キミの隣がボクの居場所






 重労働な任務明けの翌日くらい、誰もが惰眠を貪り、ごろごろ過ごして溜まった身体の疲れを癒したいと考えるもの。
 中には逆にいつも通り動き回っていた方が楽という人間もいるだろうが、惰眠推奨派を否定する事など出来まい。
 だから昼まで寝ていようが、夕飯まで姿を見せなかろうが「ちょっと寝過ぎだ」と笑われる程度で済まされるのだ。
 そしてそのあとは、寝過ぎのせいでズキズキ痛む頭を押さえる姿に「任務お疲れ様」と苦笑いと薬が贈られる。
 数少ない甘えが許される時。
 だから任務明けのキリルが朝姿を現わさなくても誰も何も気にしないし、わざわざ部屋まで行って癒しの時間の邪魔をしようなどとは思わない。
 何度か同じ事が繰り返されれば、キリルが惰眠推奨派である事は明らかだ。

 そんなキリルの部屋の前に、今ルクスは立っていた。

 本来ならキリルの事を一番に考えるルクスの事、キリルの睡眠を妨げるような訪問など絶対にしないし、するつもりもない。
 しかし今回は事情が違った。

 手には湯気の立つマグカップが一つ。
 素早く周囲を見渡すと、誰の気配もない事を確認した後でスルリとその身体を少しだけ開けたドアの隙間へと滑り込ませる。
 その間音も立てなければマグカップの中身も波立たせない。
 完璧とも言える早業で部屋への侵入を果たしたルクスは、ほっと小さな息をつくと、薄暗い部屋の隅に設置されたベッドへと目を向けた。
 そこには惰眠推奨派の人間らしくこんもりと山が出来ている。
 シーツの盛り上がり具合から、身体を丸めている事が判った。
 それを見てルクスは困惑の表情を浮かべながらも、ゆっくりとベッドとの距離を縮める。
 なるべく音をたてないように気をつけながら、手にしていたマグカップをそっとサイドテーブルへと置く。
 そしてその山に向かって小さく声をかけた。
「キリル君、白湯だよ。飲めるようならこれで身体温めるといい」
 近くにあった椅子を引いてベッドの横に腰掛けて山を覗きこむ。
 するとそれが気だるそうにもぞもぞと動いた。
「ありがとうルクス……あ、イテテテ……ッ」
 ひょっこりと申し訳なさげに現れた顔。
 が、突然眉がゆがみ再びシーツの中へと戻っていく。
 身体を丸め、キリキリ痛む腹を両の腕で抱えるようにさすりながら。
 慌てたルクスは椅子から腰を浮かせ、盛り上がったシーツの山に手を添える。
「無理しないで」
「ああーごめん、でもこれでもだいぶ良くなった方なんだよ。ルクスが持ってきてくれた薬のおかげで……ッ」
「いいから、無理に喋らなくていいから」
 ひとしきり「あー」だの「うー」だのと濁点付きで唸ったあと、ようやく落ち着いたらしい身体から徐々に力が抜け始める。
 それを山に添えていた手の平で確認したルクスは、そっと手を離して浮かせていた腰を椅子へと戻した。
 再びひょっこりと現れた顔。
 ごめんと、そう呟きながら垂れた眉は、酷く情けない雰囲気を作り出していた。

 今回の任務はキリルとルクスの二人で向かった。
 内容は魔物の討伐で体力勝負の任務ではあったが、二人にとってはそれほど難しい内容ではない。
 何せ襲ってくる魔物を一匹残らず倒すだけでいいのだ。
 接客や捜索よりもよっぽど簡単である。
 それでも予想以上に湧いて出てくる魔物相手に、任務が完了した頃には疲労困憊であった。
 そんな状態での帰り道、空腹を訴えたキリルが何気なく見つけた、見た目食欲をそそる美味しそうな木の実。
 ルクスが食べられる木の実かそうでないかの記憶を掘り起こしている内に、安易に口に放り込んでしまった。
 その結果がこれだ。
 幸い症状は腹痛のみで、掘り起こしたルクスの知識からもそれ以上の何かがない事は判ったので、パニックになる事なく冷静に対処する。
 その後何とか帰還した二人は、情けなさすぎるから皆に知られたくないというキリルの意向をくんで報告等全てルクスが済ませ、キリルは疲労の為にもう寝たという事に仕立て上げたのだ。
 都合のいい事に惰眠推奨派であるキリルの部屋を訪れる人間は、いない。

