抱き締めてもいいですか






「キリル様!」
「え!?」
 自分の名前を呼ぶ2人の大きな声にキリルは驚いて振り返る。
 2人の声がアンダルクとセネカという事は分かっていたが、振り返った瞬間に突撃されるとは思っていなかったので咄嗟に反応が出来なかった。
 キリルの隣にいたルクスは2人の行動に気付いてはいたが相手がキリルの家族だったので何も出来なかった。
 その結果、勢いよく突っ込んできた2人の勢いを受け止めきれずにキリルは後ろに倒れた。
 幸いに頭から倒れる事なく尻餅をついたくらいですんだが、それでも痛かったのか顔を顰めている。
 ルクスが心配そうな表情を向けるものの、ささやかな気遣いはアンダルクとセネカの勢いに完全にかき消されてしまった。
「いたた…。」
「キリル様、大丈夫ですか!?」
「え?」
「大怪我をされたと聞いたのですが、何処を怪我されたんですか!?」
「今すぐに医務室に向かいましょう!」
 しっかりと肩を掴んで捲し立てている2人の勢いに圧倒されてキリルはただぽかんとした表情を浮かべる。
 怪我の心配をしているのに突っ込んできて転ばせるというのはどうなんだろうか、とそんな当たり前の事は2人の頭からはぽんっと抜けてしまっているようだ。
 キリルも突然の事にそこまで頭は回らない。
「………、心配ならどいたら?」
 唯一この場で冷静だったルクスがポツリと呟く。
 指摘されてようやく我に返ったアンダルクとセネカは慌ててキリルから手を放した。
 怪我は悪化していないのか、大丈夫なのか、といった今更な事が頭をよぎるが、尻餅をついた時に痛そうな顔をした以外は特に変わった様子はない。
 そして2人を止めたルクスの声にも特に咎めるような響きはなく普段通りのように感じた。
 感情の分かりにくい人だが、怒った時や咎める時などの威圧感は身が竦むほどなので、それを感じないという事はどちらの感情もこもっていないという事で間違いないだろう。
 2人は落ち着く為に深呼吸をした後に、立ち上がって服の汚れを払っているキリルを見る。
 動きに不自然な様子はなく普段通り。
「あの…、キリル様?」
「怪我をしたと聞いたのですが…。」
「うん。でも治してもらったから。」
 不安そうな2人を安心させるように笑顔でキリルは答えた。
 怪我をしたのは確かに事実で、先程叫ばれた通りに大怪我と言われても間違いではない程だった。
 けれど処置が早かったおかげと水の紋章を持っている人が数人いた事が幸いして今ではもう殆ど問題がない。
 それを簡単に説明すれば、今度は2人がぽかんとした顔をした後に安心したのか肩から力を抜いてぐったりと項垂れた。
「よ、よかった…。」
「心配かけてごめんね。」
「本当ですよ。話を聞いた時には本当に驚いたんですからね。」
「………、誰に聞いた?」
「さっきハーヴェイに会って、キリルの奴が大怪我したぞ、って。」
 本当は、でもまあ治ったから今は大丈夫だけどな、と続いてはいたのだが慌てた2人の耳に届く事はなかった。
「ハーヴェイか…。」
「………、別に怒ったりしなくていいからね?」
「怒らないよ。」
 注意するだけだから、と心の中だけで続けたが、ルクスの雰囲気に何かを感じ取ったキリルは思わず苦笑した。
 同時にぽんっと後ろから肩を叩かれる。
 キリルが振り返ればヨーンがじっと見つめていた。
 ルクス以上に表情が変わらないのだが、ルクス以上に付き合いが長いので何を考えているか理解するのはキリルにとってすごく簡単な事だった。
「ヨーンにも心配掛けたんだね、ごめん。」
 そう言えばヨーンは首を横に振る。
 気にしなくていいという意思表示だ。
 それから腕を伸ばしてきたのでキリルが軽く屈めばそっと抱き締められた。
 あまり力が込められていないのは治ったばかりの怪我を気遣ってだろう。
 実際に怪我を負った腹の辺りはまだ違和感がある。
 痛みはないが無理をしたら傷が開くぞとは脅されている。
 勿論そんな事は服の上から出は分からないのだが、何かに気付いた様子のヨーンが腕を放して気遣うようにキリルを見上げる。
 無言の、部屋に戻って休め、という意思表示にキリルは苦笑して頷くしかない。
「うん、ちゃんと休む。」
「やっぱり怪我が?」
「塞ぐだけ塞いだって感じだからね。あとは自然治癒。結構ざっくりやっちゃって。」
 失敗しちゃったなー、と笑うキリルにアンダルクとセネカが突っ込んできた時のような勢いを取り戻して、キリル様、と叫んだ。
 驚いたキリルは若干上擦った声で、はい、返事をする。
「笑っていないで早く部屋で休んでください!」
「必要な物があったら持って行きますし、やることがあるのでしたら代わりますから。お願いですから安静にしていてください。」
「う、うん…、そのつもり…。」
「でしたら早く。私達も一緒に行きますから。」
「そんな、いいってば。本当に大丈夫だし、この後は部屋でルクスと話すつもりだったり、そんなに心配しないでよ。」
 キリルにそう言われて2人の視線が一気にルクスに向く。
 流石のルクスも2人の雰囲気に少しだけ気圧された。
 驚いていればセネカに両手をしっかりと掴まれる。
