キミの隣がボクの居場所






 キリルと過ごすようになってから、そんなに長い時間は経っていない。
 何かを確かめるようにルクスはそんな事を思った。
 経過した時間は短いと言ってしまってもおかしくない。
 今までの事を振り返ってみれば、キリルと過ごした時間よりも別の人と過ごした時間の方が圧倒的に長い。
 例えば海上騎士団の仲間や同じ屋敷で働いていた人達。
 圧倒的に長いのは、かつて自分が付き従う相手だったスノウで。
 戦争の最中だけ一緒にいた仲間達でも、キリルと比べれば同じ場所にいた時間は長くなる。
 キリルとの時間は決して長くはない。
 それは間違いなく事実だ。
 確認してルクスは思わず1人で小さく頷いていた。
「ルクス?」
 隣でそんな事をされれば気になるだろう、キリルが不思議そうにルクスを呼ぶ。
 今日は少し風が強くてキリルもの髪が煽られている。
 それはルクスも同じだったが、風が吹いてくる方向を向いているルクスより、背を向けたキリルの方が酷く見えた。
 2人で甲板に出て海を眺めながら話をしていたのは何となくだ。
 部屋でも食堂でも何処でもよかった。
 キリルがルクスを見つけたのが甲板だったというだけの話。
 部屋に行ってもよかったのだが、そこまで風が酷いわけでもない。
 何となくルクスは手を伸ばしてキリルの髪を整えるように梳く。
 けれど手を離せばすぐに意味がなくなった。
 少しだけ悔しく思ってキリルの髪を右手で押さえて、そのままにする。
 片方だけをしっかり押さえられたキリルはきょとりと目を丸くして、それからすぐに面白そうに笑い出した。
「ボク、そんなに髪が酷い?」
「少し気になるだけ。」
「結構平気だよ。髪はルクスの方が少し長いから、自分の方を気にした方がいいかも。」
「大丈夫。」
「ボクもだよ。わざわざルクスが押さえてくれなくても自分でやるから。それとも中に入る?」
 頷こうかと思ったがルクスは動かなかった。
 ただじっとキリルを見る。
 手も離れないので、不思議に思ったキリルが首を傾げた。
 それでもルクスは何も言わない。
 真っ直ぐに向けられる視線からは上手く感情が読み取れず、困ったキリルは同じように手を伸ばしてルクスの髪を簡単に整えてから押さえた。
 変な事をしているな、と少しだけキリルは思った。
 けれど、キリルが伸ばした手が気になるようにルクスは視線を移し、それからそっと目を伏せる。
 機嫌を損ねたわけではなく、少し嬉しそうに見えた。
 何が嬉しいかは分からないが、ルクスが喜んでくれたのならとキリルは笑う。
 顔を上げたルクスが再びキリルをじっと見た。
 今度は何を思っているのか分かった。
 多分、不思議がっている。
「どうしたの?」
 流石に何を不思議がっているかまでは分からなかったので素直に尋ねた。
 困ったようにルクスが視線を彷徨わせたが、答えたくないわけではなく、ただ単に言葉を探しているだけのようだ。
 キリルは終わるまで何も言わずに待つ。
 お互いの髪を押さえて黙り込んでいるなんて、傍から見れば随分妙な光景だが、2人はそんな事に気付かなかった。
「………、不思議だな、って。」
 やがて言葉を見つけたルクスがキリルと目を合わせて呟く。
「不思議?」
「そう。」
 ルクスが頷けば、髪を押さえている手も一緒に動く。
 その事に気付いたキリルは困ったように笑った。
「そういえば…、変な事をしていたね、ボク達…。」
「え?」
 不思議、と言うのが現状に対しての言葉とキリルは思ったのだが、ルクスの反応を見る限り違うらしい。
 手も離さない。
 何かを確かめるように髪を梳く。
「キリル君と過ごした時間は短い。」
「そうだね。まだそんなに長くないね。」
「仲間と呼ぶ間柄の人達の中で、ボクにとってキリル君とキミの家族とあと何人かは、1番新しい仲間と言って間違いない。」
 珍しくルクスはしっかりと話す。
 考えながら、誤解をされないように一生懸命言葉を探しているようだ。
 それに応える為にキリルは1つも聞き逃さないようにしながら、そうだね、と頷く。
「それの何が不思議なの?」
「キミがここにいる事だ。」
 思っても見ない返答。
 咄嗟にキリルは言葉を返せずに詰まらせた。
 これはもしかして遠回しの拒絶だろうか。
 そんな考えがキリルの頭を過ぎる。
 広い意味ではこの船に、狭い意味ならルクスのすぐ傍に、キリルがいる事はルクスにとって何か不都合だったのだろうか。
 ぐるぐるとそんな考えが頭の中を回る。
 ルクスの目が、見惚れるくらい綺麗に真っ直ぐ向けられているから、尚更だった。
「えっと…、ボクは何かした…?」
「何を?」
「ルクスが怒るような事…。」
「怒る?」
 首を傾げたルクスからそんな感情は見えない。
 本当に怒ってはいないようだ。
 だったら先程の言葉はどういう意味なのだろう、と悩むキリルを見て、ルクスも説明の為の言葉を探す。
 上手く説明が出来ない時は手当たり次第全部話せ。
 ハーヴェイがそう言っていたのを思い出す。
 シグルドは苦笑して何も言わなかったが、止める事もしなかったので、きっとそんなに間違った方法ではないのだろう。
「特に意味はなかったけど…、何となく昔を思い出した。」
「昔?」
