隣にいるキミを見て






 ルクス様、と呼ぶ声がしたので顔を上げた。
 声のした方を見れば、ミレイの姿が見えて、アメリアとフレアも一緒にいて、その向こう側にルクスが見えた。
 楽しそうな明るい声がたくさん聞こえてきて、何となくキリルは少し離れた所でその様子をじっと見た。
 別に珍しい光景じゃない。
 むしろこの短期間で見慣れたといってもいい。
 ルクスはいつも1人で何かをしているか、そうでなければああやって誰かに囲まれているか。
 周りに集まる人は、楽しそうに談笑を持ちかけている人もいるし、真面目な顔をして何か話し込んでいる人もいる。
 そのどちらの場合でもルクスの表情は変わらない。
 特に笑うわけでも、深刻そうな顔をするわけでもない。
 淡々と言葉を受け取って、時折返して。
 今も特に何の表情も浮かべないで時折頷いているだけのルクスを見て、本当に好かれているんだな、とそんな事を思って視線をルクスから外した。
 声をかけたい気持ちはある。
 友達だ、と自信を持っていえる相手ではないのだけれど。
 それでも今まで出会ってきた人の中では1番親しいと思っている相手だ。
 姿を見かければつい用事もないのに声をかけてしまう事をキリルは自覚している。
 でも人に囲まれているルクスには声をかけられない。
 別に遠慮をしているわけではない。
 初めて人に囲まれているルクスを見た時は、何を話しているの、と声をかけた。
 そうして軽く後悔した。
 話についていけないのだ。
 その後、この船に乗っている人の大半は2年前の戦争でルクスにつき従った人達、だという事をハーヴェイとシグルドに教えてもらった。
「英雄様、かぁ…。」
 1つの国を守るために、1つの国を退けた人。
 物語の中でしか見ることのない存在。
 最初に聞いた時は本当に慌てたし混乱した。
 そんな物凄い人物だとは知らずに接していた事を謝って、慣れない敬語のようなものを使って態度を改めようとしたが、やめてと言われたのでやめた。
 なのでその後も特に態度を変える事なく普通に接しているけれど。
 あの時ばかりは近づけない。
 2年前の話なんて、本当に分からない。
 戦争があった事は流石に知っている。
 でもその時キリルが体を休めていた場所では、何となく落ち着かない雰囲気はあったものの、どこか遠い話だった。
 クールークが攻めてきて。
 オベル王国を中心にした軍がそれを退けた。
 知っているのはこの程度。
 軍主の名も掲げた軍の名も知らなかったのだ、仲間内の懐かしい話なんてさっぱり分からない。
 邪魔をしないのが1番だろう。
 折角ルクスを見つけたのにな、と少し残念な気持ちもあったが、軽く首を振って歩き出す。
「………、あ、でもどうしよう…。」
 少しだけ、ルクスに会えればいいな、と思っていた。
 進路と向かう先での目的が決まっていれば、船で移動している間はそんなにする事もない。
 ルクスを見つけて話す時間があればいいなと思ったが、あれでは無理だろう。
 1度捕まるとその話は結構長いし気付けば別の人になっているし。
 部屋に篭っているのもあまり好きではないので、とりあえず気晴らしに外にでも出よう、と甲板に向かった。
 長期船にいるのはまだ慣れないなとそんな事を考えながら外に出て背を伸ばす。
「おや、キリル様。」
「あ、シグルドさんにハーヴェイ…さん…?」
 甲板に出れば2人の姿があってぱっと嬉しそうな顔をしたキリルだが、だんだんと声は弱くなりやがて首を傾げた。
 ハーヴェイとシグルドがいることは何の不思議もない。
 ただ、ハーヴェイはモップを持って不機嫌そうに甲板を掃除し、シグルドは腕を組んでそれを見ている。
「………、また何かやったんですか?」
