痕をつける






 出かけていたルクスとキリルが船に戻って来た時にはずぶ濡れの姿だった。
 昼頃に出かけた時は晴れ。
 けれど帰ろうと思った時には突然の大雨。
 これではずぶ濡れになるだろうと分かっていたセネカとヨーンはタオルを持って出迎えてくれた。
「随分と濡れてしまって。何処か雨宿りが出来る場所はなかったのですか?」
「うん…、あったけど大丈夫かなって思って。」
「大丈夫じゃありません。2人でこんなに濡れてしまって。」
「ご、ごめん…。」
 濡れたキリルを心配してなのか、少し乱暴にセネカはキリルの髪を拭く。
 隣でヨーンがルクスにタオルを差し出す。
 渡す、というよりも、髪を拭く、という意図が見えたが、その好意は遠慮をしてルクスはタオルを受け取った。
「ルクスも、ごめんね。ボクが出かけたいなんて言ったから…。」
「平気だよ。」
「でもルクスが折角、この後は天気が良くないかもしれない、って言っておいてくれたのに…。」
「はいはい、反省はそこまでです。」
 一緒に出かけないかと誘ったのはキリルで、それに頷いたのはルクスだ。
 でもキリルの中ではすっかり自分がルクスを無理やり連れ出したという事になってしまっているのだろう。
 申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら俯くキリルに、セネカはそう言って髪を拭いていたタオルを肩にかける。
「濡れたままでは風邪をひきます。今はとにかくお風呂に入ってしまってください。」
「そ、そうだよね…、ごめん…。」
「謝るのも後です。服は持っていきますから、そのまま行っちゃってください。」
「うん。」
「ルクス君も、とりあえずキリル様の服を持って行きますから、それ着てくださいね。」
「………、借りても?」
「ボクのでよければ。冷えちゃったから、早く行こう。」
 今日が特別冷えるというわけではないが暑いわけでもないので、長く濡れたままでは流石に寒い。
 何よりルクスを濡れたままにしておくのが申し訳なくて、キリルは駆け足で風呂場に向かった。
 ルクスもキリルが風邪を引いては困るので後に続く。
 歩くたびに服から水が落ちるが、気付いた時にすれ違った船員が2人の悲惨な姿を見て笑顔で掃除を引き受けてくれた。
 その好意には素直に甘える事にした。
 風呂場につく頃には足元に水たまりを作る程ではなくなったが、体温は更に下がったように感じた。
「それにしても、まさかこんなに降るとは思わなかったよ。」
「ごめん。」
「何でルクスが謝るの?悪いのは注意を忘れていたボクの方だよ。」
「途中でボクが止めればよかった。」
「………、ルクスは少しくらいボクを怒っていいと思うよ。」
 ルクスは巻き込まれただけだから、という気持ちでキリルが言うが。
 言葉による返事はなくて、ルクスはただ首を傾げた。
 巻き込まれたなんて意識は少しもないのだろう。
 逆の立場だったらキリルも同じ反応をしそうだが、その事は棚に上げて小さくため息をつく。
「ルクスって優しすぎるよね…。」
「そんなつもりはないけど…?」
「あるよ。」
「そう?」
「そう…、って…、脱ぎづらい…。」
「濡れているから。」
 べたりと張り付く服に悪戦苦闘していればルクスが手を貸してくれた。
 何とか上着を脱げば触れた空気にぞくりとした。
 何気なく脱いだ服を絞ってみれば簡単に水が落ちる。
 寒いのも当たり前だとキリルは1人納得した。
 同じように脱ぎづらそうなルクスに手を貸して、2人はさっさと風呂に入った。
 先客は数人いたが、まだ少し時間が早いので、広々と使える風呂の中で温かさにようやくほっとした。
「でも、本当にごめんね。体は平気?寒かったりしない?」
「平気。雨くらい平気だよ。」
「平気じゃないよ。凄く濡れたし冷たかったし、無理とかして…。」
 言葉が不自然に途切れる。