「スノウや同じ屋敷で一緒に働いていた人達と一緒にいた事を思い出したし、同じくらい1人でいたようにも思った。」
 ルクスが昔の事を話すのは少し珍しい。
 思い出したくないというよりは、聞かれないから話さないと言った感じだ。
 キリルが聞けば短い言葉の中でいつものように答えてくれる。
 でも自分から話すのは珍しかった。
 そんなに強く印象に残る何かを思い出すきっかけでもあったのかと思ったが、そう言うわけでもないらしく。
 いつものようにルクスは淡々と言葉を続ける。
 キリルはただ邪魔にならないように短く相槌だけを返した。
「海上騎士団の仲間や戦争で出会った仲間がいて、その後に出会った人達もいる。」
「うん。」
「キリル君は本当に最近出会ったばかりの人だ。」
「そうだね。」
「でも…、何故かとても長く一緒にいるように思う。」
「え?」
 何度も短いとルクスは言った。
 それは間違いないのでキリルは頷いたが、それなのにルクスは全く逆の事を言う。
 意味が分からなかった。
 そんな事を言い出すルクスに対してもそうだが、何故か何となくその気持ちが出来る自分に対しても、キリルは不思議に思った。
「短いのは事実だ。ちゃんと分かっている。それなにの、何故かそう思う。」
「それは…、不思議だね…。」
「何故キミはここにいるんだろう。」
 キリルに尋ねるというよりは自分に問いかけるように呟いた。
「短い時間なのに、その中だけを見れば過ごした時間は多くて、錯覚はその為だと思う。」
「ボクもその気持ちは分かるかな。ボクがしょっちゅうルクスの事を捕まえているからね。」
「キミが来てくれる事もあるけど、ボクが行く事もある。」
「うん。嬉しい。」
「ボクも嬉しい。キミが来てくれる事が、ボクがここにいられる事が。」
 髪から手を離し、少し位置をずらして頬を撫でる。
 くすぐったそうにキリルが目を細めて、それから笑う。
 たったそれだけの事。
 それでもキリルが笑ってくれたのが嬉しくて、ルクスもつられるように小さく笑った。
「慣れと言うなら他にも当てはまる人はたくさんいる。でもどうしてだろう、手を伸ばして届く近さにキミがいる事が、とても心地いい。」
 とても優しい声だった。
 とても大切な事を言われている気分になった。
 そして実際にとても大切な事を言ってくれていた。
 酷く気恥ずかしくなって目を逸らそうとしたが、笑っているルクスが見えなくなるのは勿体なく、キリルは何とか思い止まる。
「それを言うなら、ボクだって不思議だよ。」
「そうだね。」
 お互いの話だから過ごした時間は同じになる。
 けれど気持ちの話となると同じとは限らない。
 でも今ルクスが話してくれた部分にキリルは素直に頷けた。
 今みたいに何の意味もなく手を伸ばしたら触れられるくらいに近くにルクスがいる、それはとても嬉しくて心地いい。
 慣れの話ではないのは確かだ。
 だったらお互いに相手よりも先に出会った全員に同じ事を思わなければおかしい。
 でもそんな事はない。
 相手だから感じた何かを、言葉にするにはうまく出来なくて、でも一生懸命に伝えようとすれば言える事はとても少なかった。
「でもルクスはボクにとって何か特別みたいだから。だから不思議でもなんでも、素直に嬉しいって思う。」
 そのうちの1つを言葉にする。
 ルクスが驚いたようにぱちりと瞬きをした。
「………、特別…?」
 繰り返されると少し気恥ずかしいが、キリルは笑顔で頷いた。
 それを見てルクスは1つ納得する。
 上手く説明出来そうもないが、その言葉はとても心地よく、出来れば自分もキリルに向けたいと思った。
 それはつまり同じ事を思っていると考えて間違いないのだろう。
「キリル君。」
「なに?」
「………、この先…。」
 途中で言葉が途切れる。
 遠い未来の話はお互いにした事がない。
 意図的に避けていた部分がある。
 でも今はそれに触れる数少ないチャンスのように思えて口を開いたが、上手く言えない。
 困ったルクスに、キリルはゆっくりと笑って、穏やかな声で言った。
「この先、出来れば少しでも長く、これくらいの距離でいられればいいね。」
 曖昧な言葉だったけれど、それでも確かに明日や明後日ではない、もっと先の事の話。
 たまらなくなってルクスはキリルから手を離した。
 同時にキリルもルクスから手を離したので、その動作を眺めた後にルクスは何か覚悟を決めたような目をキリルに向けた。
「これからも…、ボクはキリル君の隣に、こうしていたい。」
 少し声が堅かった。
 何かを望むのはどうしても苦手で、しかも人を相手にこの先もと望むような言葉はどうしても覚悟がいた。
 別ればかりが多かったキリルもそれは同じで、一瞬だけ躊躇う。
 けれどすぐにそれを振り払うようにキリルはルクスの両手を掴む。
 痛いくらいに、離さないとでもいうように、しっかりと掴んで。
「ボクも。」
 キリルもありったけの気持ちを込めて、笑顔でルクスに答えた。










END





 


2010.06.30

長く時間をかけてやった事は、友達で特別だから一緒にいたいね、だけだっていう驚きの事実
さすがルクスとキリル、びっくりするくらいのんびりペース!
………、という感じで、優しい気持ちで見てあげてください、この2人って結局なんかこんな感じなんです





NOVEL