適当 (早瀬)
かすり傷なんて本当にただ少しだけかすったような傷だから『かすり傷』という。
深く抉れているとか、血が出て止まらないとか、毒性の植物に引っかけてこさえたとか、そんな大事な傷の時に使われる言葉では決してない。
何せ自分でも気付かなかったくらいだ。
指摘されて始めて自分の右手の甲に出来た其れに気がついた。
それなのに。
「手当てしよう」
自分より早く傷を発見した目の前の相手はそう言って聞かない。
「ほっとけばそのうち治るよ」
相手も引かずに自分の右手を取って、また「手当てしよう」の一言。
「じゃあ適当に舐めとくから」
だから大丈夫だと笑って見せる。
すると今度は傷を見据えたまま黙り込んでしまった。
「………」
こんな小さな傷ごときで相手に心配や迷惑をかけては申し訳ない。
しかし、どうやらそれも手遅れのようだ。
寄せられた眉に、もう十分に心配をかけている事を知る。
申し訳ない。
申し訳ないのだけど、何故だか感じる温かいくすぐったさ。
「……それじゃ、お願いします」
その気持ちのままに、そっと唇を開いた。
適当 (風望)
キリルの料理は酷かった。
キリルも自分の料理が酷いという自覚はあった。
調味料は必ず間違える、必要な手順はどこか必ず抜けている、もしくはいらない作業が増えている、火をかければ焦げるし、煮ようとすれば中身が溢れてどうしようもなくなる。
キリルが料理という名の調理場破壊活動を行ったのは3回程。
3回目にして、もうやめた方がいい、とルクスに止められた。
その表情には困惑と諦めが見えた。
そんなルクスの隣には、キリル様が折角作ったのですから、と最初に作ろうとしていた物とはあまりにかけ離れた黒い物体を口にして倒れたアンダルクと助け起こすセネカがいた。
ルクスの言葉にキリルは素直に頷いた。
でも、これではよくないと思った。
「というわけで、料理教えて!」
そうルクスに頼み込めば、最初は心配したような顔をしていたけれど、結局は頷いてくれた。
紙とペンを用意して。
台所に立っていきなり実践よりもその前の段階から何とかしよう。
そう思ったのだけれど。
「あれ、それ入れるんだ。」
「うん。」
「どのくらい?」
「適当でいいよ。」
野菜などを鍋に入れて煮込んでいる中に調味料を入れる。
本当に適当に小瓶を傾けてばさっと入れる。
「えっと…。」
「これも…、まあ、これくらい。」
「う、うん。」
「ああ、これは本当に適当、好みあるだろうし。」
「そうなんだ…。」
「で、最後にこれを適当に入れて…。」
「………。」
「はい、終わり。」
味見と小皿を渡される。
口にすれば、それは以前何度かルクスが作ってくれたもので、以前食べた時とまったく変わらない味だった。
美味しい、と素直に言えば、そう、と少し嬉しそうに返す。
けれど。
取ったメモを見てみれば分量が全て、適当。
これじゃあ次も失敗かなぁ、なんて思いながら、ひっそりとため息をついた。
眠い (早瀬)
キリルが其れを口にしたのは単なる思い付きだった。
昼過ぎの穏やかな海。
甲板の上、積み上げられた木箱に寄りかかるように座りながら何をするでもなくただ海に視線を投げている姿を見つける。
何がおかしかった訳でもない。
表情もいつも通りだし、奇怪な動きをしていた訳でもない。
しいて言うなら視線があまり動かず、本当に一点だけを見つめていた事くらいだ。
何かあるのかと同じ場所に視線を飛ばしてみるも、日の光にキラキラ輝く海が在るだけ。
どうしたのだろう。
何をしているのだろう。
そう考えた時、何故だかひとつの思いつきがキリルの頭の中にポンと現れた。
「ルクス…もしかして眠いの?」
思いつきを声にしながら互いの距離を詰める。
其の足音に合わせるように、前だけを向いていたルクスの顔が少しだけキリルの方に傾けられた。
「………」
「あ、いや、あの、違ってたなら御免! 何となくそう思っただけだから…ッ」
