雪が見たい (早瀬)






「……あー、早いトコ本物の雪が見たい」

珍しく大人しくしていると思ったら突然呟かれた意味不明の言葉。
自身のベッドに転がって暇を持て余しているハーヴェイに、シグルドは広げていた本から顔を上げ当然の疑問を口にした。

「何だ、唐突に」

雪が見たいなんて、らしくもない事を口走っている事くらいハーヴェイ自身も十分承知している。
ふたりの視線が交わった瞬間思わず笑みをこぼしてしまったのが何よりの証拠だ。
しかし言わずにはいられなかった。
ふと真面目な顔を作ってシグルドを驚かせる。

「だってそうしないとお前しか思い浮かばなくなりそう」
「は?」

ゆっくりと立ち上がり、眉を寄せて様子を窺っているシグルドに近付く。
普段の大雑把な動作からでは考えられないような滑らかさでそっと片手を持ち上げれば、触れた先はきめ細かな頬の上。
何度か撫でるように軽く擦っても感触は変わらぬまま指を難なく動かす事が出来る。
同じ生活をしているというのにハーヴェイとシグルドの肌は見た目もモノもあきらかに違う。
こうして合わせてみれば一目瞭然だ。
程よく焼けたハーヴェイの其れとは違い、シグルドの肌はずっと室内で過ごしていたかのように白く侵食の痕が見られない。
同じ男とは思えないような
触り心地。
変に体温が染み付いていないから余計にそう感じる。
特別な手入れでもしているのかと思えば特にそんな事もなく、まさに天然モノといったところ。
ますます吸い寄せられていく。

この滑らかさ。
この白さ。
あえて例えるとしたら、そう、まるで淡い粉雪のような――――――――。

「……何を考えている」
「何って」
「いや、いい、言うな。絶対言うな」

いつの間にか頬から首筋にまで及んでいた指先を本で思いきり払い除けられる。
眉間に皺を寄せとても不機嫌そうな顔のシグルドと目が合ってしまえば、じわじわとくる笑いを抑える事が出来なくなる。
知っている。
シグルドがこの手の話題に酷く敏感な事も。
知っている。
自分が如何に陳腐な発想しか出来ないかという事も。

「照れてやんの」
「海に放り出すぞ」

実物を見た事があまりないものだから想像だけがどんどんと先立っていく。
払われた方とは別の手を目一杯広げて再び頬と首筋に触れれば、鋭い眼光とは違ったあの柔らかい感触。
いっその事陳腐な発想でも構わないと、そう思った。





くしゃみ (風望)