 何かをやらかして罰を受けているハーヴェイと見張っているシグルド。
 この光景はもうそれしか浮かばない。
 キリルがごく当たり前のように聞いてきたので、シグルドが楽しそうに笑い、その2人を見てハーヴェイが更に不機嫌そうな顔をした。
「またって何だよ、またって!」
「言葉のままだろう。」
「お前には聞いてねぇ!!」
「まぁ、またいつものようにキカ様とルクス様にご迷惑をおかけしたので、これです。」
「あー…。」
 いつものように、といわれて何となく納得してしまう。
 キリルの何とも言えない曖昧な返事に、ハーヴェイがイライラしたように甲板にモップを乱暴に擦りつけた。
「あれは自業自得なので放って置いてください。」
 きっとシグルドも少なからず被害を受けたのだろう、少し怒っているように見える。
 これを何とかするのはキリルには無理だ。
 ルクスかキカか、あとは反省したハーヴェイか、もうそれくらいだろう。
「じゃあボク、ここにいたら邪魔になりますか?」
「こちら側は終わりましたから、あれが煩いのが平気でしたら大丈夫ですよ。」
「好き勝手言いやがって…っ!」
「何か言ったか?」
「何でもねぇよ!!」
 ガシガシと乱暴に甲板を磨くハーヴェイを見てため息をつくシグルドに、キリルは少し笑った。
 それから海の方へと目を向ける。
 見えるのは海ばかり、近くに陸はないので本当に何も見えない。
 天気は良くて気持ちがいいのだけれど、こう海ばかりが続く景色を特に何もせずにぼんやりと見続けるのは少し飽きてくる。
 少しの間海を見て、でも2人を見ていた方が楽しいかもしれない、と振り返る。
「退屈ですか?」
 そんなキリルに気付いたシグルドが言った。
「えっと…、ちょっとだけ。」
「でもあれを見ても面白くないですよ、喚いて自分とついでにオレの拘束時間を無意味に長引かせているだけですから。」
「何でお前さっきからそんなに言葉に棘があるんだ!?」
「ハーヴェイさん、ここは物凄く頑張って掃除を早く終わらせてシグルドさんを早めに解放してあげた後に思い切り謝った方がいいと思います!何があったのかは全く知りませんが!!」
「うるせぇ!何も知らないのに核心付くな!!」
「いいからお前はさっさとそれを終わらせろと何度…。」
「シ、シグルドさん、それならボクの話し相手になってください!眺めているだけなのもつまらないですし、それがいいです、そうしましょう!」
 このままではハーヴェイがモップで戦う事になりそうだ。
 喧嘩を止めるために乱暴にシグルドの腕を引っ張れば流石に振り払われる事はなかった。
 キリルの方を向くといつものようににこりと笑ってくれたシグルドにほっと安心する。
「ですが、オレと話すよりもルクス様と話された方が楽しいんじゃないですか?」
「え!?」
 ごく当たり前に出たルクスの名前につい驚いた声を上げてしまった。
 それにシグルドも驚いた顔をする。
「あ、す、すみません、何でそこでルクスなのかなって思って…。」
「何でって、最近いつも一緒じゃないですか。」
「そうかもしれませんけど………、そんなに一緒ですか?」
「いいじゃないですか、仲がいいという事ですよ。」
「仲がいい…、ですか。」
 そう言われると嬉しいような気恥ずかしいような気持ちで、でも結局嬉しい方が強かったのか小さく笑った。
 友達になれたらいいな、と。
 この旅が終わっても友達としていられたらいいな、と。
 そんな事を思う人だから嬉しくて。
 でも先程の光景を思い出して少しだけ寂しくなった。
「あ…、でもボクは2年前の話は、出来ないんですよね…。」
「え?」
「ルクスはさっき見つけて声をかけようかと思ったんですけど、ミレイさんとかと一緒に話をしていて。」
「ああ、なるほど。」
