たまには別行動でも
無言の圧力が背中を強く強く圧迫している。 それはどうしたって気持ちのいいものではないし、振り払えるものなら振り払ってしまいたい。 しかしハーヴェイにはそれができない。 どんなに不快でも、耐えるしかなかった。 部屋の中央にある丸椅子に腰掛け、膝に肘を乗せるようにして少し前屈みになる。 上半身には何も身につけていないので少し肌寒くはあったが、それも背中の気配に比べたら何て事はない。 静かな部屋の中で聞こえてくるのは衣擦れの音。 それを発しているのはハーヴェイの背後に立つシグルドの掌の中からだ。 聞こえてくるその音で、シグルドにしては珍しく少々乱暴に扱っている事が分かる。 しばらくすると衣擦れの音から霧吹きで何かを吹きかけているような音に変わって、 微かに消毒液のツンとした臭いが鼻につき始めた。 「………………なあ、いい加減機嫌直せって」 「何の話だ」 耐えなければならないと思いながらも、 とうとうその限界を超えてしまったハーヴェイが恐る恐るシグルドに声をかければ、 素っ気無いにも程があるくらい簡単に返されてしまう。 まだ怒ってるのか。 思わず口をついてしまった独り言だが、静かな部屋では相手に聞かせるようなもの。 勿論シグルドが見逃してくれるはずもなく。 突然肩から肩甲骨の辺りまで容赦なく消毒液をかけられ、響いた痛みにハーヴェイは顔を顰めた。 久しぶりに上陸した島だから息抜きにちょっと散策してくる。 そう言ってひとり街へ向かったハーヴェイが傷を負ってシグルドの前に現れたのは、もう数十分も前の事だ。 散策中に偶然人に襲い掛かっているモンスターと遭遇して剣を抜いたのだが、 予想以上に数が多くて不覚にも後ろを取られてしまった。 本人は笑いながら怪我の報告をしてきたが、傷に面した衣服が吸っている血の量を見れば、傷の度合いなど素人でも分かる。 シグルドが急いで服を捲り上げ確認してみれば、肩から肩甲骨にかけてまで3つの赤い線が深々と肌に食い込んでいた。 怪我を負っても普通にここまで歩き、 更に無理してではなく普通に笑う余裕のあるハーヴェイの様子から、毒が仕込まれていた可能性は低い。 毒の臭いもしないし、見たところ傷口の変色もない。 しかし開いたそこからどんな細菌が身体に入り込むか分からない。 相手はモンスター、まさか武器をご丁寧に洗浄したりはしないだろう。 すぐに微温湯を用意し傷口をできるだけ綺麗に洗ったあと、 船医のもとへ行こうとしたシグルドだったが、あろう事かその足をハーヴェイに止められてしまった。 ここに来る途中誰にも見つからなかったから、このまま公にはしたくない。 確かにこの船で1位2位を争うほどに腕の立つハーヴェイの怪我が広まれば色々面倒になる。 今更下克上を狙っている人間はいないだろうが、 それでも万が一という事もあるし、何より外部に漏れでもしたら非常に厄介だ。 しかしシグルドは迷った。 シグルドにも多少の医術の心得はあったが、専門家以上のものでは決してない。 気付かなかっただけで本当は毒をもらっていたとか、手当て不十分で感染症にでもなってしまったらどうするのか、と。 船医に内密にしてもらえばいい、それも嫌なら素性を隠して街の医者に行こう。 しかしハーヴェイは首を縦には振らない。 挙句の果てには「お前が診てくれるから大丈夫」だと言い出す。 それにはさすがのシグルドも呆れて物が言えなかった。 そしてそれは段々と苛立ちへと変化していく。 勝手に怪我して、勝手に頼って、一体何様だお前は、と。 目の前にいる怪我人を放っておく事はできないので一応手当てはするが、 それでもその手が多少乱暴になってしまうのは、もう仕方がない事だろう。 「いつもは何匹いようが平然と片付けてるくせに、急に腕が鈍ったんじゃないのか?」 余分な消毒液をガーゼでふき取った後、新たな消毒済みのガーゼを傷口にあて、包帯を巻いていく。 未だ苛立ちが収まらないシグルドがブツブツと文句を言っていると、 それまで黙って耳を傾けていたハーヴェイがふと口を開いた。 「お前が、いなかったからだ」 それは非難をしているとか拗ねているとか、 そういったものではなく、何かを悟ったかのような物言い。 「いつもお前が俺の後ろにいたから、だから前だけ見てられたんだよ」 怪我して気付いたと笑うハーヴェイに、 シグルドは包帯を巻く手を止めずに少々大袈裟な溜息をついた。 背中を預けて戦うとは言うが、まさか本当に背中全てを預けられているとは思わなかった。 ハーヴェイとシグルドが共に過ごすようになってからもう随分と月日が流れた。 気付けば一緒にいる事が多くなって、周りからもセット扱いされる事も多くなって。 いけ好かない奴から仲間に、そして相方へ。 隣にいる事がいつの間にか当たり前になっていて、 強くなった部分も勿論多いが、どおか脆くなった部分もあるようだ。 偶然の別行動で偶然思い知らされた事実。 致命傷を負わされる前に気付けてよかったと、喜ぶべきか。 シグルドの包帯を巻く手に、一瞬力が込められる。 「いって……ッ!」 「いつまでもお守してやると思うなよ」 「分かってるよ、無意識にお前に随分と寄りかかってたみたいだ。悪かった」 「そう思うんなら早く治すんだな」 「……紋章使ってくれればいいのに」 「甘ったれるな」 勝手に怪我を負って、勝手に頼って。 勝手に心配をかけたのだから、紋章など使ってやらない。 でも相方の怪我のおかげでこれまで見えなかったものが見えたのも事実だから。 だからこの傷が癒えるまでは少しは面倒を見てやってもいいかと、そう思った。 END2008.06.25 このお題が出た瞬間、こんなふたりが頭を駆け巡ったのでそのまま書いてみました。 NOVEL