「すみませんが、キリル様の事をよろしくお願いします。」
「………、分かった。」
「何かあったら呼んでください。すぐに行きますから。」
「そしてくれぐれもキリル様に無理はさせないでください。キリル様は大丈夫と言いながらもすぐに…!」
「2人とも!ルクスに迷惑はかけないでってば…。」
 キリルに止められて渋々といった様子でセネカはルクスから手を放す。
 まだ心配そうな様子だったが、何かあったら絶対に呼ぶから、とキリルに言われて2人は頷いた。
 もう1度ルクスへとよろしくお願いしますとキリルを頼み、ヨーンはおそらく2人と同じ気持ちなのだろうが何故かルクスの頭を撫でて、部屋に戻るキリルとルクスを見送った。
 視線が突き刺さって酷く居心地が悪かったが、廊下を曲がってしまえばそんな事はなくなるし追いかけてくるような気配もない。
 それに少しだけほっとした。
「何かごめんね。」
「気にしないで。」
「だって流れでルクスにボクの事を頼まれちゃったし…。本当に大丈夫なんだけどな。」
「無理はよくない。」
「うん…。」
「それに…、いいと思う。」
「何が?」
「凄く心配していた。ボクにはいない存在だ。」
 そんな事はない、と咄嗟に返しそうになったが、何を言いたいか気付いてキリルは口を噤む。
 単純に心配をしてくれる存在ではなく、きっと家族という存在の事を言いたいのだろう。
 血の繋がらない間柄ではあるし、普通に考えればキリルが主の主従関係ではあるのだが、ヨーン達を家族と呼ぶ事にキリルは何の違和感もなく、むしろそう呼ぶ方が正しく思える。
 幼い頃からずっと見守ってくれている大切な人達。
 ルクスが言う通り彼にはそんな人達はいない。
 思わず黙り込んでしまったキリルに、ルクスが困ったようにそっと笑みを浮かべた。
「ごめん。変な事を言った。」
「ルクスが謝る事じゃない。」
「いい事だから、気にしないで。そう言いたかった。」
「うん。」
「早く戻ろう。」
 ルクスがそっとキリルの手を掴んで部屋に向かおうと促す。
 繋いだ手を何気なく見れば、先程のまるで飛び掛かるかのように突っ込んできたアンダルクやセネカ、そして気遣うように抱き締めてくれたヨーンと触れた時の温かさを思い出す。
 ルクスの家族の事はキリルがどうこう出来る問題ではない。
 簡単に他人がなれるものではないし、今すぐにその立場を埋めるなんて無理な話でしかない。
 分かっているのに、キリルはぎゅっとルクスの手を掴んで歩き出そうとしたルクスの足を止めた。
 振り返ったルクスは、どうしたの、と言いたそうな目をキリルへ向ける。
 それに対してキリルが言ったのは疑問への答えではなかった。
「ルクスの事、抱き締めてもいい?」
 突然の言葉にルクスはきょとりと目を丸くする。
 何故そんな事を突然キリルが言い出したのか不思議で仕方ないといった様子だ。
 おかげでルクスが答えを返すという行動を忘れてしまい、暫く無言でお互いを見つめていればキリルの方が先に気まずくなってしまった。
「いや…、あの、ご、ごめん!」
「え?」
「ボクはルクスの友達なだけなんだけど、でも何かあったら凄く心配というか…。家族じゃないけどルクスが凄く大切で、だからすごく心配というか…。」
「………。」
「それをどうやって伝えていいか分からないから…、その、とにかく抱き締めてもいい?」
 片方はルクスの手を握り、空いているもう片方をルクスの方へ伸ばす。
 頷いた瞬間に抱き締められそうというか、今すぐにでも抱き付いて来いと言わんばかりの体勢だ。
 ぽかんとした表情でそんなキリルを見ていたルクスは、ふと目を逸らして俯いた。
 変な事を言って怒らせてしまっただろうかとキリルは心配したが、それはほんの一瞬だった。
「………、笑わなくても…。」
 口元に手を当てて何かを我慢するように微かに肩が震えている。
 ルクスにしてはとても分かりやすい笑っているという動作だった。
 彼へと伸ばした手がとても気恥ずかしいものに見え、行き場をなくしたその手でばつが悪そうにキリルは頭を掻く。
「何か凄く恥ずかしい。」
「ごめん…。」
「変な事を言ったなとは思っているけど…。」
「笑っちゃったけど…、変とは思っていない。」
「笑ったくせに。」
「嬉しいよ。」
 優しい声でルクスがそう言えば、キリルはこれ以上の文句が続けられなくなる。
「嬉しい。でも遠慮する。」
「どうして?」
「怪我が完治したら、お願いするよ。」
 ぽんっとルクスが軽く腹を叩き、その事で感じた違和感に自分が少し前まで怪我人だった事を思い出した。
 こんな所でいつまでも話していればアンダルクやセネカが来て何か言われてしまうかもしれない。
 そんなキリルの心配を正確に読み取ったルクスが再び軽く腕を引っ張った。
「楽しみにしてる。」
「うん。」
 出来るだけ安静にして早く心配されないくらいに怪我を治そう。
 そう思いながら随分と嬉しそうなルクスをキリルも同じように嬉しい気持ちになりながら眺めて部屋へと向かった。










END





 


2011.04.21

紋章で大怪我がそんな簡単に治るとは思っていないけど、まあいいや





NOVEL