「流石に混ざれなかったので、声はかけないでここにきたんです。ボクと違ってルクスは友達が多いから…。」
 本当はとても話したかったのだけれど。
 2年前の話には混ざれないというのも本当だし。
 知り合いの多くいるルクスは自分にばかり構っていられないよなとも思った。
 でもそれを思えば最近1人のルクスを見れば声をかけ続けていた自分の行動に、もしかしたら1人になりたかったところを邪魔してしまったのか、とか、他にも話をしたかった人がいるんじゃないか、とか色々と浮かんで。
 急に不安な気持ちになれば、隣にいたシグルドがほんの僅かに苦笑した。
「あれは友達とは少し違うと思うのですが…。キリル様、1つ言い事を教えてあげます。」
「何ですか?」
「確かにルクス様はよく誰かと話をしていますが、自分から話しかける場合は連絡事項的なもの、雑談をしている場合は誰かに声をかけられた時です。」
 きょとんとしているキリルが首を傾げた。
 シグルドが何を言いたいのか分かっていないらしい。
 後ろでモップをバケツの中に乱暴に入れたハーヴェイが、何で気付かないんだ、と言葉を続けた。
「ルクスが自分から意味もない雑談を持ちかける相手なんかお前くらいなんだよ、キリル。」
 少しの間不思議そうにしていたキリルだが、やがて意味を理解したのか驚いた声を上げて顔を赤くした。
 いつも1人で何か仕事をしているか、そうでもなければ誰かに囲まれているか。
 ルクスから声をかけたのか相手から声をかけたのか、そんなのは最初から見ていないから知らないけれど。
 ルクス様、と呼び止める声を多く聞くのは確かだ。
 時折彼の方から名を呼ぶ場合は、キカやフレアやハーヴェイやシグルド達ととても真剣な顔で話しこんでいる事が多く、あれはどう見ても雑談という雰囲気ではない。
 でも自分だけだというのはあまりにも自惚れている気がして、2人の言葉に軽く混乱した。
「キリル君、どうしたの?」
 そんなタイミングの時にひょこりと甲板に顔を出したルクスが自分の名を呼ぶものだから。
「うわあぁーっ!」
 もう悲鳴に近いような驚きの声を上げてしまった。
 ルクスが目を丸くして驚いていたので、我に返ったキリルは慌てて謝った。
「ご、ごめん、ちょっと、いやかなり、驚いちゃって…!」
「あ…、うん、気にしないで、少し驚いただけだから。」
 キリルを安心させるように小さく笑うと、すぐにその表情を消してハーヴェイを振り返った。
 気まずそうにハーヴェイが俯くのを見て、キカとルクスに迷惑をかけた、とシグルドが行っていたのを思い出す。
 今にも噛み付きそうな勢いのハーヴェイといくつか言葉を交わせば、言葉に詰まったハーヴェイがまた乱暴に甲板をモップで擦り始めた。
 ハーヴェイがルクスに言葉で勝ったところを見たことがないなとぼんやり思っていれば。
 それでは監視に戻りますね、とシグルドが戻ってしまった。
 1人に戻ってしまったと思う間もなく、すぐにシグルドがいた場所にルクスが立つ。
「さっき、何か用だった?」
「え?………、あ、気付いてたんだ。」
「うん、少しの間こっちを見ていたから。」
「なんでもないんだ。暇だったら話し相手になってもらおうかなって思ってたんだけど、でも先に話している人がいたから。」
「そうだったんだ。」
「もしかして何かあると思って話の邪魔になったとか…?」
「そうじゃないよ。それにあれはボクがいなくても構わない話だったから、適当に抜け出してきた。」
「抜け出してって…、なんでまた?ボクに用事があった?」
 折角話をしていたのに、何を抜け出す必要があったのか。
 不思議に思って聞けばルクスも少し不思議そうな顔をした。
 それから何か考え込むように海の方に目を向ける。