何も言わずにじっと投げつけられるルクスの視線は中々に威圧的で、段々と其れに耐えられなくなってきたキリルは己の発言を何とかかき消せないかと全身を使って狼狽してみせる。
何となくの思いつきだけで口にするんじゃなかった。
後悔と混乱の中で何とか打開策をと頭を捻っていると、それまで全くといっていいほど動きのなかったルクスが何度か連続で瞬きを繰り返した。
「君って凄いね、キリル君」
「へ?」
呟かれた声。
同時に突然ガクッと傾いたルクスの身体を支える為反射的に腕を伸ばしたキリルが目にしたもの。
それは先ほどまでの威圧的な視線を瞼で覆い、小さく規則正しい呼吸を始めた無防備な姿だった。
頑張れ (風望)
「頑張ってください!」
甲板から、そんな声が響いた。
続けて金属が重なり合う音も響く。
何度も何度も、決して練習用の刃の潰れた物ではなくお互いが愛用している武器が、本気で振り下ろされる。
強いその音は、とてもじゃないが本気で切り合っているようにしか聞こえない。
それでも、剣を向け合っているルクスとハーヴェイに、少し離れた場所からキリルが応援の声をかける。
その様子で、なんとかこれが手合わせなんだと分かった。
「ハーヴェイさん、頑張って!」
「ハーヴェイ、簡単に負けるなよ。」
キリルの隣にいるシグルドも声をかける。
甲高い音が鳴り、ルクスとハーヴェイは暫くお互いを間近で見合い、ハーヴェイが振り払おうとするのと同時に2人とも後ろに跳ぶ。
ハーヴェイは荒く呼吸を繰り返しながら、相変わらず無表情に立つ元軍主を睨む。
手合わせ程度では彼のその表情が崩れる事は少ない。
今更なので、もう特に気にはならない。
むしろ、今気になるといえば別の事で。
耐え切れなくて、応援している2人を睨みつける。
「ていうか、何でさっきから応援はオレばっかなんだよ!!!」
シグルドがハーヴェイを応援するのは分かる。
何せ自分の相棒なのだから、応援しなければそれはそれで叫んだだろう。
けれど、それならキリルはルクスを応援するべきだ。
なのにキリルもシグルドも、先程から名を呼ぶのはハーヴェイばかり。
応援されるのは決してイヤな気分になるものでもない。
けれど、これはまるで。
「えっと…、応援するならハーヴェイさんかな、って言うか…。」
「負けるとしたら、まぁお前の方だからな。ルクス様は今更応援の必要はないだろう。」
「が、頑張ってください!」
「………、お前ら…。」
シグルドにでも掴みかかってやろうかと思ったが、その前にルクスが動く。
ルクスに勝てた事など、何度あっただろうか。
もう随分前の事だ。
会ったばかりの頃くらいだ。
確かにもう、最近では勝てた記憶などない。
自覚している、悔しいけれど、本当の事だ。
それでも。
「他に気を向けてると負けるぞ、少しは頑張れ。」
「そうです、頑張ってください!」
それでも。
こうも扱いが違うと、大人しくなどしていられない。
「お前ら、煩いから黙ってろ!!」
思わず叫んだ。
2人に気が向いたのはほんの一瞬。
けれど、ルクスにして見れは、そのほんの一瞬で十分だ。
「ハーヴェイ。」
間近に聞こえた声。
真っ青な目に見据えられて、ヤバイ、と思った。
思ったけれど、次の行動に移る余裕はなかった。
「頑張れ。」
淡々とそう告げられて。
次の瞬間には、ハーヴェイの剣は空へと高く弾き飛ばされた。
時間がない (早瀬)
「…おい、ヤバイ…マジかよ、時間がねぇ…時間がねぇぞ」
顰められ緊迫した声が部屋の中に木魂する。
背にはびっしょりと汗をかき、額にも其れが滲む。
寄せられた眉はとても苦しそうだ。
「俺のパイが…ハムエッグが…ああ、ビーフシチューまで…」
この世の終わりとでも言いたいような悲痛な響き。
胸を掻き毟る掌に力がこもる。
「だから時間がねぇんだよ、ホントに! 全部食われちまう…俺の分まで食われちまう…ッ!」
バサッという大きな音と、其れに合わせて大きくベッドが軋む音。
続いて聞こえてきたのはギリギリと豪快に何かを磨り潰すような音―――――歯軋りだ。
「………馬鹿だ」
