押し倒す






 キリルの目を見ている事はルクスが好きだなと思う事の1つだった。
 元々人の目や表情を見る癖が少しある。
 真正面からじっと見る事は避けるようにしているが、相手の感情を知る事は人に仕える立場にあれば必要だった。
 だから無意識に見てしまう。
 話をしている時が1番その癖が出やすく、睨んでいるのか、という誤解は何度も受けたので普段は気をつけるようにはしている。
「ルクス?」
 けれどキリルは特に気にした様子もなく、ただ視線を受けて首を傾げた。
 不快に思っている様子も、怖がっている様子もない、ただ不思議そうなだけだ。
 だから、止めなくても平気だろう、と勝手に思って遠慮なくじっと見る。
「ボクの顔に何か付いてる?」
「平気。」
「じゃあ何?」
 キリルもルクスが人の話を聞いている時にじっとこちらを見る癖があるのは気付いている。
 ルクスの部屋に来て、武器の手入れをしていたルクスが帰らなくていいと言ってくれたので、そのまま隣に座って勝手に話をしていた。
 床に座っているのは少し冷たいが、ルクスの部屋にはクッションになりそうな物はない。
 ルクスが椅子かベッドに座ればいいと言ってくれたが隣がよかった。
 最初は手入れの途中だったので視線は手元に向いて相槌だけが返って来た。
 終わればいつも通りルクスはこちらを見た。
 いつも通りなのだけれど、なんだかいつも以上に真っ直ぐに目が合うような気がした。
 最初は気にならなかったが、だんだん変な顔でもしているのかとか何か付いているんだろうかとか、気になってきてしまった。
 そうなると言葉も止まる。
 けれどルクスの視線は変わらない。
 思わず尋ねれば、ルクスは分かりにくいけれどとても綺麗な笑みを浮かべた。
「目。」
「め?」
「キリル君の、綺麗。」
 ぱちりと瞬きをしてキリルはルクスの目を見返す。
 綺麗と言われてもいまいちぴんとこない。
 鏡を見れば自然と見えるものなので特に意識をした事もない。
 それに綺麗というならルクスの方がよほど綺麗だと思う。
「ルクスの方が綺麗だよ。」
 素直に言葉に出せば、ルクスが少し不思議そうな顔をした。
 多分思った事はキリルと同じだ。
「ルクスの方が、綺麗。」
「………、青いだけ。」
「それを言うならボクだってそんなものだよ。」
「でもキリル君の目は綺麗。」
 少し顔を近くに寄せる。
 キリルの金色の目は穏やかで優しくとても綺麗に見える。
 自分の青色など甲板に出て下を向けばすぐに見える色で、そちらの方がずっと綺麗に見える。
 キリルの色だって他に見ないわけじゃない。
 装飾品などにはありふれた色だし、武器や防具にも見る色。
 でもキリルの性格をそのまま見せてくれるような彼の眼の色になると、他では全く感じない綺麗だという気持ちをどうして持てるのだろうか。
「不思議。」
「………、そう真っ直ぐに褒められると、少し照れるな。」
「そう?」
「うん…。まぁ、ルクスが楽しいなら、いくら見てもらっても構わないけど。」
「ありがとう。」
 許可が出たのでもう少し近くに寄る。
 何気なく手を伸ばして頬を撫で、指で目元をなぞる。
 くすぐったそうにキリルが笑った。
 やっぱり綺麗だと思った。
「何だかこれっていいな。」
「え?」
「ボクはルクスの目もじっと見れる。綺麗なものを遠慮なく見れるっていいね。」
 褒められてなんだか気恥ずかしい気持ちになる。
 先程キリルが照れると言ったのをようやく理解が出来た。
 それでも見るのをやめたくはなかった。
 もう少し近くで見たいな、と思えば無意識に距離は勝手に詰まる。
 ただじっとお互いを見ていたいだけなので他の事はどうでもよかったのだけれど。
 あまりの近さに唇が触れそうだと、そう先に気付いたのはキリルだった。
「うわ…っ。」
 思わず後ろに体を傾け、バランスを崩す。
 反射的にルクスの肩を掴んだが、前のめりになっていたルクスの体制もあまりよくなく、引っ張られれば同じくバランスを崩した。
 ゴンッ、と嫌な音が響いた。
 ルクスはキリルの上に倒れたからいいが、下敷きになったキリルは思いっきり床に頭を打った。
「ご、ごめん…。」
「ううん、これは引っ張ったボクが悪い…、ごめん。………、痛い…。」
 体を起こしたルクスが困ったようにキリルの頭を撫でる。
 いたわられているんだろうか。
 床に仰向けになったまま真上にあるルクスの心配顔を見る。
 普通キリルを起こしてこぶが出来ていないか確認するとか、他にやるべき事はあるんだろうが、どうやら慌てさせてしまったようでルクスはキリルの頭をさするだけ。
 そんな様子にキリルは笑う。
 心配そうな青色の目が揺れた。
 いつもの静かで強いルクスの目もいいが、こうして感情がはっきりと見えて揺れる様子も綺麗だ。
「キリル君?」
「うん、やっぱりルクスは綺麗。」
「………?」
「ちょっとこのままでいて。」
