ではない、キリルとシグルド、ふたりの中身が丸々入れ替わってしまっているのだ。
原因はキリル―――――いや、シグルドの言う「正面衝突」と何か関係があるのだろう。
それ以外に原因らしいものが何ひとつ思い当たらないのだ。

「…………もう一度あの時のようにぶつかってみますか?」
「しかしお互い嫌でも警戒してしまうので『あの時のように』とはいきませんよね」
「あー、それもそうですよね……」

以前ルクスとハーヴェイの身にも同じような現象が起こっていたが、身体が女のそれと変わってしまう現象と同様いつの間にか元通りになっていたので今回もあまり長引く事はないと、そう強く強く信じたい。
その希望だけがふたりを現実に繋ぎとめていた。
しかし問題はこの後、元に戻るまでの時間だ。
ルクスとハーヴェイは周りが呆気にとられようが何だろうが全く隠す事なく堂々と過ごしていたが、それだけはとてもじゃないが真似出来そうにない。
いつ戻るかも分からない。
希望空しく数日入れ替わったままの可能性だってあるのだ。
今後の事を思うと影以上に頭が重くなってくる。
ふたり顔を見合わせ、深く溜息をついた。





 






NOVEL