意識と自覚
切っ掛けはふと告げられたセネカの言葉だった。
「それにしても、何だか久し振りですね。」
食事の最中の言葉に、キリルはフォークをくわえたまま顔を上げた。
食べている最中なので何も言えないキリルは、けれど不思議そうな表情で、何が久し振りなの、と尋ねている。
全く気付いていない様子のキリルに、セネカはほんの少しだけ寂しそうに笑った。
「こうしてキリル様と一緒に食事をするのが、ですよ。」
不思議そうな表情のまま口に入っていた物を噛んで飲み込む。
そうして、そうだっけ、と首を傾げた。
今一緒にいるセネカとアンダルクとヨーンは家族だ。
一緒にいるのがごく当たり前の人達だ。
けれど、ああそういえば、と思う。
確かに最近は家族揃ってというのが少なかった。
最近はルクスとばかりだった。
一緒にいるのが当たり前の人達と一緒にいなかったのに、言われるまで気付かなかった事に少し驚いた。
「あ、えっと、ご、ごめんなさい…。」
「何謝っているんですか。謝る事なんて何もありませんよ。」
にこにことセネカは笑う。
柔らかくて優しい笑顔だ。
「それだけ仲の良いお友達と出会えたなんて、素敵な事だと思っています。」
今まで友達がいなかったわけじゃない。
人懐っこい性格をしているので滞在先で人々に溶け込むのは早かった。
でも、別れたくない、そう言って友達の前で泣いていたのは本当に幼い頃だけ。
それじゃあね、と。
気付けば再会を願う言葉もなく知り合った人達と別れている子供がいた。
父親が死んで紋章砲を追うのは自分の役目とした時には、怪我を治し強くなる事と情報を得る事ばかりに意識が向いていた。
だから、良い事だと思っている。
ある程度長く一緒に過ごす事の出来る仲間達の中で、大切に想える友達と出会えた。
友達だとそう言える人と出会えた。
本当にとても良い事だ。
「ただ…。」
笑みを浮かべたままセネカはキリルを見る。
「ただ、少しだけ。寂しいなと思ってしまったものですから、つい。」
それは。
今こうして一緒に食事をする事が少なくなった事に対してなのか。
まだ見えない旅の終わりに、そこまで親しくなった人に対してキリルがどうするのかを心配してなのか。
セネカ自身どちらなのか分からなくて、だから随分と曖昧な表情になってしまった。
「セネカ…。」
キリルもじっとセネカを見る。
何だか上手く言葉が出てこなかった。
ただぼんやりとしていれば、そうですよ、とアンダルクが突然声を上げたのでキリルはびくりと肩を竦ませた。
「確かにキリル様に友達が出来た事は喜ばしいですが、こうもルクス君ばかり頼られては…っ!」
「煩いわよ、アンダルク。」
今にも立ち上がりそうなアンダルクの頭を掴んで、そのまま机の上に押さえつける。
痛そうな音がして、一緒に食器が揺れる音がした。
気にしないでください、とセネカが笑う。
ある意味で見慣れた光景なので、キリルはぎこちないながらも頷いた。
そんなキリルの頭を、隣にいたヨーンが撫でる。
さらさらした布の感触がくすぐったくて目を細めた。
浮かべる表情は何もないが、なんとなくセネカと同じ、良かったねと少し寂しい、という気持ちが入り混じっているように見えた。
キリルがそっと苦笑いを浮かべる。
そうだね、確かにそうだ。
こうして家族と一緒に過ごすのは久し振りで、気付いてしまえば確かに少しキリルも寂しく感じた。
でも言われなければ気付かなかった。
長い時間を一緒に過ごした家族と同じくらい、まだほんの数ヶ月しか共にいないルクスの存在が当たり前になっていた。
ぼんやりと昔を振り返る。
そこまで心の中を占めた他人が今までいただろうか。
3人とは血が繋がっていないが、それでも確かに家族だ。
ルクスは家族ではない、言ってしまえば他人だ。
過ごした時間だってたった数ヶ月だ。
どうしてだろう、なんでだろう、友達とはここまでの存在だっただろうか。
