キカ様






 クエストランクC  派遣依頼  海賊退治と町の見回り   『失敗』

 赤い大きな判子で、失敗、と押されたクエスト報告書。
 その紙をまじまじとキリルは見る。
 隣からルクスも覗き込むように報告書を見た。
 そうして2人はお互い顔を見合わせ、同じタイミングでこの報告書を持ってきた2人の青年に目を向ける。
「えーっと…。」
 キリルはわりと穏やかな性格をしている。
 例えばクールークの動向や理不尽な行動に出る相手に対して怒りを見せる事はあるけれど。
 そうでもなければ、よく笑う人懐っこい無邪気な少年だ。
 だから今も怒る様子はない。
 ただ困ったような、心配しているような、そんな表情でこの派遣依頼をお願いしたハーヴェイとシグルドを見る。
 隣にいるルクスは相変わらずの無表情だけれど、ほんの少し首を傾げ、どうしたの、と問いたそうな雰囲気でいる。
「あの…、平気、ですか?」
 キリルの表情そのままの声で問われ、2人は揃って目を逸らした。
「ランクも内容も、難しいものじゃない。」
 ハーヴェイとシグルドの実力なら、と淡々としたルクスの言葉に2人は言葉を返さずに俯いた。
 ルクスの言葉どおり、決して難しい依頼ではなかった。
 2人の実力を考えれば、簡単といってもよかった。
 ハーヴェイさんとシグルドさんが一緒に行けば大丈夫ですよね、とキリルは少しだけ心配そうに2人に確認した。
 当たり前だ、と返したのはハーヴェイだった。
 シグルドはその隣でいつもの笑みのままに頷いた。
 そんな様子にキリルは安心したし、他の仲間達は心配もあまりしていなかった。
 海賊の撃退なんて2人にはもってこいだと。
 2人も、まあ叩きのめしてくる、と明るく言っていたのに。

