買出しに付き合ってください
食料や薬剤の補充の為に立ち寄った街。 船員達に混じって諸々の買出しの手伝いを一通り終えた後、キリルは単身船を離れていくひとつの後姿がある事に気がついた。 額に巻かれた赤いそれは相手が風を切るたびにゆらゆらとなびいている。 キリルは辺りをきょろきょろと見回した。 今回の停船の目的である食料及び薬剤の補充、調達はもう済んで残すは荷を船に運び込む作業だけとなった。 全ての作業が終了すれば早々に出航の準備へと入る。 それは予定として既に聞かされていた事だ。 残す作業は荷を積み込む事だけ、それはイコールもうすぐ出航の時間である事を意味している。 それなのに今船を離れる理由は何なのか。 立ち止まる事のない後姿はどんどんと離れていく。 どうしようかと少しだけ考え再度辺りを見回した後、 キリルは意を決したように拳を握って船を飛び出し前行く後姿を追いかけた。 アンダルクに見つかると大変なので誰もこちらを見ていない事を確認しながら。 もうすぐ出航である事は相手も承知している。 自分に黙ったままこの街で船を下りる理由もないはず。 という事は、荷を積む限られた時間で何かしらの用事を済ませ戻ってくるつもりなのだ。 ならば自分がこの場を少しだけ抜けて彼について行っても問題はない。 用事の邪魔になるようならすぐに引きかえしてくればいい。 ゆっくり歩いているように見えて一歩一歩のコンパスが長いのか、なかなか後姿に追いつく事が出来ない。 どうやら市場に向かっているらしく人が段々とふたりの間に増えていく。 ずっと後姿だけ見て走る事が困難になってきて、キリルは咄嗟に前を歩く相手の名前を呼んだ。 「ルクス!」 ルクスはその声に驚き瞳を少し大きくしながら振り返る。 そしてすぐに人波の妨げにならないよう道の端に移動しながらキリルが追いつくのを待った。 息を切らしながらルクスのもとまで辿り着いたキリルは、 追ってきた理由を静かに問われるとすぐに「姿を見かけたから」と答えた。 それ以上の理由などいらない。 キリルの脚を動かしたのは本当にそれだけの理由だったのだから。 返ってきた何とも簡単な答えにルクスは再び瞳を丸くし、そして表情を小さく柔らかくしながら微かに頷いた。 「せっかくだからちょっと付き合ってくれる?」 ***** 「付き合ってくれって言うからどんな大量の買い物かと思ったら……」 「そう? 君がいてくれたから僕としてはこれでも十分欲張った方なんだけど」 ルクスがキリルと連れ立って向かった先は一軒の饅頭屋だった。 そこで既に蒸してあるカニ饅頭を3つと、 そして保存用として6つ詰め合わせで売られているカニ饅頭を店頭に出ているだけ購入した。 キリルの腕の中には保存用饅頭パックがパンパンに詰まった大きな手提げ袋がひとつ、 ルクスの腕にはキリルと同じ状態の手提げ袋ふたつとそしてそれとは別に蒸した饅頭の入った紙袋。 好物としてカニ饅頭の名前が挙がっていた事はキリルも知っていたが、単身買出しに来るほど好きだとは思わなかった。 キリルがいなければ蒸した饅頭と手提げ袋ひとつ分を諦めていた所だと言うのだから追いかけてきて良かったと改めてそう思う。 元々あまり時間の許されない買出しだ。 ひとりだと無理なく抱えられる量を弾き出すのに少しばかり時間を要していただろうが、 ふたりならば店頭に出ている分くらいは難なく持ち帰る事が出来るので注文にも全く時間はかからなかった。 ふたりが船へと辿り着くと出航の準備も丁度タイミングよく終わったようだ。 いつの間にか姿が消えてしまったキリルの事を探していたのだろう、 アンダルクが安堵の表情を浮かべながら足早に近付いてくる。 それに気付いたルクスは素早くキリルの持つ手提げ袋を受取ると一旦それを床に置き、 自らが手にしていた蒸した3つの饅頭が入った紙袋の中からひとつ饅頭を取り出して残りを紙袋に入れたままキリルへと手渡す。 「はい」 キリルは渡されるがままにそれを受け取り、未だ状況の理解が出来ないと紙袋とルクスとに交互に視線を向けている。 「今日はどうも有難う」 君のおかげで当分おやつには困らない、と。 ルクスは小さく微笑むとやってきたアンダルクに軽い会釈をした後、 手にしていた饅頭を口に銜え3つの袋を腕に下げながら自らの部屋に向かって歩き始めた。 END2007.08.30 NOVEL