酒は飲んでも飲まれるな






 夜がだいぶ更け、各自が船内で割り当てられた自室で過ごすようになる頃。
「あれ、ハーヴェイさん。」
 船内の食堂となる場所で酒を飲んでいれば声をかけられた。
 この時間に聞くには珍しいなと思いながら振り返る。
「よう、キリル。」
 今この船にいるメンバーのリーダーとなる少年にハーヴェイは軽く手を上げて答える。
 こんばんは、とキリルは笑顔で返すと、そのままハーヴェイの隣まで来た。
 いつもの赤い服ではなくシャツにズボンといった軽装で、肩にはタオルがかけられている。
 風呂でも入ってきたのかと思いながら隣に座るキリルの頭をくしゃりと撫でれば、その黒い髪はまだ湿っていた。
「まだ濡れてんぞ。」
「大丈夫ですよ。ところで1人ですか?」
「いや、今は席をはずしているだけだ。」
 そう言ってキリルとは反対側の隣を指せば、そこには酒瓶が何本かとグラスがもう1つ。
 それがシグルドのだと言わなくても分かったようで、そうですか、とキリルは納得したように頷いた。
 あまりにあっさりと納得され、それもなんだかなぁ、と思いながらキリルを見る。
 そして、そういえば、とふと思う。
 自分達が2人で1組ならば、最近のキリルも似たようなものだろう。
 そうしてその片割れとなるルクスは、先程キリルと似たような服装で調理場の方へと入っていった。
 いくらか前に、こんばんは、と短く声をかけられただけで返事をする間もなかった。
 それからずっと何かをしているのか音が聞こえている。
「でも、お前どうした?この時間いつも寝てるだろ?」
「寝てませんよ!…部屋にはいるようにしてますけど…。」
「あの過保護な保護者のせいか?」
「ええ…まぁ…。」
「今日はいいのか?」
「はい、ちゃんと事前に言っておきましたから。」
 夜更かしをすると事前報告もどうかと思うが、とりあえずは黙っておいた。
 代わりに、それでこんなとこにどうした、と聞けばキリルが照れたような笑みを浮かべる。
「えっと、さっきまで甲板を使ってルクスに相手をしてもらっていたんです。」
「あー、甲板ならそれくらいの広さはあるな。」
 この船はオベル王が貸してくれたものらしい。
 人数が増える中、今までのように定期船に乗るのでは面倒だろうと。
 2年前に乗っていた巨船ほどではないけれど、大きくて立派な船である事は間違いない。
「それで、夕飯終わって今までずっとやってたら、お腹すいちゃって…。」
「どんだけ暴れたんだよ。」
「結構暴れました。それでついお風呂に入っている時に言っちゃったら、じゃあ何か作る、ってルクスが言ってくれたんです。」
 申し訳なさそうにしながらも、何処か嬉しそうにキリルは言う。
 その言葉を聞きながら酒を口にした。
 随分懐いたものだと思う、キリルも、ルクスも。
 本当に、ここのところ2人が別々にいる姿など見ていないかもしれない。
 自分の隣に相棒の姿がないのと同じくらいの違和感がある。
「お前は手伝わないのか?」
「手伝えたらいいんですけど…、料理だけはダメで…。セネカに、近付かないようにしてください、って言われてるんです。」
「あーあ…。」
「なんか、やっぱり申し訳ないですよね。お皿出すとか、それくらいはしてこようかな…。」
「いいよ、もう終わったから。」
 キリルが立ち上がろうとするより前に、料理の乗った皿が3つほどキリルの前に置かれる。
 2人が夜食として食べるには十分な量だろう。
 礼を言いながらも遠慮なのか嬉しいのかただ料理を眺めるだけのキリルに、ルクスが隣に座りながら料理を勧める。
 残り物をあわせただけだから、というわりにはちゃんとした料理をルクスが口に運べば、途端に嬉しそうな顔をして、美味しい、と声をあげる。
「凄い、ルクス料理上手なんだね!」
「普通だと思うけど。」
「そんなことないよ、だって凄く美味しい。」
「そう。」
 短い返事しか返さないけれど、それでもその表情は何処か嬉しそうだ。
 嬉しそう、と普段無表情な彼の心情が分かるほどなのだから、とても嬉しいんだと思う。
 嬉しそうに料理を食べるキリルを、ルクスも食べながら柔らかい表情で眺め、その途中でふと小さく首をかしげた。
「………キリル君、髪濡れてない?」
「え?あ、うん、少し。でも大丈夫だよ。」
「ダメだよ、風邪引く。」
「平気だって。」
「じゃあ、動かないでね。」
「え、うわっ…!」
 食べるのをやめようとしないキリルの肩からタオルを取って髪を拭き始める。
 ルクスは軍主になる前は小間使いだったと聞いた事がある。
 何かと対立する事になり、最終的には仲間として迎え入れたスノウという少年の小間使いをしていたんだと。
 けれどハーヴェイは軍主としてのルクスしか知らない。
 こんなに誰かの世話を焼いているルクスの姿は見た事がない。
 とても不思議な光景を見ているような気分になった。
「…お前ら、本当仲が良いよな。」
 気付けばポツリとそんな事を呟いていた。
 いきなりの言葉に、ルクスはキリルの髪を拭いていた手を止めて、キリルはタオルの合間から顔のぞかせて、2人とも不思議そうな顔をした。
 けれどやがてキリルが照れたように少しだけ顔を赤くさせて。
 それでもとても嬉しそうに。
