喧嘩しました (早瀬)






「なあなあ、聞いたか? キリルとルクスが喧嘩したらしいぞ」

酒が並々と注がれたジョッキ片手にニヤニヤしながらシグルドの隣に腰を下ろしたハーヴェイは明らかにそれを楽しんでいた。
ハーヴェイがこのような表情をしながら話しかけてくる時は大抵がくだらないか確証のない噂話がほとんどで、いつもなら適当に受け流しながら自らの酒を楽しむ事にしているシグルドであったが、今回ばかりは聞かされた内容が少し気になりグラスを傾ける手を止める。

「珍しい。何でまた」

シグルドが反応した事に気を良くしたハーヴェイは、身振り手振りで少々大袈裟に説明を始める。

「それがさ、どうもカニ饅頭の若干大きい方を互いに譲り合ったらしいんだよ」
「まさかそれで?」
「喧嘩っつうか何つうか。可愛いもんだよな」

笑いながらジョッキを呷るハーヴェイに続き、シグルドも止めていた手を動かし冷えた酒を口内に含む。
今度ふたりに食べ物を差し入れる時には大きさ、形など限りなく同じ物を用意した方が良さそうだと、喉越しを楽しみながらそんな事を考えた。





時間 (風望)






 ふと、隣にいるキリルを見て、気になった。
「あ、そうだ、そういえばこの間シグルドさんがね。」
 キリルはずっとルクスの隣で楽しそうに話を続けている。
 ルクスは時折それに相槌を打つけれど、殆どが黙って聞いている。
 けれどルクスとしては楽しい時間だ。
 キリルもそれに気付いているので、ひたすら話を続けている。
 そんな時に、気になった。
「ねぇ、キリル君。時間は、大丈夫?」
 気になったので、聞いてみた。
 キリルは、今この部隊を率いているリーダーだ。
 決して今戦争をしているわけではない。
 けれど1つの国を探り、戦っているという事実がある。
 軍主をしていた頃の自分よりはいくらか時間があるように見えるけれど、それでも何かと誰かに呼ばれたり何かを確認しに行ったり。
 そんな事が多いのに、気付けばキリルはルクスの隣にいる。
 そうして他愛のない話をとても嬉しそうに聞かせてくれる。
 朝であったり昼間であったり夜であったり。
 キリルの時間が空けば、いつでも彼は走ってくる。
 ルクスは今となっては唯の一個人でしかない、戦いがなければ多くする事もない。
 少しでもキリルの負担が減るように、と、後は個人的に暇な時間が苦手だから、と言う理由で手伝いはしているけれど。
 それでも空く時間はルクスの方が長く、キリルの方が短いはずだ。
 無理をしてはいないだろうか。
 少し不安になった。
 だから聞いてみれば、キリルはきょとんとした後に、少し苦笑した。
「進路が決まって補給が終わって人の振り分けが終われば、ボクもそんなにすることないし、色々手伝ってくれる人も多いから、大丈夫。」
 ちゃんと休めよとか大丈夫ですかとか。
 たぶんそんな事をよく周りから言われているのだろう。
 大丈夫なのにな、と呟いて笑った。
 その表情は無理をしているようには見えないけれど、それでも心配に思った。
 色々と決め事をして戦ってギルドからの依頼もこなして。
 そうして、こうやって会いに来てくれて。
 倒れるほどの無理はしていないだろうけれど、十分に休めているのかが心配で。
 けれどキリルの役目は、今この船に乗っているメンバーには重要だから、やめさせるわけにもいかず。
 かといって、ボクに会いに来るより休んだほうがいいよ、とルクスには言えなかった。
 この他愛無く話している時間を休む時間に当てた方がいいのは理解している。
 それでも言えなくて。
「………、もっと、1日の時間が長かったらいいのにね。」
 この他愛無く話している穏やかな時間がなくなるのは嫌なんだと、そんな我侭を誤魔化すようにそう呟いた。
 それを聞いたキリルは小さく首を傾げた後に、ああ、と声を上げて手を叩いた。
「そうだね、そうだったらいいね。」
「うん。」
「そうしたらやる事やった後でも、もっと一杯ルクスと話せるようになるね。」
「………え?」
 言いたかった事はそうじゃない。
 そう思ったけれど。
 増えた時間さえも自分と過ごすために使うと躊躇いなく言ってくれたキリルの言葉が嬉しくて。
 ちゃんと休んで、という言葉は、もう言えなくなっていた。