 ルクスに支えられながら何とか身体を起こしたキリルは、程良く温くなった白湯を受け取るとゆっくりと喉に通した。
 時間をかけてマグカップの中身を飲み干したあと、大きく息をついて天を仰ぐ。
「あーあ、本当に情けない。僕はまだまだ知らない事が多すぎるよ」
 やっぱりルクスが傍にいてくれなきゃ駄目みたい。
 お礼と一緒にマグカップをルクスに返しながらニカッと歯を見せて笑う。
 キリルなりの「もう大丈夫、心配しないで」のメッセージだ。
 それを見たルクスも小さく頬笑みを向けた。
「君が望むなら僕はいくらだって傍にいるよ。でも今回のような事は絶対に駄目だ。得体の知れないものを安易に口にしてはいけない。ものによっては腹痛だけで済まない事もあるから」
「うん、本当にごめん。反省してる」
「うん。僕もごめん」
「ん?」
「今度はもっと早く知識を引っ張り出せるように頑張るから」
 ようやく戻ったキリルの笑顔が曇っていくのを、ルクスは同じく僅かに曇った表情を小さく俯かせながら視界の端に写した。
 確かにキリルの行動は軽率だったと言わざるを得ない。
 それは誰の目から見ても、勿論ルクスの目から見ても明らかである。
 でもルクスはこうも考えた。
 キリルが行動に出る前に止める事が出来たのはあの場に一緒にいた自分だけで、しかもルクスにはあの木の実に関する知識があった。
 それをもっと早く引き出せていたら、キリルが腹痛に苦しむ事はなかったのだ、と。
 そんな気持ちがルクスに謝罪の言葉を呟かせた。
「………………そんな事気にしてたの?」
 静かなキリルの問いに、俯いたルクスの頭が僅か縦に振られる。
 キリルの表情が更に曇った事にルクスは気づかない。
 キリルにしてみたら、ルクスが気に病み、ましてや謝る事なんて有り得ないもいいところだ。
 今回の事は自分の軽率な行動が招いた結果だという事は重々承知しているし、本当はこんなふうにルクスに看病してもらう事だって心苦しい。
 同じ任務をこなした身。
 疲れているはずなのに余計な負担をかけさせて、何度謝っても足りないと思っている。
 だからせめてこれ以上心配をかけたくなくて、あとで思いっきり謝ろうと思って、先ほどのような大丈夫の意を込めた笑顔を向けたのだ。
 しかし返ってきたのは予想外の謝罪。
 逆効果だったか。
 思わずキリルの唇が「ごめん」と形作ろうとする。
 が、それを寸でのところで抑え込んだ。
 ここで謝罪を繰り返す事は、ルクスにも同じように謝罪を繰り返させる事に繋がるような気がしたのだ。
 ごめん、ごめん。
 こんな無限ループは耐えられそうもない。
 腹が収まったと思ったら今度は胃がキリキリ痛み出しそうだ。
 それを断ち切るにはどうしたらいいか。

「……ごめん。有難う」

 考えた末に、キリルは謝罪と、そしてお礼を一緒に口にした。
 心配をかけてごめん。
 謝らせてごめん。
 心配してくれて有難う。
 気にかけてくれて有難う。
 驚いたように顔を上げるルクスと目が合う。
「やっぱり僕の傍に、隣にいてよ。そして僕の知らない事、もっともっと教えてほしい」
 逸らす事なく一字一句を丁寧に発音し、気持ち全てを伝えようとする。
「いつかルクスが心配しなくて済むように、ルクスが謝らなくて済むように、僕も頑張るから」
 だからずっと隣で見ていてくれ。

 そんな言葉と共に自然と浮かんだ笑顔を向ければ、再びルクスの頭がゆっくりと縦に振れる。
 その表情は先ほどとは違い、穏やかな笑みに満ちていた。










END





 


2011.03.27






NOVEL