そんな光景を同じ部屋の中、少し離れた所に置かれたベッドの上で眺めていたシグルドがぽつりと呟く。
部屋の数にどうしても限りがある船の中。
其れ故に多少の事は流さなければと思っていたシグルドだったが、これはその決意すらも揺るがす威力がある。
ハーヴェイの迷惑極まりない寝言に無理矢理起こされた頭は何かを考える事を完全に拒否していて、頭に浮かんだものをただ言葉にした。
「…部屋替えてもらおう…」
そんなに時間がないなら早く食堂に行けと突っ込むより先に出てきた言葉。
何も知らずに大の字に寝転がるハーヴェイの寝息と悔しいほど綺麗に重なった。
リラックス (風望)
物心付いた頃から、もうすでに自分は小間使いという扱いだった。
年が近いこともあってスノウの遊び相手という役回りもあったけれど、主にやっていた事は掃除とか買い物とか、そんな事が多かった。
スノウは自分を弟のように思いたかったらしい。
けれどどこまで行っても主人と小間使いの領域は出なかった。
スノウの性格もあったし、ルクス自身の考え方もあった。
昔からずっとしてきた事は、なかなか体から抜けてくれない。
朝起きてから夜寝るまで、やる事は山ほどあった。
睡眠時間は基本的に短く、休憩に要する時間も決して多くはなかった。
辛いとは思わなかった。
当たり前にそれを毎日繰り返していれば。
それがルクスにとっての普通になった。
だから、正直困るのだ。
何もする事のない、ただ体を休めるだけの時間は。
ルクスはいつも頑張ってくれているから、しばらくゆっくり休んでよ。
キリルが振り分けに困っているギルドからの依頼を受けようと思って声をかければ、笑顔でそう返された。
それに、ルクスが自分に振り分けられたわけでもなくやっている道具や武器の在庫の確認や、後は暇つぶしにやっている掃除や、他の仲間達の手伝いや。
そんなものは、キリルの好意の元に、全て取り上げられて。
それでもなにかする事はないかと探しているところをキリルに見つかって。
結局ルクスは、素直にそう白状した。
何もする事がない中で体を休める方法が分からない、と。
「えっと…、じゃあ、何か好きな事をしてみる、とか?」
「趣味らしい趣味はない。仕事に時間を全部使っていたから、自分の為に割ける時間はなかった。」
「とにかく寝てみるとか。」
「無理をし続ければ今の時間でも寝れるけど、でもそうでもないのなら、落ち着かない。」
「えっと……。」
「……ごめん。」
キリルが困った顔をすれば、ルクスも少し困った様子を見せてそう言った。
休んでよ、とキリルが好意で言ってくれたのは分かっている。
だからその好意を素直に受けたい。
けれど本当に、休み方など深夜になって眠る事くらいしか思い浮かばなくて。
しばらく2人で俯いていれば、キリルが顔を上げて手を叩いた。
「じゃあルクス、ルクスにはボクなりの休み方に付き合ってもらいます!」
「……え?」
「それがダメだったらハーヴェイさんとかシグルドさんとかにも聞いてみよう。それでルクスが1番リラックスできたのを、まず休み方として使ってみよう。」
そう言ってキリルはルクスの手を握るとそのまま引っ張る。
何もそこまでして休まなくてもいいんじゃないか、とそんな考えが過ぎる。
自分の限界は理解している。
その限界を超える前に対処も出来る。
いくら仕事を任されてもキリルに迷惑をかけない自信はある。
けれど、そんな考えも、振り返るキリルの笑顔にあっさりと消えた。
「なんか、ボクはずる休みみたいな気分だけど、でもルクスと一緒にのんびり出来るのは、嬉しいな。」
とても嬉しそうな笑顔と声と。
握られている手を思わず握り返した。
「ボクのやってる事で、少しでもルクスが休めたら、嬉しいな。」
「……、そう?」
「うん。」
「……、そっか。」
例えこの後何をするのであっても。
少なくとも、キリルと一緒にいれば、自分の心はとても休まるんじゃないかと感じて。
笑うキリルに、ありがとう、とそう言った。
NOVEL