陽だまり (早瀬)






夜の海は吸い込まれそうに暗く、そして冷たい。
それは吹く風にも比例しているようで、晒した肌から容赦なく体温を奪っていく。
見上げれば星々を覆い隠すように広がる雲の群。
空が暗いから、海も暗い。
瞳を伏せ視界を自ら遮ってしまえば更に暗い場所が出来上がる。
ひとりの空間は嫌いではない。
静かに佇む事も時には必要だと考える。

でも――――――――――。

誰かの気配が背後から徐々に近付いてくる。
しかし相手は近付く事を隠そうとしている訳ではなく、気配と一緒に甲板を鳴らす足音も確かに聞こえてきた。

「今晩は」

誰だと確認する事なく振り返ると見知った顔がそこにある。
夜の挨拶を口にすると、ただ笑顔が返ってきた。

ひとりの時間も時には必要だろう。
集団生活を送っているのなら尚更だ。
でも、今ではそれよりもう少しだけ必要なものを得られたような気がする。

雲と雲との隙間から数個の星が覗き、暗い海に微かな光を落とす。

今、陽だまりを見た。





1週間 (風望)






 ぼんやりと海を眺めながら。
 ハーヴェイはふと何かを思いついたように、数字を呟きながら指を折り始めた。
 それを隣で見ていたシグルドが少し首を傾げる。
 1から順に数えられて、指が止まったのは7を数えた時だった。
 小指を薬指を立てた自分の手を見て、ハーヴェイがため息をつく。
「なんだ、いきなり。」
 7という数字に何かあっただろうか。
 少しだけ考えてみれば、1つだけ思い当たる事があった。
 派遣の依頼で小さな町に来てから7日。
 そのくらいだろうか。
 夜盗が出るので見張りがほしいと、そんな依頼。
 期間は2週間ほど。
 今日で半分、もう半分期間は残っている。
 夜盗とは1度出くわしたが、適当に追い払えるようない程度で、それからその姿は見ていない。
 相手が来なければ平穏な時間をのんびりと過ごしているだけだ。
 飽きたのだろうか、とも思った。
「いや、1週間経ったんだな、と…。」
「そうだな。」
「まだ1週間なんだよな…。」
「なんだ、飽きても帰れないぞ。」
「いや、そうじゃなくてさ。」
 ため息をつく。
 飽きたわけではないならなんなのか。
 分からずにハーヴェイを見ていれば、彼は困ったように笑った。
「いやさぁ、なんか、こう、心配になった。」
「心配?」
「たかが1週間なんだが、あいつら大丈夫なのかなー、と。」
 あいつら、と言われて。
 浮かんだのは、現在の仲間達でも、共に海賊として生きている仲間達でもなく。
 現リーダーと前リーダーの2人だった。
 その2人の姿を思い出し、シグルドもつい苦笑した。
「ああ、なるほど。」
 力は2人とも申し分なく。
 キリルは少し純粋すぎるものの、その辺りはルクスがいるので大丈夫なのだけれど。
 2人とも、お互いの事になると、途端に不器用になる。
 あまりにお互いの事を真剣に考えすぎ、小さな事でも難しく考えすぎるので。
 時折周りが手を貸してやらないと、とても簡単な事が気付けば物凄い難解なことになっている。
 その手を貸す役目は主にハーヴェイとシグルドの2人がやっている。
「またなんかくだらない事で悩んでねぇよな、あいつら。」
「………、断言は出来ないな。なにせあの2人だ。」
「うあーっ、たかが1週間くらいで心配かけんなー!」
 むしろ心配しているのはキリルとルクスの方だろうけれど。
 考えてみれば本当に心配だ。
 2人でまた小さな事を難しい顔で考えていないだろうか。
「………、よし。」
「なんだ?」
「こうなったら夜盗どもの拠点を叩く。そうすりゃ帰れるだろ。」
「また無茶な。」
「んだよ、文句あるのかよ。」
「………、普段ならある。だが、まぁいいだろう。その案に乗ろう。」
「やっぱり心配だろ?」
「まぁな。」
「たかが1週間なのにな。」
「本当にな。」
 気付けばまるで2人は手のかかる弟だ。
 そんな事を思って2人ともお互いを見て苦笑した。