 突然静かな部屋に響いた音に、それが何か分かっているというのに、瞬間驚いてハーヴェイは顔を上げた。
 現在部屋にはハーヴェイのほかにはルクスしかいない。
 見れば口元を手で押さえている。
「風邪か?」
 聞こえた音はただのくしゃみだった。
 だから、ついそう聞けば、ルクスは首を横に振る。
 もしこれで本当に体調が悪くても、ルクスは首を縦に振ることはないだろう。
 それに本気で風邪と思ったわけじゃない、ただつい聞いてしまっただけだ。
 ルクスの反応を見て、そうか、と短く返して手元に視線を戻す。
 武器の手入れの途中だった。
 ルクスも少しの間口元を押さえていたけれど、結局同じように武器の手入れに戻った。
 しばらく黙々とそんな事を続ける。
 元々そんなに会話の弾む組み合わせではない。
 ルクスが何かに悩んでいればある程度助言は出来る、何せ彼の悩む事はあまりに単純で、それを難しく考えすぎたために答えに詰まっているものが殆どだから。
 けれどそうでなければ言葉は少ない。
 ルクス相手に2人きりで会話が弾むのなんて、キリルくらいではないだろうか。
 キリルが一方的に喋り、時折ルクスが短く言葉を返す。
 2人はそれでとても十分そうで。
 ハーヴェイとしても、この静かな空気はさほどイヤではない。
 無理に話題など探さない。
 そのうち、お茶でも入れようと出て行ったシグルドが戻ってくるか、ルクスを探すキリルが来るかすれば、もう少し賑やかになるだろうから。
 もくもくとお互い作業を続けていれば。
 またくしゃみをする音。
「………、おかしい、な…。」
 口元を押さえてルクスが呟く。
 そんなルクスをハーヴェイは少し珍しいものを見るような目で見た。
 咳とかくしゃみとか、少し体調を心配してしまうような事をするルクスはあまり見ない。
 だからなんだか珍しく、ルクス自身も不思議そうだ。
 そんな事を思っていれば、またくしゃみ。
「風邪か?」
 もう1度同じ事を聞けば、同じ反応が返ってきた。
「体調は悪くない。………、本当に。」
 強がっていると誤解されたくないのだろう、言葉を付け足す。
 確かに強がっているようにも無理をしているようにも見えない。
「ああ、じゃああれじゃね?」
 ハーヴェイの言葉に、口元を押さえたままのルクスが小さく首を傾げる。
「くしゃみ1回で、いい噂。」
「………、噂?」
「こういうの知らないのか?」
「知らない。」
「1回でいい噂、2回で悪い噂、3回以上はただの風邪。」
 信憑性などない言葉だけれど、言えばルクスは感心したように、へぇ、と呟いた。
 その反応が子供のようで少し笑えた。
「じゃあ…、3回で、風邪?」
「続けてって感じでもないし、風邪でもないんなら、1回ずつってことで、誰かに今噂されてんじゃないか?いい方向で。」
 ルクスは無言で視線を彷徨わせた。
 なにかしたっけ、そんな事を悩んでいるように見えた。
 またこんなどうでもいいことを難しく悩もうとしているルクスに少し苦笑し、それを止めるために、ただの他愛のない話題にしようと手入れの終わった武器を置く。
「なんもしなくても、お前の事話したっていいだろ。」
「………、え?」
「今頃、誰かにお前の事話してんじゃないか、キリル辺りが。」
 その姿は容易に想像できた。
 アンダルクとかセネカとかヨーンとか、その辺りに嬉しそうにルクスと過ごした時の話をするキリルと、そんなキリルを微笑ましく見守る3人。
 そうでもなければ、最近仲のいいシグルドに。
 あまりに簡単にその姿は浮かんだのだけれど。
 ルクスにとってはそうでもなかったらしく、数度瞬きを繰り返す。
 それから困ったように視線を落とした。
 その顔が少し赤くなっているように見えたのは気のせいではなくて、笑いそうになり。
 少しして戻ってきたシグルドと一緒にキリルが来て。
 さっきまでシグルドさんとルクスの話をしていんだ、なんてキリルが言うから。
 ただただ目を丸くするルクスに、今度こそ耐え切れなくて、ハーヴェイは声を立てて笑った。





苦手 (早瀬)






例えば甲板で静かに海に視線を落としている時。
例えば頬杖をつきながら瞳を伏せている時。
例えば満天の星空を見上げている時。

決して人を寄せ付けない空気を持っている訳ではない。
むしろ気付けば彼の周りには人が大勢いる。
それでも時々感じる。
近くにいる時でも何処か遠くにいるような、そんな雰囲気。
掴もうとしても水のように掌から簡単にすり抜けていく。
掌には温もりの欠片すら残っていなくて、ぎゅっと拳を握り締める。

ねえ、貴方は何処にいるの。

そんな口に出せない疑問を抱えながらも、『近くにいる』と実感出来る事もある。

「キリル君」

それまでの雰囲気とは一転、ふわりと微笑みながら名前を呼んでくれる貴方。
ああ、近くにいる。
初めて安堵に顔が綻ぶ。

嬉しい――――――――――けど、困る事がひとつだけ。

同時に湧き上がる温かな感情と、身体中に響き渡る心地よい鼓動の音。
痛いくらいの其れに胸元を掌で強く押さえつける。

貴方の澄んだ声が名前を呼ぶ。
他の誰でもない、自分の名前を呼ぶ。
それが突然であればあるほど、予期せぬ場面であるほど胸が痛くなる。

何故だろう。

だから、不意打ちは苦手なんです





ギリギリ (風望)