ぼんやりとしていれば、そっと笑ったヨーンがまたゆっくりと頭を撫でてくれた。
「………、それで。」
「何で逃げ込んで来るんだよ、お前は。」
シグルドの苦笑いに、ハーヴェイが呆れ顔でため息をつきながら言った。
視線はベッドに座っているシグルドの背後に倒れているキリルに向けられている。
突然部屋に来たかと思えば、シグルドの背後に倒れてぽつぽつと少し前の事を話し、そのままうつ伏せになっている。
話が終わり、そしてキリルが来る前からやっていた武器の手入れも終わり、ナイフをしまったシグルドが後ろにいるキリルの背中をあやすように軽く叩いた。
「………、逃げてません…。ちゃんと食べて、ごちそうさまって言ってきました…。」
「駆け込んできた奴が言っても説得力ないぞ。」
「まぁ…、確かに。また何が起きたのかと思いましたよ。」
そろりとキリルが視線を上げる。
にこりと笑ったシグルドと目が合って、慌ててシーツに顔を押し付けた。
でもいつまでもここにいるわけにはいかない。
ハーヴェイが文句を言うだろうが、でも彼は言うだけだ、本気でキリルを追い出そうとはしない。
甘えてしまっている。
ハーヴェイにもシグルドにも。
そうして誰よりも、ルクスに。
「………、友達って…。」
ゆっくりとキリルが口を開いた。
うつ伏せのままの声は少しくぐもっていたが、聞こえない程ではなかった。
「友達って、何なんでしょうか…。」
「はぁ?」
「どうしました、突然。」
驚いた声を頭の上で聞きながら、キリルはシーツを掴んだ。
友達という存在に憧れていた。
ルクスはその憧れを実現してくれた人だ。
でも彼は本当に友達なのだろうか。
友達じゃない、なんてそんな事は絶対に言えない。
でも、上手く言葉にならないが、それだけなのだろうか、と思った。
今日だって本当はルクスと一緒に食事をしようと思った。
でもルクスには用事があって、長引くから、と申し訳なさそうな顔をした彼を待っていては更に困らせると思ったので先に食べた、それだけだった。
今日は家族と、と思ったわけじゃない。
本当に、本当に言われるまで、家族と過ごす時間が久しぶりだなんて、思わなかったんだ。
「ボクはルクスを友達だって思ってます。でも…、でもこんな、こんなに友達って、全部になる存在だったでしょうか…。」
今まで友達と言った人をここまで想う事はなかった。
それは幼かったからだろうか。
それとも今まで友達と呼んだ人は友達じゃなかったのだろうか。
それとも、もしかしたら、ルクスを相手に何かを間違ってしまったのだろうか。
友達だと言って笑ってくれる人を相手に。
友達だと言って笑顔を向けられる相手に。
あんなに大切に想える人なのに、本当は友達だなんて呼んではいけなかったのだろうか。
「何か…、ボク何か…、おかしい事しちゃったんでしょうか…。」
まるで泣き出しそうな声だった。
そんなつもりはなかったキリルは、自分の声に少し驚いた。
「おい、キリル。」
ハーヴェイとシグルドも少しは驚いたのだろう、ハーヴェイの声が多少柔らかくなった。
「別に、そんな深刻になるほど間違っちゃいねぇよ、お前は。」
「………、本当、ですか?」
「というか、気付いてるか?ある意味でお前とオレ達もお互いを友達って呼んでもおかしくないんだぞ。」
「………、え?」
思ってもみなかった言葉にキリルは顔を上げた。
傍にはシグルドがいて、いつの間にか自分のベッドの上に座っていた筈のハーヴェイが腕を組んで傍に立っていた
「そう…、なんですか…?」
「共に過ごす親しい相手の事を言いますからね、間違ってはいません。」
「でも変な感じがするだろ?」
「はい…。」
じっとハーヴェイとシグルドを見る。
親しいという言葉には何の違和感もない。
部屋に駆け込んでベッドに倒れて話を聞いてもらって、こうして大切にしてもらって。
自分ばかりが甘えてしまっているけれど、彼らは迎えてくれるのだ、親しいのは確かだろう。
