痕をつける
ハーヴェイはシグルドの風呂上りで火照った肌を見るのが好きだ。 普段は表情と同じようにすました色白だが、そこに微かな色がつく。 情事の時と同じようでいて、しかし全く違う別の色。 その中で数日前に自ら残したはずの「痕」を、情事の色を探す。 肩や首筋に薄れていてもそれを見つける事が出来れば安堵し、火照りに色付く肌しか見当たらなくなれば「またか」と思う。 服で隠す事の出来ない場所に痕を残される事をシグルドはとても嫌がった。 プライベートでどんな事をしようと、それを仕事にまで持ち込むのが嫌なのだ。 特に情事という非常にデリケート且ついくらでも下世話な方向に持っていく事が出来る内容に関しては慎重。 子供っぽいと自覚しながらも時々それに似た独占欲を己の中で感じているハーヴェイは、 そんなシグルドに少しだけ不満を覚える時もある。 言いたい奴には言わせておけ。 それがハーヴェイの考えだが、しかしシグルドはそれ以上の事を考えている。 言いたい奴には言わせておけ、それは構わない。 しかしそんな事で皆の士気を下げたり注意力散漫にしてしまったのならそれは大きな問題になる。 更にそれが原因で仕事に失敗しようものなら互いに待っているのはけじめという名の決別しかない。 キカはそういった事に非常に厳しい女性だ。 不満だが、しかしそれが分かっているからハーヴェイも無理強いをする事はしない。 だからせめてもの証と痕を残す。 「…………ずっと残しとける痕ってないもんかな」 今は綺麗に消えてしまった痕をその場所に思い返しながらポツリと呟く。 唇でどんなに強く吸い上げても歯を立てても、どうしてもそれを残しておく事が出来なくてただ苛立つ。 それはもっともっと強く残す事が出来なかった自分に対してか、 それとも数日後には何事もなかったかのように痕を消してしまうシグルドに対してか、 もしくは痕すらも満足につけさせてはくれない周りに対してか。 段々とそれすらも分からなくなり、また苛立ちを強くする。 その繰り返し。 「不安か? 残っていなければ」 ハーヴェイの呟きに振り返ったシグルドはいつもの無表情を崩さない。 じっと向けられるそれに視線を合わせれば己の子供の部分を見透かされてしまいそうで、 しかし視線を逸らせばまるで肯定しているようで。 身動きの取れなくなってしまったハーヴェイは小さく舌打ちをすると、素早く腕を伸ばしシグルドの手首を片方取った。 抵抗なく掌に収まる。 それがよく見えるよう少しだけ互いの間で持ち上げ、そして己の持てる力全てを込めて一気に握り締めた。 指先が白くなるほどに強く、強く。 これにはさすがの無表情も小さく歪められた。 血流を遮られた指先が微かに痙攣しているのが見えたが、それでも力を緩める事はしない。 突然の行為にシグルドが眉を寄せ小さく唇を噛みただ耐えているのをいい事に、ハーヴェイは己の限界まで手首を握り締め続けた。 互いの呼吸が次第に上がっていく。 ようやく限界を感じたハーヴェイが込める力をゆっくりと抜いた時には、肌にふたり同じようなじっとりとした汗を滲ませていた。 掌にしっかりと覆われていた手首。 今はただそれを支えるように添えられた指先の隙間から頼りなく覗いている。 見ると極度に圧迫された箇所が明らかな痕を残していたが、それは本当に一瞬の事。 血流が戻ると段々と痕を消し、普段の色を取り戻していく。 結局痣すら残らなかった。 「こうしてても簡単に痕なんて消えちまう」 そっと息をつくシグルドの手首をそのまま支えながら駄々を捏ねる。 そう、これは単なる我が儘だ。 痕を勝手に証として安心したいだけなのだ。 相手に痕を残せるのも、証を残す事を許されるのも自分だけだと。 そして何より自分のつけた痕さえあればいつまでもこうして隣にいてくれるのではないか、と。 どんなに力を込めてもどんなに強く噛み付いてもスッと綺麗に消えていく様を見るたびにそんな事を思う。 表立った主張が出来ない分、それはより強いものとして。 力なくただ触れるだけの指先を、じっと静かな瞳が見下ろしている。 シグルドもまたハーヴェイの考えている事が、その気持ちがよく分かっていた。 今の関係が気に入っているからこそ、それが壊れないようただ守ろうとしているだけ。 しかしそれが逆にハーヴェイを変に追い込んでしまっているのなら考えなければならない。 このままでは別の方向から崩れ去ってしまうかもしれないから――――――――――。 「だったら何度でも残しにくればいい」 とても静かな声音だったが、ふたりだけの空間では十分に事足りる。 驚いたように顔を上げるハーヴェイに向かってシグルドは小さく微笑んだ。 古傷のような痕もいいが、いずれなくなってしまうのなら何度も何度でも新しいそれを刻み込めばいい。 消え行く様が不安だというのなら消える前に再び残していけばいい。 その度に情事ゆえの行為を許す事は出来ないだろうが、痕くらいいくらでも許す事が出来る。 それはふたりだけが知る確かな証となる。 「はは、そりゃそうだ」 目を丸くしながらシグルドの言葉を聞いていたハーヴェイがクッと小さく笑みをこぼす。 苦笑いにも似たそれにシグルドもついついつられ、同じような表情を浮かべる。 痕を残し、消えればまた痕を残す。 それまで独り善がりと情事の時に密かに刻む事しかしてこなかったが、双方同じ想いの上でなら素直に残す事が出来る。 確かに子供のような独占欲に苛まれる事もあるが、それ以上にふたりだけの証が誇らしい。 ハーヴェイはそれまで握り締めていた手首をそっと引き寄せ、労わるように唇を落とした。 END2007.06.27 ラプソではなく幻水4なハーシグ。 この頃のハーヴェイはまだ自分に対しても相手に対しても余裕なければいいなーと思います。 NOVEL