 飽きるほど、という言葉が当てはまると思う。
 甲板に立って海を見ているシグルドの後姿を見て、ハーヴェイはそう思った。
 それなりの年数を共に過ごした。
 同じ場所で戦うようになってからは5年程、武器を向け合う頃から考えればもう少し。
 数字を思い浮かべ、飽きるほど、は言い過ぎかもれ知れないと思った。
 けれど、それでも何年もの間、毎日毎日その姿を見てきた。
 その姿を見ない日が今までどれだけあっただろうか。
 少し考えてみて、けれどすぐにやめた。
 たぶん年に数回あるかないかだ。
 酷く物足りない気持ちを味わった事は覚えているけれど、それがいつだったのかなんて覚えていない。
 だって、本当に毎日一緒にいるから、その一緒にいるのが当たり前だから、そんな毎日しか浮かばない。
 これだけ同じ姿を見てきたのだ、少しは飽きろよ自分、そんな事を思うけれど。
「んー…。」
 思わず声を漏らせば、それが聞こえたらしくシグルドが不思議そうに振り返る。
「どうした?」
「いや、くだらない事だ、気にすんな。」
「そうか?」
 本当にたいした事ではない、それが伝わったのだろう、シグルドはあっさりとまた海の方に目を向ける。
 そんな後姿をハーヴェイはとりあえずじっと見つめる。
 今更こんな改めて見る必要がない程に、本当に見慣れた姿なのだけれど。
「………、いいよな、お前って。」
「なにがだ?」
 シグルドが振り返った瞬間、手を伸ばし、頬に触れる。
 揺れた髪が手に触れて少し心地いいなと思いながら、口を開く。
「綺麗で、さ。」
 突然の言葉が理解できないのだろうか、とても不思議そうにしている目を見上げる。
 見慣れた顔と瞳の色とその姿。
 頬に触れた手で、そのまま髪を撫でる。
 これも、もう何度も触れた感触だ、手に馴染むほどに慣れたものだ。
 それでも綺麗だと思うし。
 こうしてふと手を伸ばして触れたいとも思う。
「本当に、何で飽きないかな、オレも。」
 苦笑交じりの独り言に、それでもシグルドはただ不思議そうにするだけで。
 いつもの真面目そうな静かな表情とは違う、こんな顔も何度も見たけれど、やっぱり飽きない、ただなんだか自然と笑みが込み上げてきて。
 髪に触れていた手を、そのまま頭の後ろへとまわして引き寄せる。
 不思議そうな顔にもう1度笑った。
 シグルドがここでようやく気付いたような顔をしたけれど、それだけだった。
 周りに人の気配がないからだろか。
 じゃあ遠慮なく、とそのまま引き寄せれば。

「ハーヴェイさーん、シグルドさーん、いますかー!!」

 扉の方から聞こえた少年の声に、ハーヴェイは一瞬動きを止め、シグルドは反射的にハーヴェイを突き飛ばした。
 甲板に出てきて辺りを見回し、2人の姿を発見したキリルは、一瞬見つかって嬉しそうな顔をしたけれどすぐに不思議そうな顔をして首を傾げた。
 何か慌てている様子のシグルドに、甲板の上に座り込んでいるハーヴェイ。
「えっと…、ルクスが話したいことあるって…、探していて…、っていうか………、なにかありましたか?」
 困ったように2人を交互に見るキリルに、まさか邪魔をされたなどと言うわけにもいかず。
「んー、なんつーか、ギリギリアウト。」
 それだけを、やけに真顔でハーヴェイが言った。
 キリルがさらに不思議そうな顔をした。
 次の瞬間にはハーヴェイの頭を本気で殴るシグルドがいた。





無茶するな (早瀬)






賑わうにはまだ少し早い時間帯の食堂で、キリルは偶然その後姿を見つけた。
奥の席に腰を下ろしピクリとも動かず頬杖をついたままの後姿。

「……ルクス、寝てる?」
「ああ、寝てるな。これは」

思わずその場に立ち止り誰に聞かせるでもない呟きをもらすと、背後から突然降ってきた声がそれをかき消した。
驚きに身を竦めるキリルの様子を見て、声をかけた張本人であるハーヴェイが豪快に笑いながら驚かせた事を詫びキリルの頭を軽く叩く。
それに一瞬、少々不満な色を向けたがすぐに不自然に丸まる背中に視線を戻した。
こんな所で寝ていたら風邪を引くから起こした方がいいだろうか。
それとも邪魔をしない方がいいだろうか。
人通りがないのをいい事に食堂の入り口に立ったまま考えていると、それまで頭を叩いていた手が乱暴に髪を掻き混ぜる手付きに変わった。

「お前もあんま無茶するなよ」

本日のメニューを覗き見しに来たというハーヴェイは、食堂の奥にあるルクスの後姿と目の前にあるキリルの姿とに視線を行き来させながらそう口にする。

「何でルクスじゃなくて僕なんですか?」
「何でってあいつにはもう何言っても無駄だって事が分かってるからだよ」

だからお前は手遅れにならない内に。
ニカッと笑ったハーヴェイはそのままキリルを残して当初の目的を果す為に厨房の方へと姿を消していった。
瞬きを何度か繰り返す。
確かに無茶を無茶だと思わない人だ。
しかし無意識にでも抜く所をちゃんと分かっている人でもある。
今が丁度其の時ならば、声などかけるべきではないとキリルは判断する。