でも友達と呼ぶのは、何だか不思議だった。
嫌ではなく、呼んでもいいんだと気付けばくすぐったい気持になるけれど、それでも不思議に思う。
「オレ達にとっては、こうして過ごすキリル様は弟みたいな感覚ですからね。」
「そうそう、世間知らずで物凄く手のかかる、な。」
彼らが弟と言うのなら、自分にとっては兄だろうか。
兄弟はいないので想像するしかないけれど、確かにそうかもしれない。
友達と言うよりも納得が出来た。
「感情の関わる事ですから、簡単に1つにはまとめられません。だから間違っているとも簡単には言えません。」
「はい。」
「キリル様とルクス様がお互いを友達と思っている事は本当で、間違ってはいないと思います。でもおかしいと感じるのは、それだけじゃないからですよ。例えばオレ達とキリル様が友達というのが変だなと思うように。」
「えっと、それじゃあ、それって一体…。」
「そこまでは教えねぇ。」
「え?」
「そんな事はルクスと一緒に考えろ。それで1番納得いく言葉を探せ。周りが言える事じゃねぇって。」
「………、でも知ってる感じです。」
「そりゃな。どれだけお前達に振り回されてると思ってんだよ。」
拗ねたような表情をしたキリルを見て、ハーヴェイが乱暴に頭を撫でた。
楽しそうに笑うから、キリルはまたベッドにうつ伏せになった。
ちょうどそのタイミングで扉を叩く音が2回。
シグルドが返事をすれば、扉を開いたのはルクスだった。
あまりにタイミングが良くてキリルが勢いよく体を起こした。
「よう、ルクス。」
「どうなさいました?」
「そんなの、キリル探しに来たに決まってんじゃん。」
「………、なんで言い切れるの。」
「違うのか?」
「違わない。」
楽しそうに笑うハーヴェイから、ルクスはすぐにキリルへと視線を向けた。
迷いもなく言い当てられた事を悔しく思っているのだろう。
いつもの無表情だが、そんな仕草から伝わって来てハーヴェイは声をたてて笑った。
1度じろりと睨んだが、こういう時に睨んでもあまり効果がないのは知っている。
さっさと無視をする事に決めた。
「キリル君。」
ルクスが呼べば、キリルはびくりと肩を揺らしてシグルドの背中に隠れた。
きょとりとルクスが目を丸くする。
背に隠れてしまったキリルと、驚いているルクス、2人に挟まれたシグルドは困ったように笑う。
「ちょっと待ってあげてくださいね、ルクス様。」
「え?」
「今ちょっと心の準備をしていますから。」
シグルドの言葉にキリルが何度も頷いた。
ルクスは友達だ、それは間違っていないと納得出来た。
でも感じた違和感に付けられる名前が見つからない。
2人で見つけろと言われても何と言って説明すればいいのか分からない。
ただ、それでも、1つだけ分かる。
家族が寂しがるほど、当たり前と思ってしまう程、こうして一緒にいてくれるルクスの事が、自分は本当に大切なんだ。
それだけが間違いなく分かった。
「………、待てばいいの?出て行かなくて平気?」
尋ねられて頷く。
分かった、と柔らかい声が聞こえた。
じんわりと心の中が温かくなって、声を聞いただけなのに嬉しくなった。
ああ本当にこの人が大切だな、と思う。
でも思えば思うだけ、何故か上手く顔が見れなかった。
どうしてよりにもよってルクスの顔が見れないのだろうか。
半ば混乱してシグルドの服を掴めば、今ここでルクス様がいては仕方がありませんよ、と笑った。
それは名前の付けられない違和感の正体の欠片。
この世界には、特別、と呼べる相手がいるんだと、確かに理解した瞬間だった。
END
2009.06.30
ルクスが好きで仕方がないキリルは、自覚しているようで、微妙に無自覚
それはルクスも同じなので、こんな人達が傍にいたらかなり恥ずかしいですよね…
今更ながらハーヴェイとシグルドって苦労しているなと思いまいた(本当に今更)
NOVEL