 そんな考え込むような難しいことがあったのかと少し緊張すれば、用事じゃない、とルクスは小さく呟いた。
 暫くの間ルクスは難しい顔をして考え込んで。
 考えが纏まったのか纏まらなかったのか、戸惑った様子でゆっくりとキリルに視線を戻し。
「特に何もないんだけど…、キリル君の顔を見たら、キリル君と話をしたくなったから。それだけ…かな。」
 ルクスはそう言って少し困ったように笑った。
 折角昔からの仲間と話をしていたのに。
 偶然通りかかっただけのキリルの存在に気付いて、特に用もないのにただ話したいからと追ってきてくれて。
 そうして先程のハーヴェイの言葉を思い出して。
 今こうして隣にルクスがいてくれることが、とても嬉しかった。
 いっそ耐え切れずに逃げ出したくなるくらいに、本当に嬉しくて。
 でも逃げるのはあまりにも勿体無くて、自分をここにつなぎとめておきたくて、無意識のうちにルクスの左手をぎゅっと握った。
 一瞬びくりと体が強張ったように感じたけれど振り払われることはなかった。
「キリル君?」
 名前を呼ばれて、耐え切れなくなって視線を彷徨わせて。
 でもそれも勿体無いと感じて、そういえば話したくてルクスを探していんだという事を思い出し、顔を見れないままに口を開いた。
「ボクもルクスと話したくて、ボクの所に来てくれたのが凄く嬉しくて、本当に何だかおかしいくらいに嬉しくて……、だから、その……、ありがとう、ルクス。」
 何も考えないままの言葉だった。
 けれど自分の本心だったのでいってみれば少しだけ気持ちが軽くなった。
 でもルクスからは何の言葉もない。
 おかしな事を言っただろうかと不安になり、そっと隣にいるルクスを見れば。
 ほんの少しだけれど、顔を赤くしたルクスと目が合って、キリルは驚いた。
 キリルが驚いたのを見てなのか、気まずそうにルクスは顔を抑えるとキリルから視線を逸らした。
 それを見たキリルも何だか顔が赤くなって気恥ずかしくなって慌ててそっぽを向く。
 でも手は放せなかった。
 この場から逃げるのはどうしても勿体無いと感じてしっかりと握っていれば、ルクスの方も少し痛いくらいにキリルの手を握った。
「………、ボクも嬉しいと、思う。キミがそう思ってくれて嬉しい。ありがとう、キリル君。」
 ポツリと呟かれるだけの言葉。
 でも綺麗でよく通るルクスの声なのではっきりと聞こえて。
 何だか余計に気恥ずかしくなって、さっきルクスはこんな気分だからあんな珍しい顔をしたのか、とそんな事を思いながらもそっとキリルはルクスの方に視線を戻す。
 同じタイミングでルクスがこちらを向いたので目が合った。
 2人同時に驚いて、少しの間困ったように固まって、そうして2人同時に笑った。
「あはは…、何か照れる。でも…うん、嬉しい。」
「そうだね、ボクも嬉しい。」
「本当にありがとうね、ルクス。」
「こちらこそ、ありがとう、キリル君。」
 そう言って手を繋いだままお互いを見てただ笑っていた。
 それだけで何か十分なように思えて。
 暫く後に掃除が終わったハーヴェイに、いい加減黙ってないで話せば、と言われて時間の経過を気付くまで、嬉しい気持ちのままに隣にいる大切な人とただ笑いあっていた。










END





 


2007.05.29

この2人はきっとお互い一緒にいられれば幸せを感じられる、そう信じている、そんな感じで見ていただければ、と
というか変に気恥ずかしいのはむしろボクなんですというか…
むしろ最近のハーヴェイの扱いが酷い気がする、シグルドがハーヴェイに対して物凄く導火線が短くなっている気がする
でもひびきが別に良いというので、気にしない方向で、うん、気にしない(もうなんか駄目っぽい気もするけど)





NOVEL