「うん。」
 まるで子供のような笑みを浮かべて頷いた。
 そんなキリルの反応に、キリルには見えていないけれど、ルクスが柔らかい表情で小さく頷いたのがハーヴェイには見えた。
「…そっか。」
 そんな2人を見て短く言葉を返しながらグラスに半分ほど残っていた酒を一気に飲み干した。
 同時になんとも言えない気持ちになった。
 一気に飲むのはよくない、と言うキリルに、前からよくやってる、とルクスが返すのを聞きながら空になったグラスを置いた。
 テーブルの上にある瓶はもう全部空で。
 残っているのは、隣にポツリと置いてあるグラスの中身くらいで。
「なんだ、もう全部飲んだのか。」
 ぼんやりと酒の残ったグラスを眺めていれば、後ろからシグルドの声。
「あ、シグルドさん、こんばんは。」
「こんばんは。揃ってこんな時間に夜食ですか?」
「ちょっと暴れたらお腹すいちゃって。」
 ルクスとキリルに幾つか言葉をかけて、そうして隣に戻ってきたけれど座ろうとしないシグルドをぼんやりと見上げた。
 酒が回っているわけではない。
 この程度の酒では酔えるわけもない。
 それでもぼんやりと見上げた。
「程々に。」
「ええ、分かってます。」
 短くルクスに釘を刺されて苦笑しながらシグルドが自分のグラスに残った酒を飲む。
「なあ。」
 そんなシグルドに声をかけた。
「なんだ?」
「オレ達も仲がいいよな?」
 まるで子供のような言葉だと、後になって思った。
 けれどこの時は何も思わずに、ただじっとこちらを見下ろすシグルドをハーヴェイは見上げて。
「………は?」
 やがて少し時間が経った頃に、妙に間の抜けた返事を返したシグルドに、思わずハーヴェイは立ち上がる。
 思いつき出の行動だった。
 もはや何も考えていなかったかもしれない。
 やっぱり酔っていたのかもしれない。
 ただ、気付けばシグルドの胸倉を掴んで、そのまま引き寄せる。
 そのままの勢いでキスをした。
 目を開けたまま、驚いているシグルドが見えた。
 少し視線をずらせば、ぽかんを口を開けてフォークを握っているキリルと、相変わらず淡々とした様子で口に運んだ物を噛んでいるけれど少し目を丸くしているルクスが見えた。
 酒を飲み干した時に感じた、なんともいえない気持ちが、消えたような気がした。
 それに満足して手を放す。
 唇を舐めれば酒の味がした。
「………、やっぱ酔ってんのかなぁ…。」
 呆然としているシグルドを見ながらポツリと呟く。
 その声に我に返ったシグルドが顔を上げた。
 何かを感じ取ったルクスが作った料理の皿をテーブルの下に置き、首を傾げるキリルの腕を引っ張ってテーブルの下に潜った。
 けれど2人がそんな事を気にする余裕などなくて。
「なにを…、お前はなにを考えているんだっ!!」
 叫んだシグルドの顔が赤かった。
 恥ずかしさなのか怒りなのかは分からない、と言うよりも、考えている暇がなかった。
 後ろに下がったかと思えば、引き抜いたのはナイフで。
 躊躇いなく投げられたそれを、反射的にハーヴェイは避けたけれど、頬に痛みを感じた。
 浅く切れた部分に触れ、避けなければ顔に直撃だったかと思えば、流石に血の気も引き、意識もはっきりとした。
「ちょ、待て、何考えて!」
「それはこちらの台詞だ!」
「落ち着けって!!たかがキスぐらいで今更…。」
「黙れ!!」
 ナイフが風を切ってどこかに刺さる音。
 ハーヴェイが椅子を倒して机の上に乗って逃げ回る音。
 追いかけてナイフを投げるために構える音。
 とても冷静ではないと思われる会話になっているか分からない音。
 それが遠くなり、やがて静かになった頃に、ようやく机の下に潜った2人が顔を出す。
「………あーあ。」
 キリルが思わず呟くほどに、食堂は酷い有様になっていた。
 倒れた椅子にひっくり返っている机、刺さったナイフに凍りついた壁。
 壊れた物がないだけマシだろうか。
「えーっと…これって、もしかして痴話喧嘩ってやつなの、かな?」
「なんであれ明日あの2人にはここの掃除と何か処罰になる仕事を与えないと。」
 他人がキスをしているなんて初めて見た光景を思い出したのか少しだけ顔を赤くしながら力なく笑うキリルに、ルクスが食堂の惨事を見て淡々と言った。
 そうしてふと、この惨事の中でも無事だった、先程まで2人が飲んでいた酒の瓶を見る。
 よく見れば、ほんの少しだけ残ったそれを少し気になってルクスは飲んでみた。
 別に好きでも嫌いでもないので普段酒は飲まない。
 けれど飲めないわけではなく、何度かあの2人に酒を勧められて飲んだ事がある。
 その時飲んだ酒の味を思い出して少しだけ眉を顰める。
 過去一緒に飲んだどの酒よりも、やけに甘い酒だった。
「……これでハーヴェイが酔うわけないね。」
 食堂だけでなく船全体の掃除だね、とルクスは小さくため息をついた。










END





 


2006.10.27

これをハーシグというのもなんですが、4キリばっかり書いていた気がしますが、ハーシグと言い張ります
19歳(個人的にルクスの年齢)と18歳に対抗する27歳
………、なんか、10近い年齢差を、ハーヴェイには感じられないんです





NOVEL