驚いた (早瀬)






それはほんの出来心だった。
自分に背を向けたまま静かに本を開くシグルドの後姿を見ていたら何となく其れが顔を出してきた。
一度出てきてしまったらもう止められない。
ハーヴェイは己を駆り立てるかのごとく沸き起こってくる好奇心を満たす為に、足音を立てずにそっとその背中に近付いていった。
沈着冷静な人間を驚かせるとどういう反応が見られるのか。
素っ頓狂な声を上げるのか、それとも身体を硬直させるのか。
きっと非常に面白いものが見られるに違いない。
以前寝ているシグルドを起こす為に似たような真似をしようとして結局何も出来なかった事があるが、今度は上手くやってやる。
相手が背中を向けているのをいい事に悪戯を企む子供のような意地の悪い笑みを隠す事なく両手を目一杯広げて標準を定め、そして其れを一気に前へと突き出した。

「わ!!」

変に対策を練るよりこういう在り来たりな方法の方が意外に効果があるものだ。
さあ、どうする。
声を上げるか、それとも身体を固めるか。
一際大きな声と共に背中をドンッと両の掌で押す。

するといの一番に返ってきたのは叫び声でも硬直した背中の感触でもなく、部屋の中で響くには明らかに不自然な水音だった。

「………」

予想していなかったそれにハーヴェイは掌を相手の背に当てたまま前を覗き込む。
シグルドの手には淵からポタポタと水が滴り落ちているカップがひとつ。
その下には盛大に水を吸った本が横たわっていた。

「………」

嫌な沈黙だった。
じっと本に視線を落としていたシグルドは、次に未だカップの外側を伝う液体に目を向けそれを服の袖で丁寧に拭った後ゆっくりと後ろを振り返った。
ハーヴェイの目の前にシグルドの無表情。
嫌な沈黙に嫌な冷風までも追加されたような錯覚を覚える。

「あ、お、驚いた? なーんちゃって……」
「…………ああ、驚いた」

嫌な沈黙と嫌な冷風と、そしてこの嫌な距離感。

もうシグルドに関しての変な悪戯心に忠実になるのは止めよう。
その時ハーヴェイは心に強く誓ったのだった。





気温 (風望)