 どうしたのだろうかと不思議そうにルクスがキリルの様子を窺えば、キリルは酷く真剣な顔で体ごとルクスの方を向いた。
「ねぇ、ルクス。」
「なに?」
「水属性が苦手なのを克服する為に、前は軽い魔法をぶつけてもらったけど、それが辛かったボクはまず雨にでも打たれてみるべきかな?」
 キリルは本当に真剣だった。
 だからルクスは少し驚いたように目を丸くし、周りにいた数人も一瞬どう答えるべきか真剣に悩んだ。
 妙な空気が風呂場に漂ったのは、ほんの数秒。
「雨が平気というのはそういう意味じゃないし、雨に魔力は混じっていないから風邪をひくだけだと思う。」
 珍しく言葉が欠ける事なくしっかりと説明をしたルクスのおかげで、そっか、とキリルは納得した。
 そして周りはひっそりと安心したように息をついた。
「それに、そんなに気にしなくても平気だよ。」
「え?」
「ちゃんと守るから。」
 当たり前の事を言うようにルクスは簡単に言う。
 他の人達は気付かなかったがキリルはちゃんと気付ける程の笑みを浮かべて。
 簡単に、嬉しそうに、そんな事を言う。
「………、ダメだよ、ルクス。あんまり甘やかすと、ボクは付け上がるよ。」
「別に構わない。」
「構おうよ、ダメだって。」
「何で?」
「何でって…。」
 尋ねられれば言葉が詰まった。
 だって、本当にルクスは、とても優しい。
 そしていつだって嬉しそうに笑うから、何だかとても特別扱いをされているような、そんな気分になってくる。
 いくらなんでも図々しい感情は、いくら頑張って消してもこんな時にひょこりと現れるから、本当に勘弁してほしい。
 そのうちその優しさに甘えて何を言い出すか分からない。
 ため息をついてキリルはルクスを見る。
 不思議そうに首を傾げたその首元。
 少し前に笑っていたハーヴェイを思い出して、もう1度ため息。
「………、何でって聞かれたら…。」
 元々近かった距離をさらに縮める。
 ただキリルの行動を見ているだけのルクスの首元に唇を寄せて、そのまま少し乱暴に噛みついた。
「い…っ!?」
 別に痛みは酷くない。
 ただ驚きから反射的にそんな短い悲鳴をルクスが上げたので、キリルは少しだけ気分がすっとした。
「ルクスならこういう訳の分からない事をしても許してくれるかなって思っちゃうんだよ。」
「………?」
「なんか…、自分の物だよ、っていう事らしいよ。」
 流石に驚いたルクスは、少し呆気にとられながらも何となく噛まれた部分を指でなぞる。
 やっぱり別に痛くはない。
 ほんの少し歯形が残っているのが分かるが、それだけだ。
 なのにキリルは少し困った顔でじっとルクスを見て。
「それでも構わないの?」
 真剣にルクスに尋ねた。
 この歯形が本来どういうもので、それがキリルの言う通りの意味なのは知っている。
 でもキリルは何でそんなに真剣になるのかルクスには分からない。
 だって答えは1つだけ。
「別に構わないよ。」
 こんな他愛のない事くらい、いくらやられたって構わない。
 優しいと言うつもりは全くないが、怒る気にはなれないのだから仕方がない。
 だからルクスは迷いなく答えた。
 まさか即答されるとは思っていなかったキリルは、きょとりと目を丸くして、それから苦笑すると、やっぱりルクスは優しすぎるよ、と言った。

 その一連の出来事が終わった後に、一緒に風呂に入っていた数人のうちの1人が耐えきれず。
「誰かっ、誰かハーヴェイの奴を連れてこい!これ絶対あいつの仕業だって!!」
 思わず人がいるかも分からない脱衣所に向けて叫び、偶然2人の服を持ってきたアンダルクを思いっきり驚かせる事になった。










END





 


2009.12.28

何となくハーシグ側の続きっぽい感じです
だからもう少しバカっぽい話にしたかったけど見事に別の中途半端な道に入ってしまいました
今年最後の話がこのお題なのもあれなんですが、逃げ道なくなったので、諦めました





NOVEL