キスをする






心地よい温かさに包まれ朝を迎える。
多少の気だるさも心地よさの演出でしかない。
そんなまどろみの中寝返りを打とうとすれば、
心地よさを邪魔するかのように下半身に走る鈍い痛みと、身動きのとれなささに僅か顔をしかめる。
判っている事だがどうにかならないものかと、
シグルドはため息をつきながらベッドを半分占領して寝息を立てる相手、ハーヴェイに視線を向けた。
シングルベッドに男が二人。
明らかに定員オーバーだ。
決して軽くはない男二人分の体重を支えるベッドはいつ悲鳴を上げてもおかしくはない。
それなのに想像以上に長持ちしているのは、ハーヴェイの意外な寝相の良さと丁寧なたち振る舞いのせいだろう。
ベッドに対しても、シグルドに対しても。
ベッドはともかく、女じゃないのだからそんな事を気にされても複雑なだけだ。
これも長年の付き合いで嫌というほど判っているはずなのに、未だに慣れる事はない。
妙な照れくささに寝乱れた髪をかき上げ先に温もりから抜け出そうとすると、ふとハーヴェイの姿が目に入る。
普段は限られた己のスペースを目一杯使い仰向けに寝転がっているのに、今日はうつ伏せで子供のように枕を抱えていた。
別に珍しい光景ではない。
仰向けでもうつ伏せでも横向きでも、寝ている時の恰好としては気に留める必要などないくらい当たり前なもの。
ハーヴェイだって人間なのだから仰向け以外の恰好で寝る事もある。
しかしシグルドはハーヴェイから目を離す事が出来なくなってしまった。
正確には、シグルドが起き上がった事によりめくれ上がった布団から覗いたハーヴェイの背中から。

「……これは……」

思わずポツリと呟く。
古傷だらけの背中に真新しい傷がある。
それは両の二の腕に近い肩甲骨の辺りに四本ずつ歪な線を描いていた。
皮膚は破られていない。
しかし赤い筋はギリギリのところでそれを押し止めているようにも見える。
これはどこをどう見ても明らかに引っかき傷だ。
原因など考えるだけでも馬鹿らしい。
シグルドはバッと両の手を開き視線を落とす。
爪の手入れには常に気をつけている。
長ければ邪魔だし、ナイフを投げるのに微妙なコントロールミスを誘う場合もある。
実際何度も何度も見直してみても長くも欠けても尖ってもいない。
それなのにあんな引っかき傷が残るなんて、一体どんな力の入れ方をしたのだろうか。
あまりの事に己の手に視線を落したまま茫然としていると、
そんなシグルドの気配に気付いたのかハーヴェイがもぞもぞと身体を動かした。

「んー、何だよ、どうした?」

薄く目を開け枕に埋めていた顔を少しだけ横に向け、シグルドを見上げる。
眠そうに目を擦る姿は普段と何一つ変わらない。
痛くはないのだろうか。
いや、絶対に痛いはずだ。
シグルドは己の手とハーヴェイの背中を交互に見つめながら遠慮がちに問いかける。

「それ……」
「ん? ああ、これ? ってか今更」

シグルドの視線の動きで何をそんなに戸惑っているのか瞬時に理解したハーヴェイは、肩をすくめ小さく笑って見せる。
慣れちまった。
そう笑うハーヴェイに、シグルドは軽い眩暈を覚えた。
慣れてしまうほど痕を残し続けていた事に、そしてそれに今の今まで全く気付かなかった事に。

「別に隠してた訳じゃねーよ、ただあえて言う必要もねーだろう?」

背中に残る傷は行為の最中どれだけ必死だったかを物語る痕。
どれだけ我を忘れて相手に縋っていたかを証明する痕。
そんな事をわざわざ口にすればシグルドは当分ハーヴェイに身体を許す事はなかっただろう。
含みも嫌みもないハーヴェイの笑顔に、シグルドは無意識に頬へと集まる熱を放置して睨みつけるしか出来ない。
からかいが少しでも含まれていれば照れ隠しに殴りつけられるのに、
まるで残された痕に喜びを感じているかのように柔らかな笑みを向けられてしまえば、もうシグルドにはどうする事も出来ない。
しかしどうしたって胸に残るもやもやとしたもの。
ハーヴェイは横に向けていた顔を再び戻し、枕に顎を埋めた。

「なあ、そんな気になるなら治してくんね? お前が」

紋章ではない、薬の力でもない。
シグルド自身の力で。
静かに瞳を閉じてそれを待つハーヴェイに、恨みがましい視線を向ける。
しかしハーヴェイに傷を残した事実は変わらないし、必死で余裕のない己を否定する事も出来ない。
何せありありと犯行の痕が残っているのだから。
他の傷とは明らかに違う筋が混じる事なく赤く浮かび上がる。
きっとまたベッドを共にした後も、ハーヴェイの背中には真新しいそれが走っているのだろう。
消える事なく何度も何度も刻む事になるそれ。
開き直ってしまえば、どうせ今後も余裕になれる自信なんてないのだ。
これもせっかくの機会と挨拶をしておくのも悪くはない。
そっと指先をハーヴェイの背に這わせる。
いくら慣れたと言っても直接触れられるのは痛いだろうと、筋から少し離れたところに指の腹でスッと同じように線を引いた。

「おいおい、朝からソノ気にさせるなよ」
「治せと言ったのはお前だろう」

我慢しろ。
そう言うと互いに小さく笑い合う。
身を屈め痕との距離を縮めれば、自然と唇が開き舌を軽く出していた。
どれだけの癒しの効果があるのかは判らない。
しかしハーヴェイがこの痕を嬉しいと感じているのなら、本気で「治せ」とは言わないはずだ。
シグルドに向けられる笑みでそれを確信する。
ならば挨拶だけでは失礼。
それと共に更に刻み込むとしようか。
たっぷり唾液を絡ませた舌で一本一本筋を丁寧になぞり、ちゅっと何度も音を立てて別の痕をその広い背中に刻みつけた。







END





 

2010.01.17 「痕をつける」のお題でも良かったかなーと思いつつ、最後の部分をメインにしたかったのでこちらで。 NOVEL