「………、寒い…。」
 ほんの少し後ろを歩いているキリルの声が聞こえた。  それは誰に聞かせるつもりもない、本当に小さな独り言。
 それでも聞こえてしまったシグルドは、気になって振り返った。
「寒いですか?」
「え?」
 聞き返せば、聞かれていたとは思っていなかったのだろう、キリルは一瞬不思議そうな顔をした後に、慌てて首を横に振った。
「あ、いえ、すみません、なんでもないです。」
 けれどキリルは胸元辺りで両手をしっかり握り締めて、時折手が冷たいのか擦ったりしている。
 そう思って窓から外を見る。
 今日の天気はあまりよくない、海も少し荒れているだろうか。
 最近は、日が射していれば暖かいのだけれど、天気が悪いと途端に寒くなる。
 それにもう夕方と言っていい頃、気温は下がってきただろう。
 シグルドにはあまり実感がないのだけれど。
 キリルを見れば、やはり手を擦っている。
「………、ちょっとだけ、です。なんか寒くて…、それだけです。」
 結局は寒いという事を認めて、キリルが苦笑した。
 ぎゅっと握られた両手。
 少し気になってシグルドはそっと触れてみれば、少しだけ冷たいような気もした。
 普段触れるキリルの手はもう少し温かかったように思う。
「風邪、とか…。」
「あ、それは全然大丈夫です、凄く元気です。」
 言われた言葉に嘘はないだろう。
 顔色は悪くないし、いつもと様子は変わらないし。
 体調が悪ければ過保護な保護者達や、何よりルクスが気付かずに放っておくわけがない。
 気温が急に下がったために寒いのだろうか。
 そう思っていれば、キリルの手に触れていたままだったシグルドの手を、突然キリルは掴んだ。
「ど、どうしました?」
 勢いが良かったので少し驚いたような声で聞けば、キリルはシグルドの手をぎゅっと握って嬉しそうな顔をした。
「あー、温かい…。」
「そうですか?」
「はい、温かいです。」
 そんなに寒かったのか、ぎゅっと掴んだまま手を放す様子はない。
 とりあえず気の済むまで放っておこうと思えば。
 ふとキリルはシグルドを見上げ、その視線にシグルドが首を傾げたと同時に、思い切り抱きついてきた。
 今度は驚きのあまり咄嗟に声が出なかった。
「あー…、本当に温かいです…。」
「………、何か羽織る物を持ってきますか…?」
「あ、ちょっと待ってください、もうちょっとだけ!」
 何かを羽織った方がよほどいいと思うのだけれど、それでも目の前の温かさを手放すのが惜しいらしく。
 ぎゅーっと抱きつかれたままシグルドが少し困って立ち尽くしていれば、廊下の向こうから人の姿が見えた。
 あまりこの現状で居合わせたくない2人組みだ。
「よう、シグルド………、って、キリル、お前何やってんだ?」
「あー、ハーヴェイさんにルクス。ちょっとシグルドさんに暖めてもらってます。」
「寒いの?」
「寒い。」
 返ってきたキリルの言葉に、ルクスが少し考え込むような素振りをした。
 時折ルクスはキリルに対して独占欲に似た感情を見せる時がある。
 たぶん今悩んでいるのはそれなのだろう。
 シグルドに抱きついているキリルと、キリルに抱きつかれているシグルドとを見て、ハーヴェイに視線を向ける。
「………、ボクはどうしたらいいと思う?」
「とりあえず引っぺがしてお前が代わってやれば?」
「………、でも…。」
 じっと真剣な顔でルクスはシグルドを眺め。
 やがてシグルドの背後に回ると、そのまま背中に抱きついた。
 まさかルクスにまで抱き疲れるとは思わなかったのでシグルドが驚いたが、とうの本人はそれ以上何か行動を起こす様子も何を言う様子もない。
 ただ何かを確かめるように抱きついている。
 おそらくは、自分とシグルドの体温はどちらか上なのか、と。
 自分の方が低かったら引き剥がしたら可哀想だ、と。
 たぶんそんな、どこかずれた事を、本人は真剣に考えているのだろう。
「………、おい、ハーヴェイ。それで、オレはどうしたらいいと思う?」
 前からキリルが、後ろからはルクスが、しっかりと抱きついていて。
 身動きが取れないシグルドは、つい真剣な顔でそう聞いた。
 引き剥がせばいいとは思うのだけれど。
 心地よさそうにしているキリルと、本当に真剣な顔をしているルクスとを見て。
「………、気の済むまで放っておけばいいんじゃね?」
 ハーヴェイはそう答えるのが1番いいと思った。

 そうして結局この状況は、暫く後にこの場所をキカが通るまで続いていた。





 






NOVEL