だからと言ってこのまま放っておく事も出来ないから。
あとで何を言われても構わないからと、とりあえず毛布を調達する為に踵を返した。





ヒリヒリ (風望)






 隣にいるルクスが、一瞬びくりと体を強張らせたのが伝わって、キリルは顔を上げた。
 向かい側にいたハーヴェイとシグルドも気付いたようで、3人の視線が一気にルクスに集まる。
 それにルクスは少し困った顔をして。
 手に持っていたカップをテーブルに置き、口元に手を当てたまま首を横に振る。
 なんでもない、そう言いたい様子だけれど。
 手はいつまでも口を押さえていて。
 よく見ればその顔は困ったようなと言うよりは、何かに耐えているような感じだ。
 手に持っていたカップの中には湯気の立っている黒い液体。
「………、火傷しましたか?」
 熱そうなコーヒーと口元を押さえたままのルクスを交互に見て。
 シグルドが聞けば、少し間を開けてルクスが頷いた。
 ルクスが猫舌だ、なんて話は聞いた事はないけれど、それでも火傷するほど熱いのをそのまま口にしてしまったようだ。
 少し顔を顰めている様子からして、結構痛いのだろう。
 無表情なルクスの表情が変わるくらいだ。
「えっと、ボクの飲む?」
「………、大丈夫。」
「じゃあ水でも…。」
「大丈夫だよ。」
 テーブルに水はないから、氷でも入れてもってこようかキリルが言えば、立ち上がる前にルクスが言った。
「少し、痛いだけ。」
 それだけ言うと、カップを邪魔にならない場所に移動させる。
 火傷したままコーヒーなど飲む気にはならないのだろう。
 かといって新しい物を持ってくる様子もない。
 先程は痛そうにしていたけれど、もういつもと変わらない表情。
 でも治ったわけではないだろう。
 じっとルクスを見ていれば、彼は困ったように笑った。
「本当に、大丈夫だから。」
「でも…。」
「どうせ少し赤くなっているだけだろうし。」
 少し舌を出して指先で押さえる。
「あー、駄目だよ、つついちゃ!」
「心配しすぎだよ。」
「すぎてない、もう1回見せて。」
 苦笑しながら、火傷した舌先を出せば、どうやら赤くなっているようでキリルの顔が歪んだ。
 痛いけれどそんな顔をするほどではない。
 うわー痛そうー、とまるで自分が火傷したような顔をするキリルに、もうこれ以上見せているのは申し訳なくなったので引っ込めようとしたのだけれど。
 あ、とキリルが何かを思いついたような顔をした。
 かと思えばキリルの顔が近付いてきて。

「………っ!?」

 ハーヴェイがガシャンとナイフを落とす音がした。
 シグルドが置こうとしたカップを失敗してひっくり返した。
 それと周りから似たような音が聞こえてきたけれど。
 不思議と人の声だけはしない。
「ちょ…、キリ、お前……、今……っ!」
 ハーヴェイの言葉はそれ以上続かなかった。
 今火傷した場所舐めたのか!?とは続かなかった。
 ただ落ち着きなくキリルとルクスを交互に見る。
 ルクスもキリルの突然の行動に固まったまま、ただじっとキリルを見上げる。
 火傷した場所に、決して熱くはないけれど確かに熱が触れて少し痛みを感じた、それは確かにキリルの舌だった。
 怪我は舐めておけば治る、なんてそんな事を言う人はいるけれど。
 たぶん思いついた何かはそれなのだろうけれど。
 この場合は違うんじゃないんだろうか、と。
 そんな事を思いながら呆然とキリルを見上げていれば、ふと彼の顔が歪んだ。
「………、苦い!」
 人と椅子が倒れる音が各所から聞こえた。
「ルクスってコーヒーに砂糖ってあんまり入れないんだ、うわー、苦い、無理、ボクこれ絶対飲めない。」
 そう言って、何事もなかったように自分のジュースを飲むキリルを。
 ただ呆然とルクスは見つめて。
「………、ごめん、今度から砂糖もう少し入れるよ。」
「そうじゃないだろうが、お前らはぁーっ!!!!」
 混乱の為の言葉なのだろうが。
 それでももう少し別の言葉があるだろうがと叫んだハーヴェイの言葉は静まり返った部屋の中にとてもよく響いた。





 






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