 今度はキリルが手を伸ばしてルクスの頬を撫でる。
 そのまま自分が痛みを感じる場所と同じ部分を撫でた。
 さらさらした髪が落ちてくる様子も綺麗で、つまり自分はルクスの全部が綺麗と思っているんだ、とそんな事を実感した。
 なすがままだったルクスも同じように頭を撫でる。
 お互いをじっと見たままでそんな不思議な事をしていれば、扉を叩く音が聞こえた。
 少し残念に思いながらルクスはキリルから視線を外して扉を見る。
「はい。」
 多分シグルド、もしくはキカだろう。
 何か尋ねられる用事でもあっただろうかとルクスが悩み、キリルも同じように扉を見れば、開いた扉から姿を見せたのはシグルドだった。
 そうして彼は何故かその瞬間に硬直した。
「シグルド?」
「こんにちは、シグルドさん。」
 ルクスとキリルはいつものように声を掛ける。
 けれどシグルドはただ混乱した。
 扉を叩いて、普通に返事があったから開いて、そうして部屋の主を探して。
 その結果、何故ルクスがキリルを押し倒しているという場面に遭遇しなければいけないのか、シグルドにはさっぱり分からない。
 返事はあったから入ってよかった、こちらに問題はない。
 だったらこの状況で返事をした、向こう側の問題だ。
 もし別の人が相手だったら、このまますぐに扉を閉めて何も見なかった事に出来ただろう。
 でもルクスとキリルとは近しい関係で、だからかえって混乱した。
 ぐるぐるとどうすればいいのか動かない頭でシグルドは考える。
 そんなシグルドにルクスは首を傾げた。
「シグルド?」
 2度目の呼びかけ。
 普段と変わらない声と表情。
 向けられる2人の目の静かさ。
 それを見てシグルドはようやく気付く。
 体制的には物凄く問題がある状況だが、でも本人達にとっては別に何でもない、多分何かじゃれついていた先の結果なのだろう。
 起き上がらないのは、ただ単に相手がシグルドだから改まらなくてもいいだろうという、やっぱり近い関係からくる甘えのようなもの。
 シグルドは深々とため息をついた。
「………、キリル様がこちらだと聞き…。」
「あ、ボクですか?」
「はい…。針路の話をしたいので、時間が空いた時に操舵室に来てくださいという伝言です…。」
「分かりました、わざわざすみません。」
「いえ…。」
 脱力したシグルドは、でもこのままではダメだ、と気合を入れる。
 こういう場面に遭遇したのも、出来れば遭遇したくなかったが、何かの宿命。
 間違いは早々に正さなければいけない。
「それから、お2人になのですが。」
「なに?」
「その…、あまり、そういった体勢のまま人を部屋に入れたりするのは感心出来ません。」
「え?」
 不思議そうにした2人がお互いを見た。
 やっぱり何の意識もしていなかったらしい。
「私だからよかったものの…、人によっては思い切り誤解をして逃げ出し弁解も難しくなりますので…、気を付けてください。」
「え…、あ…、はい…?」
「ゆっくりでいいので理解してください。それでは失礼します。」
 扉が静かに閉まる。
 2人はじっとお互いを見る。
 目の色が綺麗で見ていただけだ。
 近くで見たいと思い、その結果途中で倒れたが、本当にそれだけ。
 何かそんなにおかしい事をしただろうか。
 ただただ不思議な2人は、とりあえず現状を理解しようと思った。
「えーっと…、ボクが倒れて…。」
「ボクも倒れた。」
「この状況って…。」
 キリルはルクスを見上げ、ルクスもキリルを見下ろし、状況を表す言葉を探した。
「………、体勢的には、押し倒されてる?」
「………、そうだね、押し倒しているね。」
 頷いた2人が次に考えるのは、何が良くなかったかについて。
 何が悪くて、何が誤解されて、何を弁解しなければいけないのか。
 そんな事を考えていた2人が、お互いの状況をようやく客観的に見れて、同時に顔を赤くした。
「うわぁっ!」
 ルクスが慌てて離れ、キリルが悲鳴のような声を上げて起き上がった。
 そんなつもりは一切ない、ただ倒れただけだ、それが全部だ。
 でも今までの体制は確かに十分誤解されそうなもので、キリルはおろおろと視線を彷徨わせる。
 ルクスも、キリルよりずっと分かりにくいが、それでも顔を赤くして失敗したというように俯いている。
 とにかく混乱して。
 気の済むまで混乱して、それから勢いよくキリルが立ち上がった。
 ばたばたと扉に駆け寄る。
「まっ、待ってください、シグルドさん!本当にシグルドさんが言う通り誤解です!!」
 そうして部屋の外に出ると、そう叫んで走って行った。
 やるべき事に気付いたルクスも慌ててキリルを追いかけた。










END





 


2010.02.23

いつかのオフ本ではキリルが押し倒したから、今度はルクスが押し倒す側と思った
でも結局はこれも原因はキリルじゃね?あれ?





NOVEL