 結果は、失敗。

 海賊が狙っていた町自体には直接被害はなかったけれど、結局その海賊は殆どが無傷で逃げてしまったと書いてある。
 これではすぐにまたこの町が狙われてしまうだろ。
「何があった?」
 黙ったままの2人に、ルクスは少しだけ強い口調で聞いた。
 普段はそんな様子など見せないけれど、それでも彼は元々1つの軍を率いていた軍主であり英雄だ。
 過去自分達へと指示を与えていたその強い声に、ハーヴェイもシグルドも少し体を強張らせる。
 少しの沈黙の後に、ハーヴェイが視線を床に落としたままに口を開く。
「別に…なんにもねーよ……。」
「嘘は要らない、黙秘も許さない。……何があった?」
「だから、別に…!」
 思わず顔を上げれば、痛いほど真っ直ぐに向けられている青い瞳と目が合った。
 言葉は中途半端に途切れ、息を呑む。
「これが最後だ。何があった?」
 空気が張り詰める。
 以前にもこんな目を向けられた事がある。
 仲間になって間もない頃、彼の命令を無視した動きをした時だろうか。
 その時には向けられている自分達の他に何人か兵士がいて、その兵士達は耐え切れずに座り込んでいたのを覚えている。
「ルクス。」
 けれど隣にいるキリルは躊躇いもなくルクスの腕を引っ張った。
 この雰囲気に飲まれている様子はなく、ただ少し困ったような顔をしているだけ。
「そんなふうに言わないで。ハーヴェイさんもシグルドさんも、何か事情があったんだろうし…。」
 困ったような顔でキリルに言われ、ルクスは少し間を開けた後に小さく息をついた。
 途端に雰囲気が元に戻る。
 それを感じてハーヴェイとシグルドは同時に体から力を抜く。
 この雰囲気の中で、それでも躊躇わずにルクスの腕を引っ張ったキリルを凄いと思いながら、同時に感謝をしたけれど。
 次にキリルが向けてきた表情に、2人はまた別の意味で固まった。
「その、もしかしてボク、無理な事頼みましたか?それとも体調が悪かったりとか、そんな時に無理を言いましたか?」
 ルクスの腕を掴んだまま、しゅんとした様子で聞いてくる。
 失敗という結果をもらった時に酷く申し訳ない気持ちになったけれど。
 そんな表情を見れば更に申し訳ない気持ちになり、あー、とハーヴェイが唸りながら乱暴に頭を掻く。
 シグルドも落ち着きなく視線を彷徨わせる。
「その…、申し訳ありません…。」
「なんつーか…その、あれだ、元はと言えばシグルドが悪いんだ!こいつがあの時…。」
「なっ、それを言うならお前の方こそ、お前があの時勝手な行動をしなければ!」
「何だよ、オレが悪いって言うのか!?」
「何度もそう言ってるだろう!」
 急に始まった口喧嘩に、キリルは目を丸くした。
 口喧嘩のようなものをしている2人はよく見る。
 けれどいつもの他愛ない雰囲気はどこにもなく、滅多に見ない本気での口喧嘩だ。
 しかも言葉でのやり取りでは終わりそうもない様子で。
 おろおろと止めようとするけれど、今にもお互い武器を抜きそうな様子でルクスに止められる。
 実際にルクスがキリルを止めた直後に、室内にもかかわらず2人ともそれぞれの武器を抜いた。
 威嚇ではなく、本気に見える。
 決して狭い部屋ではないけれど、それでも武器を振るえるほどのスペースがある部屋ではない。
 流石にルクスが本気で止めにかかろうかと思えば、それより先に声が響いた。
「お前達、何をしている。」
 ハーヴェイが切りかかろうと、シグルドがナイフを投げようと、その直前に2人の動きが止まった。
 1歩踏み出した状態で固まり、それでもぎこちなく首だけを動かせば、そこには2人の頭たるキカの姿。
「キカさん。」
「何の騒ぎだ?」
 聞かれてルクスは報告書を渡す。
 それにざっと目を通せば、キカは呆れたようにため息をついた。
 そうして無言のままに、武器を構えたままで固まっていた2人を見れば、2人は慌てて武器をしまうとピシッと背を伸ばした。
 呆れたような表情でそんな2人を見たキカは、困惑しているキリルに目を向ける。
「失敗した上にこの状態、迷惑をかけて悪かった。」
「いえ、ボクもちゃんと確認とかをしてからお願いするべきでした…。」
「いや、悪いのは全面的にこいつらだから、気にするな。」
「え?」
 体調や調子が悪い時に頼んでしまったのだと、キリルは本当にそう思っている様子で。
 キカにキッパリと返されてきょとんとした表情をする。
 少し苦笑しながらキカはそんなキリルの頭を軽く撫で、ルクスの方に目を向ける。
 それだけで何かを理解したのか、ルクスは小さく頷き、口を開く。
「停泊期間は後5日程。補給はともかく、先日の嵐の影響が結構あります。伸びる事はあっても短くなる事はないです。」
「そうか、なら少し離れるが問題は?」
「キカさんなら5日で問題はないと思います。後はキリル君次第です。」
 きょとんとしていたキリルはいきなり話を振られて困ったようにルクスとキリルを交互に見る。
 それから先程2人が交わしていた会話を思い出し、あ、と声をあげた。
「もしかして、キカさんが…?」
「ああ、私が行く。」
「そ、そんな!キカさんに行ってもらうなんてとんでもない!それなら誰か他の人に…。」
「何をそんなに慌てる。」
 慌てるキリルを他所に、ルクスが1枚の紙をキカに手渡す。
 失敗という報告書とともに渡されたもの。
 キリルが色々な依頼を、それこそ子供のお願いから危険の高い魔物退治まで、可能な限り選り好みをせずに受けてくれる。
 軽く扱われそうな依頼まで真面目に受けてくれるから助かっている、と言ったのは依頼の橋渡しをしている少女で。
 珍しい失敗という結果に、けれどキリルさんの所の人ならば、ともう1度同じ依頼を受けさせてもらえた。
 数日前にハーヴェイとシグルドに手渡された依頼書と同じそれを渡され、キカは躊躇うキリルを見る。
 わざわざキカが出向く事でもないんじゃないか、と思っているキリルは、けれどやがてその視線に負けたように肩を落とした。
「………、すみません。それじゃあ、お願いします。」
「ああ。安心しろ、また失敗なんて無様な事はしない。」
「キカさんを相手に、そんな事心配していません。」
「そうか。」
 もう1度くしゃりとキリルの頭を撫でて。
 ピシリと背を伸ばしたままのハーヴェイとシグルドに目を向ける。
「………、ルクス。」
「はい。」
「2人の処分は任せる。キリルに任せては、処分などなさそうだ。」
「分かりました。」
「好きにしろ。」
「ええ。」
 キカが笑みを浮かべれば、ルクスも僅かに笑顔を見せ、そう答えた。
 そのやり取りに、さっと血の気が引くような感じがしたけれど、2人は何も言えずに黙っている。
 元はといえば、悪いのは自分達だ。
 とてもくだらない事だったけれど、けれど悪いのは。
「どうせくだらない痴話喧嘩だろうが、それでもまあ、部下の不始末だ。責任は取ろう。」
 はっきりと言い当てられれば、もう何も言えなかった。
 ただ小さく、すみません、と、申し訳ありません、と2人は言って頭を下げキカを見送った。
 キカの足音が遠くなり、やがて聞こえなくなればルクスが息をつく。
「たぶん、2人はこれから先もキカさんと共にいるのがいいと思う。」
「……ええ、日頃思っていますが、本当にそう思います。」
「あー、ったく、くだらない事をしたー…。」
「本当にね。」
 ハーヴェイとシグルドがぐったりする。
 それを見てキリルが首を傾げた。
「………結局?」
「2人は喧嘩して、失敗した。」
「あ、そうなんだ。」
 体調が悪くなくて安心した様子と、喧嘩をしてしまった2人を心配している様子と、そんな表情をキリルはするから。
 たぶんキカの言っていたとおり、キリルに任せてはこれで終わってしまうだろう。
 仕方ないのでルクスが、あまり重くなりすぎず、と思いながら処分を告げた。
「とりあえず、2人には暫くの甲板清掃と、この後あるはずだった自由時間は返上して船の修理にあたってもらう。」
 休暇返上にハーヴェイが不満そうな声を上げた事は、睨む事で黙らせて。
「キカさんから直接言い渡されるよりマシだと思うけど。」
 そう言えば、2人はお互いの顔を見た後に、黙って船の修復に加わるために外へと向かった。










END





 


2006.11.27

2人の間柄は特に何も思わず、頼りにはしていて、やることやってくれればそれでいいや、みたいな感じです
ルクスとはすっかり通じ合ってお互いを認め合ってます、キリルの事は可愛がってくれていればいいです
キカ様は、そんなイメージです





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