眠気覚まし






「おいハーヴェイ、いい加減目を覚ませ。今日は午後からキリル様の散策に付き合う約束をしているんじゃなかったのか」
 こんもりと盛り上がった布団を相手に、仁王立ちのシグルドが盛大に眉を寄せる。
 数分前から何度か繰り返し発し続けている言葉にも段々嫌気がさしてきた。
 そんなシグルドなどお構いなしに、ハーヴェイの発する言葉もまた数分前から何一つ変わらない。
「あー……大丈夫だって、あと少しは」
「子供みたいな事を言うな」
「いいだろ、昨日遅かったんだよ……頭も痛ぇし寝かせてくれー……」
「酒飲んで大騒ぎしていただけだろう、自業自得だ。いい訳にもならない」
 こういう状態の人間が言う「大丈夫」ほど信用の置けないものはないだろう。
 痛いところをつかれたらしいハーヴェイが、薄目を開けながらのそりと布団から顔を半分ほど覗かせる。
 かすむ視界の中で部屋の壁掛け時計に目をやる事数秒間。
 不機嫌さを隠す事なく眉を寄せたのち、再び布団を被り直してしまう。
 時刻はまだ午前10時を過ぎたところ。
 まだ早い、まだ全然時間に余裕がある、まだ寝かせろ。
 そんな無言の意思表示をひしひしと感じる。
 が、しかしここで手を引くわけにはいかないとシグルドも応戦する。
「起きろ」
「…………」
「おいハーヴェイ、聞いているのか」
「……………………」
 無視を決め込み始めた相手にピクリと己の頬の筋肉が引き攣ったのが判った。
 確かに普段ならば本人の好きにさせておくところだ。
 もう子供ではないのだからスケジュールの管理や時間調整くらいは当たり前のように一人で出来る訳で、シグルドがここまで気をまわしてやる必要はない。
 そう普段ならば。
 今のハーヴェイは寝不足と二日酔いという二つの不調が追加された状態であり、とてもじゃないが起きてすぐにご飯を食べたり動き回れるといった状態ではない。
 それは相方として長年共に歩んできたシグルドでなくても安易に想像がつく、言わば約束された未来も同然である。
 このまま放っておいたらキリルに迷惑がかかる上に最悪散策自体が中止になりかねない。
 それはハーヴェイも本意ではないはずで、だからこうして早めに起こし、本調子へと少しでも戻る手伝いをしてやろうとしているのに。
 まるでシグルドの親切心を大きなお世話とばかりに拒絶するような布団の盛り上がりが、更に苛立ちを増加させた。
 じゃあ勝手にしろ、と放っておく事の出来ない己の性格を恨めしく思いながらも、シグルドはふっと小さく息をつく。
 そして眼下にある布団を細めた瞳を見下ろしながら。
「そうか、だったら俺にも考えがある」
 ゆっくりと身を屈め、そっと手の平を盛り上がりへと乗せた。
 きゅっと軽く握ってみると、そこが肩の部分である事が判る。
 そこから一つ一つのパーツを確かめるよう滑らせながら上に上にと移動させ、最後耳の少し上辺りで制止させた。
 くすぐったいのだろう、布団の下の身体が身動ぎするのがダイレクトに伝わるが、そんなものに構う事はしない。
 シグルドは更に身を倒し、置いた手のすぐ下、つまり探り当てた耳を狙って口元を完全に布団へと埋める。
 そして。

 起きないのなら、このままキスしてやろうか。

 そう一言布団越しの耳に吐息混じりに囁きかけた。

 するとこれまで無反応、もしくは微々たる反応だった相手に一瞬にして変化が起こる。
 蹴飛ばすように跳ねのけられる布団と、勢いよく飛び起きたはいいが尻もちをついたような格好で固まっているその姿。
 普通ならハーヴェイに圧し掛かっていたシグルドの身体も、相手が突然起き上がると同時に突き飛ばされそうなところだが、そこは長年相方を務めてきただけの事はある。
 しっかりと予測して囁いた瞬間にハーヴェイよりも早く身体を起こしていた。
「起きたな」
 冷やかな視線の先に、一言吹きかけられた方の耳を片手で押さえ目を白黒させているハーヴェイがいる。
 だが急に起き上がった事で激しい頭痛に見舞われたらしく、空いた方の手で額を素早く覆った。
 耳と額を同時に両手で覆うという何とも可笑しな格好である。
「つぅ……ッ」
「その様子じゃ使いものになるまでにしばらくかかりそうだな。やはり早めに起こして正解だった」
 もう用は済んだと踵を返すシグルドに、ハーヴェイは頭痛をこらえながら声を張る。
 二日酔いの最中に声を張るなど遠慮したいものだが、ハーヴェイの中で衝撃と驚愕の方が勝った。
「ちょ、ちょっと待てよ、おい! 今の! どういう事だ、今の!」
 片方の手が額からそろそろと立ち去るが、しかし耳はピタリと覆ったまま。
 相変わらずベッドに尻もちをついたままシグルドの背中に何とか疑問を言葉にして投げかける。
 それに足を止めゆっくりと振り返ったシグルドは、赤かったり青かったりする顔色のハーヴェイを高い位置から見下ろして。

「眠気覚まし」

 今度はそうハッキリと口にした。










END





 


2011.09.05






NOVEL